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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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16


 鳳明と同じく仕事明けだったセラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)は、『Sweet Illusioon』に来ていた。
「来るの大変だったでしょ?」
 というフィルの世間話に、セラフィーナはそうですね、と微笑んだ。
「けれど、台風のため帰るに帰れませんでしたので」
「ヒラニプラは遠いよねー」
「ヴァイシャリー軍から宿舎を間借りさせていただいてはいるのですけどね。そこではノンビリできそうもありませんし。それに本来、ワタシ今日は非番なんです」
 いくら台風とはいえ、非番の日に宿舎にいるだけなんて勿体無い。現場から『Sweet Illusioon』までは近くもないが遠くもない。カッパを着ていれば、まあなんとか頑張れる距離だった。
 セラフィーナが出かけようとしているのを察知した南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)がついてきたのは予想外だったけれど。
 がらがらの店内の一角に荷物を下ろし、カッパを脱ぐ。気をつけて歩いてきたのだが、髪や服が多少濡れていた。とはいえ僅かだったので、鞄の中のハンドタオルで事足りた。
 一方ヒラニィは、「自然の化身たる地祇が台風ごときに負けるだろうか?」という謎の理論を降り飾し、身体ひとつで外に飛び出したので全身びしょ濡れだ。その上転倒し、頭から派手に地面にダイブしたため泥まみれだし擦り傷まみれという有様だった。
「くっ……台風めなかなかやりおる。今日のところは引き分けとしてやろう」
 どう見ても負けである。が、ノリノリだったので水を差すのはやめておこう。フィルが笑顔のまま何も言わないのもセラフィーナと同じ気持ちだからだろう。
 さてそんなノリノリのヒラニィは、びしょ濡れのままカウンターまで突っ込んだ。本当に、突っ込んだという表現がぴったりのダッシュだった。そして勢いそのままにショーケースの端から端までを指差して、「ここからここまで!」と高らかに注文の声を上げた。
「全部食べるの?」
「うむ!」
「ここからここまで?」
「夢だな!」
 とても楽しそうである。だからセラフィーナは何も言わずにおいた。柔らかに微笑んで見守る。
「ワタシは、ショートケーキと紅茶を」
 ヒラニィの後に比べるとかなり大人しい注文を済ませ、席に戻った。
 ややして運ばれてきたケーキは、当たり前ながら大量だった。
 ショートケーキ。チーズケーキ。チョコレートケーキ。モンブランシュークリームフルーツタルト。その他色々。
「全部食べられるんですか?」
「愚問!」
 セラフィーナが問うと、ヒラニィは吼えるように答えた。くわっと大きく口を開けて、次々とケーキを片付けていく。
 半分ほどなくなってから、
「女将を呼べい!」
 と唐突に叫んだ。カウンターの向こうでフィルが自らを指差している。俺? と首を傾げたあと、ノリのいいことにテーブルまで来てくれた。暇なのかもしれない。当たり前か、お客様がいないのだもの。
「お呼びで?」
「んむ。旨い。褒めてつかわす」
「恐悦至極に存じます」
 フィルがきちんとした角度の礼を見せた。その対応にヒラニィは満足したようで、ふんぞり返った。
「すみません、ヒラニィが……」
 セラフィーナが謝ると、フィルは人好きのする笑顔で手を振った。
「楽しい子だよね」
「否定はしません」
「含みある言い方ー」
「それも、否定はしません」
 フィルが、ぷっと笑った。セラフィーナも笑い、窓の外に視線をやった。外では雨が降り続き、時折風に煽られた雨粒が窓を叩いた。
「雨はお好きですか?」
「正直どっちでもないかなー。いいところも悪いところもあるし。好きだし嫌い。嫌いだし好き」
「フィルさんらしいですね」
「セラちゃんはどーなの?」
「ワタシは割りと好きですよ。雨や風の音を聞くと落ち着くみたいです。変わってますでしょうか?」
「いやー? うちのパティシエさんも同じこと言ってた。なんか親近感ー」
 へえ、と頷く。同じか。それは確かに親近感だ。
「話が合うかもしれませんね」
 何気ない言葉に、フィルはどうかなーと笑った。


 ケーキを食べ終え、紅茶のお代わりを飲み干したあたりで雨音が弱まった。
 これ以上長居しても申し訳ないと、セラフィーナは席を立つ。伝票を持ってレジに向かうと、フィルがありがとうございました、と言った。
「会計は別々で」
 にっこりと告げると、今まさに店を出ようとしていたヒラニィが物凄い勢いで振り返った。声も出ないほど驚いているし、目は白黒している。驚きすぎだろう。そもそも勝手についてきた身分で奢ってもらおうなんて百年早い。
「大将。ツケで頼む」
「当店、ツケのシステムは実装しておりませんので」
「臨機応変に行こう、店主よ」
「ありません」
「……セラぁあ……」
 ヒラニィがあまりにも情けない表情をし、哀れみを誘う声を出してしがみついてきたので、「貸しですからね」と立て替えた。


 はっ、と目が覚めた。鳳明はぱちりと目を開け、きょろきょろと辺りを窺う。
 工房にいた雨宿りの人たちの姿はなくなり、雨の音は随分と静かになっていた。時計を見ると、もう夕方だ。何時間眠っていたのだろう。しかしリンスは変わらず鳳明の傍で仕事をしている。
 寝ていた? じゃあ寝顔を晒していた? まさかよだれなんて垂らしてないよね?
 一瞬で血の気が下がって青くなり、すぐに恥ずかしくて赤くなった。
「わ、私寝てた!?」
 椅子から立ち上がりながら聞くと、リンスが鳳明を見た。うん、と小さく顎を引く。膝から力が抜け、鳳明は再び椅子に座った。
 恥ずかしすぎる。落ちる直前の記憶も相俟って、余計に。
「見てないから大丈夫」
 とリンスは言ったが、どういう意味だろう。あと、それはそれでなんというか情けない。机に突っ伏し、鳳明は頭を抱えた。
「なんかもう……あああ」
「どうしたの」
「ううん……なんでもないです」
「そう」
「うん……」
 とりあえず、今日は帰ろう。今度こそ、立ち上がる。
「帰るの?」
「うん。雨、弱くなってきたし。服は洗濯して返すね」
「気をつけてね」
「ありがとう。じゃあね、また」
 手を振って外に出る。すぐに、あれ? と思った。飛空挺はドアの横に停めてあったはずなのだが、ない。まさか。まさか。
「……飛ばされた?」
 いやいやそんな。軽いものではないし。でもそうとしか考えられないし。
 ツイてない。半泣きになりながら、鳳明は飛空挺を探して歩くのだった。