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リアクション
第八章 それぞれに夜は訪れ。? 〜絆の合間にカオスを提供〜
今年最後の夏祭り。
ならばめいっぱい楽しまないと!
そういうわけで、白銀 司(しろがね・つかさ)はセアト・ウィンダリア(せあと・うぃんだりあ)に浴衣を押しつけた。
「はい、セアトくん」
「……は?」
「明日夏祭り行くから」
「いや、行くからじゃなくて」
「これ着て参加だよ!」
「……いや、だからな」
「じゃあ、明日! 約束だからねー!」
強引に約束を取り付けて。
遠足前日の子供のように、楽しみで眠れなくなりつつも。
いざ行かん夏祭り。
着付けにかなり、苦戦した。
それでもなんとか、薄いピンク色の浴衣を着こなし、髪もアップにして。
「えへへ、なんだかちょっとだけ恥ずかしいね」
司は照れたように笑う。
「ほー。馬子にも衣装だな」
「セアトくん、それ褒め言葉じゃないよ……って、セアトくん浴衣似合いすぎ!」
「そうか? 普通だろ」
「いや、何て言うか……お色気むんむ、いや褒めてるよ、褒めてるんだよ」
「……それが褒め言葉だって言うならおまえはオヤジだな」
紺色の浴衣を纏ったセアトは、けだるい雰囲気も手伝って普段の五割増しで色気が漂う。
何事かぼやきながら、めんどくさそうに頭を掻く仕草までもが画になるから、浴衣マジック甚だしい。
「いつまでぼーっとしてんだ。帰るぞ?」
「あ、やだやだ、行く。行こう」
帰ろうとしたセアトの袖を引いて止めて、二人肩を並べて歩き出した。
「にしても、やっぱりカップルさんが多いね。素敵だなぁ……」
目につくのはたくさんのカップル。その中に熟年カップルを見つけて、ほわーっとなった。
「私もいつか苦みばしったナイスミドルとイチャこきたいな……」
「俺じゃ不満か」
「セアトくんはただの色気むんむんお兄さんだし、ちょっと物足りないかなー。あ、見て! 屋台がいっぱいだよ!」
たくさんの屋台を見て、心が弾む。
たこ焼きやヤキソバに強く惹かれるが、ソース系は避けたいところだ。こぼして染みになったら悲しすぎる。
「? 買ったり食べたりしないんだな」
「私は浴衣で、食べ物はソース系だから」
「汚すって?」
「そうそう」
それにしても、幻想的な景色だ。そう思う。
夜店が暗闇にぼんやりと浮かび、普段とは違った装いの人々が道を歩く。奏でられる音は、この辺りではあまり聞かない類のものだし。
好奇心と興味とで、あっちを見たりこっちを見たり、目移りばかりしてしまう。
暗い上に着慣れない浴衣で歩きにくいというのに、これだから。
「あっ」
躓いて、転びかけて。
「アホか、ソースよりも足元に気をつけろ」
すんでのところで、セアトに手を引っ張られて助けられた。
「うん、ごめんねありがと、あっリンゴ飴」
「人の話聞いてたか、おまえ」
屋台へと走る司へと、呆れた声を投げかけてくるが気にしない。
「リンゴ飴美味しいよ、セアトくん」
並ばずに買えて、ほくほく顔で。ぺろりと飴を舐めながら、笑う。
美味しさをお裾分けー、と飴を向けるが、掌を向けられて首を振られた。
「いい、甘い物はそんなに得意じゃない」
「美味しいのに」
「それより、ほら手貸せ」
「手?」
向けられていた掌がそのまま伸ばされて、疑問符。
「おまえいつも以上に危なっかしいんだよ」
「なんで?」
「自覚ナシかよ」
「え? あ、あ、セアトくん射的だよ! 私の腕の見せ所だよ!」
手を掴み、射的の屋台まで引っ張る。走る。
「だからそういうのが危ないって――!」
セアトが何か言うけれど、こういうのが楽しいんじゃないか。
「さあセアトくん、欲しい物を言ってみて! 見事命中させてみせましょう!」
「だからなあ。俺の話を聞け」
「なに?」
「射的の銃は弾が当たっても景品落ちない威力にしてある物なんだが」
「夢を壊さないでよねー! もう、なんにも取ってあげないよ?」
「……はぁ。じゃあ、あのシルバーのライターな」
「よし、任せて!」
お金を置いて、銃を構えて。
撃って、撃って、撃ったけど、当たったのに。
「……落ちなかった」
「だから言っただろ」
「うわーん! セアトくんがあんな縁起でもないこと言うから落ちないんだ!」
「俺のせいかよ……。貸してみろ」
責任転嫁していると、セアトが銃を奪っていって。
「どれがいい?」
「え?」
「欲しいもの」
「取れるの?」
「さあな」
「……じゃ、あの青い花の髪飾り」
頼んでからしばらく、セアトは動かなくて。
大丈夫かなはったりだったんじゃないかな、だってこんなやる気のセアトくん珍しいし、と司が不安になりかけた頃、
ぱこんっ。
銃を撃って、当てて、落としたので。
「えええ!?」
驚いた。
なんで、どーして!
