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 二章 虚の卵

 ちちち、と橙 小花(ちぇん・しゃおふぁ)の肩に留まるカナリアが鳴く。その方向を確認しながら、小花が背後の皆に告げる。
「こちら側は少々濃すぎるようですので、少し迂回しましょう」
「わかった」
「はーい!」
「分かた!」
 アレン・オルブライト(あれん・おるぶらいと)時見 のるん(ときみ・のるん)、そしてジャンヌ・ハミルトン(じゃんぬ・はみるとん)が背後から声を上げる。先ほどよりさらに湿り気を帯び、足場がぐじゅ、と音を立てる。歩きにくそうにしながら、ジャンヌがすんすんと鼻を鳴らした。
「水の匂いがするな!」
「正確な測量は出来ないけれど、少しずつ低地に向かっている気がする。水気も多いし、水源が近いんじゃないか?」
「えっとね、水の入れ替わりがない沼底にはガスがたまっていて、急にごぼって噴き出すことがあるから注意しなきゃいけないってこの間教科書に書いてあったよ!」
 のるんの言葉にジャンヌが頷く。
「古い沼の周りそれにやられた獣がよく転がてる。ここも危ない」
 ジャンヌの言葉にアレンが頷く。そうして話しながら進んでいくと、やがてのるんが連れていた狼が立ち止まった。それにつられて皆の足取りが一度止まる、
「ほーすけ? どうしたの、行くよ?」
 狼は怯えたように伏せ、先に進もうとしない。警戒とは違う嫌がりようで、のるんはしばらく首を傾げていたが、やがてにっこりと笑うと狼を抱き上げて歩き出した。
「もー、ほーすけは怖がりなんだからー♪」
 ずんずんと先に進んでいく。それを見てアレンが慌てた。
「のるん! 勝手に進んだら……!」
「えっと、一応そちらは大丈夫のはずですがおひとりでは!」
 ずんずんと先に進むのるんについていこうとしてアレンと小花が少しバランスを崩す。その隣を、ゆるい足場を蹄を高く挙げて切り抜けながらジャンヌが小走りについていった。
「水の匂い強いな。のるん気を付け」
「うん、ありがと!」
 のしのしと歩いていくのるんの手元で狼が大人しく抱えられている。やがて二人は開けた場所に出た。濃い水の匂い、腐った水草の匂いが鼻につく青臭さになって周囲に立ち込めている。古い沼のようだった。
 ちちち、とカナリアが鳴く。だがそれはここが酷く毒素の濃い場所というわけではなく、沼地の向こう、靄のようなものでかすんでいる場所へ向けて鳴いていた。小花がそれを確認しながら周囲を見渡す。
「沼の向こう側はかなり危ないようですが、ここは……?」
「保介はどうして嫌がったんだ? 沼以外何も」
 アレンがそう言いかけた途端、狼が火がついたように吠えだす。沼に向けて咆え続けるそれを、のるんが懸命に抑えていた。
「ほーすけどうしたの?」
 ジャンヌが声もなく槍を構えた。その様子を見てアレンも沼を注視する。ごぼごぼと気泡が出ている。脳裏に先ほどのるんが言っていた濃い毒ガスの話が閃き、咄嗟にのるんと小花をかばった。
「僕の後ろに!」
「え?」
「はっ、はい!」
 アレンよりさらに前にジャンヌが飛び出す。その瞬間、沼に出ていた小さな気泡が大きくなり、異常な臭気が噴き出す。高濃度の腐敗ガスが吹き出し、周囲の空気を押し出していく。ジャンヌの槍と、アレンのタリズマンがかろうじてそれらを狭い範囲で無毒化していく。
 そしてその気泡の奥から、菫色の輝きがゆっくりと持ち上がり、巨大な角を作り出す。びしゃり、と地面に濡れた足が降ろされ、泥まみれの巨大なサイの形が沼から起き上がってきた。
「っ……!」
 がばり、と開いた口から鼻が曲がりそうな腐臭がする。一瞬くらりとして魔術行使のための集中が途切れる。アレンのそうした隙を化け物が逃すはずはなかった。
「ぇあっ!」
 ずがん、とジャンヌが槍で開いた顎を殴りつける。横合いからの一撃に腐った巨獣がよろめき、沼の中に少し押し戻される。
「下がるね!」
 冷や汗を流しながらジャンヌが三人を庇う。動きは鈍いが、だんだんと泥の巨獣は形を確かにしつつあった。巨大な腕が振りかぶられる。
「ジャンヌ!」
「頭を下げなさい!」
 突然上から降ってきた言葉にジャンヌがぐっと足を折りたたんで伏せる。その真上を、耳鳴りと共に幾つもの弾丸が通りぬけて行った。固まろうとしていた腐肉が爆ぜ、関節を大気に晒す。直後に光の束がむき出しになった関節を焼いた。焼しめられた泥がばきばきと割れ、白い骨を見せたまま再生を止める。ごおっ、と周囲のガスが燃え、小規模の爆発を起こした。伏せていたジャンヌたちの真上を爆風が通り過ぎる。熱で巨獣の体が固まり、動きが若干スムーズになった。四足が地上へと上がる。
「どんどん濃くなるわ。長居はできないわよ、セレン」
「速攻よ、速攻!」
