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【四 暴風の洗礼】

 その日の夜。
 旧キマク管掌モルガディノ書庫での発掘調査を終えたバンホーン調査団は、領境線を西に越えてツァンダ領に入り、バスケス領内の最東端に位置するブリル集落を目指して移動していた。
 今夜の宿は、そのブリルにて取ろう、というのである。
 濃紺一色に染まる天空には無数の星々が様々な光度で煌いており、ジープの後部座席で天を仰いでいる氷室 カイ(ひむろ・かい)は、ちりばめられた宝石箱のような光景を眺めているだけでも、全く飽きることが無い。
 ところが、そんなカイの穏やかな気分を遮るようにして、携帯の着信音がけたたましく鳴り響く。
 通話に出てみると、電話の主は蒼空学園に残ってデータベース上での文献調査を進めている雨宮 渚(あまみや・なぎさ)だった。
「何か、分かったか?」
『残念だけど、電子空間上には有効な手がかりはほとんど無しね。どの論文や古代文献の写しを見ても、中途半端な謎かけに終わってて、具体的な内容は皆無だわ……あ、でも、バスカネアで動いているひと達から面白い情報が入ってきたわよ』
 携帯を耳元で握ったまま、カイは思わず後部シート上で座り直した。渚のいう、面白い情報とやらに意識が向いたのである。
「どんな情報だ?」
『カニンガム氏に近しいと思われる人物が、カルヴィン城に居るらしいの。普通だったら、何のコネも無いまま城内に入るのは難しいんだけど、今回はどうも、上手く潜入出来る手段を確保出来たみたい』
 成る程、確かに面白い――カイは内心でひとりごちた。
 渚からの報告が終わると、今度はカイが、モルガディノ書庫で新たに発見された情報を伝える番であった。
「クロスアメジストは、矢張り実在すると考えて良いようだ。その存在目的は、どうやらピラーを誘導することにあるようだが、普通の人間では持っていても意味が無いらしい」
『普通の人間って、どういうこと?』
「さぁな、俺にもはっきりとはよく分からんが……どうも、柱の奏女と呼ばれる存在でなければ、クロスアメジストと精神的な交信を持つことが出来ないらしい」
『柱の奏女、ね……それじゃあ今度は、その柱の奏女っていうのをキーワードにして、調べてみるわ』
 そこで通話は終了した。
 カイが携帯電話をスラックスの尻ポケットに押し込めるのを待ってから、後部シートでカイの隣に陣取っているメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)が、横から覗き込むような格好で話しかけてくる。
「矢張りピラーというのは、ただの自然現象ではなく、何か霊的な、或いは魔法的な力が作用している超自然現象、と推測するのが正しいようですね」
「……だな。クロスアメジストなる代物が、ピラーの動きや出現そのものに何らかの影響を与えるようだから、その線は間違い無いと見て良いだろう」
 カイが思案顔でメシエに答えていると、助手席からオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が後部シート方向に身を乗り出す格好で、カイとメシエの会話に加わってきた。
「じゃあやっぱり、そのクロスアメジストを探し出すのがピラー対策には肝要って話になるわね。でもそうなると、予測進路とか色々考えても、無駄になってしまうのかしら」
 バンホーン博士にあれこれインタビューし、且つ過去の文献やカニンガム発表の論文から情報を掻き集め、ピラーの予測進路地図を作成しようとしていたオリヴィアだったが、クロスアメジストひとつで何もかもがひっくり返るような状況であることに、何となくやるせない表情を浮かべている。
 だが、一番の目的はピラーの被害を最小限に抑えることであり、オリヴィアの予測進路が役に立つかどうかは二の次で良いのだ。
 そういう部分では、目的と手段を履き違えないオリヴィアだから、頭の切り替えは早い方であった。
「こっちの情報は、あちらには伝えてあるのですか?」
 メシエがオリヴィアに訊く『あちら』とは、バスカネアで行動している歩達のことを指す。オリヴィアは、そこはぬかりの無い女性である。既に精神感応通話にて、連絡済みであった。
「柱の奏女っていう新しいキーワードに、ちょっと混乱気味だったけど、彼女達なら何とかしてくれるわ」
 艶然と笑うオリヴィアだったが、正直なところ、余計な情報を与えて変な先入観を与えてしまったのではないか、という不安を胸中に抱いていたのも事実であった。

