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■プロローグ
ヴァイシャリー内海に面した、小さな村が活気づいていた。
人口200人足らずの小さな村。それもほとんどが老人ばかりの、50戸そこそこしかない静かな漁村だが、祭りの開かれる今日ばかりは違った。
あちこちの都市に散っていた若者が友人を連れて帰郷し、両親や祖父母と共に家を飾りつけたり、祝いの準備を手伝ったりと、にぎやかだ。
しかし一番活気があるのは、神美根神社と海岸をつなぐ1本道だろう。
祭りに集まる客目当てでやってきた香具師たちは、昼を少し回ったぐらいからぽつぽつと姿を見せ始め、事前の協議で割り当てられた場所にそれぞれの屋台を組立て始めている。
神社の鳥居から内側の境内にはさすがに屋台はないが、それでも水占みくじの販売所や古札納所、賽銭箱等の設置や掃除等に氏子の手が借り出され、何やかやと大勢の人が神社中を走り回っている。
にぎやかな、笑い声交じりの人の気配をあちこちに感じながら、レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)は白長着に袖を通した。
「騒々しくてごめんなさいねぇ」
着付けを手伝っていた女性が申し訳なさそうに言う。
「いいえ。活気が良いのはいいことですからねぇ。その中にあちきもいると思うと、うきうきしてきます」
帯を回しやすいように袖を持ち上げた。
シュッと白帯がすれる音がして、胸の下に圧迫感が生まれる。肌に触れる柔らかな長襦袢と違い、のりの利いた、しみひとつない長着の感触はレティシアの心を鎮め、謙虚な気持ちにさせる。
「水は冷たいんでしょうか?」
既に準備を終えていたミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)が訊いた。
もう9月末で、気温は既に25度を下回っている。水温はおそらく、7〜8度低い。祭事前の禊は必要とはいえ、全身浸たるのはちょっとした覚悟がいりそうな気がする。
ミスティの質問に、女性はニッコリ笑って首を振った。
「いいえぇ。巫女さんに入っていただくのは海の水から抽出した神水、真水ですから。屋内にありますし、むしろ気持ちいいと思いますよ。
さあ準備ができました。――ヒロエちゃん? 手すいてる?」
「はーい、ただいま」
パタパタと小走りで廊下を走ってくる音がして、障子戸が引き開けられる。そこには、レティシアとそうかわらない年恰好の、緋袴姿の少女が立っていた。
「お待たせ。準備ができたから、このお2人を禊場までご案内してちょうだい。そのあとはヒロエちゃんと同じだから、いろいろ面倒を見てあげてね」
「分かりました」
ぺこっと2人に向かって頭を下げる。
「あたし、ヒロエといいます。今日一日よろしくお願いしますっ」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
レティシアたちも、あわてておじぎを返した。
「ではレティシアさん、ミスティさん、こちらへどうぞ」
2人はヒロエの案内で、禊場へと向かったのだった。
「おお〜っ! これや! 俺はこれを待ってたんや!!」
乗合馬車で数時間。えっちらおっちら食材の入った袋を担いで歩き通した道の先に屋台を組み立てる人々を見つけて、日下部 社(くさかべ・やしろ)は感極まって叫んだ。
木枠を組むトンカチの音、道なりに立てられたぼんぼり、世話しなく動き相棒に指示を出す香具師たち。
その光景を見るだけで、社のワクワクは止まらない。
祭りといえば屋台! 屋台といえばお客! お客といえばお金を落としてくれる神さまや!
「こりゃ俺も負けてられへんぞぉ!」
意気込み、足元に下ろしていた袋を引っ掴んだ社の背中が、そのときポンポンと何かで叩かれた。
振り返ると、杖を手にした背の低いおじいさんが立っている。
「あんたが屋台参加希望の申し込みをされた学生さんかの?」
「あっ、はい! 俺、日下部 社っていいます」
(この人が、例のシラギさんか?)
