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炭鉱のビッグベア

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炭鉱のビッグベア

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第2章 行く者と待つ者 2


 獰猛な巨熊を前にして、坑道の闇に佇む若者は静かに思った。
(配達だけのつもりだったんだが……まあ、仕方ないな)
 辺りは漆黒に包まれているが、幸いにもダークビジョンが付与された視界はビッグベアと同じく夜目が効く。
 野獣の牙をむき出しにしてうなる巨熊を見上げつつも、若者の目に恐怖の色はない。むしろ、半ば憐れむようにしてビッグベアを見つめている。
 刹那――ビッグベアの爪が若者めがけて叩きこまれた。
 だが、その爪は地を粉砕するだけで、最前までそこにいた若者の姿はそこにはなかった。代わりに、闇にきらめいたのは二対の刃。断罪の覇剣ツュッヒティゲンとドラゴンスレイヤーの刀身がビッグベアの巨体を斬り裂いたのは、そのときだった。
 仲間が倒されたのを見て取った他のビッグベアたちが、次の瞬間、一斉に若者に向かって襲いかかってきた。
 しかし決して慌てることはない。
 むしろ――
「…………」
 若者が伸ばした剣を握る拳から放たれた落雷が、闇を照らしたその瞬間には、剣戟の音が響き渡った。
 ビッグベアのうなる声。悲鳴。若者の息づかい。落雷の轟音。走る刃の軽やかな音。すべてが終結したのはそれから数分後。
 さすがに若者も無事では済まず、体の至るところに傷を負っていたが、鍛えられた体はそれで動かなくなるほどやわではなかった。頬についた血をぬぐい、若者――如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は半ば虚ろな目でつぶやいた。
「悪く思うなよ。これも……生きていくってやつだ」



 それにしても運が良いのか悪いのか分からない。群れのリーダーとその部下のような集団と鉢合わせたはいいが、どうやら炭鉱に住むビッグベアどもすべてのトップではないらしい。軍隊で言えば部隊長といったところか。
 逃げも一手と考えたが――完全に捕捉されたいまでは、ごまかしも利かないようだった。
「だ、大丈夫でふか、リーダー」
「大丈夫、貧乏くじなら引きなれているさ」
 心配そうに訊いてきたパートナーの花妖精、リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)に明るげに答えて、十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)はくるっと回したウルフアヴァターラ・ソードを勇然と構えた。
 まあ、出来ることなら群れのトップを仕留めてとっとと仕事を終わらせたかったが――これも貧乏くじの成せる技か。
「つーわけで、いくぜリィム。バックアップは任せた!」
「りょ、了解でふ!」
 光る箒に乗ってふよふよと浮いているぬいぐるみのような姿の花妖精に告げて、宵一はビッグベアたちに向けて猛進した。
 箒の先にぶら下がっているLEDランタンの明かりが照らす視界で、宵一は剣をかざす。ビッグベアたちの攻撃が一斉に降りかかるが、それを軽やかに相手の体を足場にして避けた彼は、頭上から落雷の術を撃ち込んだ。
 刹那、稲光に包まれる戦闘領域。
 ウルフアヴァターラ・ソードの金属音が鳴った直後には、ビッグベアは頭部から叩き斬られていた。
「さすがですリーダー!」
「よせやい……」
 夢を目指して特訓を続ける若者は、まるでその意思を乗せるかのようにビッグベアたちと剣戟を繰り広げた。
 一流の賞金稼ぎになるために、ここで立ち止まるわけにはいかない。多勢を相手にするには多勢なりの方法がある。
 ビッグベアたちに掴まらぬよう相手のリーチぎりぎりを避ける宵一は、リィムが背後から放つハンドキャノンの援護攻撃にタイミングを合わせて、刃を叩きこんでいった。一匹、二匹、三匹と、順調に斬り倒していく。
 そして――
「これで、最後だ!」
 決着の一撃は、集団の部隊長熊が振り上げた腕ごと、相手の体躯にめり込んだ。
 刃が抜けない……っ! 一瞬の均衡。しかし転瞬、宵一の脳裏に浮かんだのは稲光の姿。
「うああああぁぁ!」 
 金属を通した落雷が体を焼き尽くし、ビッグベアのリーダーは意識を失ってその場に倒れ込んだ。
 同時に、緊張の疲労で汗をにじませる宵一もその場に尻餅をつく。ひとまずは決着。
「リーダー! 大丈夫でふか!」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。まだまだ……これからだな」
 そう。まだまだ、一流への道は遠そうだった。