「コツがあんだよ」
ほら、と髪飾りを渡され、残った弾と銃を渡されてライターを狙ってみたけれど落ちなくて。
なんだよセアトくんばっかりコツ知っててずるい。
そう思いつつ、取ってもらった髪飾りが嬉しくて、ぎゅっと抱いた。
「ねえセアトくん!」
「ああ?」
「これからも、今みたいに、いっぱい思い出作っていこうね! 私、ずっと忘れないよ!」
*...***...*
エミサ・シールエル(えみさ・しーるえる)には、いつも世話になっているから。
たまにはサービスしないといけない、とエレム・ロンジェット(えれむ・ろんじぇっと)は思った。
サービスだ。家族サービス。
ラブとかそういうものではない。
「エミサは妹みたいなもんだしな」
「え? 何ー?」
「何でもない、ほら夏祭りへ行くぞ!」
「夏祭りー!?」
唐突に誘ったから、案の定エミサは驚いて素っ頓狂な声を上げて。
やだ何着よう、浴衣ないよぉ、とおろおろしだす様を見たら、微笑ましくて少し笑ってしまった。
「え、何よぉご主人様!」
「何でもない。支度、ゆっくりでいいぞ」
「うんっ!」
迷いに迷った服装だったが、結局のところいつもと同じアリスロリータなメイド服に落ちついた。
そして今、屋台の多さに目を輝かせて「すごい、すごい!」とはしゃいでいる。
楽しそうな彼女を見ていると、それだけで着て良かったと思えるから、不思議だ。
「エミサ、どこに行きたい?」
「んっと……山芋を取り扱ってる屋台かな!」
「……山芋?」
「そう、山芋飴とか!」
リンゴ飴、みたいなノリだろうか。ぐるりと見回してみるが、見つからない。というより、あったらあったで驚く。誰が買うと言うのだ、そんなもの。エミサか。
「んなもんないぞ」
「え、うそん。残念。じゃあ山芋入りのたこ焼きは?」
「また高級な……祭りの屋台じゃ、ないだろ。手間も増えるし」
「えええ残念すぎる……!」
山芋入りのたこ焼きに関しては、後日リサーチして誘ってやろうと思った。あまりにもしょんぼりとしているから。
「他には?」
「えっと、やまい」
「山芋とかじゃなくて、メジャーなものを言えよ?」
「……ぶぅ。じゃ、チョコバナナは」
見回すと、すぐに一軒見つけた。さすが定番、と思って買いに行こうとしたら、
「二人で食べるの! 一本を!」
一本を、二人で? 進みかけた足が止まる。
「……なんだそりゃ」
「他にはね、綿飴! 両側から二人で食べてみるなんてどうかなぁ?」
「嫌だ」
どうしてそんな、時代遅れのバカップルさえもしなさそうなことをやらなければならないのだ。
「それに、甘い物ばっかりだな」
「えへへ、まるで二人の仲みたいでしょ〜?」
「なに言ってんだ。今日は単なるサービスだよサービス、変な妄想すんな」
「けちっ。じゃ、せめてあんず飴食べさせっこ!」
チョコバナナや綿飴に比べればいくらかマシに思えるが、それでも、
「冗談はやめろ」
と一蹴するような提案だった。
「冗談じゃないよぉ。それにね、こんなこと今の世の中のカップルは普通にやってるんだから。ね、だから、ねっねっ?」
「そもそもカップルじゃないんだから、やるわけないだろうが」
「ぶ〜!! カップルじゃないって、なによぉ〜」
「本当のことだろ」
「……けちんぼ」
断っていたら、ぷいとそっぽを向いて拗ねてしまうし。
ああ、もう。
楽しんでもらいたいし、一緒に楽しみたいのに。
「無茶な欲求じゃなきゃ、受けてもいい」
「……例えばぁ?」
「そうだな……一つのかき氷を一緒に食べる、とか」
「…………普通だぁ」
「これでも譲歩したんだけどな。嫌ならいいぞ、適当にぷらぷら見て回って終わり」
