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彼と彼の事情

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彼と彼の事情

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◆接客=戦場である。気を抜くな!
 からんからんっと来客を告げるベルが鳴る。顔を向ければ、10代後半と見える少女達が興味深げに建物内を見回していた。

「「いらっしゃいやせー!!」」
「ひっ」
 そんな少女たちへかかった声は、なんとも野太い。というか、荒々しい。声の主は、顔に傷があったり目つきが悪かったりする、グラサンに黒スーツのがたいのよい男達。
 少女たちから短い悲鳴が上がるのも無理は無い。

(あ〜あ、止めた方がいいって言ったのに)

 猪川 勇平(いがわ・ゆうへい)は男たちを止めようとして無駄になった手を下ろし、固まってしまった少女たちへと駆け寄り、フォローをする。
「あ、衣装は奥にたくさん用意してあるから、見てってくれ。気に入ったのがあったら声をかけてくれな。手続きがあるからさ」
 こくこくこく、と無言で頷きピューっと奥へと消えていった少女たちを見送り、勇平はため息を吐き出した。
 勇平たち、猪川組は今回、貸衣装屋での接客対応に当たっていた。

「どう考えても俺らは、警備に回った方がいい気がするんだけどな……」
「それについてはきちんと説明しただろう?」
 後ろから聞こえた声に、勇平は振り返りながら「たしかにそうだけどさ」とウルスラグナ・ワルフラーン(うるすらぐな・わるふらーん)へ目をやる。
 猪川組の従業員たちは、ヤンチャをしていたメンバーだ。そのメンバーを集めて更生もかねて立ち上げたのが猪川組。今回の接客もそんな更生の一環だとウルスラグナは言う。

(仕事で人々を笑顔にできるということを理解させる、か。たしかに大事なことだとは思うけど……それにしたって、なぁ)

 むしろお客さんの心に傷がつかないか心配だが。
「あちらを見てみろ」
 ウルスラグナが唐突に示した方角を見る。そこでは従業員が緊張した様子ではあったが、一生懸命客と話していた。客は最初こそガチガチだったものの、段々と普通に話し始めていた。
 最終的にその客は1つの衣装を満足げに借りていった。その後姿を頭を下げて見送った従業員の顔は、どこか輝いて見える。
 たしかに効果はありそうだ。

「あの、すみません。こちらの衣装を借りたいのですが」
「ん、ああ。じゃなかった。今行きます」
 考えを中断。勇平が受付へと駆けていった。
 その背を見送ったウルスラグナの目が、一瞬鋭くなる。
 貸衣装屋の協力を申し出たのには、もう1つの理由がある。
 防犯だ。
 出入り口付近に設置された貸衣装屋には、大勢がやって来る。街の入口ともいえる場所にこんなコワモテの連中がいたらチンピラ程度の奴らでは近寄れないだろう。
(もし何かあったとしたらたっぷり教育するよう従業員達には言い含めてある。大丈夫だろう)
 元々荒事が得意な面々だ。そちらへの心配は不要。ならばウルスラグナの目が鋭くなったのはなぜかと言うと。

「我も全力で接客せねばならんな」

 ふうっと息を吐き出し、穏やかな表情を浮かべる。慣れない戦場(接客の場)だが、負けるわけにはいかない。
 負けるって何に? とかはきっと突っ込んじゃいけないのだろう。

 猪川組の幹部といえる2人がそう重く考えている今回のミッションだったが、

「やろーどもー、あたし達の目的はお客様の満足。全力でぶつかってくぞー」
「おおーっ!」
「声がちいさーい」
「おおおおおーーーっ!」
 従業員に向かってこぶしを振り上げている猪川 庵(いかわ・いおり)は違った。

「お客様の要望は−?」
「隅から隅まで漏れなく聞きとめる!」
「お客様の望むものがなかったらー?」
「草の根を分けても探し出せ!」
「お客様へのセクハラはー?」
「ノー! 絶対ダメ!」
「……うん。間違っちゃいないんだが、なんか違うくないか?」
 よく分からないのりで従業員の士気を高める庵の言葉に勇平がつっこむが、当の本人達へは届かない。彼らのテンションが高すぎて。

