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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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第二章 数日前、より更に少し前。


 花屋の前で、例の紫陽花を買いに来る少女を待つ男がいる。シャンバラ教導団のセオボルト・フィッツジェラルド(せおぼると・ふぃっつじぇらるど)は演劇部の大道具として手伝いに入り、少女の名が西園寺碧であることを確認すると、ある日の夕方、彼女の跡をつけた。紫陽花を買った日のことだ。
 彼女に尋ねたいのは紫陽花を贈る理由。
 更衣室の前で、学校の近所にあるパニーニ屋の紙袋を抱える彼女を呼び止める。中身は勿論、
「その紫陽花を、届けるつもりですかな」
 さっと碧の顔が青ざめる。彼女の隣にいたヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は目を丸くして、二人の顔を交互に見比べた。碧は青ざめた顔のまま、
「どうしてそうお思いに?」
「何か深い事情がおありですかな。無理にとは言いませんが」
 聞くのにもさしたる理由はない。事件を知ったただの好奇心からだから、執着する理由も逆に、ない。
「どうしたんです」
 硬直状態に、蒼空学園からの助っ人樹月刀真(きづき・とうま)とパートナーの漆髪月夜(うるしがみ・つくよ)も集まってくる。月夜が劇を応援したいというので訪れた刀真だったが、彼なりに事情を聞くうちに、碧の怪我が自演ではないかと疑惑を抱いて探していた。
「ちょうど良かった、聞きたいことがあったんです。単刀直入に言いますと、その怪我は自演ではないんですか」
 刀真が指を差したのは、碧の右足首だった。
「碧おねえちゃん、もしかしてやっぱり……?」
 今までは碧イルマあづさの三角関係を妄想していたヴァーナーは、刀真とは別の理由で碧の怪我がフリだったのではと思っていた。あづさの才能を伸ばそうとして主役を譲ったのではないか、と。
「どうしてそう思うの?」
「理由は簡単です。足を挫いたとき、一人で居残り練習をしていたそうですね。そして戸締まりをしていたのはイルマだった。容疑者は二人。ですが彼女がわざわざ劇を台無しにするとは考えられない。となると、自作自演ということになります。理由は──イルマとあづさの仲を取り持つためでは?」
 碧はふうと息を吐くと、
「更衣室の前でする話ではありませんね。移動しましょう」
 塔を出て、入り口横のベンチに座った。紙袋を脇に置き、白いソックスを脱ぐ。土踏まずから足首の上部まで、きっちり巻かれたテーピングを外すと、まだ赤みの残る足がそこにあった。
 セオボルトをのぞく二人は意外な展開に息を呑む。怪我は本当だったのだ。
「捻挫後も演技を続けたら、また同じ部分の捻挫を繰り返してしまって。捻挫は無理をすると癖になるらしいのよ。もう大分痛みはいいけど、再発しないために今は無理をしないことにしたの。演劇部のみんなもその時は休むように言ってくれたし……」
 制服のスカートが長いから。靴下を履いているから。練習もジャージだから、王妃の衣装が長いから。見せないようにしていたから。テーピングした右の足首は確かに、怪我をしていたのだった。
「尤も、怪我が本当でも嘘でも、私のせいで部外ばかりか学外の方達の助けを借りることになってしまったのだから、それに関しては責められても仕方ないわ」
「それと紫陽花とは関係があるのですかな」
「紫陽花の花言葉は“堪え忍ぶ愛”。俺は君がどうしてそこまでイルマを想っているのか、聞きたい」
 男性陣二人の質問に、ヴァーナーは碧との間に割って入る。ヴァーナーも男の子だが、仮にも男の娘。ぽかぽかと、二人に向けてだだっ子パンチを繰り出す。
「その質問は、今演劇を成功させる為に必要とは思えないです! ジャマするのは止めてください!」
「もう、いいのよ」
 靴下をはき直した碧は、両手でヴァーナーの肩を引き戻す。
「どうせイルマが気付くとは思ってなかったわ……彼女、朴念仁なのよ。王子様みたいな振りして、いつも自分しか、あづさしか見えてないの。他の人に気付かれる方が先だと思ってたわ」
「碧おねえちゃん」

