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●詰め所にて 1

 西シャンバラ代王の高根沢 理子(たかねざわ・りこ)から魔剣を託されて、ダークヴァルキリーの呪いを断ち切った小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、パートナーのコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)を伴ってオペラを見に来ていた。
「ねえねえ、コハク! 早くおいでよ」
 美羽は元気に飛び跳ねながら言った。
 長い緑の髪をツインテールにして、黄色いリボンで結んだいつものヘアスタイルに自分の学校の制服を着たまま薔薇の学舎へと向かっている。
 少し遠くを歩いているコハクは、高い門の前で当たりを伺っていた。
 コハクはセレスタイン島の出身で、オペラのようなものは見たことがない。シャンバラ地方に来たばかりのコハクは、驚くほど近代文化・近代文明のことを知らなかった。
 美羽はそんなコハクに薔薇学のオペラを見せてあげたいとやってきたのだった。
 でも、コハクの方は気後れしているようだ。
「ねぇ、美羽。僕一人で行かなきゃダメかな?」
「だって、薔薇の学舎は女子厳禁だもん。美羽は入れないよ?」
「それは知ってるけど…男装したら入れるって聞いたよ。一緒に行こうよ」
「うーん…こういう時期だしなぁ…外を見回りに行きたいし」
 美羽は親しかった御神楽 環菜(みかぐら・かんな)が暗殺されて、ナーバスになっていた。
 そんなこともあって、今日はオペラを見るより、そっとこの学校の平和を守りたいと思っている。
 コハクには、美羽の気持ちが分からないでもなかった。
「薔薇学のオペラだったらきっと素敵だよ。絶対に見たほうがいいって!」
 美羽は元気なふりをして言った。
「じゃぁ、行ってくるね…美羽。何かあったら必ず呼んでよ」
 気遣いながらも、コハクは離れてオペラハウスの方と向かった。
 コハクが見えなくなると、美羽はゆっくりとした歩調で、警護希望者用の詰め所へと向かう。
 美羽に気が付いた薔薇の学舎の生徒は丁寧に挨拶した。
「おはようございます。朝早くからお疲れ様です。警護希望の方ですか?」
「あ〜、えっと…うん。手伝おうかなって思って…」
「じゃあ、所属の学校とお名前をお願いいたします」
「あの…蒼空学園の…小鳥遊 美羽…」
「えッ!?」
 所属と名前を言うと、薔薇学の生徒は驚いて美羽を見た。
「小鳥遊さんですか?」
「うん」
「ロイヤルガードの?」
「うん、そーだよ」
「こ、こんなに可愛い子が…」
 薔薇の学舎の生徒は驚いて美羽を見つめた。
 そして、何かを思いついたように不意に立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね! あ、そうだ…こっちに来て貰ったほうがいいかも」
「どーしたのー?」
「あ〜、ちょっ、ちょっと…こっちに」
 そう言ってその少年は美羽を手招きする。
「?」
 小首を傾げ、美羽は相手を見た。
 しかし、相手の方は慌てて歩いて行ってしまう。
 しかたなく、美羽はその少年の後ろをついていった。
 女の子だから入れないと思っていたのだが、美羽が通されたのは他校専用の女子更衣室だ。
「あ、あのっ…8校合同の闇龍封印作戦での噂は聞いてます。そんなにすごい子が警備に来てくれたなら、メサイアさんが喜びますよ!」
 少し興奮気味に彼は言う。
 美羽は照れて首を振った。 
「そんなことないよー」
「お願いしますっ!」
「そっか、じゃぁ…ちょっとだけ、その人と会ってみようかな」
「ありがとうございます! サイズ別に、スーツか、うちの制服が奥のロッカーに入ってるので着てください」
「うん、ありがと」
 美羽はそう言うと、更衣室に入る。そして、薔薇の学舎の制服に着替えて出てくると、先程案内してくれた生徒が我先にと美羽の元へ走ってきた。
 後ろの方では彼の友人らしい少年たちが羨ましげな表情でこちらを伺っている。
「じゃあ、行きましょうか」
「うん」
