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リアクション
第五章 舞台にかける想い
太陽がパラミタの大地に沈みかけ、赤光を夜の闇が徐々に打ち消し始めた頃、一同は一旦休憩を取ることになった。
学校付属の食堂に向かう者、外に出て食事を取る者、一旦寮や家に帰る者。それぞれが稽古や作業を通して仲良くなった面々と連れだって部屋を出て行く。更衣室で荷物を持ち出そうとしていたイルマは、自分の鞄の上に咲く一輪の切り花に気付いた。
「……まただ……」
「青い紫陽花ですね」
背後から話しかけられて、イルマの肩がびくっと震える。振り返って、小さな体の少女・雑用係を引き受けた新宮こころ(しんぐう・こころ)を認めると、拍子抜けしたように、
「なんだ、君か」
「紫陽花好きなんですか」
「ああ、青い紫陽花は好きだよ。でもこれは違うんだ。誰かが送ってきてるだけだ」
「……あづささんへのイジメと関係あるんでしょうか?」
「あづさのこと……噂になってるんだね。それも当然か」
「イジメが始まった時期っていつ頃なんですか?」
「半月くらい前かな。稽古中、あづさが白雪姫の靴に入れられた画鋲で足を刺したのが始まりだったと思う。ただね、それは僕が知ったのはっていうことだからさ。あれから、服にピンが刺さってたり、何回かあったよ。ただ彼女は何でも抱え込むタイプだから……正確なところは分からない」
イルマは長い息を吐いた。
「何回か、と言うと?」
「靴に画鋲、仮縫いの衣装に安全ピン、扉にチョークの粉がついた黒板消しが挟まっていたりね。大体、5日から一週間に一回くらい置きにあった」
こころは、噂を聞いたときから感じていた違和感が大きくなるのを感じる。
「教えてくれてありがとうございました」
体を翻し、今度はあづさの姿を探した。
井下あづさは荷物を持って、こころと同じ雑用係で、演劇部に入部した神楽坂有栖(かぐらざか・ありす)とミルフィ・ガレット(みるふぃ・がれっと)らと共に、稽古や大道具などの部屋を出る前の片付けをしていた。大道具の工具箱を覗き込みながら有栖は、
「危なそうな道具が多いんですね」
「ええ、念のため、工具箱も作業を中断するときにはきちんと箱に入れて鍵をかけているんです」
「確かに持ち出されたら凶器ですものね」
ミルフィが納得したように頷いて、主人にささやく。
「お嬢様、これは危険ですわね、注意した方が良さそうですわ。それにしても、どうして雑用など? 折角演劇部に入部したんですもの、お嬢様の演技を見てみたかったですわ」
「ミルフィ、私ね、あづささんがイジメにあっていると知って、何だか放っておけなかったの……」
有栖もミルフィにだけ聞こえる声で呟く。はかなげな美少女に見えるという理由で昔虐められたことがあるからだ──百合園では決して口にはできない性別のせいで。
「お嬢様……」
しんみりしている間に、あづさは部屋の戸締まりを終え、イルマに報告して鍵をかけてもらう。そこに、数人がやってきた。
「あづさちゃん、一緒にお茶に行かない?」
声をかけたのは橘舞(たちばな・まい)だった。
「では、俺も一緒に行こう」
長身に女物の服をまとい、化粧を施された村雨焔(むらさめ・ほむら)が続いて言う。彼は作業が始まってからずっと、裏方作業をしながらあづさの周囲をなるべく離れないでいた。碧にあづさのイジメから守る旨申し出たおかげで、稽古場に作業部屋に出入りするのが怪しくないよう、碧からどうでもいいような雑用を貰えたのは幸いだった。
お茶の提案に、こころやアスティニア・ローストラッテ(あすてぃにあ・ろーすとらって)とパートナーのソルティナ・ルーテアルス(そるてぃな・るーてあるす)、和綴季彦(わつづり・ときひこ)も加わり、全員で学外に出て、カフェに向かった。
先にあづさを奥のソファ席に着かせて、ソルティナが彼女の分も注文しに行く。
「あづささん、イジメの、ことなんだけど。いつ頃から始まったの?」
こころはみんなが戻ってくる前に口を開き、イルマに訊いたのと同じ質問をする。あづさは口ごもったが、噂が広まっているとの話しに、おずおずと口を開いた。
