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【賢者の石】陽月の塩

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【賢者の石】陽月の塩
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 ■ 月の光を浴びながら ■
 
 
 
 ビニールシートの上に敷き詰められた砂が、満月の光を受けている。
 昼間の作業の暑さを思いつつ草薙 武尊(くさなぎ・たける)は砂に触れてみた。
 太陽に照りつけられていた時の砂は熱かったけれど、月に照らされている砂はひんやりと落ち着いている。
「陽月の塩とやらは、なかなかに手間暇がかかる代物のようじゃの」
「そうだね。まだ明日も大変な作業が待ってるみたいだし」
 カレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)は武尊に答えると、持参してきた小さめのシートを砂浜に広げた。
「良かったら座る? 砂浜に直接腰を下ろすと砂だらけになっちゃうから」
 自分から先にシートに座ると、カレンは陽月の塩用の砂に目をやった。
 そんなカレンの様子をジュレール・リーヴェンディ(じゅれーる・りーべんでぃ)は不思議に思う。
 夏、夜、花火とくれば真っ先に飛び出して花火に興じるはずのカレンが、何故今夜に限って大人しく砂の見張りなどしているのだろう。考えてみたけれど分からず、ジュレールはカレンに理由を尋ねてみた。
「うーん、花火に興味がないわけじゃないけど、賢者の石を完成させようとする真剣なアゾートちゃんの姿を見たら、何かもっと手伝わないと! って思えてきちゃったんだよね」
「それで砂浜の警備か。殊勝なことだ」
「うん。アゾートちゃんの為にって集まったみんなだから、よからぬことを考える人はいないだろうけど一応念のため、ってことで。さすがにこんな場所に魔物なんかは出ないと思うけど、もしかして事情を知らない近所のひとたちがシートの中に入っちゃうかもしれないしね」
 クラゲ大発生の為に泳ぎに来る人はいないけれど、浜辺の散歩に来る人はいるかも知れない。事情を知らずにここを通りかかったら、ただ砂にビニールシートが埋もれているようにしか見えないだろう。
「では我も共に周囲の警戒にあたるとしよう」
 夜通し見張りをするつもりでいるカレンを手伝うことにして、ジュレールは周囲に目を配った。と、その目にこちらへやってくる人影が映る。誰だろうと目を凝らしたジュレールは、すぐにその緊張を解いてカレンを呼んだ。
「アゾートがこちらに来るようだ」
「あ、ほんとだ。アゾートちゃーん」
 カレンが大きく手を振ると、アゾートはやや足を速めてやってきた。
「アゾートちゃんも砂の様子を見に来たのかな。大丈夫。異常なしだよっ」
「見張りをしてくれてるの? ありがとう」
「手間暇かかる精製品ならば、完成した塩を強奪しにくる輩や、あるいは制作そのものを邪魔する輩も居るやもしれぬからの」
 塩が完成してアゾートの手に入るまで、ずっと警護をするつもりだと武尊は言った。
「ありがとう。そんな人はきっといないとは思うけど、砂の様子を見ててくれる人がいるのは心強いよ」
 アゾートは礼を言うと、砂に目をやった。
 その目に不安が揺れるのは、文献で作り方を調べただけだから、途中の状態がこれで良いのかどうかアゾート自身がよく分かっていない所為だろう。
「力を貸してくれたみんなのためにも、陽月の塩、ちゃんとできるといいな……」
「そうだな。だがもし塩が完成しなかったとしても、最善を尽くしての失敗ならば次の成功に繋げられることであろう」
「うん……そうだよね。がんばるよ」
 決意をこめて砂を眺めるアゾートに、カレンは休むように勧めた。
「ここはボクたちが見ておくから、アゾートちゃんは休んできたら? 塩作りは明日もあるんだからね」
 アゾートは少し迷ったが、カレンとジュレール、武尊を順に見てから、
「だったらちょっと花火を見てこようかな」
 と頷いた。
「ではよろしければ一緒に浜辺を散歩しませんか?」
