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残暑の日の悪夢

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残暑の日の悪夢
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【地下二階 混沌の悪夢】




 地下二階。
 クローディスがアルファーナに閉じこめられた形になっていたその扉の中では、肺が苦しくなるような焼けた空気と、炎に埋まっていたその世界が大きく変化していた。
 炎の中で蠢く黒い人影はそのままだが、周りは一気に漆黒に染まり、足下は水面の見えない黒い泥沼のような状態と化して踝まで沈み、気を抜くと足を取られそうなほど重い。炎がその沼の上でも燃え上がっているところが奇妙である。炎の熱気に混じって色濃く流れてくるのは、硝煙と血の匂いだ。
「これって……」
 ルカルカが呟いて、自分が袖を引っ張っている相手の顔を見上げると、その顔は何とも苦い笑みを浮かべてため息をついていた。
「まぁ、ボクの悪夢は、混じっちゃってるんだろうねぇ」
 氏無が呟くと、その声に呼応するようにして、黒い沼から腕が伸び、顔が塗りつぶされた人影が這い上がって呻き、または叫びと共に何かに斬り伏せられ、あるいは炎に包まれながら近寄ってくるに至っては、ため息はより深いものに変わった。
「あれは、大尉の過去なんですか」
「何か誰かしらのが色々混じっちまってるから、全部が全部ってわけじゃないけど……過去をベースに、こうなったらやだなぁって思ってる内の一つが出てきちゃった、ってところかな」
 ルカルカの問いに、氏無は苦笑した。だがその横顔が、いつもよりも不快さを強く滲ませているのに、ルカルカが心配げに眉を寄せると、大丈夫だよ、と氏無はいつもの笑みを取り戻すと、わざとらしいため息と共に肩を竦めた。
「……まぁったく、女史の行く先々が面倒ごとのパレードだよねぇ」
 さっさと終わらせて帰って、お酒でも飲もう、と軽口を叩くのに、ふ、とルカルカが目を細めた、その時だ。
 だんだんと近付く一団への不安から、後ろを振り返ったリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が顔色を変えた。
「……ちょっと、入り口、どこいっちゃったの?」
 震えるようなリカインの声に皆が振り返ると、いつの間にか後ろには壁も扉も無くなって、暗くて見えない向こう側まで炎が広がり、その足下は黒い泥沼に満たされていた。そして、炎の明かりに照らされながら姿を現したのは、前方でも沼から這い上がってきていた、黒く顔の塗りつぶされた人影達だ。呻く声に、叫び声。お互いがお互いを斬り付け、あるいはこちらに襲いかかろうと氏ているらしい彼らとの距離が近付くにつれ、おぼろげながら輪郭がはっきりしてくると、月崎 羽純(つきざき・はすみ)が顔を青ざめさせた。
「あれは……鏖殺寺院の」
「テロリスト……!」
 その言葉に重ねるように、黒崎 竜斗(くろさき・りゅうと)が険しい顔で声を上げた。顔は見えなくても、その姿で判る。時代の新旧が入り交じっているのは、それぞれの過去が混ざり合っているからだろう、その人影は現れた別の影と戦っては、容赦なく斬り伏せ、まるで悪鬼のような様相で、慈悲もなく次々と泥の中へと沈めていく。
「ーーッ!」
 その中の影に、見知った顔でもあったのか、思わず駆け出しかけた竜斗の腕を、黒崎 ユリナ(くろさき・ゆりな)が必死に掴んで止めさせた。
「ダメです、竜斗さんっ、あれは幻です」
 そして「あれは俺の悪夢だ」と呟いたまま、怖い顔で立ち尽くした羽純の手を、遠野 歌菜(とおの・かな)がぎゅっと握る。
「羽純くん、大丈夫……一人じゃないよ」
 それぞれの手に、言葉に、二人の顔がほんの僅かに正気に戻って、握られた手を握り返した。
「ああ……そうだな」
「うん、わかってる、ユリナ」
 そんな一同に、アニス・パラス(あにす・ぱらす)が口を開いた。彼女たちはクローディス達と同行していたのだが、はぐれている内にこちらと合流したようだ。
「あれ『皆』じゃないみたいだから」
 彼女の言う「皆」とは、「この世ならぬ者」のことだ。つまりは、幽霊の類ではないから、安心して、とそんなつもりで言葉を続けようとしたアニスは、その視線の先に見えた姿に、目を見開いて硬直した。
「あ……あ、あ……」
 そこにいたのは、アニス自身だった。だが、その目には正気の色はなく、口元は歪んだ笑みを湛えている。
「アハハハ……っ、皆、みんな、壊れちゃえばいいんだ……!」
 聞く者の背筋を凍らせるような冷たい笑い声と共に、憎悪と怨恨の念を体中から発散させながら、不規則かつ不自然に髪が揺れる。その姿に、ちっと佐野 和輝(さの・かずき)が舌打ちした。
