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 フェンリルに味方することにしたアーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)は、派手な仮面越しに参加者を見渡していた。
 他校生も招待したとあって、仮面をつけていては誰が男装女子であるかはわからない。ただ、同じ学舎にいる仲間を護るのは当然だと出回っている噂を危惧してマーカス・スタイネム(まーかす・すたいねむ)を生け贄……もとい、協力を仰いで参加している。
「似合っているのだから、堂々としていれば良いだろう」
「別に、同じ学校の人が困ることになるなら協力しても良いんだけどさ……」
 どうしてフェンリルに異性装に興味があると嘘までつかされて、こんな格好をしているんだろう。鼻が良いことを理由に化粧だけは全力で断ったけれど、ドレスに胸パットまで入れたのに何事も無ければショックで寝込みそうだ。
「いいかマーカス、男の娘と女装男子は違うのだよ! そこに恥じらいが生まれるか否か、より女の子へ近づこうと見せ方を研究するか男としての意識は前面に押し出したままにするか。そもそも男装女子は演劇方面でも古くから認められていたというのにだな、男の娘というのは」
「いいよそんなの! とにかく僕は、男装してそうな感じの子に声をかければいいんだね?」
「うむ。単なる女顔な少年に当たった場合は、迅速に俺様に連絡するように」
 至極真面目な顔をしているが、むしろ連絡するのは男装している女生徒を上手く保護出来た場合では無いのだろうか。BLが好きなアーヴィン相手に確認するだけ無駄だろうと、マーカスはすごすごとダンスの相手を探してフロアを彷徨いだした。
「ねえ、もしかしてアーヴィン?」
 熱く語っている口ぶりから、友人ではないかと声をかけた嵯峨 詩音(さがの・しおん)は、いつも通りの男の娘のスタイルを貫くようにドレス姿で現れた。
「おお、やはり詩音は自分のキャラを崩さなかったのだな! 仮装が出来る場ということで、どちらを選択するのかは実に悩ましい」
「私は療養期間が長くて細いから、普通の子ほど肩幅も筋力もないし……きっと男の子らしい格好は似合わないから」
 うんうんと大きく頷くアーヴィンは、その言葉を疑うことなく自身をありのまま受け入れた上でのキャラ立ちだと尊敬されてしまった。同じ趣味を持って仲良く出来る友達だと思っているけれど、嘘をついているおかげで見えない壁がそこにあるかのようだ。
「……アーヴィンは、噂のことどう思ってる?」
 フェンリルとともに薔薇学にいる女生徒を守ろうとしてくれている彼が、事実を知ったところで軽蔑することは無いと思っている。けれど、奏音に言われた言葉の答えが出せない詩音は不安だった。
「ふむ、女性だろうが男性であろうがかまわないではないかとは俺は思っている。大事なのはそうしてまで、この学舎で得るべきものがあるという事じゃないだろうか」
(ジェイダス校長が黙認してくれている理由は、この学舎で何を得るのか……ということなのかしら)
 考え込む詩音の肩を着替え終わったフェンリルが叩く。いや、フェンリルにしては些か小柄だ。
「誰かも言ってたよ。もし女生徒がいるのなら、これは学校に慣れた事での油断や男装の弛みを戒め、薔薇の学舎の男子である事を心がけろという、戒めのためのゲームだって」
 フェンリルと入れ替わったかのような銀色のウィッグをつけたウェルチは、燕尾服に白手袋をつけフェンリルと対になるようなマスクをしている。そして、フェンリルはウェルチのようなウィッグを付けた上で何故かドレス姿。
「フェンリルが男の娘……! いや、実際は女性だったからこそ、こうして公の場で羽根を伸ばし――」
「違う! ウェルチが女顔でよく冷やかされるから、あえての女装だ。俺の顔つきじゃ、ウィッグくらいだと女顔に見せられないだろう」
「だからって、ボクが女だって言われてるみたいで心外なんだけどね?」
 そうウェルチが詩音に目配せをすれば、少し緊張が解れたように小さく笑う。
「ただ一つの大事な魔剣を隠すなら沢山の魔剣の中…そう木を隠すならば森の中なのだよ。我が校に男装女子がいるというのであれば、目くらましくらいしてみようではないか」

 一致団結する4人を見つけたエリオは、彼らが何を企んでいるのかまでは聞こえていなかった。自分自身を隠せるという環境は、童心に帰って何かしたくもなるだろうと特に問題視することなく、気にすることもなく自分の責務をこなしていく。
「失礼、お一人のようだが、本日はどちらから?」
「えっ、あ……えっと」
