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リアクション
第五章 昼下がりのぬくもり
「ほれ、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ……」
パン・パン・パン、パン・パン・パン……。
クーパー家。
豪奢な応接間に、ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)の手拍子が響く。
それに合わせて影野 陽太(かげの・ようた)が舞う。
リズミカルにかかとを踏みならし。
全身のバネはしなやかに。
飛び、跳ね、決め――そしてまた飛ぶ。
打ち振るう腕はあくまでもダイナミックに。
いつだって斬新さを求めてエキセントリックに。
陽太の額から散った汗はキラキラと陽光を反射して輝く。
しかし――
「だめだっ! マネージャーっ! 俺、ムリですっ! もう踊れませんっ!」
ジャンプから着地を果たした陽太が。そのまま崩れ落ちた。
「なんじゃ、急になにを弱気になっておるんじゃ」
マネージャーと呼ばれたファタは、陽太の元に駆け寄ってかがみ込んだ。
「俺、美術と音楽好きだし、成績も良かったんです。でもっ……調子乗ってましたっ!」
「そうか……? 良く動いておったと思うがのう……」
「だってマネージャー、今までパントマイムも手話もジェスチャーも、そしてダンスまでやったんですよっ! なのに……なのにっ! クーパーさんまったく無反応じゃないですかっ!」
陽太の背中越しには、この家の主人、クーパー氏の姿があった。
上等な白地の生地にすっぽりと包まれ、悠然と佇むその姿は、見ようによってはいっそ高貴ですらあった。
ただ、結局のところもっとも簡単に表すなら、それはいわゆる「シーツおばけ」――「おばけ」を演じようとした子供が、シーツをかぶった姿に酷似していた。
そんな冗談みたいな姿が、せっかく用意されているのにソファーにも座らず、ヌボーとファタと陽太を眺めている。
ちょっと傾いているように見えるのは、もしかして首をかしげているのだろうか。
きっと「目」ということなのだろう。
顔に穿たれた二つの黒い点だけ妙につぶらで愛嬌がある。
「いや、それはおぬしに問題があるというわけでも無さそうじゃが……少しは反応しているようだしのう」
「ムリですっ!」
陽太はほとんど泣き出しそうな勢い。
その瞬間。
パシーンっ!
乾いた音が響いた。
「痴れ者っ! 全く女々しい話じゃ! おぬしの熱情というのはそんなものかっ! ああわかったっ! せいぜいその程度で砕ける夢じゃというのなら二度と踊るなっ! ダンスなどさっさとやめてしまえっ!」
ファタにぶたれた頬を押さえる陽太。その瞳に活力が戻っていく。
「マネージャっ!」
「うむ」
「俺、間違ってましたっ! もう一度、踊りますっ!」
「うむ」
タタタっと駆け出していく陽太と引き替え、ファタのさっきの勢いはどこへやら。
今度は眉根に深い皺を作った。
「とは言ったものの……決定打にはかけるのう。実際のところ『芸術的センスで絵を貸してくれるのではないか』というあやつの予想はいい線だと思ったのじゃが……」
「ごめんよっ」
ちょうど陽太の二回目のダンスが終わった頃、勢いよく応接間の扉が開いた。
小脇になにやら荷物を抱えた魚住 ゆういち(うおずみ・ゆういち)だった。
つかつかっとクーパー氏の前まで近寄ったゆういちは、やにわにぺこりと頭を下げる。
それにつられるようにして、クーパー氏もぺこりと一礼。
満足そうな笑みを浮かべたゆういちは、小脇に抱えていた荷物をソファー前のテーブルに広げだした。
鉛筆に、様々な色の色鉛筆、大きな白い紙、そして長い紐……
グイッ。