 その様子を少し離れたところで見守っていたエリセルが誘う。
「うん。じゃあちょっと行ってくるね」
 また戻ってくるつもりだからと言い残して、アゾートはエリセル、そしてその後からそっとついてきているトカレヴァと共に浜辺を歩いた。
 花火に参加こそしなかったけれど、皆が花火をしている様子を眺めるアゾートはくつろいでいる様子だった。
 そろそろ帰ろうかと浜辺を引き返し始めたところに、アゾートを見かけた高月玄秀が花火をしている皆から離れて声を掛けてきた。
「アゾートさんに少々聞きたいことがあるのですが……」
 言いながら玄秀はエリセルに視線を移す。
 それに気づいたアゾートは、もう付き添いはここでいいよとエリセルを帰してから改めて玄秀に尋ねた。
「聞きたいことって何?」
「パラケルススの名に掛けて石を創らなければ、という話を聞いたけれど……君の目指す賢者の石とはなに? 一般に言われるところの、卑金属を金に変える方法ではないんでしょう?」
 質問する間も玄秀は探りを入れる視線でアゾートを観察した。
 アゾートは少し考えるそぶりをしたが、特に何かを隠す様子はなく答える。
「賢者の石がどんなものかは諸説あるよね。それも含めていろんな可能性を調べているところだけど……ボクの目指すのはより完全に近づく為のもの、かな」
「……この先、友人を危険に晒してでも……いや、石の生成に生贄が必要になったとしても君に賢者の石を創りあげる覚悟はあるのかい?」
「それは……材料集めには危険を伴うものもあるから、手伝ってくれる人にはほんとうに感謝してる。今回だって、クラゲとか暑い中の作業とか……いっぱい手伝ってもらってるし。でも、錬金術に生贄が必要って、そんなの中世暗黒時代の誤った知識だよ。少なくとも、公式が確立している今の錬金術で生贄が必要だなんてボクは聞いたことないよ」
 錬金術を侮辱されたと感じたのだろう。アゾートは気分を害した様子だった。
 それでも玄秀は構わず質問を続ける。
「それと、前から疑問だったのだけど、君が『アゾート』を名乗る訳を知りたいな」
「訳って……自分の名前だからだけど、それがどうかした?」
 アゾートはきょとんとした後、もしかして、と続けた。
「ソフィアを名乗らない理由のことを聞いてるのかな? アゾートを名乗っているのは、ボクが賢者の石を創る決意の表れと願懸けだよ。日本で言う言霊かな? それに親しい人以外にファーストネームで呼ばれるのは好きじゃないんだ」
「何をやってるのよ」
 そこに玄秀を探しに来たティアンが現れ、慌てた様子で2人の間に入った。
「いくら同級生だからって、夜の浜辺で2人きりなんて。そ、そんなの駄目なんだから!」
「あ、じゃあボク戻るから」
 おやすみとアゾートは身を返して戻っていった。
 満月を眺めていたカレンが、アゾートの足音に振り返る。
「戻ってきたんだ。任せておいてくれても良かったのに」
「うん。でももう少し、この砂を見ていたいなって」
「だったらここ座る?」
 カレンは座っていた位置をずらしてアゾートの場所を空けた。そして隣同士に座って砂を、月を、海を眺める。
「もし賢者の石が完成したら、アゾートちゃんはその次に何がしたい?」
「まだ分からないけど、また何か別の物を作ろうとすると思うよ。賢者の石は錬金術にとって大きな目標だけど、それがゴールじゃないから」
「アゾートちゃんは賢者の石の先も見据えてるんだね……」
「見据えてるっていうほど、はっきりしたものじゃないけどね」
 はぁ、とカレンは息を吐くと、抱えた膝にくてっと頬を預けた。
「ボクなんか具体的な目標は持ってないし、目先のことに気を取られてばっかりで、いつも反省してるのに……」
 反省モードに入ったカレンにジュレールは、目標の持ち方は人それぞれだろうと言う。
「漠然とした目標しか無くとも、目の前のことを1つずつ片づけていけば、いつかそれがはっきりとした姿で見えてくるものだ」
「錬金術もそういうものかも知れないね。はっきりした先が見えなくても、1つ1つ必要なものを揃えていく間に、きっと何かが見えてくるんだと思う」
「そうなのかなぁ……」
 そうだといいな、という気持ちをこめてカレンは呟いた。