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●富永佐那、カーネリアン・パークス

 ヴァイシャリー。
 周囲を湖で囲まれた島、その中心都市。
 シャンバラでもっとも美しいと言われるこの街を、富永 佐那(とみなが・さな)カーネリアン・パークス(かーねりあん・ぱーくす)と連れだって歩いている。
 エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)も一緒だ。
 ただ、エレナは数歩遅れて、さらにソフィアはそのエレナの背に隠れるようにして付いていっていた。
 四季いずれであっても明媚なヴァイシャリーだが、秋の姿はとみに素晴らしい。街を走る運河をゴンドラが、銀杏の葉のような金の波をたてて滑っていく。どこかから聞こえる笛の音は、風にかすかな色彩を与えていた。
 しばし運河に沿って歩いていた佐那だが、やがて石畳の広場にきたところで足を止めた。
 ふと思い出したように、言う。
「先日のステージはいかがでした?」
 夏のある一日、スプラッシュヘブンでともにステージに立ったときのことを訊いている。
 あのときカーネリアンは、ウィグを被りカラーコンタクトを入れ、アイドル【Русалочка】の一員として佐那たちと十数分、スポットライトを浴びるひとときを過ごしたのだ。
 しかしやはりカーネリアンは愛想がない。徹底して、ない。
「質問の意味を測りかねるが」
 投げ捨てるようにそう回答して、それまで同様に口を閉ざしてしまった。
 けれども佐那に、彼女の非礼をなじったり、腹を立てたりするつもりはなかった。カーネリアンに悪意がないことはわかっているからである。
 まず、この休日に「散歩しません?」と誘ったカーネリアンが、躊躇せず「構わない」と同行してくれたことからして、嫌々来ているという可能性はない。
 彼女が黙り込んでいることも、不機嫌そうな半月型の眼をしていることもごく当然と受け止めている。だんだん慣れてきたので、佐那はこれが『平常』のカーネリアンであることを知っていた。それでも、ぞっとするくらいの美人なのは否定できない。
 佐那は質問の言葉を変えた。
「つまり、一緒に立ったステージの感想を聞きたいんです。楽しかった、とか、緊張した、とか、晴れ晴れとした気持ちだった、とか……」
 そうか、とうなずいて、
「ああいう経験も世の中にはあるということがわかった」
 楽しかったとも楽しくなかったとも言わない。それがまたカーネリアンらしい。
「実に想定通りのお答えですね」
 と笑って、運河沿いの橋の欄干に佐那は背を預けた。
「ところでカナさん、その『ああいう経験』をもっとしてみたいと思いません? つまり、私たちと一緒にアイドル活動をしましょうというお誘いです。【Русалочка】の正式メンバーなりませんか?」
 感情に乏しいカーネリアンだが、これにはさすがに驚いたようだ。
 表情には出さないものの、一瞬の絶句ののちやっと言った。
「自分が……か? そういうのは……」
 佐那は先を続けさせない。欄干にもたれたまま言う。
「カナさんは以前、変身という特殊な能力を持っていたと聞きました。ゆえに過去と決別した今、誰かになりきること、それ自体に抵抗があるのも無理からぬ話です。アイドルとは偶像のこと、個人を離れファンの求める『偶像』になりきるという職業ですからね。しかしながら――」
「決別したから縁がなくなるわけではない。自分には、変身能力がもたらしたある種の呪いが……」
 だが佐那は首を振って、カーネリアンの言葉を遮った。
「人は、誰しも生きている中で背負うものがあります」
 と言って彼女は、ソフィアを目で示した。
 やや離れた位置に立ってふたりのやりとりを眺めていたソフィアだが、視線を感じて緊張気味に身をこわばらせている。
「……あの子も、かつてはそうでした。強化人間として実験施設に収監されて、望みもしないまま人ならざる能力を得るという運命を背負わされてしまった……ですが、その運命をあの子から切り離すことはできません。なぜなら、背負った運命を含めて現在の『ソフィア・ヴァトゥーツィナ』という人格があるのですから」
 佐那は右手でカーネの手を取った。
 カーネリアンは抵抗しなかった。
「カナさん、あなたが『呪い』と呼び私が『運命』と呼んだもの……あの子は家族を得ることで、それを大切な存在を護る力へと転化させました」
