校長室
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第30章 11月は紅葉の季節 もみじの紅が、色鮮やかに山を染めている。季節が移り変わるこの時期にしか観られない、自然の中でしか生み出せない美しさがそこにはあった。 その山の中を、風祭 隼人(かざまつり・はやと)はルミーナ・レバレッジ(るみーな・ればれっじ)と2人で歩いていた。頭上に広がる様々な色合いの朱が、ときたまひらひらと舞い落ちてくる。 「素敵だな……ルミーナさん」 「ええ、素敵ですね……とても落ち着きます」 穏やかな澄み切った瞳で木々を見上げるルミーナの表情からは、紅葉を純粋に楽しんでいるのが伝わってくる。彼女は長袖の白いワンピースに、黄檗色のカーディガンを羽織っていた。もみじの中に一片の銀杏が紛れ込んだような、そんな印象を抱かせる。 「あ、いや……俺が言ったのはそっちもあるけど……」 「……え?」 ルミーナは紅葉を眺めていた目を隼人に向けてきょとんとすると、一拍の間を置いて微笑んだ。少し照れたように。 「……ありがとうございます」 11月23日はルミーナの誕生日だ。その祝いとして、隼人は彼女は紅葉狩りの旅行へと誘った。この1日が、良い思い出になるように。 加えてもう1つ。今日泊まる旅館には、彼と風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)、テレサ・ツリーベル(てれさ・つりーべる)の育ての母親である孤児院のシスター夏海 由良も旅行に来ている。福引でパラミタ温泉旅行が当たったらしいのだが、それがこの山の旅館だったのだ。隼人が旅行先にこの地を選んだのは、彼女に『久しぶりに3人に会いたいからどこかのタイミングで会いに来るように』と言われていたからだったりもする。 隼人は、由良にルミーナを紹介しようと思っていた。20歳になる来年くらいには、彼女に結婚を申し込むつもりでいたりもして、育ての親の由良にも彼女との関係を知っておいてほしかった。 「足を取られないように気をつけて」 ころころとした石も多い山道を、足元で鳴る落ち葉の音を聞きながら散策した。 「2人っきりで旅行、というのも良いですね〜、優斗さんっ」 「て、テレサ……?」 紅葉の下を温泉旅館に向かいながら、優斗は表情を引きつらせた。テレサは間違いなく、これをデートだと思っている。まあ実際は、 (優斗さんと婚前旅行〜♪) と、彼女はデートよりも若干重めの解釈をしていたのだが。何せ、今回はミア・ティンクル(みあ・てぃんくる)には秘密の旅行なのだ。ミアとは仲が悪いわけではないが、優斗に関してだけはお互いに譲れないライバルである。今日はミアに邪魔される心配もなく、心置きなく2人きりの時間を楽しめる。 「テレサ、これは隼人も一緒のあくまで家族旅行なので、恋人とかそういう話ではないですよ! 宿泊時の部屋割りも男女別の予定ですから!」 「分かってますよ? でも、家族旅行もデートになりますよね!」 そして、家族旅行も婚前旅行にはなる。それを実現させる為、テレサは様々な秘策を持ち込んできていた。2つの部屋を優斗と隼人、テレサとルミーナで使うことは全員の共通認識になっていたが、それも変更する気満々である。鞄の中には、婚姻届も入っている。 「隼人さん達もそうじゃないですか」 「て、テレサ……とにかく、お願いですからシスター・ユラの前ではちゃんと、仲の良い“妹”らしく振舞ってね。下手に目をつけられたら……」 恐ろしいことになる。 優斗は戦々恐々としながら、温泉旅館への道を歩いた。 その頃、留守番している筈のミアは諸葛亮著 『兵法二十四編』(しょかつりょうちょ・ひょうほうにじゅうよんへん)(以下リョーコ)と一緒に旅館のすぐ傍まで迫っていた。リョーコから旅行の話を聞き、先回りしたのだ。