「はわわ〜、おっきなくまさんなのだ! ね、孝高っ」
「……天禰、悠長に言っている場合じゃないぞ? こいつらの討伐が、今回の目的だ」
 巨大な熊を見上げる二人の男女は、まるで観光地にでも来たようにそんな会話を交わしていた。いや、観光地気分は娘――天禰 薫(あまね・かおる)だけか。相手がいきなり襲いかかってこないかと常に観察眼を起こしている熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)は、その限りではなかった。
「そ、そうだねぇ。ちょっと可哀想だけれど……ねえ孝高、同じくまさんとしてのよしみで何とかならない?」
「そうだな。どれ、説得を……って、出来るか!」
 目の前で漫才を繰り広げる二人を、ビッグベアはきょとんとした目で見ていた。最前まで牙をむき出しにして獰猛なうなり声をあげていたのだが、なにやら自分の思惑と違うらしく、獣とはいえ戸惑っているようだった。
「出来ないのだ!?」
「出来たら俺が一番びっくりなんだが」
「そっか……でもさ、でもさ、可能性はなくないよね? 説得できないかな?」
「そう言っている間に、襲い掛かってきたらどうする?」
 だとしたらすでに襲っている。
 と、言う人物はいないため、ビッグベアはどうしたものかと困ったように頭をかいていた。そんな敵役の巨熊の苦労などつゆ知らず、薫は一生懸命、孝高に訴えかけていた。
「その時は……頑張ってなのだ! 孝高! 我も援護するからねっ」
「全く……」
 呆れたつぶやきを漏らしたその直後、ついに巨熊が動き出した。もはやしびれを切らしたと言っていいだろう。それまでの鬱憤を晴らすような雄叫びをあげた巨熊を見上げ、孝高の目が鋭くなった。
「来たか」
「ぴきゅー!?」
「天禰、下がれ!」
「う、うんっ」
 薫を後退させて、孝高はすぐに変身を開始した。すなわち、獣人たる彼の本来の姿――巨大な熊である。ビッグベアほど獰猛な雰囲気のない落ち着いた巨大熊は、相手の攻撃をガッと押さえ込んだ。
「すごい! さっすが、くまさんなのだ!」
「天禰、援護を頼む」
「うんっ、わかったのだ! 任せてっ」
 ポンと胸を打った薫の目の前で、熊同士の戦いが始まる。むしろ怪獣大戦争に近いと言ったほうがいいかもしれない。ガオーガオーと言いながら、二匹の熊はお互いの皮膚をひっかいたりたたき合ったりしていた。
 その間――
(確かビッグベアさん達は、雷とか苦手らしいのだ……)
 薫は忠実に孝高からの要請を守る。
 頭の中でそんなことを思い出して、雷撃を撃ち放った。
「天禰―――ッ!!」
 だが、残念なことにその方向は大きく逸れ、孝高熊にぶち当たる結果となる。
「え? わあぁっ、孝高、ごめんなのだ〜!」
 プスプスと焼き付いた匂いを発しながらも、なんとか孝高熊はビッグベアをついに倒した。薫の放った天のいかづちに怯え、隙が出来たおかげでもあったため――皮肉にも多少は役に立ったようだった。
「お〜ま〜え〜は〜!」
「ほご、ほほめんひゃひゃい」
 人間に戻った孝高は、ぐにぐにと薫の頬を引っ張りながら説教する。
 それがようやく終わると、薫はひりひり痛む両の頬を労りながら、熊の傍にちょこんと座った。
「ねえ、孝高。ビッグベアさんが目を覚ましたら、説得しよ」
「まだ説得を試みるのか……」
「うん」
 まあ、優しいと言えばそれまでだが……
 孝高はなかば呆れつつも、しかしどこか安堵にも似た表情で、それを見守っていた。