校長室
夜空に咲け、想いの花
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5/ 屋上にて 鼓動が、自分の内側から聞こえてくる。 なんだろう、この感覚。……この、気持ち。マイア・コロチナ(まいあ・ころちな)は、パートナー、斎賀 昌毅(さいが・まさき)に手を引かれながら、自分の胸の中にあるその不思議な気分に戸惑っている。 「ありゃ。なんだ、みんな考えることは一緒か。涼司──校長までいるのか」 つい先ほど、そこで一緒になった二人。 天鐘 咲夜(あまがね・さきや)を連れた健闘 勇刃(けんとう・ゆうじん)がしてやられた、といった風な声色でそんなことを言った。 ここは屋上。勇刃たちがそうであるように、ひとしきり出店をまわり花火大会を堪能して、マイアは彼女をこの夜のイベントへ連れ出した昌毅とともにこの場所を訪れた。 手には何匹かの金魚の泳ぐ、金魚すくいの袋や。わたあめや。色んなものがもちきれないほど。そりゃあ、明るいうちから延々まわっていればこうもなろうというくらいに。 「ここは特等席だからな。加夜が誘ってくれたんだ」 山葉 涼司(やまは・りょうじ)が団扇を手に、勇刃のぼやきに応じる。その隣には浴衣の少女。恋人の、火村 加夜(ひむら・かや)だ。 「ま、それもそうか。運営もしなきゃとはいえ、参加しない手はないわな」 「そういうことだ」 涼司の横で幸せそうに、加夜は微笑んでいる。いや、実際幸せできっと、楽しいのだろう。 「しゃーない。咲夜、あっちだ。あの上、行こう」 「は、はいっ。勇刃くん、あ、手……」 パートナーに手を引かれ、真っ赤になった咲夜が二人の脇を通り過ぎていく。 たぶん今の自分は、彼女とまったく同じ表情で、同じ頬の熱さを持っているのだとマイアは思う。 だって、状況だって殆どまったく同じなのだから。 ありったけ買い込んだ荷物を片手に集めて、マイアもやっぱり昌毅に手を引かれている。……引かれて、ここまでやってきた。 「どうぞ。いらっしゃい、よく見えますよ」 髪をアップにした加夜が、二人を夜空の下へと招き、出迎える。 「行こう、マイア」 「は、はい……昌毅」 昌毅が先に立ち、マイアを引っ張っていく。 屋上もまた、地上と同じだった。 広く面積のとられたそこは、眼下に広がる光景がそうであるようにあちらこちら夜の空の見守る中、光の花、線香花火を咲き誇らせている。 大勢の人々が、思い思いの相手との花火に興じていた。 「あ、そうそう。はい、これ。プレゼントだよ」 やっぱりマイアたちと同じく両手一杯の買い物袋を脇に置いて、ベンチに座った椎堂 紗月(しどう・さつき)が鬼崎 朔(きざき・さく)から、プレゼントを受け取っている。 長く美しい紗月の髪ゆえにか、朔の差し出したそれは──光沢ある飴色をした鼈甲の櫛。 「悪いな。俺、なんにも用意してないぜ?」 「いいのいいの。私があげたかっただけだし」 そんな恋人同士の情景を見るにつけ、マイアの心には不思議な気分が広がっていく。 彼らや、彼女らの関係がそうであるなら。 自分と昌毅の間にある関係とはパートナー以外に、なにがあるのだろう? マイアは、自分で自分の気持ちがよくわからない。 ドキドキしている。なんだか胸が、熱い。それは自覚があるけれど。 ……昌毅には様々にしてもしたりないくらい、感謝も尊敬もしているけれど。 ボクのこの気持ち。一体、なんなのだろう? 加夜と涼司。紗月と朔。仲睦まじいそれぞれのペアに、心のもやもやが消えてくれない。 ──だが。 「どうだ、最近彼氏とは。うまくいってるのでござるか?」 「……え?」 不意に、自身へと向けられたものでもないにもかかわらずその言葉が何処かから、マイアの耳を打った。 「にゅふ? そりゃあ、もちろんだよ〜」 そのやりとりの片割れは、手にチョコバナナを。もう一方はかき氷を手にして、告白大会の櫓を屋上の手すりに体重を預け、見下ろしていた。 「そりゃあもう。