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リアクション
肌寒さでセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は目が覚めた。
「ここは……? セレン、私達はいったい……あれ、セレン?」
まだぼんやりしていた頭も、傍らにセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の姿がないことがわかると、とたんに目まぐるしく働き始めた。
「セレン、どこにいるの!」
セレアナは声を張り上げるが、コダマ一つさえ返ってこない。
彼女が倒れていたのは、かつては人が暮らしていたと思われる部屋だ。
足元には色褪せた敷物があり、中央よりやや壁よりには壊れかけた木のテーブルと籐でできたような椅子。
刃物で斬られたような跡があるが、それだけにきちんと置かれているのが不自然に感じた。
また、敷物の一点だけ赤茶色の染みがあるのも気になった。
「もしかして、血の跡……?」
薄ら寒いものを感じたセレアナは部屋から飛び出した。
部屋と部屋の境目にドアはなく、人が住んでいた頃には布を垂らすなどして区切っていたと思われる。
部屋はいくつかあり、その全てを見て回ったがセレンフィリティは見つからなかった。
「おかしいわね。どこではぐれたのかしら」
二人はすぐ隣で、時には手を繋いで山を登っていたはずだった。
雪山に登るというので、いつものビキニやレオタードといった軽装ではなく、きちんと登山装備を整えてきたのだ。
「セレン……」
強くてしっかりした恋人だから大丈夫だと思っていても、漏れ出たのは心配する声だった。
その時、隣の部屋から物音がした。
まだ見ていない部屋だ。
セレンフィリティかと思い、セレアナは急いでそこへ向かった。
「セレン!」
期待のこもった声で名前を呼んで部屋に飛び込んだセレアナだったが、その表情は瞬時に凍りつく。
そこには、彼女が大嫌いな虫がいた。
足が六本あり、黒く脂ぎった背、ゆらゆらと揺れる長い触角。
それら全てがセレアナの恐怖と嫌悪の対象だった。
名称を口にするのもおぞましい。
その代わりというように、こんな言葉がこぼれ出た。
「地球には約四千種いると言われ、その総数は一兆四千八百五十三億とか……いやあああああっ!」
どこで得た知識なのかまったく謎だが、セレアナの全身に鳥肌がたった。
しかも、目の前のゴ……いや、その虫は体長がセレアナの身長の半分くらいある。
見たくない細部が嫌でも目に入ってきた。
セレアナは素早くフロンティアソードを抜いた。
そして、蠢くそれらを斬る、斬る、斬る!
もはやセレアナは正常な判断ができない状態だった。
仲間を倒された黒光りする虫達が、いっせいにセレアナに向かってきた。中には飛んでくるものもいる。
「い……いやあああ! セレェェェン!」
セレアナはソードプレイでそれらを薙ぎ払うと、部屋から飛び出したのだった。
その頃、セレンフィリティもセレアナを探していた。
どこを見ても似たような造りばかりの町に、実は同じところをぐるぐる回っているだけではないのかと不安になってくる。
しかし、そうではなかった証拠に人に出会った。
残念ながら探している恋人ではなかったが。
でももしかしたら会わないほうが良かったかも……などとすぐに思ってしまう相手だった。
「やっと会えたぜ、おっぱいちゃん! こんな枯れたところじゃエステもねぇだろ? 俺様が念入りに揉みほぐしてやるぜ!」
「……敵? 敵ってことでいいわよね?」
セレンフィリティは対化物用の二挺拳銃をゲブー・オブイン(げぶー・おぶいん)に向けた。
さすがにゲブーも焦り、両手をあげて敵意がないことを示す。
「待て! 俺様はモヒカンとおっぱいちゃんを愛する善良なパラ実生だ! そんな物騒なモン向けられちゃ困るぜ」
「乙女の胸に無礼を働こうという人が、善良なわけないでしょう。他に被害がおよぶ前に、あたしが抹殺してあげるわ」
「待てっ! 今、俺様を抹殺したら後悔するぜ。世界のどこかで俺様を待っているカワイイ子が泣くことになるんだからな!」
「……ならないと思うけど。まあいいわ。今はあんたを相手にしてる暇はないのよ。早くセレアナを見つけなきゃ」
「それって女の子か? よぅし、その子のおっぱいちゃんも俺様が──」
「しなくていいっての! そのいやらしい手の動きをやめろ!」
セレンフィリティは思わずガツンッと銃把でゲブーを殴ってしまったが、彼はすぐに立ち直って後をついてきた。
「ちょっと、ついて来ないでよっ」