「イルマはね、演劇部入部から一緒だったのよ。彼女の王子様のような容貌のせいで、いつも演技上組まされていたわ。周りは女子ばかりだもの、お似合いだって言われてたし、それに演技も上手でね、真剣に部のことを考えていたし、……実際仲は良かったわ」
 碧は俯く。流れる髪で表情は見えなくなる。
「去年、丁度今の時期、梅雨が終わりかけの日も、一緒に部活帰りにお茶をして。道ばたで青い紫陽花を見かけて、それが好きだって聞いて。次の日、こっそり紫陽花を撮って……仲が良かった、それだけで満足できなくなったのはいつからかしらね。満足できなくなった頃に、あづさが入部したのよ」
 女が女に恋愛感情を抱いても、告げられるものではない。パートナーにすら秘密は話せなかった。それなのに、イルマはあづさに惹かれた。勿論パラミタに来るからには、あづさにもパラミタ人のパートナーはいる。それでも、イルマはあづさにパートナー契約を申し込んだ。入部した当初から、碧が演劇の才能は自分よりもあるとイルマに話していた彼女に。
 イルマがあづさに抱いているのは、恋愛感情ではないだろうとは思う。けれど、我慢できなかった。自分は演技の上でのパートナーになれても、プライベートでは負けたのだ。
 だから、気付いて欲しくて紫陽花を贈ったのだ。あの思い出を思い出してもらうために、花言葉の一つ“辛抱強い愛情”を知ってもらうために。
「……もう、いいでしょう?」
 話し終えた碧が顔を上げて、疲れたように微笑むと、
「ああ。誰にも言わない。何か困ったら呼んでくれたまえ」
 自作の名刺を差し出すと、セオボルトは颯爽と去っていった。刀真は月夜に引っ張られるように立ち去る。
 ベンチの隣に座ったヴァーナーは、 
「碧おねえちゃんは、恋と演劇を選ぶならどっちですか?」
 かねてからしたかった質問が、状況によって別な意味になってしまったが。それでも訊いてみる。
「今は演劇よ。私も演劇が好きだもの、わざと怪我をしたり、怪我をしたフリなんてしないわ。私を選んでくれた部員達を裏切ることになるものね」
「じゃあ、ボクもお手伝いします。恋バナは終わってからゆっくり、しましょう」
「……ええ。それじゃあ、戻りましょう。あまり長く部屋を空けていられないわ」
 碧はゆっくりと立ち上がった。その横顔は普段の毅然としたものに見えたが、少しだけ無理をしているようにも、ヴァーナーには思えた。


 ところ変わって、時間は暮れる頃、校長室の前。
 一人の女生徒が仁王立ちになって気合いを入れていた。童顔で小柄、黒髪を三つ編みにした、蒼空学園の制服姿は、見慣れない。が、首からはばっちり立ち入り許可証が下がっている。西園寺碧に断られるも、今もまた三顧の礼の覚悟で難関に挑むのは、発進するところはアップになっても、格納するところは滅多に見せないのがお約束のロボット──段ボールロボ・あーる華野筐子(あーるはなの・こばこ)の中身である。
 借金取りから逃れるために滅多に見せない本体を晒してまで挑むそのこころは、
「どうか劇に出演してくださいっ!」
 開演前の寸劇『オズの魔法使い』出演依頼を勝ち取るためであった。
「出演って言っても、僕は校長だし……ねぇ」
「あら、宜しいじゃありませんの。わたくし、静香さんの晴れ姿を見たいですわ」
 同意を求めた校長、桜井静香(さくらい・しずか)はパートナーのラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)に否定されて、うっとうめく。
「ねぇ、黒岩さんもそう思いますわよね?」
「私は静香様とラズィーヤ様と『白雪姫』を見れるならどっちでもいいです……」
 筺子痛恨の後悔の原因、黒岩和泉(くろいわ・いずみ)がそう言う。謎のロボットや正義のヒーローが一般人に素顔を見せるのは最終回間際と決まっているのだ。段ボールは別の部屋に置いてきたから、決定的な身バレでないのが救いといえば救いか。
 和泉がここにいる理由は簡単で、『白雪姫』を三人で観劇するため。元々上演が怪しい劇だから、席はどうぞどうぞと難なく取れ、お誘いに訪れたのだ。
「演劇部が今大変な状況だって、耳にしたんです。静香様からお褒めの言葉を貰えたら、きっと成功したって言えるハズです」
「それはワタシも同じです。ヴァイシャリー女史、お願いします」
「何で僕じゃなくてそっち向いてるんだよぅ」
 静香は小声で抗議の声を上げるも、そんなのは当然、
「決まりですわね。静香さん、衣装はとっておきのを用意いたしますわね」
「どうしてこうなっちゃうのかなぁ」
「何故って、静香さんたら、わたくしにに借りがたっぷりおありでしょう?」
「……うぅ……」
「そういう訳で、当日を楽しみにしてますわね」