とっても幸せいっぱいだもん」 男のほうから──杉原 龍漸(すぎはら・りゅうぜん)から訊ねられ、上機嫌な様子で黒崎 椿(くろさき・つばき)が応える。 イチゴの氷を、スプーンでぱくり。甘い! 冷たい! なるほど、幸せいっぱいという彼女の言葉はまったく、寸分の狂いもなく事実らしかった。 「彼氏……しあわ……せ……?」 椿と龍漸のやりとりに、マイアは思わず足を止めていた。 幸せ。そうなんだ。今、ボクも幸せなんだ。 そして、気持ち──たった今耳にした二文字が、その正体を教えてくれた。『彼氏』。……好きな人。ああ、そう。なんて、わかりやすい。 ボクの気持ち。昌毅に伝えたい言葉は。 「マイア?」 彼女が立ち止まり、先行していた昌毅の手が離れる。 振り返った彼を、マイアは正面に見る。 「昌毅」 「──うん?」 大丈夫だ。言える。気持ちは既に、腑に落ちている。……言えるとも。 「ボクは、昌毅が大好きです」 「へっ?」 突然すぎると思う。自分でもそれは理解している。 でも、伝えずにはいられない。恩や、感謝や、信頼や、尊敬や。はじまりはそれらだったかもしれないけれど。 今は、それだけじゃあない。 「ボクにとっての昌毅は、大切な。かけがえのない人だから」 大好きな。心から、大好きな人。 皆が勇気を託す櫓が、すぐそこにある。だからマイアも勇気を出せる。 この屋上で、自分にとっての昌毅を彼に、伝える。 マイアにとって、昌毅はこの世でたったひとりの王子様だって。言葉にする。 「マイア……」 昌毅が、呟いた。加夜がそっとマイアの傍によって、肩を支えてくれた。 紗月たちも、龍漸たちも会話を止めて、マイアたちの織り成すこの状況に目を向けていた。 「そっか。ありがと、な」 「昌毅」 ぽんぽん、と昌毅の手が、マイアの頭の上を撫でていた。 「ほら。一緒に花火、見ようぜ」 「……はいっ」 そして目の前に、掌を差し出す。 それ以上、二人の間に言葉はなかった。けれどそれだけでもう、二人には十分でもあった。 大好きな人。大切な人と一緒にこの花火大会を最後まで楽しもう。 二人は夜空に浮かぶように眼下へと喧騒を望む手すりのほうへ、連れ立ち歩いていく。 涼司たちも、彼らと同じ方向へと足を踏み出す。 「ああ、いた。こんなところにいたか、校長」 「──ん」 そうしようとした涼司を、屋上の扉のところに現れた男が不意に呼び止める。 裏方。花火の設営や、準備や。それらを手伝うため参加していた、和泉 猛(いずみ・たける)である。 「打ち上げ準備の和泉だ。用意が整ったぞ」 「用意?」 「おいおい、何の? みたいな顔しないでくれ。改めて伝える『用意』なんて、ひとつしかないであろう」 そう。そんなもの、『アレ』以外にない。 「それじゃあ」 「……ああ」 猛は意味深に、片目を閉じて屋上にいる皆をぐるりと見回した。 それから不敵に笑い、言った。 「『情愛の八尺玉』。いつでも打ち上げられるだけの準備がたった今、整ったぞ」 「──そっか、いよいよなんだな」 「です、ね」 屋上よりも、更に一段高い場所。……給水塔の縁に腰掛けて祭りの様子を見下ろしながら、勇刃は咲夜とともに猛の宣言を耳にしていた。 身を寄せあい、手を握り合って──他の誰より近い場所から、空の花火を二人は満喫する。 「な、咲夜」 「はい、なんでしょう」 「キス。しよっか」 「いいですねー……って、ええ!? き、キス、ですか? そ、その、それはっ……」 「あーほらほら、落ちないようにな」 突然の提案に、転落してしまいやしないかというくらいオーバーなリアクションで動揺をする咲夜。 「あの! その! 嫌というわけではもちろん……っ」 じゃあ、しようよ。咲夜の慌てぶりを可愛く思いながら勇刃が言おうとしたそのとき、急に周囲が静まり返る。 下ではなく、上が。つい先刻まで無数に花火が舞いそこを彩っていた夜空が、星の光のみをその黒いキャンバスに輝かせている。 「……来るぞ!」 最後の一発。皆の想いが詰まったとっておきの一発が、打ち上がる。