 同級生を捜していたルキア・ルイーザ(るきあ・るいーざ)は、突然の質問に言葉を詰まらせた。つい女装が許されているからと、上機嫌でラベンダー色のドレスに可愛らしいアクセサリーを選び、髪も入学前と同じ長さの物を選んで地毛と馴染ませるようにウィッグとの境目にはリボンをつけた。ここまで参加する気満々で飾り付けておきながら、他校生として誤魔化すか女装だと言い張るかまでは考えていなかったのだ。
「我が校の校長は、美しい物に目が無くて。きっと絵になると思うので、1曲お相手をお願いしたいんだ」
「校長って、薔薇の学舎の……!? む、無理です。申し訳ありませんが、そんな大役を仰せつかるわけにはまいりません」
 何か失礼をしたらというよりも、性別を偽っていることがジェイダスにバレるわけにはいかない。動揺するルキアを観察するエリオは、その仕草から見ても女性で間違いないだろうと思う。しかし、薔薇の学舎と口にした瞬間の青ざめかたは気に掛かる。
「そうかしこまらなくて良い。あの方は紳士的な方だ、そう悪いようには――」
 手を伸ばしかけたエリオをから守るように、横から着ぐるみがひょっこり現れた。ろくりんピック公式マスコット「ろくりんくん」だ。
「踊り子サンには手を触れないデネ〜ここは紳士・淑女の場ヨ!」
 中にはクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)が入っていることなど、着ぐるみのままでは確認のしようも無く、立ちはだかるようにぐるぐるとルキアの周りを回られたら連れ出すことも出来ない。
「……ご友人が来たようなので、一度失礼しよう。後ほど時間があれば、また」
「オンナのコの敵は、滅びるとイイのダワ」
 手を腰に当て、胸を張るようにしてエリオを追い返すクリストファーは、着ぐるみに入るだけでなく随分となりきっているようだ。校長の前に差し出される恐怖から解放されたルキアは、安堵の息を吐くとともに小さく笑みを零す。
「ありがとうございます、あなたのおかげで助かりました」
「イエイエ〜、可愛いコは気をつけてネ」
「急に飛び出して行かないでよ、目立つ格好だからともかく……と」
 クリストファーが誰かと話しているのに気付き、クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)は一歩離れて会釈する。ルキアもまた、恩人の友人が来たのかと微笑み返した。
「こんにちは、あなたは素敵なお友達がいるのね。彼……でいいのかしら? 助けて頂いたところなのよ」
「助ける? 酷いナンパでもいたのかな」
「ミーが見てた限りでは、ジェイダス校長に引き合わせようとしていたのダワ」
 戒めのためのゲームなら、どこまで危険に晒すだろう。いくら校長が知った上で女生徒を入学させていたとしても、さすがに大勢の人前で性別がバレてしまえば庇いきることなど出来ずに除籍されてしまうだろう。
(折角のパーティだから、単に女性とも踊りたいだけ? そうだとしても、なんだか回りくどい……よね)
 特別席で音楽に耳を傾けるジェイダスの元へ、自主的に誘いに行く生徒だっている。わざわざ他の人を使ってまでパートナーを見つけなくとも、彼なら困ることもないはずだ。
「……余程、きみが魅力的だったってことかな」
 自分は念を入れるように髪色も目の色も誤魔化すようにウィッグとカラーコンタクトを使い、女装で通じるように大きめの胸に触れられたときの感触をカモフラージュするために少しパットもいれた。けれど、男装女子として過ごしている人みんながそこまで気をつけることは出来ないだろう。
「良かったら、きみに合わせたい人がいるんだけど……男装女子って興味ある?」
 クリスティーの問いに体を強張らせるも、エリオから守ってくれた以上は学園側に突き出す気はないはずと二人について行くことにした。

 ルキアとは別行動をしていたロレンツォ・ルイーザ(ろれんつぉ・るいーざ)は、嗜みとしてダンスを習っていてもパーティに連れ出される機会はあまりなく、どのように楽しもうかと歩いていると、美味しそうな匂いが漂ってきた。
 弥十郎八雲が手料理を振る舞っているようで、学生が作ったにしては彩りも良くビュッフェスタイルで食べやすい様にフォンデュ鍋を一定間隔で並べ、煮詰まりすぎないように様子を見つつドリンクも配っているようだ。
「なんだか美味しそうだね、僕も1つ貰っても良いかな?」
「もちろん。ソースは2種類だけど、つけるのは野菜や海老があるから好きなの選んでね」
 てっきりドリンクを配っているギャルソンスタイルの八雲がこの料理を作ったのかと思ったが、これから洞窟でも探検に行こうかというスタイルの弥十郎が主に作っているらしい。
 ――お、今度は女の子も来たか?
