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リアクション
6 男
水の玉は、人々に幸せをもたらすものではない。時として試練となり、人々の前に立ちはだかる。
2幕、先駆けるのは日下部 社(くさかべ・やしろ)だ。社は武士として、ワキの五月葉 終夏(さつきば・おりが)扮する女を背に庇っていた。武士は女を愛し、また女も武士を愛していた。しかし社の目の前には水の玉から変化して生まれた亡霊。女を狙っているのだ。もつれ合う愛の三角関係。社は鋭く目の前を睨み、舞扇の代わりに持つ刀を真横に構える。
(オリバーは俺が絶対守ったる! 2幕が始まる前、「頑張ろうね」って声かけてくれたんや……命に代えても、オリバーを狙うこの亡霊、退治してみせるで!)
社は武士でもやはり舞い人。刀を闇雲に振り回すのではなく、魅せるものとして演武する。その勇壮な雰囲気に観客が艶めく。
斬り込む、斬り込む、斬り込む。亡霊は呻き声を上げて倒れ、社が終夏を引き寄せた。
悪い水の玉は、完全に駆逐された。社の雄姿に、観客全員が心の中で盛大な拍手を送った。
戦が始まった。水不足のこの時代、それを巡って争う国々が絶えなかったのだ。レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)扮する武士も、戦場で敵の武士を斬って捨てていた。傍にはレティシアをパートナーとして迎えたフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が少年姿でレティシアに付き添い、小刀を所持して戦闘をサポートしている。荒々しい剣での演武に観客は魅了され、その力強さに圧倒される。レティシアは表情を変えぬまま、満足そうに頷いた。
(ふむ……敵の武将は見えないとはいえ、相手を薙ぎ払う感覚、実に心地良い。フレンディスからの頼みで舞い人として参加したが……悪くない)
しかし武士達は気付いていない。自分達の足元で、泥水が跳ねる様を。水溜まりを飛び越え、あるいは蹴散らすその様を。
悲哀扮する王子は鮮やかな緑の装束を纏い、宮中に佇んでいる。おっとりとして、どこか中性的な雰囲気漂う美青年だ。心優しい王子は、貧しい人々を何とかして救いたいと願っていた。しかし、生まれつき身体の弱い自分に何が出来るのだろうか。隣には九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)扮する王子の配下が控えており、どのようにしたら民を救えるかについて議論をしている。
悲哀の緑の舞扇、ローズの紫の舞扇。舞扇を互いに閃かせ、悩みを交換する様を演じる。一振りし、また一振り。案が出ても実行には移せない。とてももどかしい。
しかし突如、悲哀の動きが変わる。亡霊に取り憑かれたのだ。舞扇がくるくる回り、悲哀は自身を傷つけるかのように激しく舞い狂う。その違いに観客はおお、と感嘆した。
(明倫館の方々へのささやかながら恩返しになればいいのですが……。その為にも、絶対に失敗する訳にはいきません)
しかしローズは悲哀に取り憑いた亡霊を慰めるが如く共に舞う。2人が重なる見事な舞い。
霊に通じるのは言葉ではなく、舞いだ。やがて亡霊はその荒ぶる魂を鎮め、去って行った。悲哀はローズに感謝を伝えるべく、再び2人で舞い始める。その優美さに、惜しみない拍手を送ったのは、きっと観客全員だろう。
場面は変わって、松永 久秀(まつなが・ひさひで)扮する少年が、久秀をパートナーに迎えた佐野 和輝(さの・かずき)扮する兄と対峙している。少年と兄は貧しい生まれながらも剣術を磨き、いつか人々を助けたいと思っている。久秀が舞扇を剣に見立てて舞い、和輝は刀の演武で久秀の舞いを引き立てる。
(和輝の補佐が在りながら失敗するのは愚図のすることよ。この久秀、最高の舞いを奉納しましょう)
その思惑通り、場面は変化してここからが正念場。和輝は素早く身を翻して刀を久秀に渡し、久秀は装いを一瞬で着替える。少年の面影は消え、黒に銀の模様が激しい青年へと変化する。少年が成長した後の演武だ。舞扇で愛らしい仕草が、今では刀で鋭い獣のような舞い。兄を超えるその腕前を惜しげもなく披露し、見事観客を沸かせた。
舞台袖では和輝のパートナーであるアニス・パラス(あにす・ぱらす)が、久秀の舞いに「凄い……」と呟いている。
「ふわぁ、綺麗だねぇ。うん。空気が澄んでいくのが見えるよ……」
雨はだんだんと激しくなってくる。
7 女
さて、悲哀が扮した王子には姉がいた。ゆかり扮する宮中の姫である。ゆかりにも当然配下がおり、ゆかりのパートナーであるマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が扮していた。
姫は王子と同じ悩みを有していた。しかし身体の弱い弟では出来ることは限られる。ならば自分が直接何かをしようと考えていたのだ。配下と相談した結果、舞いを舞って楽しんでもらおうと決断した。
まずは精神的な疲れを取って貰うのが先決、マリエッタと共に宮中を出て、民の集まる広場で共に舞い始める。
舞扇は優しい桜色。マリエッタの舞扇も淡紅色で、うっとりとするような、素敵な雰囲気に包まれる。
最初は凛とした印象を舞いの所作の中に織り込む、ゆったりとした動作を主体とした舞い。中盤は、女の持つ穏やかだけれども内に秘めたるしなやかで柔らかな強さを表現しつつ、可愛らしさも加味。そして最後は女の持つ激しい熱情が渾然となった舞いを披露。艶やかなその仕草に観客から熱っぽい吐息が漏れた。
(私が『彼女』のことをどこまで舞い切れるかわからないけど……やれることをやりきるのみ)
ゆかりの思いは、きっと観客に伝わっている。
姫の美しい舞いは、全てを包んで受け入れる。女の優しさがそこにはあった。
この時代、絶世の美女と謡われた女がいた。この女は宮中に雇われており、宮中の姫に舞いを教えたのもこの女である。
舞うのは和輝だ。鬘を被り、長い黒髪の一部をゆったりと散らせ、残りは花の簪で止めている。薄化粧を施し、心身を女性に変化させるようにして。舞扇は濃い赤、女性の色だ。
美女はワキの柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)扮する青年と共に人々に舞いを舞ってみせていた。和輝の舞いはしっとりとした女らしい艶やかさに溢れ、恭也は和輝を引き立てるように男らしく舞扇を横に切る。和輝の舞いは恭也の舞いとは違いを見せることで、より『女』を強調していた。
(自由気ままな久秀が、珍しく大衆用の宴に協力すると言い出した。緊急の要件もないから彼女に付き合うかと思ったら、まさか女を演るとはな)
しかし、心のどこかで楽しさを感じている自分がいる。そっと苦笑しつつ、和輝は舞う。自分が自分でないことを、心の中で少し笑って。
恭也が舞扇を大きく閃かせ、そして光学迷彩で華麗に姿を消した。観客は息を飲む。あの青年はどうしたんだ?
人々に、潤いを与え続けながら女は舞う。そして自分も青年と共に、儚く散っていった……。