リョーコは事前に、随分と浮かれていたテレサに訳を聞き、優斗と旅行に行くという話をキャッチしていた。隼人から旅館の場所までを聞き出し、面白そうだから、とミアとこっそり混じることにしたのだ。 「テレサお姉ちゃんと何か間違いが起きたら大変だし、何より婚約者である僕を差し置いて旅行なんて許せないよ!」 ――こうなることを見越して。 「もちろん優斗お兄ちゃんは僕と婚約しているんだから、僕と一緒の部屋に泊まって…………。これで、僕の完全勝利だよ!」 旅館にチェックインし、受付スタッフに由良の部屋を知りたいと伝える。 「風祭優斗の婚約者なんだけど、挨拶しておきたいんだ!」 そう言った上で本人に連絡してもらったら、割とあっさり信用を得られたらしい。意気揚々と、ミアは由良の部屋に向かった。不正な手段で優斗を奪い取ろうとするテレサの野望を打ち砕くのだ。 そして対面したのは、真っ直ぐな黒髪を長く伸ばした、20代後半に見える綺麗な女性だった。リョーコも『謎』とだけ聞いていて、彼女の実年齢を知らない。兄弟達を子供の頃から育てたというのだから、40代は超えているはずなのだが―― 「はじめまして! ミア・ティンクルです」 「君が優斗の婚約者? 私は夏海由良。優斗達兄弟とテレサが育った教会――孤児院の管理者よ。そっちの女性は?」 「諸葛亮著 『兵法二十四編』……リョーコと申しますわ。優ちゃんのパートナーよ」 にこにこと感じ良く、リョーコも由良に挨拶する。 「パートナー……そう。優斗は最近、どんな感じ?」 客観的に見た優斗の話も聞いてみたかったのだろう。由良は自ら話題を振った。 「そうね、優ちゃんは……」 リョーコは彼女に、優斗とミア、テレサ達の普段の様子を、ちょっとだけ脚色して話して聞かせた。同席していたミアも、その話を裏付けるようにうんうんと相槌を打つ。真実を知っているのはリョーコだけなのだから、仕方ない。 「へえーーーーーー、そう、女の子と……。へえーーーーーー」 由良のこめかみに、青筋が浮いた。 (……あら? いつの間にやら、優ちゃんは色々な女の子に手を出しているナンパなダメ男になってると思われてしまったかしら?) 当然、いつの間にやら――ではない。 「でも、わらわが今後はしっかり指導を請け負いますから、心配しないで大丈夫よ」 にこやかにそう言ってのける。だが、一度浮いた彼女の青筋はなかなか引っ込む気配を見せなかった。 優斗とテレサ、隼人とルミーナは旅館で落ち合うと、まずは温泉に入ろうということになった。男女別になった露天風呂で、テレサとルミーナは2人一緒に湯に浸かる。そこでテレサは、ルミーナに相談を持ちかけた。部屋割りの変更には彼女の同意も必要だ。 「優斗さんと同じ部屋になりたいので……。お願いできませんか?」 そうですね……、と、ルミーナは考える。隼人は旅行に行こうと誘ってくれた時、どこか自信が無さげだった。慌てるように、優斗達と行く家族旅行だからと付け加えて。 大切に想ってくれているのは伝わってくるし、とても嬉しい。ルミーナ自身も、少しずつ気持ちを通わせあうことができたらと思ってはいるけれど。 「…………」 その彼女の答えを、テレサはどきどきしながら待っていた。了解してもらえるだろうかというのもあったが、何しろ、ここは温泉である。ルミーナは自分に比べると遥かに、色々と女性的だった。 「……分かりました。2人部屋を交換するだけですし、構いませんよ」 「よかった、ありがとうございます。先に優斗さんの部屋に行っていてください。ルミーナさんと隼人さんが同室に居たら、優斗さんもお邪魔は出来ないと思います。その後で、私が優斗さんを連れに行きます」 「では、そういたしますね。でも……」 そこで、ルミーナは最後に言った。 「別々のお布団でお休みになるだけですよね? テレサさん」 ……本来なら優斗側にすべき確認だろうが、ルミーナはそう言わずにはいられなかった。 (……ミアちゃん! リョーコさん!) (……ミア! リョーコさん!) 旅館の浴衣を着て、4人で由良に会いに行く。隼人はルミーナに「会わせたい人がいるんだ」とだけ言って同行してもらった。自分達兄弟にとって大切な人が来ているから、と。 そして、いざ部屋に入ると――そこには、いない筈の2人がいた。リョーコに旅館の場所を話していた隼人はそこまで驚かなかったが、テレサと優斗の驚きは大きかった。 (ああ……由良お母様の立ち会いの元でサインさせようと思っていたのに……) 隠し持っていた婚姻届は出せそうにない。テレサはがっくりと敗北感を感じた。これで完全勝利だと思っていたのに。 でも…… (お母様に仲を認めてもらえれば、優斗さんのごまかしはもう通用しません!) テレサは密かに、闘志を燃やした。その隣では、隼人がルミーナの紹介を始めている。 「シスター・ユラ、今日は紹介したい人がいるんだ。ルミーナ・レバレッジさんだ」 「付き合ってるんだってね、リョーコさんから聞いたわ。ルミーナさん、私が隼人の育ての親の夏海由良よ。よろしくね」 「育ての親……そうですか。こちらこそ、よろしくお願いいたします」 初めは驚いたようだが、ルミーナは由良に丁寧に挨拶した。次に、優斗もにこやかな笑顔を浮かべて挨拶する。大変なことにならないように、いつも以上に紳士としての立ち居振る舞いに気をつけて。彼女は礼儀作法に厳しいのだ。 「お元気そうで何よりです。僕も日々、この通り息災に過ごしています」 「ふーん、そう。息災ねぇ……」 その言葉に、由良はどこか冷ややかな笑みを返してきた。何か嫌な予感のする、無駄に深い笑顔である。 「シスターのおかげで僕はこうして立派に男らしく育ち、兄弟仲良く過ごしています」 「男らしく?」 由良はそこで初めて、笑顔から毒を抜いた。素が見える。 「……それは無理があるだろう」 「え……」 思わずというように、隼人達の小さな笑いが聞こえた。ミアやリョーコ達も笑っている。そうして空気が緩んだ中、テレサがいざ、と由良に報告する。 「お母様、実は私、以前に優斗さんに告白されたんです。あの頃は兄妹として過ごしていましたけど、今は、結婚を前提にお付き合いしています」 「テレサお姉ちゃん!?」 「告白……そう。テレサにまでそんなことをしていたの……」 堂々とした告白にミアが驚きの声を上げる。一方、由良はもう怒りを隠そうともしていなかった。 「聞いたわよ、テレサやミアちゃんにだけじゃなく、他の女の子にも随分と声をかけているらしいじゃない。女の子の気持ちを弄ぶとか、暫く会わないうちに性根が腐ってしまったみたいね」 「だ、だからシスター、それは誤解で……」 聞いたって誰に、と思ったが考えるまでもなかった。リョーコである。リョーコは優斗に、頑張ってね、というように小さく手を振っていた。 (……りょ、リョーコさん……!) 「誤解じゃありません! 優斗さん、はっきりしてください! ……お母様!」 「誤解じゃないよ! 優斗お兄ちゃん、浮気を潔く認めなよ! ……由良さん!」 息ぴったりなテレサとミアの声を受けて、由良は「うん」と頷いた。 「……仮に誤解だとしても、だ。そうやって軟弱な態度ばかり取ってきたのだろう。根性を叩き直してやる。そこになおれ!」 「し、シスター!?」 すごい迫力だ。だから男らしいとか父親とか言われるんですよ、と思ったが口に出したら殺されそうで、結局優斗はその言葉を飲み込んだ。 そして、その夜―― (優斗さんがお母様の部屋から戻ってきません。これは誤算でした……) 2人部屋に1人になってしまったテレサは、布団の中で計画の失敗を痛感し―― 「テレサお姉ちゃん、優斗お兄ちゃんが由良さんのところから戻って来ないよ!」 と、部屋を訪れたミアと一緒に眠ったのだった。