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【賢者の石】ヒイロドリの住まう山

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【賢者の石】ヒイロドリの住まう山

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 ■ 冬の来ない山 ■
 
 
 
「やったー、お山にとうちゃーく! 早く登ろうよっ」
 山に着くと、灯世子はアゾートの手を引っ張るようにしてなだらかな山道へと入っていった。
「伏見の姐サン、この先はに緑溢れる野原があるんっスよね?」
「そうらしいわね」
 伏見 明子(ふしみ・めいこ)は何でもないように答えたけれど、大荒野のモヒカンたちはむせび泣いている。
「野原でピクニック……オレ生まれてはじめてっス」
「泣いて喜ぶようなことでもないと思うけど。それより約束は覚えてるんでしょうね?」
 明子は『今日一日は周囲に迷惑かけません』という内容で書かせた誓約書を、モヒカンの目の前で振って見せた。
「念のため、アンタたち、ちょっとジャンプ。持ち物チェックさせてもらうわよ」
 ピクニック、なんて言葉はかなり似合わないモヒカンたちのことだから何を持ち込んでいるやら分からない、という明子の予想はかなりな部分で当たっていた。
「自称小麦粉はおやつに含まれませんっつーか、持ってくんな! それからこの火炎放射器は何?」
「もちろん焚き火用っス!」
「焚き火を囲むのはキャンプファイヤー! ピクニックにはいらないの!」
 ぜいぜいと息を切らしながら、明子はモヒカンたちの持ち物チェックを終えた。
 荷物の大半を持ち込み禁止にされてしょんぼりとしているモヒカンに、ほら、と明子は変わりに布で包まれた弁当箱を渡す。
「人数多いから、おにぎりと唐揚げとお新香ぐらいしか用意できなかったけど、偶にはピクニックらしいもの食べなさい」
「あ、姐さん……っ!」
「……いや、だから泣くなって言ってんでしょ! お弁当食べたかったら元気出して、目標地点まできりきり歩く!」
「了解っス! オレたちの本気のピクニック、見せてやるっスよ!」
「本気じゃなくて良いから、普通に歩きなさい。まったくもー。ホントに目が離せないったら」
 モヒカンたちを山道へと追い立てながら、明子はやれやれと苦笑した。
 
 緑の山に入ってみれば、そこは春。
 足下をくすぐる若草、花の香りを含んだ風。
 木々の間から見える空の色だけは、灰色の冬雲に覆われているけれど、それ以外は春の風景だ。
「本当だ! 葵ちゃんが言ったとおり暖かいですぅ」
 外は寒いから部屋で読書がしたいと言っていたのを引っ張ってこられた魔装書 アル・アジフ(まそうしょ・あるあじふ)は、こんな場所があるんだと驚いた。
「面白そうでしょ〜? だから2人を誘ったんだよ」
 秋月 葵(あきづき・あおい)がアルと秋月 カレン(あきづき・かれん)に笑顔を向けると、2人が動きやすいようにと不要になったコートを預かった。
「暑ぅ! 何これぇ?」
 アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)も着込んできた服を慌てて脱いだ。
 山までの道中は冬だから、当然十分暖かい恰好で来ている。けれど山の環境は春。
 ここまで寒い中を歩いてきた身には実際の気温以上に暖かく感じる。
 身軽な恰好になると、アキラはまた帰りに着るからいいやと脱いだ服をそこらの木に引っかけておいた。
 