「確かに、肝冷やし、だな……」
 呟く和輝の顔は苦い。強化人間であるアニスの不安定な精神が崩壊し、その持っている能力の全てを破壊へ向ける怪物。自分にとって、そしてアニスにとって、数ある可能性の中でも最も恐れている末路だ。クローディスの言葉ではないが、これは余りに性質が悪い。
 そしてなお悪いことに、その悪夢はそこで終わりではなかった。
「あ、れは……フリューネ?」
「それに、こ、校長……!」
 リネン・エルフト(りねん・えるふと)が目を見開き、リカインが声を震わせた。狂気の破壊者と化したアニスの幻影の後ろから現れたのは、それぞれが武器を構えたフリューネ・ロスヴァイセ(ふりゅーね・ろすう゛ぁいせ)馬場 正子(ばんば・しょうこ)だ。それぞれの目は酷く据わっていて、リネン達のことは判らないらしい。その側で繰り広げられている、人影同士の残酷な光景には目もくれず、彼らの返り血まで浴びたその姿は、恐れを越えて畏れさえ抱かせる。正子が地響きさえ空耳させる貫禄で一歩一歩を詰めてくるのに、リカイン達が気圧されるように退がっていると「あ、あれ……」とシーサイド ムーン(しーさいど・むーん)が正子の手元に気づいた。そこにいるのは、多数の房を持つ鞭……武器状態のシーサイドの姿そのものなのだ。しかも、正子は無造作にそれをリカイン達に向けて振り下ろしてくる。
「わわ……っ!」
 とっさに避けたが、その一撃は炎ごと壁をえぐって破片を周囲に散らした。スキルも使えない状態で、直撃したらと思うとぞっとする。皆の血の気が引く中、シーサイドだけは、幻影とはいえ自らの扱いが気がかりだったようで、リカインの頭の上でわたわたとしていた。
「も、もっと優しく扱ってください……!」
「そんな場合じゃないでしょう!」
 正子達から距離をとりつつリカインが言ったが、だって、とシーサイドは気が気では無いようだ。一方で、フリューネの幻影は目は笑っていないままに、不思議そうに首を傾げた。
「どうして? リネン……あなた、そっちつくの?」
 仕草や声も本人そのままで、何もなければその言葉に胸を痛めもしたのだろうが、他人の悪夢と混じったおかげもあって、あれは本物ではないと認識できるだけの余裕があった。とは言え、血塗れの姿で、狂気に笑うその姿は、見ていてぞわっと背筋が冷たくなるのも確かだ。幻影のフリューネは、動かずにいるリネンをどう思ったのか、ふう、と肩を竦めた。
「そちらにつくのね。それじゃあ……仕方ないわ……」
 残念そうに言いながら、けれど口元はむしろ楽しげな様子で引き上げられて、フリューネは自身の得物を構えた。
「全部、ぜんぶ、壊してしまわないとね……!」
「左様。破壊あるのみ……!」
 フリューネと正子の二人は声を上げると、幻影のアニスが超能力で操る炎と同時に、一同へと襲いかかって来たのだ。
「わわわ……っ」
 距離があったのと、足下の沼がお互いの速力を殺いだのが幸いして、皆何とか回避は出来たものの、相手が悪い。
「手ぶらでどうにかできるような相手じゃないわよ……!」
 リネンが声を上げた。幻影だと判っていても、その目に、その手に敵意を持って攻撃されるというのはあまり気持ちの良いものではない。
「やだ、やだよう、見たくないよう……!」
 アニスに至っては、想像もしたくないだろう自分の姿に、殆ど恐慌状態だ。そんなアニスを抱え上げ、自身の首に腕を絡めるように促して、その体を支えながら、和輝はぐるりと全体を見回した。前方からはフリューネ達が迫ってくるが、後方は後方で、炎と暗い沼の海から、不気味な人影達が次々に沸いて出ては、かつての残酷な光景の再現を続け、羽純や竜斗達の足を阻んでいる。
「とにかく、相手にするのは危険だ。脱出を急いだ方がいいな……」
 そう言って和輝がサイコメトリを試した瞬間「どういうことだ」とその表情が更に険しい者になった。
「どうしたの?」
「脱出手段が……見つからない」
 リネンの問いに、和輝が緊迫した声で言った。
「それに、おかしい。あれは幻のはずなのにーー実体を持ってる」
「どう言うこと? ……まさか、本物の訳がないわ!」
 ぞわりと背中を這い上がったものをごまかすようにリネンが言えば、判っている、と和輝も首を振った。勿論、アニスが手元にいる以上、少なくともあちらの狂気の姿が本物ではあり得ないのだ。混乱が起こった中、兎も角、とルカルカが口を開いた。
「兎も角、いったん距離を取りましょ!」
「本物かどうかはこの際後だね。実体がある以上、どう考えたってあっちの方々より、彼女たちの方が危険だよ」 