 いよいよブリルまであと数キロ、という距離にまで迫った時。
 先頭を走っていたジープが不意にブレーキをかけた為、後続の車団も停車せざるを得なかった。一体何が起きたのかと、後方のジープを飛び降りてきたアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)がそこで見たのは――。
「うわっ! は、博士! あれ、もしかして!」
 車団停止の原因となった先頭ジープの助手席で立ち上がっているバンホーン博士に、アキラが両目を(幾分不謹慎ではあるが)輝かせて、前方の異様な光景を指差す。
 アキラにいわれるまでもなく、バンホーン博士は渋面を浮かべて、その視線の先にあるものを、じっと凝視していた。
 他の調査団達も次々に車を降りてきては、そのほとんどがバンホーン博士と同じような表情で、突如現れたその光景に、戦慄の念を込めた視線を送っている。
 星明りが、いきなり途切れた漆黒の空。そこには、分厚い雲の層が大地を覆い尽くす天井と化して、遥か前方を闇の中に落とし込めている。
 そして雲の一角が、漏斗状に垂れ、その漏斗雲の先端から細い筋がほぼ垂直に降り立ち、地面へと突き刺さる格好で渦を巻いている。
 竜巻であった。
 それも、この数キロ先という位置から見ても分かる程の、強烈な勢いと破壊力を誇るであろう、F4或いはF5クラスはあろうかという大型の竜巻であった。
「ねぇちょっと、はかせー! あれって、ヤバいんじゃなーい!?」
 調査団に同行していたミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)が、先頭ジープの脇に走り込んできて、甲高い声をあげた。
 ミネルバ自身はこの調査団内で、エースと共にハザードマップや予測進路図を作成する役割を担当していたのだが、本人はただ絵を描くのが楽しいだけであり、自身が作成に携わったこれら図面情報が役に立つかどうかについては、無頓着なところがあった。
 しかし実際、こうして竜巻を現実に目の当たりとすると、多少は衝撃を受けたようで、握り締めていた予測進路図と目の前の竜巻を何度も見比べて、変な顔を浮かべている。
「うーん、全然違うところに出ちゃったなー。ミネルバちゃんの地図、まだまだあまーい! って感じ?」
 事態は既に、待った無しの局面へ突入しつつある。
 バンホーン調査団としてはどのような行動に出るべきか――リーダーであるバンホーン博士が迷っている様子を見せていると、その傍らでアキラが突然、空飛ぶ箒スパロウに跨り、ふらふらと宙に舞い始めた。
 一体何をするつもりなのか――その場に居た誰もが、怪訝な視線を上空のアキラに送る。
 するとアキラは、他の面々の疑問などまるで気にした風も無く、物凄く嬉しそうな笑みを湛えて、とんでもない宣言を口にした。
「よぅっし! 突っ込むぞー!」
 全員が、仰天した。約一名を除いて。
「ねぇ、本当にあの竜巻の中に入るノ!?」
 アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)がアキラの懐からひょいと顔を出して、声高に問いかける。だがアキラの決意には一切の揺るぎは無い。
「ああ! でもアリス、おめーは帰ってもいーぞ!」
「バカ言わないでヨ。ココまで来て、アキラ一人を置いて帰れるワケないでショ。最後まで付き合うワヨ」
 かくして、ふたりの無謀な挑戦が始まった。
 要するにアキラがしようとしているのは、空飛ぶ箒で竜巻内部に進入し、中がどうなっているのかを見てみたいという冒険的欲求を叶える為の突撃なのだが、これは誰がどう見ても、不可能な所業であった。
 空飛ぶ箒スパロウの速度は、せいぜい時速100キロを切るかどうかという辺りだが、F4クラスの竜巻の風速は、秒速100メートル、時速に換算すれば360キロに達するのである。
 増してや空飛ぶ箒での接近ということは、事実上、完全な生身での特攻である。如何にコントラクターが能力面で常人を遥かに上回るとはいえ、肉体構成そのものは常人を僅かに上回る程度に過ぎない。
 幾ら策を練って接近を試みたところで、四倍近い超高速の渦に生身で挑もうというのは、単なる自殺行為に他ならなかった。
 そして実際この数十分後に、アキラとアリスは全身をずたずたに破壊された状態で、ブリル近郊の岩場で発見される破目となった。

 一方、ブリルでは今にも迫りつつある巨大竜巻を目の前にして、住民達の間で恐慌が発生していた。
 集落内のそこかしこで、悲鳴をあげながら右往左往する者の姿が見られ、泣き出している子供や悲嘆に暮れる年寄りなどは、他者の手を借りなければ逃げることもままならない。