 タリアと一通り世間話を済ませたミラは、もっとたくさんの人と話してみたいと、一人ホールを歩いていた。近くを通りがかったマーカスが迷子かと思い話しかけたところ、懐かれたようで連れだってやってきたようだ。
「まあまあ、これはなんですの? ナイフやフォークが見あたりませんが、お供え物なのかしら」
「ええっ、これも? なんだか君は、知らないことが多いんだね」
 言葉遣いや立ち振る舞いからは貧しい出自にも思えないのに、彼女の知識はなんだか偏りすぎている。先程もダンスを踊ることは出来たのに、何処から来たのかと聞いても国の名前すら知らないと言うのだ。
 それでも、なんとなく違う自分になっていても懐いてくれる子がいるのは不思議で、いつもの自分を知っている他の誰かも、同じように変わりなく接してくれればいいなとマーカスはぼんやりと思う。
「ふふ、お姫様はこういう食事は初めてかな?」
 恭しく礼をしてみせたロレンツォは、味見をしながら弥十郎から受けていたソースの説明をしながら、ミラの分を取ってあげる。
「こっちは色んな種類のチーズを白ワインで伸ばしたもので、これが1度牛乳で煮て臭みをとったニンニクをオリーブオイルで煮立てて、アンチョビで香り付けしたバーニャカウダーソース。生クリームで仕上げたから、マイルドに仕上がってるよ」
 ピックフォークに人参を刺し、口を開けるように促せばミラは恐る恐るそれを口にする。
「おいしい……これ、凄く美味しゅうございますね」
「ありがとう。まだまだ沢山あるから、好きなだけ食べていいからね」
 にこにこと微笑むミラにお礼を言えば、弥十郎にだけ聞こえる声。
 ――さすがに自分の半分くらいの年はな……好みの子はいないかなぁ。
 突拍子もない発言に思わず吹き出しそうになるが、精神感応で届いた言葉は自分以外には聞こえていない。ここで堪えなければ自分がおかしな人になってしまう。
 ――また、そう言ってるから彼女いないんだよ。
 ――つか、お前だってな……それは着ぐるみじゃねぇだろ。
 痛いところをつかれて話題転換するも、赤いヘルメットのライトは使用用途がなくとも、ウサギの着ぐるみよりは格段に作業がしやすい。それに、来賓を彼から守ったことで手持ちの衣装が無くなったのだ。それは責められる要因にはならないだろう。
「お嬢さんには、このような飲み物などいかがですか?」
 手強くなってしまった弟へ絡むのは止めて、目の前にいるマーカスへ飲み物を差し出す。しかし出会いを求める彼はマーカスが女装男子であるということに気付いているのだろうか。
「ミラ、食事が終わったら1曲どうかな」
「はい、喜んで」
 まるで絵本から抜け出した王子様のように振る舞ってくれるロレンツォに誘われ、ミラはまたダンスフロアに躍り出る。それを見て、エールヴァント・フォルケン(えーるう゛ぁんと・ふぉるけん)は、不自然にならないようダンスでもするべきか、とおろおろする。
「草食系なんだから、レディース男子が正装してきたっつーことでいいじゃねぇか」
「正装だって言うなら、僕の女装姿を面白がって撮りまくるのは勘弁してほしいんだけど……」
 げんなりとしても始まらない。まるで魔女狩りのような噂話が広がっている今、なんとしてもそれだけは阻止したい。パラミタにある女学校も校長自らが実は男の娘だって話だし、ちゃんと節度ある装いで普段過ごしているのなら、実性別を理由に勉学の扉を閉ざしてはいけないと思う。だからこそフェンリルに協力をしようと扉を叩いたと言うのに、アルフ・シュライア(あるふ・しゅらいあ)の理由により合流が叶わなかった。
「ここでエルヴァが頑張ってくれねぇと、俺が知り合った女の子達をこっそりと学校内に手引きして薔薇学プチ体験に誘えないからな!」
 なぜこの理由がフェンリルに伝わらなかったのか。拳を握りしめ何としても女性の出入り禁止がこれ以上厳しく取りしまわれることの無いよう立ち回らなければ。
「アルフの理由はともかく、女子生徒がいるなら守らなきゃ。そして、ちゃんとフェンリルたちにも味方だって納得してもらえるといいよね」