「え、や、その方がやだっ! いいですよぅ、かき氷一緒に食べよ?」
「不満か?」
「欲張りたいじゃない、せっかくのお祭りなんだから」
ぷぅ、と頬を膨らませて、エミサが言うから。
じゃあ来年、人前でそんなことができるくらい面の皮が厚くなったり、精神が図太くなっていたらやってやろうか、なんて。
血迷った考えを、思い浮かべた。
「いや、ないな」
「ふえ?」
「あ、舌緑だぞ」
「えええ早いよぉ! やぁ〜、見ないで〜っ!」
*...***...*
「み、皆と遊びたいだけのにぃ!」
オルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)は、涙目になりながらも夏祭りの会場を駆け抜け、そう叫んだ。
話は数時間前まで遡る。
今日は夏祭りだからと、オルフェリアを誘い出しに来る友人が、何人か居た。
……居たのだ。
居たのだが。
無言で近付く影が一つ。
パートナーの、ミリオン・アインカノック(みりおん・あいんかのっく)だ。
「ミリオン? な、何故無言でこっちへ来るのですか?」
「ふふふふふふ」
「わ、笑ってないで何か言ってくださ――」
「我が神をお誘いするなど……この我が許すはずがない……」
びしり、空気が軋むような威圧に身が竦む。
まずこの段階で、ほとんどの友人は逃げた。
それを、オルフェリアは恨まない。いい判断だったと、思う。ちょっと寂しかったけれど、でも、自分が友人と同じ立場に居たら、間違いなく逃げていた。だってミリオンが怖いのだもの。
「我が神をお誘いしたければ、我を倒し……」
次に彼がそこまで言ったところで、オルフェリアもミリオンの放つ空気にやられてしまった。
「ひ、ひえぇ!」
思わず走り出す。脱兎のごとく、走り出す。
家から飛び出し、逃げていく友人達とは別の道を進み。
「オルフェは遊んじゃだめなのですかーっ!?」
叫びながら嘆きながら、こうなったら意地でも誰かと遊ぼう、思い出を作ろうと。
「絶対絶対、ミリオンの思う通りになんてならないんですからねー!!」
叫ぶのだった。
「オルフェリア様?」
逃げていくオルフェリアを、ミリオンは首を傾げて見送った。
我が神は、何故逃げるのだろう。
遊んではだめなのか、と叫んでいたが、とんでもない。遊んでくれればいいと思う。そもそも、ミリオンはオルフェリアを祭りに誘おうと思っていたのだ。
「仕方がない」
追いかけよう。そう決めた。
追いかけて、改めて祭りに誘おう。花火も上がるのだと言う。
きっと、楽しんでくれるはずだ。
「オルフェリア様っ」
なので、走った。全力で、オルフェリアを追いかける。
彼女と楽しむために。彼女に楽しんでもらうために。
――もっとも、それは全て逆効果で、オルフェリアには恐怖しか与えていないのだけれど――。
「あ、あ、あ、オルフェと遊んでくれませんか!?」
「え? いえ、オレはナナとの屋台があるので」
金魚すくいの屋台をやっていたルース・メルヴィンにはそう断られ。
「あの、オルフェと遊んで――」
「いいですよ素敵なお姉様!」
「きゃあぁぁぁああ!!?」
姫野 香苗には抱きつかれて胸に顔を埋められてすりすりすりっと擦り寄られて、思わずこちらから突き放して逃げ去ってしまい。
「かくまってくださいっ!」
「な、何? こら、危なうわあっ!?」
綿飴の屋台に並んでいたガイアス・ミスファーン(がいあす・みすふぁーん)の背に隠れたら、すぐにミリオンに見つかってしまって逃げる羽目になり、その際ガイアスはミリオンに撥ねられた。
謝る間もなく、逃げるしか選択できない現状。
「あうあう、楽し、楽しめてないですよこれ……っ!」
楽しみたいのに、お祭りを!