元モンクらしいと話には聞いていたが、とてもそうとは思えない、しぼんだ柿のような老人だった。
「日下部……日下部……と」
手元の書類をカサカサめくって、社の名前を探している。両手いっぱいに伸ばして(老眼か?)、名前を確認して、社を見上げた。
「お好み焼き屋か。そりゃうまそうじゃの」
「へっへ〜。俺の焼く粉モンはうまいでぇ。これだけは誰にも負けへん!
なんやったらあとで来てや! サイコーのお好み焼き食わしたるから!」
「ほぅ。そりゃ楽しみじゃなぁ」
目を細めてうれしそうに笑って、シラギは「ついて来い」と言いたげに杖を振って歩き出した。割り振られた屋台の場所まで案内してくれるのだろう。
ひょいと袋を担ぎ上げ、社もそのすぐ後ろをついて歩く。
行き来する人をひょいひょい避けて歩いていると、見知った顔が先にあった。
「よぉ、瀬島。おまえも来てたんかい」
黒地に和柄刺繍のTシャツ、ジーンズ姿の瀬島 壮太(せじま・そうた)が、呼ばれて背を正す。こちらを向いたその手には、氷削機が抱え込まれていた。
「へ〜、おまえもか。やっぱ、祭りと聞いて考えることは同じだな」
社の背中の袋を見て、ニヤリと笑う。
「って、おまえ何やのん? その機械は。もしかして…」
「ん? オレはかき氷屋。夏のリベンジだぜ! なっ? シラギさんっ」
以前この地を訪れたとき、彼は海の家としてかき氷屋台を出したかったのだが、ここの浜の持ち主が御神楽 環菜(みかぐら・かんな)と知って、断念せざるを得なかったのだった。しかし今回、環菜会長許可印の入ったシラギからの手紙を見て、彼はこれを好機と取った。これは前回出せなかったかき氷屋をやる絶好のチャンスだと。
しかし。
「うわっっ、さぶっ! おまえさぶいぞ。今いつやと思てんねん!」
もう9月末やで! 明日から10月や! 暦の上ではもう秋やねんで!
「……何言ってんだよ。祭りにかき氷は必須アイテムだろ」
両手で自分を抱いての社の大げさなツッコミに、ちょっとむくれながら壮太が返す。
「そら夏祭りや。これは秋祭り! しかも海辺やで。氷屋なんぞ、寒いに決まっとるわ。なぁ、シラギさん」
シラギは賢く、中立を守ってどちらともとれる笑顔で立っている。
「なんだとッ」
社に全否定され、壮太が色めき立った。
キラリん。待ってましたとばかりに社の目が光る。
「ほう。えらい強気やなぁ。なら賭けるかぁ? 俺のお好み焼き屋『やっしー』と、どっちが売上げるか?」
「やってやるぜ!!」
「負けた方が残った食材分、買取りでどうや?」
「受けた! ついでにこの氷蜜代まで全部払わせてやる!」
「よっしゃ。成立や。
おもろなってきた。さあ、今夜はバリバリ稼ぐでぇ〜!」
満足げに頷いて、社はからから笑いながら去って行く。
(ちくしょお! みてろよ、泣いて「まいりました」と土下座させてやるからなっ!!)