 折角ドレスにネックレス、イヤリングも身につけ化粧も施した。しかも、騒ぎがあれば救援も出来るように、煙幕が張れるファンデーションにもしものときもSPを回復出来るルージュを持って来ているので何があっても安全だ。
 髪も長くしているし、どこからどう見ても女性に見えるはず。少し目立つ場所へ行って誰かの目に止まれば敵を陽動出来るに違いない。
 どこかに実性別を気にしている人がいるならカモフラージュになろう。そんな人を捜すためにも、2人はフロアに出た。


 更衣室ではぐれた仲間を探しながらも、ついオーケストラの演奏に目を向けてしまうフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)は演奏者をゆっくりと眺める。曲の意味合いを奏でるか、この場に合わせて持て成す気持ちで演奏するか、どちらが良いのかは主催のスタイルにもよるだろう。耳を澄ませなくとも、音楽家であるフランツにはこれが持て成しのための曲だとわかる。
(芸術を愛される校長も出席されるのに珍しいですね……やはり気がかりなことでもあるのでしょうか)
 それは仲間に女性がいる自分にとっても由々しき自体。けれど、もっと気がかりなこともある。
 フランツは側にいたスタッフに楽器を何か借りることは出来ないかと話を持ちかけ、得意分野で勝負に出てみようとした。
 そんな彼が気にしているのはレイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)のことだ。普段は男装で学舎に通う彼女がどんな格好をするのか、ということにももちろん興味はあるが、それは主に視線の先についてだ。
(女性の正装……というのは初めてですね。ふふ、こんな姿を見たら驚いて手を取ってくれないかしら)
 意地悪な讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)以外なら、大丈夫だとは思うのだけど。そう思いながら、広い会場内を歩く。大切な人の気配は絶対に間違えない自信があるし、どこかで相手もそうであれば良いと願っている。
「おじょーさん。折角美味しいモンが食べ放題やねんから、僕とお茶でもどない?」
 目元を隠した派手な仮面をつけて、ニッと笑う大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)は、下手なナンパのようなセリフでレイチェルに声をかける。毎日のように聞いている声と、そのお金に拘っているところ。それになんとなく安心してしまう雰囲気は間違いなく泰輔だ。
「あら、貴方のダイヤモンドは私で良いのですか? 偽物もたくさん混じっているでしょうし、慎重になられては」
「仮面の下が見えなくても、僕がレイチェルの気配を見間違うはずない。……君も一緒やと思うけど?」
 軽口を物ともせずに返す泰輔に、少しだけ心が温かくなる。この人は絶対、自分を裏切らない――そんな直感を、確信に変えさせてくれる。
「曲が変わったな、踊る?」
「そうですね……なんだか昔見たお芝居のようです。女装している男性と見せかけて、実はやっぱり男装の麗人だったってお話」
 今その話をするのは危険じゃないのか、と口を挟もうとする泰輔に向かって、レイチェルは意味ありげに微笑んだ。
「嘘も本当も混じり合った仮面舞踏会……偽物の中に、どれだけの本当があるでしょうか?」
「中々興味のあるお話ですね、本日はどちらから?」
 声をかけてきたヴィスタは、薔薇の学舎で教師を務めているので顔くらいは知っている。いつもとそう変わらない格好をしているおかげで、敵がやってきたのだろうことは予想がついた。
「僕らは蒼学から。いやー、こないに派手な内装にはびっくりですわ」
「校門からここまで素晴らしい薔薇の数々で、パーティが始まる前から楽しませて頂きました。お招きありがとうございます」
「僕らの学校じゃとてもとても。まあ、作法なんかはお手柔らかに頼みますわ」
 そのまま蒼学と薔薇学の違いや、今日の帰り道はどこへ寄ろうかと蒼学生人気スポットの名前をあげて他校から来た風を装ってみる二人だが、見聞を広げるかのように耳を傾けていたヴィスタは何かを確認するように問いかけた。