答えは、ほぼイルマと同じだ。半月ほど前から数日置きに。ただ、部活の外でも不可解な事件はあったらしい。体操服が全く別の場所に隠されたりとか、そういうことが。
「足をくじいてからというのが気になるなぁ」
「わしが気になるのは、練習中に足をくじいたときの状況じゃが……誰が見ていたんじゃ?」
執事は校内に入れないと言われて、校門で一人こころの帰りを待っていたアロイス・バルシュミーデ(あろいす・ばるしゅみーで)が、すぐに用意される出来合いのサンドイッチとジュースを、こころの前に置く。
「……見ていません」
「うん?」
「西園寺先輩はとても努力家なんです。一人で遅くまで残って稽古することが多くって──だから、一人の時にくじいたって、そう言ってます。でも、それが私がやったんじゃないかって、思う人もいるみたいで……。でも、無実なんです。その時、私はもう寮に帰っていたんですから」
「──お待たせしました」
ソルティナがあづさの前にウィンナーコーヒーを置く。注文を終えたそれぞれが好みの珈琲や紅茶、軽食を持って席に着く。
「何くよくよしてるの。実力が認められたから主役になったんでしょ?」
アスティニアが叱咤激励する。
「無実だったら、気にすることなんてないよ。言いたい奴には勝手に言わせておけばいいんだよ」
「それはそうだけど、もう色々頑張ってるんじゃないかな。あづささんもオレにも手伝えることがあるなら何でも言って欲しいな」
季彦が言う。彼の仕事は役者達へのサポートだ。ペットボトルの差し入れや、用意をしてこなかった人たちにタオルや文房具などの雑貨を買ってきたり、使いっ走りのような役回りだった。
「ありがとうございます。でも、こうやって部活に集まっていただいただけでも充分です。季彦さんにも今日は朝からお手伝いをしてもらってますしね」
「うん、みんな応援してるんだからさ、くよくよしないっ」
「そうですね。何があっても、私、降りる気はないですから。せっかく西園寺先輩から受け継いだんですから」
あづさはアスティニアに小さく頷く。季彦は不安を和らげるよう努めてさりげなく訊いた。
「キミは演劇が大好きなんだね。先輩も尊敬してるんだ」
「……はい。中学の時に先輩の演技を見たのが、私が入部するきっかけだったんです」
力強く頷く。その様は、普段の何処か自信なさげな様子や、台本をすり替えられてショックを受けていた彼女と同一人物とは思えない。
「西園寺先輩のような、見惚れるような美貌や演技力も、イルマ先輩のような凛々しさも私にはないけれど……だけど、私は誰にも負けたくない。その一心で稽古をやって来ました。どんな理由であれ、主役に選ばれたのなら、怪我をした西園寺さんや百合園演劇部の名に恥じない演技をしたいんです。やめるつもりもありません。でも……」
あづさの顔が暗くなる。
「多分、私のせいなんです。私が一年なのに主役になったから……私の周りに色々な事が起きて、そのせいで、劇に関わってた先輩達も気味悪がってやめてしまって……それに、きっと、私の人望もなかったから」
「そんなことないと思うよ」
「イルマ先輩……パートナー、いないんです。……私、その申し出をお受けできなかった。先輩は優しくしてくれたけど──だけどもったいないって、身の程知らずだって言う人もいました」
「あまり思い詰めない方が宜しいのではないでしょうか、あづさ様」
舞が優しく口を挟んで、台詞を遮る。
「せっかくのコーヒーが冷めてしまいます。そうそう、実家から取り寄せた美味しい洋菓子も持参してございます。稽古が終わったらお声をかけて頂けませんか。帰る前に頂きましょう?」
意図的に話を逸らす。主役を任された重圧に加えていじめによるストレスで、彼女の心は悲鳴をあげていてもおかしくはない。彼女にいい演技をしてもらうためには、心の負担を少しでも取り除いてあげなければ。
「これがまた美味しいチーズケーキでございましてね」
休憩時間が終わる短い間だけでも、笑顔でいて欲しい。舞は淀みなく言葉を紡ぎ続けた。