「おぬし、何を始めるつもりじゃ?」
それまで様子を眺めていたファタが、ゆういちの肩を引き寄せた。
「いや……なんかさ、これ、テストっていうか……ただ何かして欲しいとか、何かが欲しいとか――そういう類の話なのかなって思ったんだよね。だから、それ書いてくれないかなあって思ってるんだけど……」
クーパー氏は少し前傾姿勢になってテーブルの上に並んだものに視線を送っている。
「見てるだけじゃぞ」
「だねぇ」
仕方がないので、ゆういちが紙に絵やら文字やら書いてみたり、紐で図形やらを作って見せたりしてみる。
無反応、というわけではなかったが、劇的な反応は見られなかった。
「んー、結局贈り物作戦かぁ?」
ゆういちはさらに残りの荷物をガサゴソと漁り始める。
「その必要はありませんよっ!」
ゆういちを遮って凜とした声が響いた。
現れたのは水神 樹(みなかみ・いつき)だった。
樹はそのままテーブル越しにクーパー氏と対面し、クーパー氏のそのつぶらな瞳をじっとのぞき込んだ。
……。
…………。
………………。
「なぁ」
「しっ。もう少し、あと一息――な気がします」
声をかけて来たゆういちに、人差し指を口許に、視線はあくまでもクーパー氏から外さずに樹は答えた。
「大丈夫なのか?」
「故郷では、この方法で沢山の犬や猫と仲良くなりました」
「ははぁ」
樹の答えに、何やら納得した様子のゆういち。
「コミュニケーションの心は、どこでも共通のはずです。それからもうひとつ――」
そこで言葉を切って、樹は深呼吸。
ニコリ。
わずかに首を傾け、樹はクーパー氏に微笑んで見せた。
……。
…………。
………………。
スススっと、声はもちろん、表情にも変化はないが、樹の顔と同じ方向へ、クーパー氏は顔を傾けて見せた。
「おおっ!」
ゆういちの感嘆の声が上がる。
ニコリ。
樹はもう一度、今度は逆に首を傾ける。
ススス。クーパー氏も、それにつられる。
「おおおっ!」
「――やっぱり。笑顔は、共通です」
ニコリ。
「その通りっ!」
勢いよく、しかし悠然と部屋の中央に立ったのはルイ・フリード(るい・ふりーど)だった。
よくよく磨き込まれたスキンヘッドがキラリと光る。
「しかぁしっ! スマイルはもっと熱くっ、情熱的にっ! 自分の心を相手の心にどう響かせるかが大事です! なに、あとは任されましたよ! さぁ、『マッスルコミュニケーション』の始まりですっ」
歌い上げるように高らかに、宣言したルイはリズミカルな足の運びでクーパー氏に近づく。そして、
「ふんっ!」
一気に運動量をアップ。
膨れあがった筋肉により、上半身の衣服をはじけ飛ばす。
ビクッ。
「え、あのう?」
クーパー氏が体を震わせ、樹が誰何の声をあげたが、ルイは気にしない。
「ふんふんっ!」
いっそテーブルの上に上がりかねない勢いで、次々と、流れるようにして筋肉を誇示するポージングを決めていく。
キラッ、キラッと、その度ににじみ出した汗が輝いて、ルイの体を彩っていく。
ビクビクッ。
「あの、あの?」
ルイ、気にしない。
「ふんふんふんっ! さぁ、決めますよっ!」
ニカッ!
むき出しになった筋肉を、もっとも美しく演出するポージング。
ビシッと決めたルイは白い歯をむき出しに、これ以上ないくらいに濃ゆいスマイルでフィニッシュを決めた。
ビクビクビクッ!
「ああああっ! 逃げちゃいますっ!」
樹が悲鳴に近い声をあげた。
『やりきった』表情のルイに対して怯えきった足取りのシーツお化けのクーパー氏は応接間の入り口へと一目散にダッシュを決めた。
ガチャ。
クーパー氏の『逃走』を遮って扉が開く。
「あっ! 見つけたっ!」
如月 玲奈(きさらぎ・れいな)だった。
そして――
「りゃあああああ! 先手必勝ぉぉぉ!」
問答無用。
ぽすぅっ!