「そういえば、蒼学の方がイエニチェリに選ばれましてね。もしかしてお二人はご学友ですか?」
「……さあ、ウチの学校は生徒が多いんで、クラスが離れると連絡を取らんようになる人もおるし。なんか光栄なモンに選ばれたんですかね?」
 何も知らない、と徹している泰輔の近くで、エールヴァントとアルフが目くらましをするかのように騒ぎ出す。
「だーっ、何度足を踏めば気が済むんだよエルヴァっ」
「だ、だってこんなの慣れてな……わわっ!?」
 ヴィスタの視線が逸れた隙に、泰輔たちは飲み物を取りに行きたいのでとそそくさとその場を後にする。執拗に泰輔らを追いかけるわけにも行かず、決定打を掴めなかったヴィスタは頭をかきむしった。その姿を見て、エールヴァントたちはこっそりと笑いあうのだった。

 泰輔らが向かった先は、神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)がテーブル周りでウェイターとしてドリンクなどを配り歩いていた。意図せずに辿り着いたこの場所は、フェンリルらが仲間内と情報交換するのに使おうと指定した場所。それだけに、翡翠は来客の一人一人をいつも以上にしっかりと見ている。
 薔薇学の裏事情など知らないは、その細やかな心遣いや機敏な動きがとても勉強になると裏方のありかたを再確認していた。
 腰を落ち着けると、泰輔はこれから安全に学校生活を送るためという建前からレイチェルを口説き始めた。仲間内の恋愛事情を知る顕仁は、これからどうなるのかと高見の見物を決め込んでいた。
(我がおるところに、そなたらがやってきたのだ。よってこれは、覗き見でもなんでもないな)
 くすくすと笑う顕仁は長い髪を活かし、重そうな着物に着替えて東洋のお姫様をイメージしたキャラを作ってみた。仮面で目元も隠れているし、お淑やかに見せるように口元も袖で隠せば簡単に粗も見つかりそうにない。
「一人なんですか〜?」
 そんな彼に声をかける麻木 優(あさぎ・ゆう)は、幼い外見だというのにすっかり出来上がって絡んで来た。アルコールの提供を断ろうにもしっかりと顔つき身分証を提示されては無碍にすることも出来ず、飲ませてしまった結果がこれだと言う。
「ほう、一人ならば我をどうする?」
「何か余興があるらしいんで〜、一緒に行きませんかぁ? 鬼ごっこだか、かくれんぼだかがあるらしいですよ〜」
 既にかくれんぼ紛いのことは起きているが、彼女が指すのはその騒ぎのことか。同じ女と見て声がかけやすいと絡んできたのなら、同じように騒ぎに巻き込まれたならどんな顔をするだろうか。
 どこまで騙されてくれることかと楽しみに笑う顕仁の顔が、引きつった笑いになるまで後数分。優がただの女ではなく、ちょっとぶつかった相手にまでコブラツイストをかけてしまうような気性の荒い人物だと知ったとき、驚かされることになるのだった。
 演奏が終わったフランツは、想いをこめたこの曲がレイチェルに届いただろうかと緊張気味にフロアを歩く。ライバルに身長で負けているのが悔しくてロンドンブーツを履いてみたけれど、背丈が変わっているから気付いてくれないだろうか。
 そんな心配をしながら合流を試みるも、曲の最中はレイチェルは騒ぎに巻き込まれ、今現在は慕っている泰輔との食事を楽しみ、フランツに気付く気配は無さそうである。

 「何か動きはあったか?」
 会場内を歩き回っていた永夜は、出来るだけ狙われるであろう人物を一人にしないよう、主に孤立していそうな参加者を捜し出して声をかけていた。誰が薔薇学生であるか判別出来ない以上、紳士的にかつ自然に女生徒を守るには、それが最良と判断したようだ。
 翡翠とこの場を切り盛りしていた山南 桂(やまなみ・けい)は女性用の着物に襷掛けをしており、どうして翡翠と同じ執事服ではダメだったのかと少し落ち込んでいる。しかし、ウェイターとしても繋ぎの役目としても、いつまでも下を向いてるわけにはいかない。
「触診なんて野暮なことは無いようですけれど、やはり学園側が何人かに声をかけているみたいですね。薔薇学へ転校してみないかとか、校長と踊ってみないかとか……色んな理由をつけて」
