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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 14

「なんだか……可愛そうな子」
 ふと口をついた言葉に、葛葉 明(くずのは・めい)自身も驚いている。なぜだろう、孤高の存在という確信めいた予感がした。
 その人は、菫色の髪、黒い浴衣、ただ、袖口や襟元に木の葉がついていた。いましがた茂みから出てきたばかりのように。
 両手一杯食べ物を手にし、ようやく落ち着ける場所に腰掛けた明なのだが、彼女の姿を見るなり『可哀そう』と思ったのである。
「どうしたの、こんな片隅で? お祭り楽しまないの?」
 振り返った少女は、明より少し若いくらいに見えた。同年代かもしれない。首を振って立ち去ろうとした彼女を見て、明はある考えに至った。
(あたしとしたことが、この子はきっと、貧乏でお祭りを楽しむほどお金を持っていないんだわ……ひどいことを言っちゃったのかも)
 可愛そうな子、という自身の直感を、明は『お腹が空いているから』だと判断した。これで合点がいった。
「よし、あたしとお祭りを楽しみましょう! 安心して、あたしが買ったものを分けてあげるから!」
 さっそく明は、買ったばかりのたこ焼きのトレーを差し出すのである。
「いえ、お構いなく……」
 しかし菫の髪の少女は首を振った。おずおずと後退しはじめている。
 けれども明の見立てでは、彼女が遠慮しているだけとしか思えない。あるいは彼女は、たこ焼きが苦手なのだろうか……? そこに、
「じゃがバター、じゃがバターはいらんかねー?」
 なぜか老人口調で、行商に来た姿があった。それはセルマ・アリス(せるま・ありす)、セミロングの髪をフラワーゴムでまとめ、ちょんまげ状に結っているのが本日の注目ポイントである。
「おっとそこのお二人さん、じゃがバターはいかがかね? シンプルながら素材の良さをいかした味わいじゃぞ」
 老人口調のまま口上する。といってもセルマは御年16歳の好男子なので、その点誤解なきよう。
「ちょうどよかった。じゃがバター二人分お願いね! 払いはあたしが」
「いえ……そんな、わたくしは……」
 黒い浴衣の少女はやはり、逃げ出すタイミングをうかがっているように見える。
(「やっぱり遠慮してる……あるいは、警戒してるのかな? きっと、人に騙されたり虐められたり、悲惨な目にあってきた子なのね」)
 世の中には良い人もいるってわかってもらわなきゃ、と使命感に燃える明であり、
(「……こっちの人は祭りの空気に入りづらいのかな。ちょっと話しかけてみるか」)
 と考え、普通の口調で「どこから来たんです? 名前は?」と問いかけるセルマである。
「名前? 名前は……ユマ・ユウヅキと申します。こういう場所には不慣れなもので。お心遣いありがとうございます。でも今夜は」
 一見、大人っぽいユマなのだが、予想外の展開に驚いたのか、しどろもどろになりもじもじとする様子が妙に儚げで、見ていて明は胸が詰まった。彼女の両手を取り、呼びかける。
「ユマちゃん、あたしは葦原明倫館所属の葛葉明、決して怪しい人でも悪人でもないわ。今は辛いかもしれない。それはあたしにはどうしてあげることも出来ない……けど生きていればきっと良いことがある、だから絶対に生き残るのよ。安心して、何の見返りも求めないから、このじゃがバターを一緒に食べよう」
 明の目は潤んですらいた。どうやらユマという人は人間不信らしい、と判断したセルマも一言添えた。
「うん、多少なら値引きするから」
 このとき、
「会いたかったぞ、強者よ!」
 突如傍らの茂みが動いて、中から銀の髪の青年が顔をのぞかせた。
「おっと、派手に登場とはいかなかったが、俺は魔王ジークフリート・ベルンハルト(じーくふりーと・べるんはると)という者だ。逃げも隠れもするかもしれんが嘘はつかない。まず宣言するが、今日はお前と戦うつもりはない。それは信じてほしい」
 革手袋と魔法使いのマント、黒ずくめの格好を茂みから出して、武器を足元に置く。
「その証拠に丸腰だ。話くらいはさせてくれ。お前と会ったことはないが姉妹とは対峙したことがあってな」
 ジークフリートは、塵殺寺院の機晶姫『クランジ』を見知っている。直接対戦した『Χ(カイ)』とは違うが、ユマにも同じ匂いを嗅ぎ取っていた。
 このときジークフリートの言葉に、ユマはそれまでの戸惑い気味の表情から、鋭い目つきへと変貌している。
「姉妹……?」
「対峙って……」
 明とセルマも、予想外の言葉に身を強張らせていた。続けてジークフリートは、決定的な言葉を口にする。
クランジ……いや強者よ、行き場がないのなら魔王軍へ来い。歓迎しよう!」
 と声をかけた瞬間、菫色の髪の少女――新型クランジ『Υ(ユプシロン)』は反射的に動いた。浴衣の足を滑らせ身を屈め、肘でジークフリートに当て身を入れる。
「くっ……!」
 さすがの彼もこれは避けられない。身を屈めたジークフリートの脇をすり抜け、ユプシロンはその場から風のように逃げ去った。
「ちょ……大丈夫!?」
 明はジークフリートを抱え、
「クランジ、噂に聞いたことはあるけど……」
 セルマも顔色を変えるが、すぐさまΥの後を追わんとした。
「……待ってくれ」
 だが意外にも、そのセルマの背を止めたのはジークフリートだった。
「彼女は、俺を本気で攻撃しなかった。あのタイミングなら確実に殺せたかもしれんのに、だ。彼女も戦うつもりはないのだろう。騒ぎを大きくするのはやめておかないか……?」
「追い詰めてしまったらどうなるか、わからないってことだね」
「ああ」
 ジークフリートは眼鏡をかけ直した。