「これは桃の花の仲間かな。少し小振りな花だけど綺麗だね」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は山に咲く春の花たちに目を細めた。
「タンポポもこれだけ暖かいとのびのびしているように見えるね」
「鹿やリスたちも姿を見せるかね」
 メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)の興味は花よりも動物だ。
 もとよりこのピクニックに同行を決めたのも、珍しい鳥に出会えるかも知れないとエースに誘われたからだ。ヒイロドリの尾羽は錬金材料に必要だということだけれど、短い羽根でも記念に持って帰ることが出来るかも知れない。
 木々の間にヒイロドリの姿が見られないかと眺め渡してはいるが、そうしながらもメシエはエースほどには周囲に気を取られてはいなかった。
「エース君、春の陽気にふわふわするのは良いが、少しは警官心も持ちたまえ。この気温なら動物も冬ごもりはしないだろうから、肉食獣が姿を見せるかもしれないよ」
「うん、分かった。あ、この匂いはジンチョウゲかな。どこにあるんだろう」
 メシエの注意に頷きながらもエースは、清々しい花の香りに心奪われている。
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)もエースの真似をして風の薫りをかいでみる。
「ほんと、いい匂いがしてる……うわー、本当に春の陽気に満ちあふれてるって感じだわ!」
 防寒着を脱ぐと、セレンフィリティはセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の手を取って、なだらかな山道を歩いてゆく。
「年中ずーっとこんな感じだったらいいのに」
「ずっと春ばかりだったら、生態系も変わってしまうと思うわ」
 一応ツッコミを入れつつも、パートナーのノリには苦笑させられることもあるけれど、そんなセレンフィリティが好きなのだから仕方がない。
 ぽかぽか陽気の山に、自然と気分が高揚している皆と裏腹に、水城 綾(みずき・あや)はしきりに目をこすりながらふらふらと足を運んでいる。
「どうした? 興奮して眠れなかったのか?」
 綾の様子のおかしさに、ウォーレン・クルセイド(うぉーれん・くるせいど)が尋ねる。
「そんな子供じゃない……けど、寝不足なのはほんと」
 綾の寝不足の原因は、ピクニックのお弁当だった。料理は苦手ではないけれど作業が遅くなってしまったものだから、昨日は殆ど寝ていない。
「この山、ウォーレンが言ってた通り、本当に春みたいに暖かいんだ……てか暑い」
 元から体力がないのに寝不足が加わって、綾はふらふらと近くにあった石に座り込んだ。
 身体を動かすのは苦手だ。今日のピクニックだって、本音を言えば断りたかったのだけれど、ウォーレンに『たまには自然の中で身体を動かすのも良いもんだぜ』と押し切られてしまった。
 普段、家に籠もりがちな綾は冬ともなれば一層外に出たがらなくなる。ウォーレンはそれを知っているだけに、何かと言えば引っ張り出して外の空気に触れさせようとするのだ。
「コートを着たままでいたら暑いのは当然だろう。持ってやるから脱げ」
「ん……」
 言われるままコートを脱いで渡すと、綾は息をついた。
 コートの重みから解放され、随分楽になった。
 これなら、と立ち上がって歩き始めたけれど……しばらくすると。
「もう……だめ、ちょっと休憩……」
 へにょっと座り込んでしまう。
「しっかし、お嬢、本当に体力無いのな……」
「いつもはもうちょっといけるんだけど……」
 寝不足が、と綾はまた目をこする。
「ほら、荷物持ってやるから頑張れ」
「うん……目的地はまだなのかな……」
「まだ歩き始めたばかりだからな。休みながらでいいから、のんびり行こうぜ」
 綾が夜なべして作った弁当の入った荷物を持ってやると、ウォーレンは綾を励まして先へと促すのだった。
 
 
「どうも賑やかだな」
 ピクニックに来ている生徒たちは、時ならぬ春の暖かさに浮かれている。騒ぎが起きて馬を驚かせてはいけないと、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)はゆったり出来そうな場所に馬たちを繋いだ。
「馬たちが寂しがらないよう、一緒にいてやってくれ」
 競走馬の着ぐるみを着せたゆるスターのスピカ、デネブ、コロナを、ブルーズは馬を繋いだ辺りの草の上に置いた。ゆるスターたちは見慣れぬ場所に鼻をひくひく動かしている。
「馬たちのこと頼むよ」
 黒崎 天音(くろさき・あまね)は指先でゆるスターの頭を順に撫でてやると、コートの襟を扇いだ。
「それにしても暑いくらいだね」
「うん……」
 鬼院 尋人(きいん・ひろと)は上の空の返事をした。ヒイロドリの話を聞いてから、尋人はずっとこんな調子だ。
「鬼院は乗ってみたくてたまらないみたいだけど、尻を火傷しないと良いけどねぇ」
 天音が軽く茶化す。
「それが火傷はしないらしい。熱いのは熱いみたいだけど」
 尋人の答えにへぇと面白げな目になると、天音はピクニックの人々とは別の方向へ歩き出した。
「おい、どこへ行くんだ?」
「賢者の石の材料に興味はあるけど、協力者は大勢いそうだしね。僕は別のものを探してみるとするよ」
 また後で、と天音は笑って1人で山に入っていった。
 