 人が多く、仮面までつけていれば数人が裏へ連れて行かれたとしても即座には気付きにくい。こうしてあぶり出しを行うと、かえって騒ぎが大きくなるのではと翡翠も危惧していた。
「男子校の建前上、公認して貰う事は難しいと思う。……隠し通し続ける事が今の打開策なんだろうな」
 桂の出す飲み物を一息に煽り、永夜は再び孤立している人がいないかとフロア内を歩き始める。このまま何事も無ければ翡翠の気苦労も減るのだろうが、報告を聞いている以上は今すぐで無くとも何か起こりそうな気配が漂っていた。

 カーテンの影に隠れている三井 静(みつい・せい)は、何も女装したおかげで色々疑いをかけられたとか、そんなことはない。
 噂が事実なら、居場所を追われている女生徒のために調査対象を増やして錯乱させることくらいなら出来るかもしれないと、フェンリルに協力することを決めたのは自分自身だ。確かに初めてはくスカートは内もものあたりがこそばゆいし、慣れないヒールで立ち続けてるとふくらはぎのあたりも痛い。けれど、静はカーテンにぐるぐる巻かれるようにしてこっそりとフロアを覗くことしか出来ないでいる。
(なんかみんな、煌びやか……だし。僕なんかいたら、薔薇学のパーティとして品位が落ちないかな、こけたりしたら迷惑だよね……)
 まだ成長期の静はそこまで背も高くなく、肩も広くないため女装が似合わないことはない。寧ろ、二択で答えるなら似合う部類だろう。しかし、踏み入れたことの無いような社交界の場に気後れし、パートナーである三井 藍(みつい・あお)でさえも振り切って隠れている。
「どうしましょう……」
 会場の隅で自分以外の声が聞こえてきたことに驚いて顔を上げると、アレフティナ・ストルイピン(あれふてぃな・すとるいぴん)が同じカーテンにくるまって落ち込んでいた。ウサギの着ぐるみ姿のようだが、これは今日のための仮装なのか、それともゆる族なんかどちらだろう。
「あの……」
「こっ、ここまで追ってが来たんですか!? 私の身を剥いででも確かめようって言うんですかー!!」
 耳を押さえ込み、ガタガタと震えるアレフティナは何かに怯えるように静を睨み上げる。なんとなく、この人は自分が守ろうとしていた人じゃないかなと静はカーテンから抜け出した。
「あの、ね。僕はあなたの居場所を奪わないよ。大丈夫」
「そうでしょうそうでしょう? チャックを開けて爆発に巻き込まれたくはないでしょうっ!? ……って、え?」
 少し間隔を開けてアレフティナの隣に腰掛けた静は、ヒールをも脱ぎ捨ててポツリと独り言を零す。
「僕には、取られる居場所すらないんだけどね」
「居場所もそうですが、私の場合は大切な人に嘘をついてるって気付かなくて……すっかり忘れていました」
 これからどうすればいいんだろうかと二人して途方に暮れていると、遠くから藍が走り寄ってきた。
「やっぱりこういう所にいた! ったく、心配したんだぜ?」
 更衣室は別れて入ることになったため、最後の仕上げはあとですると約束していた。だから静のロングウィッグは手つかずになっており、ドレスを着ているのになんだかアンバランスなままだ。俯いてしまう静を追い詰めるような言葉はかけず、ただ黙々と結い上げる。あまり流れに逆らうようにまとめるとウィッグであることが目立ってしまうので、少し下のほうでまとめてみた。
「おし、こんなものか。静が逃げなきゃ、2つ使ってもっと可愛い感じのアップも出来たのに」
「……ごめん、なさい」
「わぁっ! キレイですよ、踊ってこなきゃもったいないです」
 ぜひぜひとアレフティナは勧めるけれど、やっぱりあんなライトを沢山浴びるような場所へ行くだなんて足が竦む。
「――全ては静のお望みのままに、ってな」
 軽く指先にキスをされただけなのに、なぜだかその瞬間だけはそこに神経が集中していたかのように恥ずかしくてくすぐったくて、顔がどんどん熱くなる。きっとこれは特別な魔法をかけたからだ。そう言い聞かせても、鼓動はおさまりそうにない。
「じゃあ……踊って、みる」