玲奈の右ストレートがうなりを上げた。
クーパー氏の顔面に、綺麗に吸い込まれた拳は、布団を叩いたような音を上げ、ふわんっと、体重を感じさせない軌道でクーパー氏が吹っ飛んでいく。
「ちゃんすっ!」
玲奈はクーパー氏に躍りかかった。
クーパー氏をがっちりとマウントし拳を振るう。
一撃――ぽすぅ。
二撃――ぽすぅ。
三撃――
「む?」
振り上げたその手を、誰かが止めた。
「なにするのよ?」
「『なにするのよ』じゃありません。レナこそ、何を考えているんですか?」
玲奈の右手をつり上げたまま、レーヴェ・アストレイ(れーう゛ぇ・あすとれい)はため息をついた。
「え? だってこの人クーパーさんよね?」
「クーパー氏ですよ?」
「だったらいいじゃない」
「クーパー氏だったら殴っていいという法律などこの世にありません」
「バカ言わないでよ? いい、昔からよく言うわ。言葉で語り合えないなら――」
玲奈はニコリと笑った。
「拳で語れってねっ!」
再び拳を振り上げる玲奈。
「だから、やめなさいと言うのに」
レーヴェは玲奈を、クーパー氏から引きはがした。
「ぶぅ」
膨れてみせる玲奈。レーヴェはやれやれと首を振った。
「見てください、すっかり怯えてしまっています」
玲奈のマウントから逃げ出したクーパー氏は、部屋の隅でビクビクと体を震わせている。明らかに怯えているらしい。
「なんだか、悪いことをした気がしてきたわ」
「殴る前に気がついてください――絵、貸してくれるんでしょうか」
レーヴェの言葉に、応接間全体にザワザワとした気配が広がる。
「クーパーさん、レナの非礼は申し訳ございません。傷の手当てをさせていただきたいのですが……」
言って、レーヴェが近づく。
ダッ。
しかし、脱兎のごとく逃げ出したクーパー氏はまた別の隅まで行って、再び震えだしてしまった。
「……絶望的ですね」
その一言で、部屋の中に悲鳴が満ちた。
「贈り物だっ!」
「ダメよ!」
「やっぱりスマイルなのでは?」
「黙っておれ!」
「いっそ生け贄を立てろっ!」
わーわーわーわー。
混乱と怒声、喧噪と騒音の中、とてとてと。
誰にも気づかれることなく部屋に入ってきた、小さな小さな影があった。
ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は部屋の隅で、この大騒ぎにさらに怯えているクーパー氏を見つけると、クーパー氏が逃げ出さないギリギリまで近づいて、じっと目をあわせた。
……。
…………。
………………。
「こわがらなくてだいじょうぶですよぉ?」
にぱあと笑って少しずつ近づいていく。
「エリザベートちゃんのために絵をかしてください」
ぺこり。
ヴァーナーがおじぎをする。おそるおそる、といった様子で、クーパー氏もぺこりと頭を下げた。ただし、言葉が伝わった様子はない。
「えぇ、をぉ、かぁ、しぃ、てぇ、えぇ」
ボディランゲージとばかり、ふにふにと動いてみるヴァーナー。
じっとその動きを見ていたクーパー氏だが、ゆらゆらと、ヴァーナーの動きを真似してみせるに止まった。
「むー」
一瞬、難しい顔をして見せたヴァーナーだが、すぐに悩むのはやめる。
「やっぱこれですよね」
つぶやくなりギュッとクーパー氏に抱きついた。
「えっと、この辺ですか」
それからクーパー氏の頬のあたりキスをしてみせる。
いきなりのことにパタパタと慌てる
「だいじょうぶですよぉ。ハグとちゅーは、すてきなコミュニケーションなのです。ね?」
しばらく、ためらった様子のクーパー氏の、手とおぼしきシーツの突起が、ゆっくりとヴァーナーの背中に回った。
「絵、かしてくれましたよ〜」
ヴァーナーの声が響き渡った時、応接間に満ちたのは歓声ではなく、「なぜっ!?」という一同共通の疑問だった。
「んふふ〜。ハグとチューはせかいきょうつうのコミュニケーションなのですっ! だいじなのは、ぬくもりですっ!」
ヴァーナーは笑顔で答えてみせる。
一瞬の後、みんなに取り囲まれたヴァーナーは胴上げで宙に舞った。
どういうわけかその中には、どことなく嬉しそうなクーパー氏まで混ざっていたりした。
「でも、なんだかさみしいえです」
ヴァーナーが手にした『彼女と猫の四季』には、おそらく「冬」のものなのだろう。白い情景が描かれていた。
それは、「秋」と同じ小さな家、小さな庭が雪に覆われた姿を描いていたのだけど、たった今作られたばかりの様子の不格好な雪だるまが佇む庭に、やはり生き物の気配はなかった。
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