ただ純粋に、皆と遊んで、思い出を作って、笑っていたいだけなのにっ!
「どうして邪魔するんですかぁぁっ……! あ、そこの人ー! 危ないですよー!」
「おっと、素敵なお嬢さん。人混みで走ると危ないよ」
ぶつかりかけたエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)に、逆に心配されたりなんかして。
ああ、こんな素敵な出会いもあるのに、発展できないなんて!
「ミリオンの、ばかーっ!」
思わず叫ぶのだった。
*...***...*
「夏と言えば、そう! 夏祭り。そんな美味しいラブ・シチュエーションを逃すはず、ないじゃないですか」
ノイン・クロスフォード(のいん・くろすふぉーど)は得意げに笑った。笑って、マリア・クラウディエ(まりあ・くらうでぃえ)の足元に傅いて手を差し伸べる。
「さあ、この手をお取りください、マリア。そして夏祭りへと、恋人たちの巡礼地へと参りましょう――!」
「何が恋人たちの巡礼地、よ。ただの祭りでしょう?」
つん、とした態度を崩さず、優雅に組んだ長い脚でマリアの手を蹴り飛ばす。ああ、今日も素晴らしい美脚。
「……何ニヤニヤしてるのよ気持悪い」
「いえ、マリアは今日も美しいなぁと思いまして」
「頭茹ってるの?」
「はい、私の心はいつもマリアへの想いで沸騰寸前です」
「アホらし……」
素直に心の内を吐露すると、ため息を吐かれた。そんな憂鬱そうな表情も似合うのが、マリアである。
「……デート、だっけ?」
「! はい!」
「そんな犬が尻尾振ってる時みたいな瞳でこっち見ないで。
……まぁ、仕方がないわね。どうせ私以外誘う相手も居ないんでしょう? ええ、そう、仕方がないから、仕方がないから、一緒に言ってあげるわ。いい? ノインと一緒に行きたいわけじゃないのよ、そこは間違えないで」
後半はほとんど畳みかけるように、マリアは言う。
ノインは知っている。これが彼女なりの照れ隠しであることを。
「ああマリア、相変わらず恥ずかしがり屋さんですね……そこがまた可愛いです!」
「ちょっと抱きつこうとしないでよっ!」
感極まって抱きつきに行ったところを蹴られた。座っている体勢では、いつものアッパーよりも蹴りの方が繰り出しやすいらしい。
「アホなことしてないで、行くんでしょう? さっさと案内なさい」
女王様のように凛と命令する彼女に、「イエスマイロード」なんて返事をして。
夏祭りへと、向かうのだった。
今日こそは頑張ってみようと、思っているのだ。これでも。
けれど、ノインが「可愛い」とか「好きです」とか「愛しています」とか言ってくるたび、「うるさい馬鹿ウザイキモイ」と返してしまうのだ。
恥ずかしがったり、照れ隠しであったりするわけでは、ない。断じて。……たぶん。
これでも、素直になろうと思っているのよ。
心の中で、ぽつり。呟く。
ノインはいつもいつもマリアに尽くしてくれている。それはもう奴隷も驚きの尽くしっぷりで、感謝もしているのに。
「マリア、美しいです」
「ウザっ……」
「嫌そうな顔も、嫌悪の滲む瞳も、全てが宝石のようです」
「何そのたとえ、キモっ……」
「ああっわかっていますそれは全て愛情表現!」
どうしてそうなるのか、小一時間問い詰めたかった。
……まあ、始終こんな調子で。感謝の言葉を言おうにもタイミングが掴めない。
賛辞に対して出てくる言葉はウザイとキモイ。実際にウザイし、たまに暴走した時には拳も出るし足も出る。たまにやりすぎたかと焦ったりもするけれど、ノインはなぜか喜んでいるし。
もう、意味が分からない。もっとも変態の思考なんて分かりたくもないのだけど、だけど。
私が猫を被らないで、素の自分で居られるのは彼の前だけなのよね。
ぼんやり、のろけも混じったことを考えていると、目の前でミリオン・アインカノックにガイアス・ミスファーンが撥ねられた。
「大丈夫ですか?」
思わずマリアは手を差し伸べて、ガイアスを助け起こす。
「うむ、我は大丈夫である。おぬしは――」
「私はマリア・クラウディエ」
「マリアよ、すまない。助かった」
