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第二章 一日目の朝

 中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)は駄菓子屋に向かっている。ただし完全に自分の意思ではなく。半分は憑依した兄の中願寺 飛鳥(ちゅうがんじ・あすか)によってだった。もちろん漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)も身にまとっている。
「どう考えても、やっぱりおかしい点があったので、本物の『伝説の焼きそばパン』を食べてみたかったのですが、作り手のお婆様が居らっしゃらないのでしたら仕方ありません。もっとも駄菓子屋は初めてなので興味がありますわ」
 綾瀬のつぶやきに、飛鳥が応じる。
 ── お、そうか。綾瀬は『駄菓子屋』って初めてか……そりゃそうだよな、女の子1人じゃあまり行く機会もないか ──
「今の世の中、駄菓子屋そのものが減ってるそうですわ。その一方でスーパーやコンビニエンスストアでは駄菓子を扱っているんだとか。こちらも興味深い現象ですわ」
 ── 駄菓子屋はな、コンビニやスーパーとは違うんだよ。なんつ〜か『人と人との触れ合い』を教えてくれるというか ──
「子供達にとっての社交場と言うことでしょうか」
 ── そうだな。まぁ、暫く様子を観て、気になる事があったら店に居る生徒達に話しかけてみれば良いんじゃないか? 皆快く説明してくれると思うぜ ──
「村木のお婆様以外には、あまり興味がないのですが、それも面白いかもしれませんわね」
 ── なんせ駄菓子屋は『大人を子供にする、不思議な空間』とも言えるからな ──
 飛鳥の笑い声が、綾瀬の脳裏に響いた。


 駄菓子屋横の駐車場では、朝早くから山葉 涼司(やまは・りょうじ)の指示で、露店が設営された。店から電源を引き、ガスボンベも用意する。
「ここで良いのか」
 ジェイコブ・ヴォルティ(じぇいこぶ・う゛ぉるてぃ)がテーブルを運んでくる。どこから調達したのか、巨体にピッタリのエプロンをしていた。仕入れを担当したこともあって、店内の掃除もしようとしたが、横幅はともかく始終腰をかがめていなくてはいけなかったため、外の作業に専念することにした。
「ああ、そのまま並べてくれ」
 山葉もテーブルの横に椅子を並べる。
「裏メニュー希望者がそんなにいるとは、びっくりだ」
 ジェイコブの言葉に、山葉も「まったく」と返す。
「中にはビジネスプランと変わらないものまで出してきたのもいてね。意欲があるのは良いことだけれども、どこまで考えているんだか」
「俺には考え付かんなあ」
 世渡り下手を省みて、ジェイコブはため息をつく。露店の準備を始めて一時間余り。通りがかる人にできるだけにこやかに挨拶するものの、半分くらいの人が驚きの表情を見せた。しかし一方で通学途中の小学生達が「でっかーい」と言いながら手を振ってくれたのはうれしい出来事だった。
 駄菓子屋の店内では花音・アームルート(かのん・あーむるーと)ヴェルディー作曲 レクイエム(う゛ぇるでぃさっきょく・れくいえむ)七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が、裏メニューB−1グランプリの準備をしていた。
「じゃあ、アンケートを記入してもらったら、これをあげれば良いんですね」
 七瀬が花音に確認した。大きな箱には棒付きキャンデーがたくさん入っている。レクイエムが適当に救い上げると、色とりどりのキャンデーが手のひらに乗る。
「本当に駄菓子なのよねぇ。でもこういうのって見てるだけでも楽しいわぁ」
 七瀬と花音もうなずいた。