 樹上から現れたのは珍しく袖の長い陸戦服に身を固めたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)だった。ごお、と巨獣が咆える。いくらかのガスが反応して消えたとはいえ、毒素はたまり続ける。地面に降り立ったセレンはジャンヌの傍を猛然と通り過ぎ、巨獣の両膝を打ち抜いた。ぐらりと巨体が傾ぐが、染み出した泥でまた再生しようとする。それを許さずセレンは射撃を続けた。ぐん、と菫色に発光する角が振るわれ、セレンが一度飛びのく。完全にターゲットはセレンに絞られていた。
 その隙にセレアナがジャンヌ達を助け起こす。
「下がって。開けた場所におびき寄せて、焼いて固めた後にバラバラにするから」
「で、でもそれでは爆風で皆さんも!」
 小花が首を振ってセレアナの袖をつかむ。少しだけ困った顔をするとセレアナは決意を秘めた顔で首を振った。
「あまり長居はできないわ。ちょっと危ないけれど……」
「水分を含むなら、熱じゃなくても固められるかも」
 アレンの言にセレアナはピンときたのだろう。二言三言言葉を交わすと頷き合い、小花とのるんはジャンヌの後ろへ、セレアナとアレンは左右に散った。セレンが放つ大口径の銃弾が吸い込まれるように関節を穿ち、巨獣に全力の動きを許さない。が、一人では抑えるので手一杯だった。
「セレアナぁっ! 早く支援!」
「OKよセレン。こっちに寄せて!」
「了解!」
 ばっとセレンが退いていく。巨獣がまた一声吠えると、どすん、と音を立てて一歩を踏み出す。再生を始めた足で大地を踏みしめながら、沼辺の開けた場所へと誘い込まれていく。
所定の位置に誘い出した時、再びセレンの銃が咆えた。次々と叩き込まる弾丸が再び関節傷つけ、膝を折らせる。ずうんと重い音が沼の水面を波立たせる。しかし再生する足が再び体を持ち上げようとし、その足が黒い文字に絡め取られた。ジャンヌに守られた小花が詠唱を続ける。
「六道落つ者ら浮かび沈み巡ること叶わぬ苦役に染む、汝ら絆し亡き無縁なる者、土つきたる……」
 次々と生み出される呪言が黒い文字となって巨獣を縛る。そこにアレンの呪文が重ねられた。
「眠れる大地の凍れる風よ、汝が夢に、わが敵を招け!」
 冷気が凝縮し、足元から巨獣が凍りついてく。咆えども呪縛がそれを許さない。セレアナはぴたりと照準を輝く角に合わせた。
「土に還りなさい!」
 光の束が角に照射される。それは菫色の輝きとしばしせめぎ合い、セレアナを後押しするように放たれた弾丸によって一息に押し切られた。ばきり、と何かが砕ける音と共に角がはじけ飛び、ずん、と巨体が頽れる。どろどろと泥が流れ落ち、それは巨大な骨だけを残して沼へ還って行った。
「ふぅ……どうにか二度目の引火は避けられたみたいね」
「効果は高いけれどこちらも無事じゃ済まないなんて、本当に性質の悪いところね」
「あ、あの! ありがとうございました!」
 小花が話す二人に頭を下げる。セレンとセレアナは笑って手をひらひらと振った。
「御礼は要らないわ。こちらも助かったもの」
「あれ? 今日は水着じゃないのぉ?」
 ぺこぺこと頭を下げる小花の後ろから、狼を抱えたのるんが顔を出す。陸戦服姿のセレンが笑ってばふばふと自分の服を叩いた。
「変なのに触ってかぶれたりしたら嫌じゃない? でも、服の下はいつも通りよ」
 そういいながら前をはだけると、輝くばかりの白い肌にビキニが覗いた。それが覗く一瞬前に小花の手がアレンの視界を塞ぐ。「な、なんだ!?」「アレン様お静かに」とすったもんだを繰り広げるのをしり目に、セレンは前を閉じた。
「に、しても。完全にこれは人為的なトラップね。モンスターの退治というより、完全にトラップの解除になっているわ」
「罠、ですか?」
 セレンの言葉にやっと目隠しから解放されたアレンが問うと、今度はセレアナが答えた。
「ええ、今も樹に寄生していたこぶを一つ一つ焼いていたところよ。下手に破くと毒をまき散らすの。挙句ここには泥の獣……ちょっと撤退を考えた方がいいかもしれないわね。待ち伏せされてるとしか思えない」
「石! 光る!」
 残された骨を興味深げに見ていたジャンヌが、砕け散った泥の中からわずかに光る菫色の欠片を見つけ出し、拾い上げていた。それに皆が集まっていく。
「これが核になっていたのかしら?」
「小さすぎない? 今まで見てきたこぶもこんな小さな欠片でできるとは思えない」
 セレアナの問いにセレンが首を振る。だが少し首を傾げてからセレンがもう一度続けた。
「もしかして、残ったのがこれだけ、っていうこと? 他は溶けるとかして……」
「かもしれないわね」
「ほー」
 ジャンヌは難しいことはわからないという体で二人の会話を聞いていたが、とりあず光る石を見つけられて満足のようだった。セレアナはさっと全員を確認すると、小さく加護の呪文を唱え、全員をもう一度保護した。
「さ、一度退きましょう。報告しながら一度戻って、立て直しをしないと」
 全員が頷く。六人は一路拠点へと歩き始めた。