 氏無も口を添えたが、問題は、その光景に引きずり出されたものに、硬直するように足が動かなくなっている羽純と竜斗だ。目前でくり広がれている光景は、色々と混ざっていくらかは輪郭を失ってはいるものの、記憶の中で消えることのない傷そのものだ。血と硝煙の香り、無惨に失われていく命と、それを奪っていく者達。それがまるで内側を抉るかのように、目の前に実体を持ってい広がっているのだ。動揺しない方が難しい。
「ここで立ち止まってるのは危険よ」
 リネンが言ったが、頭では判っていてもいつも感情が一致するわけではない。心臓が嫌な音に軋む二人の手を、それぞれのパートナーがぎゅっと握った。
「しっかりして、羽純くん」
「大丈夫です、竜斗さん」
 歌菜とユリナが、取った手を強く握りしめて、そのまま腕を絡めた。一瞬驚いた顔をした竜斗は、すぐにその意図を悟ると頷いて僅かに表情を緩めた。あれは過去で、ユリナの手こそが現実だ。今は、この手にある現実を護らなければ、と竜斗は決意も新たにユリナに頷いた。
「ああ、大丈夫だ、行ける」
 そしてそんな彼らの隣で、歌菜は、びくりと肩を震わせた羽純の顔をのぞき込んで、力強くにっこりと笑って見せた。
「悪夢なんて、私が振り払ってあげる!」
 あの黒い影が、幻だろうとそうでなかろうと関係ない。あなたは私が守るから、と歌菜の目にあるのは強い決意だ。
「羽純くん、行こう!」
 その強い声に背を押されるように、羽純はその手の平を握り返して頷いた。


 その頃、彼らより先を行っていたクローディスを追っていたレン・オズワルド(れん・おずわるど)は、自分のそれも含めて様々に混じった悪夢の中をまっすぐに進んでいた。さすが、悪夢と言うだけあって、混ざり合うどれもこれもが、あまり気持ちの良いものではない。それ以上に、自分自身の悪夢が行く手を遮るようにレンの前へと現れたが、幸いと言うべきか、レンにとってそれらの悪夢は一度は克服した懐かしいものばかりだ。勿論、だからといって無感動でいられるわけでもなかったが。胸に去来する痛みを押さえながら、進むこと暫く。さほど時間もかからず、レンはクローディスの背中を見つけて声をかけた。
「……! 君か」
 振り返ったクローディスが僅かに息をついて、握っていた銃を降ろして軽く苦笑を浮かべた。その顔が珍しく疲れた色をしているのに、レンが目を細めると、クローディスは苦笑を深めて視線を前へと戻した。
「色々と悪夢が混ざってくれたおかげで助かった。情けない話だが……幻影だと判っていても、知った顔に引き金を引くのはあまり……気持ちがいいものではないからな」
 僅かに言葉を濁すクローディスに、それはそうだろう、とレンは頷いた。
「頭で幻だと思っても、心はそう簡単にそれを飲み込んではくれないからな」
「……そうだな」
 頷いたクローディスから漏れる息は深い。
「あれは幻で、ただの記憶の残像だ。そんなことは、良く判っているのにな……」
 自嘲気味に漏らす声に、レンは言葉をかけようとしたが、それより早く、駆けて来たリカイン達が二人へ追いつき「クローディスさん!」とルカルカが駆け寄った。
「良かった、無事で」
「だから言ったじゃないの、女史は平気だって」
 ルカルカの後ろで、氏無が肩を竦める中、それより、と和輝が口を開いた。
「脱出口が、サイコメトリで探しても何処にも見あたらない」
 緊迫した声に、クリーディスが難しい顔で眉を寄せた。
「このダンジョンは、主の設定次第で何とでもなるんだ。多分、アルファーナが消したんだな」
 その言葉に、ルカルカがだったら、と首を傾げた。
「アルファーナさんに頼んで、出口を空けてもらったら?」
 アルファーナは遺跡の管理者であるらしいが、彼女の態度から考えるに、遺跡の所有者はクローディスのはずだ。だが、クローディスは浮かない顔で首を振った。
「それが……さっきから全く応答しないんだ」
 テレパシーは使えるが、肝心のアルファーナの方はそういった能力が無いようで、通信機が使えなければ他に伝える手段は無い。このまま逃げ続けているだけでは、最終的に体力の方が持たなくなるだろう。皆が思わずごくりと息を飲んでいると、いざとなればこっそり逃げ出して別の部屋に行こう、などと考えていたらしいシェスカ・エルリア(しぇすか・えるりあ)が小さく口を尖らせた。
「ちょっとぉ、それじゃ、他の部屋に行けないって事?」
 一人シェスカが呟いたのを御劒 史織(みつるぎ・しおり)が聞きとがめて「シェスカ様?」と首を傾げた。
「単独行動は危ないのですぅ……このまま皆さんとご一緒に……ひゃあああ!?」
 言いながら、そろりと後ろを振り返って、史織が叫び声を上げた。彼女達の視線の先では、追いかけて来る人影や正子達に混じって、恐ろしい顔をした者や、足の無い少女の姿をした幽霊達が漂っているのだ。どうやら、彼女達の悪夢もそれに混ざり出したようだ。
「ちょっとお、竜斗、何とかして――!!」
「ご主人様、助けてくださいですぅうううっ」
 シェスカと史織の絶叫が、幽霊達の上げた笑い声に混ざって響き渡ったのだった。