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四季の彩り・魂祭~夏の最後を飾る花~

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四季の彩り・魂祭~夏の最後を飾る花~
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 第22章

「じゃあアル、私はドリンクを買ってくるわね」
 川べりにある灯篭流しの会場は、静かなざわめきに包まれていた。訪れる誰もが、花火大会の賑やかさとは異なる、どこか粛々とした空気を纏っている。
 同じ魂祭の中で、此処だけが別世界のようだった。
 列に並んだエシクに声を掛けて屋台の間を歩いていると、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)のその思いは更に強くなる。
「アルヘナ――あの子が灯篭流しをしようって言うなんて、珍しいわね。未だ、何かを引き摺っているのかしら?」
 エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)。剣の花嫁である彼女は、今の“エシク”となる前、アルヘナ・シャハブ・サフィールという名の少女だった。その事を思い出し、随分と悩んでいたのは知っている。けれど、バレンタインのあの日――『もう大丈夫』と言った彼女はそれを受け入れ、先に進む決意をしたかに見えた。
 しかし、今日、エシクは灯篭流しをしたい、と強くローザマリアに希望した。
 未だ、何か思うところがあるのだろうか。
 コーラを2人分買って戻ると、エシクは灯篭を両手で持ち、川と1人向き合っていた。その背からは、声を掛けるのを一瞬躊躇うような、何処か一抹の寂しさが感じられて。
「……アル」
 途中で立ち止まってしまったローザマリアは、改めて、彼女の名を呼ぶ。エシクは振り向かぬままにそっと屈み、灯篭を川へと流した。ゆっくりと遠ざかっていく灯篭をしばし見詰め、それから、ローザマリアに話し始める。
「灯篭流しとは、灯篭に乗って魂があちらの岸へと還って行く仏事と聞きます。……たとえ死したとて、幸福な事だと思います。彼ら、或いは彼女らの魂は、それぞれの在るべき場所へ帰って行けるのですから」
 ――翻って、私の魂の在り処は、どこなのでしょうか……?
 エシクの言葉は、真っ直ぐにローザマリアにぶつかってくる。その思いの丈を、彼女の独白を、ローザマリアは一語一句逃さないように、噛み締めるようにして聞いた。それが分かったのか、エシクも静かに話を続ける。
「剣の花嫁は契約する者によって姿を変えるといいます。私は、自らが誕生した時の容貌が、どんなものであったか、知りません。どのように生き、どのように戦い、どのように……今の時の流れに到るのか」
 知りたいとも思わない、と言えば嘘になる。
「……でも、怖いです。それを知る事が、例えようも無く、怖い。
 自らの名前を思い出した時は無上の喜びを感じたのに、それ以上を知る事が、怖くてたまらないのです。
 私の魂は、誰かの意思によって歪んでしまいました。弄ばれた私の魂は、行き場を失って現世で彷徨い続けるんです」
 ――人はそれを“幽霊”という。
「――私は、幽霊でした。誰かによって弄ばれた魂の在り処を求め彷徨うだけの……。
 ローザは、その無間の煉獄から私を救い出してくれました。
 ローザと出会い、私は初めて幽霊から実体を持つ存在へ戻れたのです」
 そうして、エシクはローザマリアの方を振り返った。
「だから、ありがとう――」
 そう言う彼女は、確かに笑顔を浮かべていた。ともすればすぐに壊れてしまいそうな笑顔だったが、それが簡単には壊れないのであろうことも、ローザマリアには分かった。
「アルヘナ・シャハブ・サフィール……この名前と、ローザ達がいる。私は一人じゃない。それだけが、この身の糧になって、ただならない力を与えてくれるんです。
 私は、エシクでありアルヘナでいたい。もう、他の誰にも、なりたくはないんです」
「アル……。……それなら、私があなたの最後の契約者になるわ。もう、名前を、その存在を変えさせたりはしない……」
 ローザマリアは一歩彼女に近付き、コーラの片方を差し出した。