「でも姉きー! 上手く対応できなくて……」
「なんだー、情け無いぞー」
 しょぼくれる大の男を叱咤する庵だが、ふふんっと胸を張った。
「しかーし! 今回は特別に見本をみせてやるぞー!」
「おおー!」
「さすがー!」
 庵には、こういう連中をまとめる素質でもあるのかもしれない。
 庵は、衣装を迷っている客へと声をかける。
「どうしたの? 何か困ってたら聞くよ?」
「え、うーん。このアクセに合う衣装を探してるんだけど」
「なるほど。クール系がよさそうだね。で、髪型をこれにしてみるとかどう?」
「あ、それいいかも」
 二、三話し合った後、客は「ありがとう」と笑って祭りへと向かっていった。従業員達が唸る。
「おおおっさすがっす」
「よーし、今みたいな感じでやってみろー!」
「おおおっす!」

 気合十分な彼らに、勇平としては不安しか覚えないのだが

「まあ、楽しそうだし、いいのかもしれないけどな……」

 笑ってから店内を忙しなく歩いていく。そろそろ衣装の補充をしなければ。

「そういや、店の方は大丈夫かな。あの地区、いつも何か起きてるしな〜」
 ちょうど目に入った窓から、自分達の店がある方角へと顔を向けた。

「お客様が困った時にいつでも対応できるよう、そばをつかず離れずだー!」
「おおおおっ」
「って、いやいや。それは邪魔だから!」
「む。中々接客とは奥が深いな」


◆ドクター誰ナンダー!? 答え合わせ編
「フハハハハ!」
 街に響く高笑い。輝くめがね。はためく白衣。

「我が名は秘密喫茶オリュンポスの店長、マスターハデス! 今こそ街に恐怖と混沌を撒き散らしてくれよう!」
 そう。答えは ドクター・ハデス(どくたー・はです)だ。……知ってたとかいわない。
 ハデスが腕を前に突き出した。
「さあ、我が部下の戦闘員たちよ!
 このカボチャ風戦闘員服に着替えて、アガルタの街を混乱に陥れてくるのだ!
『オペレーション・トリック&トリート』発動せよ!」
「ききーっ!」
「発動ナノダー!」
 戦闘服(ハロウィン仕様)を着た戦闘員たちが街へと駆け出していく。もちろんハデスもその成果を見るために店を飛び出す。

「ちょ、ちょっと兄さん! みなさんにご迷惑になることは――って、もういない!」
 どんなところに常識を持つ保護者のような存在はいるもので、高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)がまた不可解なことをはじめた兄を止めようとしたが、ときすでにおすし……遅し。
※素で打ち間違ったとかそんな事じゃないんです。

「きゃーっな、なにっ?」
「悲鳴? まさかもう兄さんが何か」
 咲耶は兄の姿を求め、悲鳴の聞こえた方へと向かう。兄のことであるから、『恐怖と混沌を撒き散らす』というのはイタズラ程度だと彼女は思っているが、それでも迷惑をかけることには違いない。
 店を出る前に、そんな人たちへのお詫びを、と手製のお菓子が詰まった箱を持つことを忘れない。本来は子供達のために用意したものだが、致し方ない。

 たどり着いた先には、

 そう。

 地獄絵図と呼べるものが広がっていた。

「しくしく。もうお嫁にいけない」
「ききー! ッてあれ? なんか勝手にこんな声が出て……キー!」
 道にあふれた人たちは、全員が戦闘員や怪人風のコスプレをしていた。それが自分の意志で無いことは、涙や言葉から分かる。
 ハデスの仕業だ。

「あっ、ご迷惑をおかけして、すみません。
 これ、つまらないものですが、お詫びです」
 咲耶が慌てて駆け寄り、一人ひとりに頭を下げながらその手製のお菓子を渡していく。
 【謎料理】【みらくるレシピ】【虹色スイーツ】の3つが合体した、毒々しく七色に輝く、蠢くお菓子――のような何かを。

(今日はいつもより自信作ですし、少しはお詫びになるはず)

 本人はいたって真面目であり、好意で渡している。渡された相手の顔が引きつっていることには、残念ながら次々に渡していっているために気づかない。気づけない。
 渡したお菓子が襲い掛かっていることにも。