 これは良いことなのではありませんか――そう問いかけるような目を佐那はカーネに向けた。
「なりきる、というのも悪いことばかりではないですよ。私なんかは元々コスプレイヤーですから、色々なキャラになりきってきました。コスプレをする間は、そこには自分とは違う自分がいるんです。そして、それを見て幸せになってくれる人もいます」
 いつしか佐那はその両手で、力強くカーネの左右の手を握っている。
「あなたはかつて、ある組織のために別の人間になりきることを繰り返してきました。でもそんな時期はとっくに終わっているではありませんか。これからは喜んでくれる人のため、そして自分のためにアイドルになりきるんです」
 お互いの睫毛が触れ合うほどに佐那は彼女に顔を近づけている。
 カーネリアンは目をそらさなかった。
 その赤い瞳に、佐那の顔が映り込んでいる。
「『海音☆彡シャナ』になりきって人の心に訴えかけると、ファンもそれに応えてくれます。双方向の幸せがそこにはあるんです。カナさんの能力の残餌、みんなを幸せにするために使ってほしいんです」
 このとき、ただsじっと見ているのがこらえられなくなったのか、ソフィアはぱっと駆けだして二人の前に立った。
 そこにエレナも付き合っている。エレナは軽く咳払いした。
「あら、ソフィーチカがこの姿でカナさんとお会いするのは初めてでしたわね。その節は、『霙音☆彡サフィ』としてお世話になっております」
 とソフィアを紹介して、
「実は、このたびこちらにこっそり事務所を開設する事になりまして……佐那さんたちはエリュシオンのカンテミールでもアイドル活動をしております。ご存知の様に、このヴァイシャリーはエリュシオンとも繋がりの深い場所……カナさんには、ともにこちらを拠点に、佐那さんとアイドル活動をしてみませんか?」
 ソフィアの肩に手を置いてエレナは言うのだった。
「この子にも、家族が必要ですもの♪」
 エレナの紹介を受け、ソフィアはぺこりと頭を下げた。なんとなく小動物的な雰囲気がある。
「――ソフィアです。よろしくお願いします。
 あっ……あのっ! 私と、私と……家族になってほしいのです」
 言葉が想いに追いつかないらしく、たどたどしい口調になってしまう。だがその瞳には嘘はない。
「夢を魅せ、人々を幸せにする存在……それがアイドルなのです。私は、ジナマーマやカナ姉と一緒に、【Русалочка】で歌ったり踊ったり、楽しいこといっぱいしたいのです!」
 ソフィアは思う。
 きらびやかなステージを。
 そこに集うファンたちのまなざしを
 大音量の音楽に乗せ、歌声で空気を振るわせるあの感覚を。
 無論、華やかさだけがアイドルではない。苦しいレッスンがある。喉が枯れ、筋肉痛で立てなくなるほどの練習……しかしそれはすべて、集まったファンの歓声が忘れさせてくれる。
 この気持ち、彼女に届くだろうか。伝わるだろうか。
 カーネは黙っている。その赤い目はじっとソフィアを見つめていた。
「ジナマーマは、私のためにいっしょにアイドルをしてくれました。カナ姉とも、いっしょにやりたいのです」
 お願いします、とソフィアはもう一度頭を下げた。
 そして佐那がもう一度問いかける。
「カナさん、私は……あなたを解き放ちたい。過去に負い目があるなら、ともに背負う覚悟くらいとっくの昔にできてます。だから――私と一緒に、アイドルという家族になって下さい」
 カーネリアンはさらに数十秒、沈黙した。
 最初に佐那を見て、ソフィアを見て、エレナを見た。
 そして、
「……わかった」
 駄々っ子がようやく、泣きやんでごめんなさいと言うときのような口調だった。
「こんな無愛想な自分でいいのなら……【Русалочка】、参加させてもらう」
 佐那たちが顔を見合わせ、わっと声を上げたのは言うまでもない。
「踊りを覚えなければな……それと、う、歌も……」
 気恥ずかしいのだろう、もごもごとした口調だった。
 けれどもカーネリアン、またの名を『金音☆彡ネル』はそっとこう、付け加えるのを忘れなかった。
「……正直に告白すると……あの経験、つまりステージは、少し……楽しかった」
 
 佐那はカーネリアンの手を取って歩き出す。
 カーネリアンのもう一方の手は、ソフィアの手と結ばれている。
 それをエレナが追った。
 ――絵になりますわね。
 と彼女は思った。