「いいの、困っている人を助けるのは当然だから」
そう言って微笑むと、背後で「ぶはっ」と噴き出す音が聞こえた。間違いなく、ノインである。
「転んだ人を見て放っておけなかっただけなの、連れが居るし失礼するわ」
助けも終わったし、身をひるがえしてその場を去って。
蹲って笑っているノインの横にしゃがんで、
「何が面白いのかしら?」
にっこり、暗い笑み。
「いえ、いえ。お淑やかなお嬢さんに見惚れてしまいまして」
「ああ、そう。殴られる覚悟はできているわね?」
「はい」
「よろしい」
ばこんっ、と裏拳を叩きつける。「ああいつもながら素晴らしい拳……」とうっとりとした声は無視で歩きだそうとして。
「マリアの猫被りは完璧ですね」
ノインの声に、立ち止まる。
「そうよ?」
「でも、そのマリアは私にだけ、こうして本性を曝け出してくれる。うふふ、私だけ特別なんですね」
嬉しそうに、ノインが笑った。
そうよ、と心の中で肯定する。私はノインにだけ、こうなの。甘えているのよ。
素直には、言えないから。
代わりに黙った。
「おや?」
きょとんとした顔で、ノインがマリアに近付いて。
「あらら、どうしました?」
「……いつも、その」
「はい」
「…………いつもありがとう」
たっぷり沈黙を含みながら、ようやく言えた一言の返事は。
「ええ、私達はラブラブなんです」
「なっ、ななななんでそうなるのよっ!?」
「ふふふ、愛していますよ、マリア」
いつもよりも甘い甘い、愛を囁く声。
*...***...*
「よーし、稼ぐぞー!」
屋台の店主である鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)は、腕まくりをしてニッと笑んだ。
「最近よくお金を使うから、稼がなくちゃ。ね、姉様!」
きょとんとしていたアイス・ドロップ(あいす・どろっぷ)に微笑むと、アイスもにこりと微笑んだ。あまりよくわかってなさそうだ。屋台の前に置いた椅子に座らせて客引きをしてもらうつもりだったけど、変な人に絡まれたらどうしようと不安になる。
「姉様可愛いしなぁ……」
「ひーちゃん、私は何をすればいいの……?」
「うーん、お店の前で客引きをしてもらいたかったんだけど」
危なっかしいし、と続けようとしたら、アイスはにっこり笑って、
「うん……ひーちゃんの為に……頑張るね……」
健気に言うから、任せることにした。
「でも、どうして……この屋台……?」
アイスが看板を見上げて、呟く。
看板に書かれている屋台の名前。
『デローンドーナツ』。
この名前は明らかに他のものとは違い様々な意味で目新しく、異彩を放っていた。
「ドーナツなら歩きながら食べれるからね!」
アイスの問いに、氷雨はレシピを見ながらニコニコ笑顔で答える。「そっかぁ……」とアイスも納得したようで、椅子に座って「いらっしゃい……ませ……」と客引きを始め。
よーしボクも頑張らなくちゃ! とやる気をみなぎらせて、屋台へ戻る。
「あ、そうだ姉様! 変な人とか来たらすぐに呼んでね! 姉様に変なことする輩は、ボク絶対許さないから!」
絶対に呼んでね絶対だからね! そう念押しもして、心配だけど戻った。ドーナツを作らねばならない。
さて、デローンドーナツは当然、普通のドーナツと同じなはずがない。
まず、揚げ物のはずなのになぜか最初から紫色だ。
「えーい、じゅーっ」
氷雨はなんの疑問を抱くこともなく、揚げていく。
揚げても色の変わらない紫にも疑問を抱かず、どんどん揚げていって。
ピピッ――とキッチンタイマーが鳴って、油の中から取り出して。
最後に緑色のチョコレートをドーナツにかけて、できあがり。
クレイジーな色をしており、そこで初めて氷雨は思う。
「なんでこんな色なんだろう?」
「あの……ドーナツ……食べませんか……?」
控えめに声をかけていたけれど、歩いていく人々は屋台の中を一瞥すると「うわっ!」「紫!?」「表面は緑で中は紫って……とんでもない色だ……」などと声を上げて、去っていく。
