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琥珀に奪われた生命 前編

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琥珀に奪われた生命 前編

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3/遺跡と街と

「これは……なんだか、妙ですね?」
 
 前々に小耳にはさんで聞いた、記憶すらおぼろげな話では、そこは朽ち果てた、立ち入る者のない旧い遺跡ということだった。
 東 朱鷺(あずま・とき)自身が見つけたのだって、たまたま。そこが、耳にしたことのある遺跡であるとははじめ、思ってもみなかったのだ。
 自分以外、他に誰かいるはずなどあり得ない。そのけっして本来ならば間違っていない認識が、朱鷺に首を傾げさせる。
「どう見ても……大昔のままって感じじゃあ、ないですよ? これは」
 膝を曲げ、拾い上げたのは床石の上に転がっていた物体。
 オーパーツ的なものでもなければ、化石でもない。それはどうみても、どこにでもある、日常的に量販店で手に入るであろう缶詰めの空き缶だ。まだ内側に水分が微かに、残っている。
 そう……あくまでも、現代の、人が人として当たり前に生活を送っている場所ならば、あってもなにも不思議のないものである。
 だが、ここは違う。人の手が入るはずのないこの遺跡に、おまけにこんなにも中身を平らげられて間もないことのわかるそれがなぜ、転がっている?
 しかも、ひとつやふたつでなく、遺跡のここまでの道の、いたるところに。
「うー、ん?」
 この辺はまだ調査隊にだって、手つかずのままのはずなのに。
 自分と同じように個人的に探検や調査をしにきた人間がいた? あるいは──……。
 
「ひょっとして、キナ臭いことになってるのかもしれませんね」
 
 よくない連中でも、潜んでいるのだろうか。
 思い、警戒を強めながら朱鷺は歩き出す。
 
「?」
 
 直後、足許に「なにかを踏んだ」感触がした。
 しまった、と思った時にはもう既に遅い。遺跡中を揺らさんばかりに甲高い音を立てて、明らかに古代のものとは思えぬクリアな波長の警報が鳴り響いた。


 
 爆発の、閃光。たしか、この辺りだったはず。
 降り立った、街灯の上。きょろきょろと辺りを見回して、先ほど見た爆発の原因をローグは探す。
 
「ローグ、あそこ!」
 
 ライナが不意に、暗がりに沈む街の一角を指し示す。それを呼び水に、三人はそこへと向かい跳躍する。
「あれは……?」
 フルーネの呟き。
 彼らの見るその先には、薙ぎ倒され、叩きのめされた黒服たちが積み上げられていた。
 それらの真ん中に、三人。男女がそれぞれの死角をカバーしあうように背中を合わせ、佇んでいる。
 いずれも、見覚えのある姿、顔──……。
「あいつらか……!」
 
 少なくとも、彼らがいる以上、ここで香菜がやられたりはしていない。そう、ローグが安堵したことは事実だった。
 

 
 敵の生き残り──ローブの男が、三人の一角へ、……一番組みしやすしと思ったか、御凪 真人(みなぎ・まこと)へと、その手にした琥珀を振りかざし迫っていく。
 だが、そんなものやぶれかぶれの悪あがきでしかない。まして、その程度の相手との真っ向勝負に真人が遅れをとるはずもない。
「やっぱり……召喚獣の命にまでは対応してないみたいですね?」
 真人が瞬時に詠唱し、召喚を起動したバハムート──それを直接、琥珀の放つ光に対する盾として使われ、男はたじろぐ。
 切札と思っていたものが、阻止されたのだ。無理もないだろう。
 
 だからといって、手心を加える者など、ここにはいないけれど。
 
「悪あがきするんじゃないのっ! こっちだって今、人探してんのよ! あんたたちとぐずぐずやってる暇なんて、無いんだからね!!」
 セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)がゴッドスピードで飛び出す。ローブの男は無論、対応などできようはずもない。
 殺しはしない。ただ的確な一撃で、その意識を刈り取って。
 崩れ落ちる男のその様子に、最後の一人──酒杜 陽一(さかもり・よういち)が満足げに頷く。そして真人と、固めた拳と拳を軽く、打ち合わせる。
 
「うまくいきましたね」
「ああ」
 
 飛び出した香菜の危険を少しでも減らすため、彼らのとった手段は、『囮を増やすこと』だった。
 ちぎのたくらみで子どもに姿を変えた陽一が、連中をおびき出し。真人とセルファがそれを、一網打尽にする。
「あった。これね」
 ローブの男の懐をまさぐって、セルファが『吸命の琥珀』を発見する。
 陽一へと、それを投げてよこして。思いきりそれを、陽一は握りつぶす。
「これで彩夜が目覚めてくれる……なんて都合よくいくといいんだけど」
「それはまあ、望み薄、でしょうね」
 多分、既に彼女の生命は大元の演算装置の中に送られているでしょうから。言って、困ったように真人は肩を竦める。
 