 あらかた準備が整うと、山葉と花音は学園へと帰って行った。
 休みでもない午前中の駄菓子屋に来る客はほとんどいない。3人いるだけでも手持ち無沙汰になってしまうことが予想された。
「チラシを配りましょうか」
 七瀬の提案で、裏メニューB−1グランプリのチラシを作る。店番を七瀬に任せて、ジェイコブとレクイエムが大通りに出て、道行く人に配り始めた。ジェイコブの巨体が目を引くのか、何事かと思ってチラシを受け取る人は多い。
「これなら反響がありそうねぇ」
 レクイエムも女性を中心にチラシを手渡していく。端正な顔立ちと愛想の良いオネェ言葉で、こちらも人が途切れない。用意したチラシはすぐに残り少なくなった。
「追加で作ってもらうわね」
「ああ、頼むぜ」
 レクイエムが店に戻ろうとすると、ちょうどマスターのアルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)が通りがかる。
「おや、ヴェル。どうしたんですか? こんなところにいるなんて」
「ん? ……何の因果か、ちょっとばかりお手伝いしてるのよ。下校の時の生徒指導で、ここのおばあちゃんと話し込むほど仲良くなっちゃったよしみ、かしらん?」
「そういった訳なんですね。……まあ、午後の授業には間に合うように来て下さいよ」と登校しようとしたアルテッツァを、レクイエムは駄菓子屋に引っ張り込む。
「ちょっと寄ってきなさいよ。アタシとアンタの仲じゃないの」
 アルテッツァは傍らの箱に目が留まる。
「っと、その箱は……。どうもその飲み物を見ると、楽士だったときのことを思い出しますね……」
「ああ、これ? 『ラムネ』とかいう飲み物ね。未だに売れてるんですって」
 ビンを手にしたアルテッツァの脳裏に、少女の笑顔が浮かぶ。

 ボクの好きだった『彼女』は、同じ旅芸人の仲間だった。
 芸を磨くことに一生懸命で、同い年の子と遊ぶことは少なかった。
 そんなある日、彼女が言った。
「ラムネ? ……それ、何?」
「え? 飲んだこと、無いの?」
 うなずいた彼女に、「教えてあげるよ!」と手をつかんで、稽古を抜け出し駄菓子屋に走った。
「これがラムネ。美味しいんだ、飲んでみてよ」
 ラムネを初めて飲んだ彼女は、軽くコホコホとむせる。
「……飲みづらい、けど、美味しい……」と初めて笑った。

 思いにふけるアルテッツァに、レクイエムが袋を渡す。 
「あらまあ……昔は良かったとか言うつもり?」
「昔は良かったなどとは言いません。……ただ、懐かしいだけです」
「とりあえずゾディ、アンタは一限からあるんでしょ、授業。これはアタシのおごりよ。菓子パンと一緒に持ってって飲みなさいな。どうせアンタのことだから、食べずに学院に行ってるんでしょ?」
「朝ご飯は……すみません、食べていないですね。何も摂らずに、ここまで来てしまいました」
 アルテッツァがはにかみながら笑みを浮かべる。眼鏡を直すと、申し訳無さそうに頭を下げた。
「生き残りたいなら、腹には何か入れておきなさい。思い出もアンタが生きててのものなんだから」
「わかりましたよ。それでは、行ってきますね。……朝の打ち合わせ内容は、コピーして机の上にでも置いておきますよ」
 アルテッツァは背中を向けて手を振った。
「恋人さん……ですか?」
 七瀬が恐々尋ねる。
「あらぁ、そう見えちゃう? でもね、アタシもゾディも女の子が好きよ。勘違いさせちゃったかしら」
「はい、そう言うのもあるって聞きましたので」
「……よねぇ。私はむしろあなたみたいな可愛いコが好みなの。このまま持って帰っちゃおうかしら」
 七瀬のあごに手をかけると、レクイエムが顔を近づける。拒否するかと思いきや、カッコイイ王子様に憧れる七瀬はボーッと見上げたままとなる。そんな七瀬にレクイエムも動けなくなった。
「こんにちはー」
 子供の声に我に返ったレクイエムは「ほら、お客様よ」と七瀬を送り出す。
「面白ければ良いと思ったけど、あんなウブな娘をからかっちゃダメじゃない。アタシも修業が足りないわ」
 レクイエムはチラシをつかむと、大通りへ戻っていった。