 だが幸い、このブリルはバスケス領内でも最もシャンバラ大荒野に近いということで、ピラー出現に際しての被害を最初に受ける地域として予測されていた為、複数名のコントラクター達が早期の救助活動を予測して、待機していた。
 勿論、ヴィーゴ・バスケスから領民移動の許可が出ていない為、対処療法的に救助活動を実施する以外に無いのだが、それでもコントラクター達の居る居ないは、この局面に於いては大きな差が生じるといって良い。
「早く! このトラックに!」
 カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が大声を張り上げて、事前に手配していたトラックに、次々と領民達を誘導している。
 土地を離れての避難は禁止されているが、竜巻が迫った際の一時的な集落離脱までは禁じられていない旨の連絡がルカルカから届いていた為、カルキノスとしても、このギリギリの局面でようやく、領民達を避難用トラックに乗せることが出来るようになっていた。
 カルキノスの手には、夏侯 淵(かこう・えん)が作成した住民リストの写しが握られている。
 避難の際にひとりの漏れも出さぬよう、人数を把握した上での誘導が不可欠であるとの判断から、日中から淵が長老の許可を貰って作成していたのだが、この局面で大いに威力を発揮している。
 その淵はというと、両親とはぐれて泣き騒いでいた子供達を掻き集め、暴風に飛ばされぬよう、強固な石造りの村倉庫の陰に誘導していた。
 淵の幼い外観が子供達には幾分かの親近感を与えるには役立ったようだが、しかし声が聞き取り難くなる程の暴風が集落内を吹き荒れる今となっては、とにかく早い行動が必要であり、なだめているだけでは最早、どうにもならない。
 と、そこへ。
「あ! 居たよ、ここに居た! レティーシアさん! トラックここに呼んで!」
 暴風に負けぬよう、メガホンの最大音量で救出要請を出す五十嵐 理沙(いがらし・りさ)の長身が、吹き荒れる闇の中でひときわ大きく見えた。
 この時ばかりは淵も、助かった、と内心胸を撫で下ろした。
 子供達を抱えたままで、この暴風の中を脱出するのは不可能に等しい。一体どうしたものかと思案に暮れていた淵にとって、理沙の笑顔は、藁にもすがる想いに対して天が応えてくれたと、感謝の念を抱くに相応しい美しさを見せていた。
 ともあれ、理沙の誘導で避難用の大型トラックが、ゆっくりと村倉庫前にバックしてくる。運転しているのはセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)だった。
 日頃の清楚な姿からはなかなか想像は出来ないが、セレスティアとてコントラクターのひとりである。大型トラック程度の運転は十分にこなせるのだ。
 それでも、ハンドルを握ったままでその美貌を運転席から突き出してきた時には、矢張り多少の違和感を与えるのは否めない。
「さぁ理沙! 早く皆さんを荷台の方へ!」
「あいよー!」
 セレスティアに促されるまでもなく、理沙は荷台からタラップを引き下ろし、絨毯とクッションを敷き詰めた荷台に子供達を誘導してゆく。
 この時、淵も理沙を補佐すべく村倉庫の陰からトラックの荷台までの間に立ち、移動する子供の手を取って、無事に理沙の前に送り出す役目を自ら買って出た。
「よし、この子で最後だ!」
 暴風で相手の声が聞き取り難い為、どうしても淵自身も声が大きくなってしまうのだが、幸いその声が大型トラック脇で指揮を取っていたクロカス災害救助隊の隊長を務めるレティーシアの耳にも届いた。
 先程、カルキノスと避難住民のリストを照合させ、残るはこの大型トラックに乗せた子供達だけだという段になっていた為、淵の声が離脱のGOサインになった。
「良いよ、セレスティア! 行って!」
 荷台の扉を閉め、自らは荷台後方のタラップに飛び乗ってしがみついたままの理沙が、運転席に向けて発車の合図を出す。
 それからふと視線を廻らせると、淵が反対側のタラップにしがみつき、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「あらいらっしゃい。飛ばされないよう、気をつけてね」
「大丈夫さ。体はこんなんだけど、しがみつくぐらいの力は十分持ってるぜ」
 直後、大型トラックが急発進した為、理沙と淵は危うく振り落とされそうになった。暴風の中で、理沙と淵はふたり揃って苦笑を浮かべたものの、後でセレスティアに文句をいうのだけは忘れなかった。