 そうしたら何も考えなくて済むかもしれない。そう思った静は、靴をはき直すと大人しくエスコートを受けるのだった。

 アレフティナには調査員対策として爆発と引き替えに切り抜けろと教えたスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)は、調査の撹乱に協力しようと女装した上でフロアを歩いていた。マーメイドのようにラインが出るものは避け、ある程度女性に見えるようにロングのウィッグもつけた。あくまである程度に納めるのが、彼の作戦のようだ。
 そのなんとも言い難い女装姿を目にした榧守 志保(かやもり・しほ)は、自分の作戦を実行するべく眼鏡を押し上げながら念のためにとスレヴィに声をかけた。
「随分とガタイのいい女の子だな。スポーツでもやってるのか、それとも――そもそも本当に女の子なのか?」
 志保の問いかけに、チャンスとばかりに口が緩みそうになるのを、スレヴィは必死に堪えた。こうして一人が騙される間、他の女の子は無事になるのだ。ここは何としても、会話を長引かせたい。
「本物の女性とはどういう意味でしょうか? 身体が女性という事ですか、それとも心が女性という事ですか?」
 身体は男、心は女――そんな難儀な設定持ちなら、女性を排除しようと動く学園側はどう動くのか。そんな男ならいらないと言われる可能性もゼロでは無いだろうが、身体が男であれば男子校に通うのは問題無いはずだと踏んでの作戦だ。
 必要以上に接近して、さりげないボディタッチを繰り返しながらグチグチと女性が羨ましいと零してみる。ここまですれば、気味悪がって性別調査など断念してしまうだろうと思ったのだ。
「どっちも本物であることが条件かな。同じ壁の花なら、より楽しめる方を摘みたいもんだ」
 だろ? と同意を求めつつ、志保はポンッとスレヴィの胸を押す。何となく雰囲気で感じてはいたが、女性で無くて良かった。確信したのに間違っていれば、このボディタッチが原因で掴まるのは自分の方だからだ。
「ここで俺が残念そうな顔をすれば、晴れて女の子は疑いをかけられないってシナリオなんだけど、何だったらこのまま怪しまれるくらいに触ろうか?」
「い、いや……そういうのはやっぱり、より楽しめる人にしたほうが」
「ああ大丈夫。俺、両方いけるクチだから」
 仮面の代わりにつけた青いカラーコンタクトに、普段はボサボサな髪をきちんと分け目をつけて整えていれば、誰も自分とは気付かないだろうという自信も相まって、志保はじりじりとスレヴィとの距離を詰める。そして逆に、積極的に立ち向かおうとしていたスレヴィは逃げ腰になってしまう。
「見損なったでござるよ榧守……! あんなに、ランドール殿を影から支えると」
「ひぃいいっ!? 今度は何なんだよ!?」
 志保に触られそうになっても叫び声は上げるまいと我慢していたスレヴィも、突然明るい場所で骸骨を見れば堪えられなかったようだ。改めて冷静に見直せば、全身黒タイツにリアルな骨を描いているゆる族の骨骨 骨右衛門(こつこつ・ほねえもん)だというのは分かるが、それにしても心臓に悪い。
「別にこれは個人的にやっていることだ。規律の厳しい場所なんだ、ウサギさんたちにはそれなりの志を見せつけて貰いたいじゃないか」
「ウサギの……そっか、そうだよな!」
 彼は仲間だ。仮面をつけていないわりに、フェンリルたちとの作戦会議の場で会った記憶はないけれど、あそこに集まっただけが仲間じゃない。気付かない所にもいるんだと思うと、スレヴィはなんだか心強くなった。
 あまり大人数で明らかな目的を持った団体と目をつけられても困るからと個人行動を続ける志保は、小さく頑張ろうなと声をかけて次の花を探しに行く。
「それにしても……火の無いところに煙は立たぬとは申すが、疑いを掛けられた者たちは堪ったものではないな。このようななりもさせられるのか」
 単に女子と見紛う少年たちがいるだけで、薔薇学に女の子がいるとは露ほど思って無い骨右衛門は、スレヴィの姿を見て罰ゲームの一種のようなものだろうと不憫なものを見るように見つめてくる。何となく悔しくなったスレヴィは、窓に自身を映して歩き方などを研究しつつ、錯乱作戦を続けるのだった。