 美羽は頷いた。
 少年は得意げに先頭を歩き、校舎内のある部屋へと連れて行ってくれた。そこは本館にあたる場所ではないが立派な建物の中で、美羽は宮殿にでもいるような気分になった。この学舎はラドゥの別荘を改築したものだと聞いていたが、まさにその通りだと美羽は思う。
 そして、建物の最奥にその部屋はあった。
「失礼します」
 少年はドアを叩く。誰何を問う声が聞こえ、少年は自分の名と来た理由を述べた。しばらくして、ドアは開いた。
 美羽は中に入り部屋の様子を伺った。
 部屋の中には青年二人と少年が一人いる。
 少年は美羽の知っている人物で、上月 凛(こうづき・りん)という、先日行われた空京でのパーティーで会った少年だ。奥にいる青年の一人は凛のパートナーで、ハールイン・ジュナ(はーるいん・じゅな)。しかし、その隣にいる青年は知らない人物だった。
「メサイアさん、ロイヤルガードの方をお連れしました」
 少年は晴れやかな表情で言う。
 少年の言葉を聞いて、メサイアは少し驚いたような表情をした。
「ロイヤルガードの方ですか…それはそれは…」
「こんにちは、小鳥遊美羽だよ」
「はじめまして、小鳥遊さん。俺の名前はメサイアと言います」
「こんにちは、メサイアさん。あなたに会わせたいって連れて来られたんだけど…どういうことかなぁ? 美羽、わかんなくて…」
「ああ、そうですか。それは説明不足でしたね、申し訳ありません。私は今回の芸術祭の総責任者で、メサイア・ツェンデュ・エグゼビオと申します」
「あ、そうなんだ。実行委員長さんなの?」
「はい」
 微笑んだ青年は、少し肩を竦めるような仕草をして、イエニチェリなんですと言った。
「え? そうなの? 会ったこと無い…」
 そう言いつつ、美羽はじっと相手を見た。薔薇学の人たちと親睦を深めたい、仲良くなりたいなぁと思っていたので、校長の親衛隊である人物が目の前にいることはある意味チャンスだった。
 ルドルフや藍澤は知っているが、彼のことは知らない。とても気になる美羽だった。
「そうですね。ずっと、ジェイダス様のお手伝いをさせて頂いておりましたが、表立って行動する機会がなかったのですよ」
「あ、それでなんだぁ〜」
 どんな手伝いをしていたのか気になったが、美羽は彼を困らせるような質問はしまいと思った。人にはそれぞれ理由と都合いうものがある。たくさん聞いたらはしたないし、女の子らしくないなと思って聞くのをやめた。
 仲良くなったら、いつか話してくれるかもしれないし。
 そう思って周りを見回すと、テーブルには無数の書類の山。ステージ衣装やテーブルセッティング用のナプキンなどのサンプル用の布見本ファイルもあり、忙しさがわかる。
 やっぱりなぁと思って得心する美羽だった。忙しい人らしい。それも、ここ最近は特に忙しかっただろう。
「さあ、俺のことなんかどうでもいいですよ。貴女の方が大事です」
「えー?」
 とか言いつつ、大事などと言われれば、花の乙女としては嬉しいもので。美羽は微笑んだ。
 メサイアは美羽にお茶の用意をしつつ、自分の仕事をサッと片付けた。
 勧められてお茶を飲みつつ、美羽はソファーに座る。
 メサイアは花瓶に生けてあった黄色い薔薇を抜き取ると、針金とフローラルテープで持って何かを作りはじめる。
 美羽はその指先を視線で追った。
「あの作戦に関わった小鳥遊さんにお会いできたのは光栄ですよ」
 メサイアは言った。
「そんなことないよー。美羽、頑張りたかっただけだもん。大事な人を守りたいだけ…校長先生って、どの学校でも大事だよね。大切だよね。美羽もそうなの」
 そんな美羽の言葉を聞いて、メサイアは寂しげに微笑んだ。
「校長先生…ですか。そんな貴女だからこそ、警備に参加してはいただけませんでしょうか」
「え?」
「大切なものを守りたいと思う心は、とても美しいと思います。今日は許された日です…是非、貴女にいてほしい」
 そう言って、メサイアはロサ・フェティダ・ペルシアーナのブートニア(生花のコサージュ)を美羽に差し出した。
 今作っていたのは、これだ。
 美羽の悲しみを癒し、誰かを守りたいと思う心に火が灯るように、メサイアは美羽にプレゼントした。