どうしてだろう? 立ち止まってくれるし、興味も持ってもらえているみたいなのに、売上に繋がらない。
少し、困ってきた。せっかく氷雨が頑張っているのに、これじゃ役に立ててないじゃないか。
「ドーナツ……いかがでしょうか……?」
そして、何度目かも知れない声に、立ち止まる花火客。
「あの、ドーナツ……買って行って下さい……ひーちゃん、頑張ってるから……」
声をかけると、にこりと微笑まれた。
「へえ、『デローンドーナツ』ですか……聞いたことがないですね。どうです手記、食べてみませんか?」
興味深そうに屋台の中を覗き込んで、ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)はシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)に笑いかけた。
「……凄い見た目じゃな」
正直な感想を、手記が漏らす。
紫の生地と緑のチョコの組み合わせは、それはそれは毒々しい。
が、面白くて嫌いではないと、ラムズは思ったからこうして立ち止まって。
「見た目より味ですよ」
「食はまず目から、とも言うが」
「ひーちゃんさんが頑張っていると言いますし」
「誰じゃそれは。まあ良い、食べさせるというなら早く買え」
「いらっしゃいませー」
客引きの少女が言っていた子は、この店主だろうか。ニコニコ笑顔で好感の持てる女の子だ。
「ドーナツふたつ、ください」
「はーい、まいどありがとうございす♪」
嬉しそうに言って、ドーナツを紙に包んで渡してくる。
お金と引き換えにして受け取って、怪訝そうな目でドーナツを見る手記へと手渡し、歩き出す。
「はい、食べてみてください」
「しかし手に持って見ると、なお一層毒々しさがわかるのぉ……」
「あれ、食べたくないですか?」
「見た目からはな。けれどラムズ、我が食べねばおんしはこの味を忘れるのじゃろ」
ラムズは、病気のせいで記憶が毎日リセットされるから。
だから、手記に食べさせて味を覚えさせて、教えてもらおうかと思って。
今日すでにいろいろ食べてもらったりして、楽しんだ。
「締めにはちょうどいい奇抜さでしょう?」
「奇抜すぎるのぉ」
「まぁまぁ。はい、いただきまーす」
ぱくり、ラムズがドーナツを齧り。
意外と普通に美味しい味に驚いて、「なーんだ」見た目に反してるじゃないですか、やだなあ、と笑ったら、
「……え?」
なんだか視線が低くなった。
ラムズの身長は、182センチある。なのに、周りの全員背が高い。
「あれ? みなさん突然大きくなってしまいましたね」
そう手記に呼びかける声も、妙に甲高い。
「……違うぞラムズ。よく見てみろ」
何をです、と問い掛けそうになって、気付いた。
自分の手が、足が、小さい。腕を伸ばしたり、自らの手で頬に触れたり、そして手記を見上げて――
「私、子供になっていませんか? もしかして」
「うむ、5歳児ほどかの」
「そして手記……あなた猫耳カチューシャなんてつけていましたっけ」
「は? 猫耳?」
手記の頭には、黒い猫の耳があったのだ。
自分の頭に手を伸ばし、耳を探る手記。猫耳に触れる。引っ張る。
「……取れん」
「カチューシャじゃなかったんですね」
「ぬう……デローンドーナツのせい、か? タイミング的に」
「なかなか面白いドーナツですよねぇ、美味しいし」
「馬鹿者、戻らなかったらどうしてくれるっ。もう少し危機感を持たぬか!」
「焦っても仕方ないですよ、ほら花火でも観ましょう?」
「この姿でか!? 恥さらしもいいところじゃ……」
*...***...*
余談だが。
美味しいと言いながらラムズと手記が歩いていたため、興味を持ってデローンドーナツを買う見物客が続出。
そして、その見物客にはことごとく、『幼児化する』『性別が変わる』『獣耳が生えた』『大人になった』など――謎の効果が続出。
店主である氷雨は、騒ぎが大きくなる直前に売上金を鞄に収め、アイスを抱き上げて脱兎のごとく逃げたという。
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