 
 山に咲く花々を眺めていると、つい自分の経営している花屋のことを思い出してしまうけれど、リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)は強いてそれを心の隅においやった。
 今日は大学も休講、花屋も休日という完全オフ。日頃から頑張ってくれているシーナ・アマング(しーな・あまんぐ)ブルックス・アマング(ぶるっくす・あまんぐ)を、ご褒美にとピクニックに連れてきたのだ。今日くらいは仕事のことを忘れて、皆で楽しみたい。
 お手製の弁当を含めた荷物は全部自分で引き受けて、リュースはシーナとブルックスとお喋りしながら山道を歩いた。
「リュー兄、3人でピクニックはいいんだけど、完全オフなら何で誰かとデートしないの?」
「あ、ブルックス、その質問は……」
 ブルックスが無邪気に聞いた質問に、シーナはそっとリュースの顔を窺った。
 リュースには以前恋人がいたけれど別れてしまったのだということを、シーナは知っている。けれどそれはブルックスが契約する前のこと。当然、ブルックスはそのことを知らない。
「デートする相手がいませんから」
「え? そうなの? 何で? リュー兄なら彼女の1人や2人いてもおかしくないと思うんだけどなぁ」
「オレに何で恋人がいないか、ですか? 今は皆で過ごすのが楽しいから、いいんですよ。オレが恋人を作るのは、シーナやブルックスがちゃんと幸せになってからでも遅くはないでしょう?」
 恋人がいたけど別れた、とは大きな声で言いたいことではないから、ブルックスの問いにリュースはそう答えて笑った。
 だからシーナもただ黙って微笑むだけにしておいた。どちらが悪くて別れたという話ではないし、リュースが今もその相手に感謝していることをシーナは知っている。自分が口を挟むことによって、ブルックスに誤解を与えるようなことになってもいけないだろうし。
「でもでも……」
 リュースとシーナが何か隠している様子なのは、ブルックスにも伝わる。けれどそれが何かは分からない。
「私やシーナが幸せになってからって言うけど、リュー兄が幸せじゃないと、私はお嫁さんになんかなれないような気がするんだけどなぁ……」
 何かもやもやしたものが湧き上がってくるのを感じながら、ブルックスは呟いた。
 そんな微妙な空気を毀すように、リュースは山道を歩きながら摘んだ花を編んで作った花冠を、ブルックスとシーナの頭に載せた。
「よく似合ってますよ。あなた達はオレにとっては大事なお姫様。いつか成長して、オレの元を巣立つのかなぁ……なんて言うと兄というより父親くさいですけど」
「お嫁さん……」
 その言葉に反応して、シーナが赤く染まった頬を押さえる。
 ブルックスは花冠に手をやってにこにこしていたが、良いことを思いついたようにぱっと顔を輝かせた。
「あ、そうだ。あのね、リュー兄。もし誰も相手がいなかったら、私がお嫁さんになってあげる!」
「まいったな……」
「えっ、嫌なの?」
「いいえ。気持ちは嬉しいですよ。ありがとうございます」
 リュースは笑ってブルックスの頭を撫でた。それに笑顔を返そうとして、ブルックスは戸惑う。
(何だろう。胸がドキドキするよっ)
 リュースの笑顔はいつもと変わりはないのに、それを受け取るブルックスは嬉しさと恥ずかしさと、そして何か別の感情が混ざりあって息苦しいほど胸が高鳴る。
(リュース兄……)
 それが何と呼ばれている感情なのかは知らぬまま、ブルックスはリュースの笑顔から目が離せずにいるのだった――。