「せっかく会えたんだからそう言うなよ、おっぱいちゃん」
「その呼び方やめて」
「じゃあセレンちゃん」
「馴れ馴れしいのよ」
「じゃあやっぱりおっぱいちゃんだな」
「それは嫌」
何とも実のない会話をしながら二人は殺風景な通路を歩く。
「なあ、そろそろ俺様のエステを試してみたくならねぇ?」
「ならない。……あれ、何か音がする」
伸びてきたゲブーの手を叩き落としたセレンフィリティは、ものが壊されるような音に気がつき足を止める。
音のほうを向いた時、壁をぶち壊して黒光りする複数の楕円形っぽい何かと人影が飛び出てきた。
巻き起こる砂埃に口元を覆い、正体を確かめようと目をこらす。
黒い楕円形のものは転がったまま動かないが、人影のほうはゆらりと動いている。
まず先に、ゲブーが本能的直感から、その人影が女の子であることに気がついた。
そして、本能のままに飛び掛かる。
「おっぱいちゃ──ぬはぁ!」
ゲブーは人影が持つ両手剣に弾き飛ばされた。
その剣に見覚えがあったセレンフィリティは、やっと会えた恋人の名を呼ぶ。
「セレアナ!」
喜びの笑顔をあふれさせて駆け寄った時、セレンフィリティは腹に焼けるような熱さと痛みを感じた。
「ど……して、セレアナ? なんで……こんな、こと……」
目の前の恋人は実は偽物だったのだろうか。
もしそうならば、そんな侮辱は許さないとセレンフィリティは銃を向けようとするが、もう一方の心はそれを拒否した。
涙と冷や汗でにじむ視界の向こう、セレンフィリティはセレアナの目が正気を失っていることに気づいた。
「セレアナ、来るのが、遅れて……ごめんね。もう……怖く、ないから……。あなたの、敵は……あたし、が……」
少しでもセレアナをなぐさめたくてセレンフィリティは震える手を伸ばしたが、触れる前に意識が遠のいてしまった。
剣から伝わった手ごたえに、セレンフィリティが倒れた音に、セレアナはハッと我に返った。
そして、足元に伏している恋人の体から流れる赤い液体に息を飲む。
セレアナの手を離れた剣が、乾いた音を立てて地面に転がった。
「嘘……セレン、セレン!? いや、こんなの嫌ぁぁぁっ!」
腕にセレンフィリティをかき抱いて現状を拒絶する叫びをあげても、視界の端にある血に塗れた剣は残酷なほどに存在を主張していた。
セレアナの心が壊れそうになったその時、金属同士を打ち鳴らす澄んだ音が鳴り響いた。
同時にセレアナは何かが離れていくのを感じた。
「大丈夫か? その子は無傷だから、安心していいよ」
あたたかい男性の声にハッする。
見ると、登山グループで見たエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だった。
先ほどの金属音は彼が持つ二振りの剣同士を打ち鳴らしたものだったようだ。
「む、きず……?」
「ああ、どこも怪我をしていない。気を失ってるだけだ。だから、そんなに泣かないで。彼女が目覚めた時に心配してしまうよ」
エースは安心させるように微笑むと、セレアナの涙にぬれた頬にそっとハンカチを当てた。
すべらかな感触は、セレアナの心もやさしく撫でていくようだった。
「こっちの人も大丈夫よ。単なる打ち身だね」
リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)が気絶しているゲブーの様子を見て言ってきた。
「あなた達、変な夢にとり憑かれていたんだと思う」
「夢……? でも、あれは現実……」
と、セレアナはやや離れたところに転がっている黒い虫を目で示す。
たぶん、と前置きしてからリリアは続けた。
「私達みんなに見えるものと個人にしか見えないものがあるんだと思う。厄介なことにね」
「そしておそらく、個人にしか見えないものは、外部から干渉できるんだろう。けどそれは、逆に取り込まれることもあるというわけだ」
エースが後を引き継いだ。
「ここに引きずり込んだ何者かを探し出さないとな」
セレアナが頷いた時、セレンフィリティが目を開いた。
彼女は泣きはらした目のセレアナに目をとめると、飛び起きてきつく抱きしめた。
なぐさめの言葉や励ましの言葉は次々頭に浮かぶのに、セレンフィリティは一言も口にできず、ただ、想いをこめて抱きしめる。
セレアナの肩口をセレンフィリティの涙がぬらした。
セレアナもきつく抱きしめ返した。
直後、今まで気絶していたのが嘘だったかのように目覚めたゲブーがリリアに飛び掛かった。
「これまた素敵なおっぱいちゃん! 俺様が魔法の手で気持ちよ〜くしてあげるぜ!」
リリアに打ち倒されたのは言うまでもない。
どんな時もマイペースなゲブーに、その場に笑いがこぼれた。