「ところで、大丈夫だったか?」
「え?」
 
 ふと、陽一が訊ねる。きょとんとする真人に対し、セルファも同調し詰め寄る。
「そーそー。さっきの、防御方法よ。打ち合わせの時に話には聞いたけど、ほんとになんともなかったの? こっちはヒヤヒヤだったんだから」
「ああ……あれ」
 バハムートを使ったとっさの防御のことを言っているのだと、真人は気付く。
 大丈夫ですよ。このとおり、ぴんぴんしてます。言って返すとセルファはようやく安心したように、ほっとひとつ、深い息を吐いた。
 
 ──彩夜みたいなことはもう、ごめんなんだからね。視線を逸らしながら、ぽつりと言う。
 
「あんたたちだったんだな」
「ん?」
 
 弛緩した一同の間の空気を縫うようにして、三つの影が街灯の下に降り立つ。彼らのことを見ていた、ローグたちだ。
 
「あんたたちも、香菜さんを探して?」
「ああ。どうにかトレースはできてたんだが──……」
「本当!? あの子、どこに!?」
「──悪い。見失っちまった」
「……っ。そう……」
 
 詰め寄りかけて、そして落胆するセルファ。
 だが、落ち込んでばかりもいられない。はやく香菜を、見つけないと。
「俺はもうしばらく、また同じ手で奴らをおびき出そうと思う」
 陽一が改めて、口を開く。
 だからそっちは、香菜さんを頼む。彼の言葉に一同、頷きあう。
 
 ──と。
 
 ローグの、通信機が着信を伝える。別行動中の、コアトルからの通信だ。
 
『聞こえるか、ローグ。すぐに皆を連れて、こちらに向かって欲しい』
「……コアトル?」
『朗報と呼べるかどうかわからんが──だが』
 
 香菜が、見つかった。
 

 
 斬りつけられ深手を負った、両手足の感覚がなかった。もとより負傷していて、可動範囲が普段より狭かったということもあるけれど。
 意識もはっきりしていなくて、視界には小さな光が無数に瞬いていて。
 ただ、自分が抱きしめられていることだけは香菜にもわかった。いつだったかの、泣きべそかいてた彩夜みたいだな、となぜだか少し、可笑しく思えた。
 
 だけど──だけど。
 
「香菜ちゃん……香菜ちゃん!」
 
 杜守 柚(ともり・ゆず)の膝の上に抱き寄せられ、彼女の涙混じりの呼びかけに朦朧と視線を返す中でなにより多く香菜の心を占めていたのは、悔しさとすまなさだった。
 
 悔しさは、自分に。すまなさは、眠り続ける彩夜に。
 
 ごめんなさい、彩夜。また私、失敗してしまった。
 最初の時は大した相手ではないと連中のことを侮って、伏兵にやられて。
 勇んで飛び出してきたのに、今度はひとりでおびき出されて、彩夜の敵を討てなかった。杜守 三月(ともり・みつき)とともにかけつけてくれた柚がいなければ、多分、香菜もまた彩夜と同じ道を辿っていただろう。
 
「わ、たし」
「じっとしててください。今、手当てをするから」
 
 コアトルが、三月が、柚と同じく香菜の顔を覗き込んでいる。
 彼らの周りには、香菜を追い詰めたローブと、黒服の男たち。傷ついた身体ひとつでは手も足も出なかった、その数の暴力を三人は打ち倒し、そして香菜の保護に成功したのだ。
「わた、し。行かないと」
 あいつら、やっつけないと。彩夜のこと。助けないと、いけないのに。
 感覚のない両脚に力を込め、立ち上がろうと試みる。
 ──激痛。言葉すらないくらいの痛みが全身を貫いて、持ち上げかけた全身がぐらりと傾いていく。
「ダメだってば。そんな、すぐに動いていい傷じゃないんだ」
 柚が、そう言って諭す三月が慌てたように、香菜の身体を支える。
 腕と脚に巻かれた包帯が、彩夜のもとを飛び出してきたときとは比べ物にならないくらい──気付かないうちに真っ赤に染まり、血を滴らせていることにようやく、香菜は思い至る。
「だ、けど。あの子は……私の、せいで。私、あの子を」
「それは知ってるし、わかってるよ。でも今は少し、冷静になろう?」
「今は、治療させてください。このまま香菜ちゃんになにかあったら、彩夜ちゃんだってきっと悲しいです」
 