              ◇◇◇◇◇◇

 少々お盆には遅れてしまったけれど、祭で灯篭流しをやっている。それを知った神凪 深月(かんなぎ・みづき)は、平 将門(たいらの・まさかど)を連れてレストゥーアトロ近くの川辺を訪れた。
 昔、育ててくれた老夫婦を想い、その魂を送るために。
「ああ、婆様とはそんな事もあったのう……」
 将門は『爺様』のことはあまり知らない。深月は灯篭を受け取ると、将門と『婆様』の思い出話をしながら川辺を歩いた。
 2人が亡くなったのはもう随分前のはずなのに、『婆様』の話し声、仕草、交わした会話が昨日の事のように思い出される。将門も同じなのか、彼女達の話は尽きなかった。
 やがて手頃な場所を見つけ、灯篭に火を灯して、川に流す。
 彼女達の灯篭だけではない。
 幾つもの灯篭が川に浮かび、ゆっくりと、下流に向けて流れていく。
 幻想的な光景に会話も途切れ、深月と将門は静かにそれを見つめていた。
 時と共に、2人の流した灯篭は見えなくなり、新しい灯篭が流れてくる。その数だけ、死者を想う、人々の心も存在する。
「…………」
 どれだけそうしていただろうか。老夫婦を――『爺様』と『婆様』を送り出せた、と思えた頃、深月と将門はどちらからともなく川を離れる。花火大会を終えた後だけに、通りの人は少なかった。
「将門、わらわはちと用がある。少し先に行っててくれんかの」
「ん? ……そうか、わかった」
 軽い口調で言う深月に、将門はこちらも軽く頷き、離れていく。気付かれたのか気付かれていないのかは分からなかったが、彼女も1人になりたかったのかもしれない――と深月は思った。
 将門の、小さな背が離れていく。彼女が歩みを止める気配は無く、足を止めたままの深月は一度、灯篭が消えた先を振り返った。
 そして、いつもとは違う、子供の時の口調で静かに呟く。
「……ボクは元気だよお婆ちゃん。沢山家族も出来た。ここは色々あって、毎日がにぎやかすぎるけど…………うん。ボクはここが大好きだよ……」
 彼女は、血の繋がった両親を知らない。お婆ちゃんもお爺ちゃんも、血の繋がっていない里親だ。それでも2人は、大切な深月の『両親』だから――
 それだけ言うと、深月はまた、この世界の大地を意識しながらそれを踏みしめ、歩き出した。

 ――空を見上げながら、将門は深月の婆様を想っていた。
「お前の子は、元気に過ごして居る。誰かを大事にに思える子に育った……。これからも我は深月と共に生きていこう。お主の分まで、我があやつの家族で居る為に……」
 語りかけるように、亡き彼女にその想いが伝わればと願い口に出す。それから、将門はふっ、と笑った。感傷に浸った自分に、少しの可笑しさを覚える。
 その時、深月が追いついてきた。普段通りの、何も変わらぬ空気を纏って。
「……将門、帰るとするかのう」
「……うむ、そうするか」
 のんびりと、微笑みあって2人は歩く。
 大切な、“彼女”を想いながら。

              ◇◇◇◇◇◇

 灯篭が緩やかに流れていく。
 公園から川岸に移動して、リネン・エルフト(りねん・えるふと)ヘイリー・ウェイク(へいりー・うぇいく)はその光景を静かに眺めていた。
 川向こうには同じように川岸があり、その更に先には、ツァンダの街並みが見えていた。高層と呼べるビルやマンションが立ち並び、人工的な光を放っているのが微かに見える。
「この景色も全部……って言えるほど自意識過剰じゃないけど、何分の一かは私たちが守ってきたのよね」
 リネンは穏やかにそう言い、ヘイリーに向けて微笑んだ。
「……いつもありがとう」
「…………」
 心からの感謝を向けられ、ヘイリーは驚きと共に言葉を失う。そうではないかとは思っていたけれど、やっぱり慣れない。
「急に何を言い出すかと思えば……いいのよ、あたしは。忙しいのを楽しんでるんだから!」
 だから、気にするな、と団長らしく。そう彼女は言い切った。