 練習が終わる頃。演劇部に正式入部した小人役の秋月葵(あきづき・あおい)は、現在、演劇部の部室の前にいた。
 パートナー、エレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)はその後ろに付いてきている。エレンディラにとって、彼女は目を離すと何をするか分からないところがある。今だって、思いつきでこんなところにいるのだ。衣装係の仕事の方は問題ない。立候補した最大の目的──葵に自分が作った衣装を着てもらうこと──は、作成も終わって達成できたので余裕もある。本番を待つだけだ。勿論、葵が演劇部に入部した以上部室に入ろうが全く問題無い。ただやろうとしていることが、エレンディラには思いつきに見える。まるで成功の見込みもない。
 でも葵は諦めなかった。練習が終わってから毎日、部員に会いに回っていた。
「先輩、『白雪姫』に戻ってきて!」
 葵はかつて『白雪姫』に関わっていたスタッフに、
「そうは言っても、ねぇ」
「もう上演も近いし……」
 部員は顔を見合わせ、互いにささやき合うように話す。
「何があっても先輩の安全はあたしが守ってみせる。だから戻ってきて欲しいの」
 以前部員に話した時の印象からしても、演劇部にはあづさへのイジメの犯人はいない。むしろ自分がイジメの対象になることを恐れている人たちだった。部員が招待の見えない相手にお互い疑心暗鬼に陥っているだけ。
「わたしじゃないけど、名探偵さん達がもうすぐ事件を解決してくれるから大丈夫だよ……たぶんね」
「たぶんって。それに、今更戻っても、もう役者も裏方も埋まってるでしょう?」
「だけど、わたしも含めて演劇の経験がない人ばっかりです。残ってる先輩は、自分の演技を練習が終わった後にしてるんだよ、今も。教えて貰えるだけで随分違うはず」
 葵の連日の根気強い説得に、今は別の企画に携わっていない元の演劇部員達が、手伝いに来てくれることになったのである。特に演出や音響といった担当がはっきりしていなかった部署が決まったのは、大きかった。
 
 橘舞(たちばな・まい)は、碧とイルマのファンクラブの代表的人物、京極美貴子加藤春菜をお茶に誘っていた。
「どうして私がこんな小娘とお茶を一緒に飲まなければいけませんの?」
「小娘って何ですか」
 にらみ合う二人に、舞は頭を下げる。
「お願いします。大事な話なんです」
「……そうね、私は小娘と違って懐が広いの。話くらいなら聞いてあげてもいいわ」
「ひどい、私だって聞くくらいしますっ」
 百合園の三人は揃って食堂に行く。円テーブルで丁度正三角形の位置に座ると、舞は話し始めた。
「井下あづさちゃんをイジメから守るように、協力してもらえないでしょうか」
「なっ……」
 二人は声を揃えて、絶句した。
「今、『白雪姫』で手伝いに来てる人たちの中には、演劇を成功させるためにあづさちゃんをイジメから守ろうっていう人たちが多いんです。その中には、頻繁に出入りしている人──ファンクラブを疑ってる人も少なくありません。もしその疑いが碧さんやイルマさんの耳に入れば、今までのように部室には入れなくなるかも知れません」
「イジメがあるっていう根拠は?」
 美貴子は不愉快そうに鼻を鳴らす。春菜も同調したように頷く。
「私もそんな話は聞いたことないよ」
「衣装の靴に画鋲が入っていたり……舞台が失敗したら部員の二人も困りますし」
「ともかく、私達の活動は、碧様を応援することなの。それ以外は関係ないわ」
「失敗は嫌だけど、もし失敗してもそれって井下さんの責任でしょ?」
 話は終わり、と二人はまた同時に立ち上がってしまった。舞は取り残されたまま、温くなった紅茶に口を付けた。