 ──そうだな。そんな足手まとい、とっとと病院にでも連れて帰れ。
 
「!?」
 
 まずは、止血をしなくては。治療に専念しようとした柚は、不意に聞こえてきた、棘に満ちたその声に、思わず振り返る。
 三月も、コアトルも然り。こちらへと歩いてくるその男が発した辛辣な言葉に、息を呑んでいる。
 月明かりに照らされた匿名 某(とくな・なにがし)が、冷然とした感情のない視線で、苦痛に喘ぐ香菜を見下ろす。傍らには、大谷地 康之(おおやち・やすゆき)。そしてフェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)を連れて。
「そんな言い方って」
 三月が、抗議しようとする。だが、某の糾弾は止まらない。
「お前のその感情的な行動が皆の手を煩わせているとは、わからないか。碌に戦えもしないほど傷ついているならば、何故出てきた」
「……っ」
 思わず、むっとする三月。その肩を、コアトルが巻きつくようにして制止する。
 
 柚たちには預かり知らぬことではあったけれど、しかし某もまたパートナーを犠牲者としてしまったひとりだった。
 結崎 綾耶(ゆうざき・あや)の生命を吸い取られて、そのことに憤っている。そんな某の冷徹極まりない声が、続く。
 思いが強すぎるがゆえの、その厳然とした態度は、衝動に背中を押され飛び出してきた香菜と、本質的には似たものだったのかもしれない。
 某も、感情を抑えているようで抑えきれていないのだ。大切な者が傷つけられ、いつ失われるとも知れないのだ。無理もない。
 
 康之が、「すまん」といった表情で、彼やフェイの後ろで香菜や柚たちに向かい、小さく頭を下げていた。
 敵などもう、どこにもいないはずなのに、空気が緊迫している。
 
 ……その重い雰囲気を切り裂いて、
 
「香菜!」

 ルシアの声が、バイクのエンジンが上げる唸りの轟音が、夜道に木霊する。
 ヘッドライトの明かりが、一同の眼前に停止する。
 煉の背中に回していた両手を解いて、ヘルメットを脱ぎ捨てて。ルシアが柚と、香菜のもとに駆け寄る。彼女に続き、美羽と、唯斗もまた。
 
「大丈夫なのっ!? 傷は!?」
「今は、止血してます。そこから先は……ひとまず、命に別状はありません。大丈夫だと、思います」
「……傷が思ったより深いな。ひとまず止血が終わったら、それでもとっとと運んだほうがいい。連れて帰るぞ」
 唯斗が、香菜を背負おうとする。しかしそれを制し、一応の止血が完了した香菜を、ルシアが抱き上げる。
 
「乗れ、ルシア。全開で飛ばすぞ」
 
 煉が促し、再びルシアは彼のバイクの後部に跨る。
 すれ違いざま、フェイが相棒の無礼をフォローするように香菜の頭を一瞬、そっと撫でる。
「あたしたちも行こう」
 美羽が柚と頷き、走り出したバイクのあとに続く。唯斗と三月が、その殿につく。
 
「……ふん」
「ちょっと、厳しすぎるんじゃねーか?」
「涼司と、連中が甘すぎるんだ。囮なら囮らしく、もっと泳がせろ。その犠牲を厭うな。あれでは我々は体よく護衛をやらされているようなものだ」
 そんなくだらないことにかかずらっている暇など、こちらにはない。
 その後ろ姿の集団を一瞥し吐き捨てた某を、康之が思わず諌める。だが某の態度は変わらない。
 
「……冷静でないのは、どちらなんだろうな」
「何?」
 
 と、そこに残っていたコアトルが、漏らす。
 
「何が言いたい?」
「独り言だ。わからないならば、よい。我も仲間と合流せねばならん、失礼する」
 その細身をくねらせて、コアトルがその場を離れていく。
 某は憤懣を隠し切れぬまま、歯噛みをし。やがて足元に転がるローブの男に視線を這わせる。
「……まあいい」
 香菜に対して気遣いをする必要を感じない以上に、その憎き連中に対してかけてやる慈悲を某は、持ち合わせてはいなかった。
 手加減も、いたわりもなく。倒れ伏す敵の胸倉を掴みあげ、暗い夜空の下、高々と掲げる。
 
「起きろ。貴様らには色々と訊きたいことがある」
 
 黙秘は許さん。虚偽も許さん。
 男を睨みつけ、低い声でそう発する某を、複雑な表情で康之が見つめていた。