祭りが始まるまであと2時間。壮太は早くも真っ赤に燃えながら、発泡スチロールの器を氷削機の隣にガンガン積み上げていったのだった。
道の両側に屋台が続々と組み立てられているころ。
浜辺では、奉納の舞に登場する3役を担うコンテストが開催されようとしていた。
海に向いてセッティングされた舞台もまだ、台が用意されているだけで背景画とか屏風とかいった小道具は並んでいない。左右に配置されたかがり火も、アイアン製のスタンドが立っているだけだ。
小さな村の小さなコンテストなので、控え室といった上等な物もなく。参加者たちはそれぞれ、プライバシーの尊重できる距離をとって、思い思いの位置に立っていた。
「ママ、あたし竜神頑張るからねっ!」
蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)は、早くもやる気満々で、両手をグーにして突き上げていた。
「はいはい。でもちょっと動かないでね」
夜魅のママことコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)は、受付の巫女から受け取った7番の名札を付属のピンで夜魅の胸元に付けてやる。
「舞台では、審査員のおじいさんたちに何かアピールをしなくちゃいけないんですって。何をするか、もう考えた?」
「うん!」
元気よく返事をする夜魅の髪に櫛を入れ、さらさらに流れるまでとかした。ゆるくウェーブする長い髪は潮風に吹かれ、天使の環と呼ばれる輝きをいくつも生み出している。
(ああ……ぎゅって抱きしめたい)
無邪気に笑顔で見上げてくる夜魅を見ているとうずうずしたが、そうするとせっかくの準備が壊れてしまうので、我慢した。
「どんなこと?」
「へへっ。ママにも内緒だよ」
「え〜? ママにだけ、こっそり教えてよ」
「だぁめ。教えないっ。ママもみんなと一緒に見てて。きっと驚くからっ」
早くもその姿を想像してか、夜魅はくすくす笑っている。
もちろん、出場する以上コンテストに優勝してもらいたいし、自分が審査員の1人だったらかわいい夜魅イチオシなのだが、たとえもしそうならなくても、こんなに楽しそうな夜魅を見られただけで、コトノハは満足だった。
ここに来てよかったと、あらためて思う。
「じゃあママ、あたしもう行くねっ」
「あ、待って。これを持って行って」
ごそごそとバッグの中を探って、御藝神社のお守りを取り出した。
「どうか夜魅の願いがかないますように」
ぎゅっと額の所で握って、コトノハの念も込めて、夜魅に手渡す。
「ママ…」
「夜魅、頑張ってね!」
ぽん、と背中を押されて
「うん! 頑張る!」
夜魅は駆けて行った。
「ここって、本当にチリ1つ落ちてないんだなぁ」
波打ち際でうずくまったまま、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)は呟いた。
この海にちなんだ物、例えば貝がらとかで何か作って、それを持つことでアピールできたらと考えていたのだが、ちょっと考えが甘かったようだった。砂浜はきれいに手入れされ、白砂で覆われた浜は貝がらさえ落ちていない。おそらくは、素足で踏んで怪我をしないように、という配慮なのかと思う。
(うーん。ないものは仕方ない。持ってきた桜貝を使うか)
砂を払って立ち上がる。ふと横に流した視界に、岩場に浅く腰かけた九条 イチル(くじょう・いちる)の姿が入った。
イチルは自己アピールのために持ち込んだアコースティックギターをゆるく爪弾きながら、喉ならしの意味で小さく歌っていた。それが打ち寄せるさざなみのリズムと調和して、胸に心地よく響いてくる。
思わずレキは拍手をしていた。
「すごい! 上手! どうやったらそんなふうに弾いたり歌ったりできるのっ?」
「あ、ありがとう…」
拍手の音に、初めて彼女の存在に気づいたイチルが、照れながら会釈を返す。
「うあー、きれいな指! 右と左が別々に動くって、すごいなぁ。ボク、こういうのって全然駄目なんだ。不器用で。一緒に動かすのならできるけど」
と、右手と左手を持ち上げて、同じ指をピコピコ動かして見せる彼女に、イチルがくすくす笑う。
「ボク、レキ・フォートアウフ。よろしくね!」
「九条 イチルです。よろしくお願いします。
もしかして、キミもコンテストの参加者ですか?」
「あ、うん」
レキは、さっき考えていたことをざっと話して聞かせた。
「それで、持ってきたこの桜貝をつなげて髪飾りを作ろうと思うんだけど、ちょっと地味かなぁ? でもボク、こんな小さいの、まっすぐつなげることぐらいしかできないし」
ざっと手の中に袋から桜貝を広げて見せる。レキによって厳選された、とっておきの桜貝はどれも形が整っていて、きれいなピンク色をしていた。
「そんなことありません。これだけあれば、いろいろできると思いますよ」
イチルはギターを膝から下ろして立ち上がった。
「俺もすごく器用ってわけじゃないけれど、手伝いますから、一緒に頑張りませんか?」
「……ありがとう!」
イチルのやわらかなほほ笑みに元気よく頷いて、レキは感謝の気持ちを表すようにイチルの右手をぎゅっと握りしめた。
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