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【4周年SP】初夏の一日

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【4周年SP】初夏の一日

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26.ふたりの人魚姫


 七月上旬、パラミタ内海中央部“原色の海”。
 ヌイ族の住む列島のはずれ、小さな無人島にひとつのキャンプが設けられていた。
 三つほど並んだテントの近くには流木で作った立札がたてられ、「シニフィアン・メイデン」と書かれていた。その柱に、ヌイ族のスタンプが押されたタグが括り付けられている。ヌイ族のスタンプが押されているのは、外部に開かれてまだ歴史の浅いこの海域で、彼女たちの仕事を許可し、都合のよい場所を決めたのも彼らだったからだ。
 <シニフィアン・メイデン>とは、コスプレアイドルSAYUMINこと<動の歌姫>綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)と、パートナー<静の歌姫>アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)によるコスプレアイドルデュオのことだ。
 彼女たちは写真集第二弾となる水着写真集プラス特典DVD撮影のため、この海を訪れていた。ちなみに、写真集第一弾はコスプレ写真集だった。
 海に到着したあとすぐに、二人は水着に小道具、ポーズや背景を変え、アングルを変え、沢山の枚数の写真とビデオを撮った。
 撮影もひと苦労だったのだが、両親ともにコスプレイヤーで幼い時からコスプレに親しんできた、写真とある程度露出慣れしたさゆみはともかく、恥ずかしがり屋のアデリーヌにはなかなかの試練だったようだ。
 それでも予定より早く撮影が終了して、帰りの船便まで一日休みが取れることになった。
「明日からまた空京で忙しいんだし、思いっきり楽しみましょ。去年はほらフラワーショーに行ったから、泳ぐ時間なかったし……」
 さゆみの言葉に二人とも、衣装の中からそれぞれ気に入った水着に着替えて砂浜に出る。
 撮影中は見慣れすぎて、うんざりしそうになっていた砂浜だったが、休みともなればリゾート地に見えるのだから不思議なものだ。
「ねぇアディ、実はこれ借りてきたの! お休み取れるといいなって思ってて」
 どこかに行ったと思ったら、テントから駆けてきたさゆみの手に、指輪とブレスレットが握られている。ヌイ族に頼み込んで借りてきた、水中呼吸の指輪と、水中でも会話できるというブレスレットだ。
 さゆみはアディの手を取ると、返事を待たずに指輪をはめ、自分もささっと装着した。
「行くわよアディ」
「ええ、そうですわね」
 アディは頷くとブレスレットを着け、さゆみと手を繋いで水に足を浸した。
 寄せては返す波は透き通っていて、足の指も、転がっている貝殻もよく見える。何処まで澄んでいるのだろうか――そんな好奇心に誘われて、体を水温に慣らしながら、膝で腿で、腰で波を割るように、歩いてゆく。ふわふわとした浮力がやがて二人の体を包み、沖へ沖へ、流してゆく。流れてゆく。
 寝ころぶように大の字に手足を広げていくと、水色の空と浮かんでいた白い雲の間に、光のカーテンがかけられた――水に潜ったのだ。
 沈んでいく、沈んでいく。晴れて暖かな海は心地良かった。
 水底の白い砂の上に二人は体を横たえて、光のカーテンの下で、しばらく光を反射しながら泳ぐ小さな魚の群れを眺めた。
 魚たちはひらひらときれいなひれを動かし、踊るように行き交っている。
「……ねぇアディ、私たちも踊りましょう」
 さゆみはアデリーヌの手を取ると、浮上して魚たちの群れに近づくと、彼らの輪の中に入って踊った。
 カントリー、メヌエット、それともポルカか。時に激しく、優しく、リズムに乗って。水の流れに沿って手を動かし時に逆らう。
 魚たちしか見ていない、二人だけの舞踏会。透明な海の世界でさゆみは笑っていた。けれどその顔が時折曇りがちになるのを、アデリーヌは見逃さなかった。
「さゆみ……」
 彼女に合わせて踊っていたアデリーヌは、緑の瞳を向けたまま、取ったままの彼女の綺麗な手を、ぎゅっと握りしめた。
「アディ、私ね……」
 ゆったりと踊りながら、水の中をくるりと回りる。ゆっくり、ゆっくりと。もう彼女の脚は動いていなかった。
 二人の距離が縮まってゆく。肘と肘が触れ合い、二人はどちらからともなく口づけをした。手は離れ、背中を、腰を抱く。
 もうどちらも踊ってはいなかった。二人のまとった泡だけが、空に向かって踊りながら消えていく。
 さゆみはふと考えてしまう。
(私がいなくなったら、アディはどうするのかな……)
 吸血鬼のくせに内気で繊細で、傷つきやすくて、同時に情熱的で、自分を想い続けてくれた人。
 一度唇を話し、さゆみは、囁いた。
「アディ、好きよ」
 アデリーヌはそんな彼女の体を強く抱きしめた。
 さゆみの不安の原因は分かっていた。
(……既に千年以上生きている吸血鬼のわたくしと、どんなに長生き出来ても百年前後が精々のさゆみ……いつか必ず訪れる別離の日……でも、そんなことは忘れてほしい……)
 忘れられるように、強く、強く。
(わたくしはかつて、悲しみに暮れる日々を送ってきましたわ、何百年も、ずっと……。最愛の人には悲しんでほしくない、永遠を誓えないけれど、でもだからこそ……彼女のことを大切に……)
 彼女がさゆみに昔愛した人を――亡き恋人の面影を見たのは確かだ。契約したきっかけであったことも。
 けれど、あの人はさゆみではなく、さゆみも彼女ではない。心の中に彼女は生き続けていくだろうけれど、今の自分にとっての最愛の人はだれかと聞かれれば、さゆみなのだ。最愛の人を二度、失うことになっても。
「このままずーっと、海の中にふたり溶け込んだらいいのにね……」
 ゆらりゆらり。
 光に満ちる世界に、二人揺蕩う。