 そう。
 まさしくそこは――地獄絵図だった。


◆仮装するより仮装してる
 その頃、同じくその悲鳴を聞きつけた者たちがいた。
 街の警邏をしていたジョージ・ピテクス(じょーじ・ぴてくす)笠置 生駒(かさぎ・いこま)だ。
「ぬ? 事件か?」
「そこまで危機迫った声ではなさそうだけど……っとと?」
 生駒がのんびりと返事をすれば、こんどは「ぎゃーっ」という危機迫った悲鳴がした。
 しかもその一度だけでなく、危機感の無い声とある声が交互に聞こえ始める。一体何事だと、思わず2人は顔を見合わせた。

 とにかく何かが起きているらしい。

 生駒はお好み焼きのパックを握り締め、現場へと向かう。
「……ん? これは中々美味しい」
「緊張感ないのぉ」
 警邏といいつつ、あちこちの店に顔を出しては飲み食いし、祭りを思い切り楽しんでいる生駒に、ジョージはなんともいえない目を向ける。
 すぐにため息だけをつくところを見るに、いつも通りなのだろうが。

「とりっくおあとりーと!」
「ん?」
 現場へ向かう2人に、そんなつたない声が2つかけられる。見ると、よく似た男女の子どもがいる。魔女とドラキュラの仮装をした子どもは、2人をキラキラした目で見ていた。傍には両親らしき人たちがいて、微笑ましげに子供達を見つめていた。
 悲鳴の場へ急がなければならないが、運営の一員としてはこういった観光客への対応も重要だ。ジョージは腰に下げたきびだんご――ではなく、袋から飴を取り出す。
 生駒も同じようにポケットへ手をいれ、それから何も取らずに手を元に戻した。しゃがみこんで、目線を合わせる。
「じゃあ、いたずらで!」
「え?」
 子供達がびっくりしているのに、ジョージは再び呆れ、「先に行っておるぞ」と飴を渡して去って行った。

「どうする?」

 問う生駒に、子供たちは最初こそ戸惑ったものの、すぐに楽しそうに笑った。
「えっとね、えっとね。じゃあ」
「ねえちゃん、そのまましゃがんどいてよ」
 きゃっきゃきゃっきゃと女の子が喜んで髪をいじり始め、男の子はポケットの中から何かを取り出していた。

 そして数分後、いびつなちょんまげ頭にちょび髭をつけた生駒が街を走っていた。
「うん。まあ、こういうのも楽しいよね」
 存分に祭りを楽しんでいるようで何よりだ。

「さて。悲鳴が聞こえたのはこの辺りじゃが……」
 ジョージは呟きながら道の角を曲がり、「まあ!」という驚きの声に振り返った。
「おぬしは」
「すみません! 兄のせいですね!」
「……は?」
 そこに立っていた少女が、勢いよく頭を下げた。
「悪役コスプレだけだと思ってたんですけど、こんな着ぐるみまで用意していたなんて」
「いや、これは」
 少女はジョージの格好――何にも仮装していない素の姿。つまりチンパンジー――を、兄に無理やり着せられた着ぐるみ姿と思ったらしい。
 説明しようとジョージが口を開く。……が、何も喋ることはなかった。
「すみません! つまらないものですが、クッキーをどうぞ!」
「ふがっ」
「本当に兄がすみませんでした」
 頭を下げながら渡された、作った本人曰くクッキーが、ジョージの口に飛び込んできた。だが少女は頭を下げているから見えていない。
 そして気づかぬまま、次の被害者の下へ謝罪しに行ってしまった。
「ふがっ? ふががっ?」
 ジョージはこの騒動のより悪い方が少女の方だとすぐに気づいて追いかけようとするが、周囲にも散乱したクッキー(?)が彼の手足を阻害する。

「ふがーーーーっ?」


 ……1つだけ安心して欲しいことがある。
 それは遅れてやってきた生駒が、ジョージを含め、他のいたずら被害者たちを無事に救出したことだ。
 クッキーには寿命(???)があったらしく、生駒が来る頃には消えていたのが幸いだった。

「それで、なにがあったの?」

 ジョージ含む犠牲者たちは、事情を聞こうとする生駒に、ただ顔を青白くさせて首を振るうばかだったため、結局真相は闇の中に消えたのだった。