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冬のとある日

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冬のとある日

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【16】


「ジゼル君は居る?」
 店の扉を開けるなりの客の質問に面食らって固まるバイト君を横目に見つけて、ミリツァはテーブルを拭いていたダスターを畳み直してリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)の前に立った。
「御機嫌ようリカイン・フェルマータ。今日はどうかして?」
「ジゼル先輩に用事って。先輩裏に居るんだけど――」
「だったらミリツァが案内してあげるわ。宜しいかしら?」
 持って生まれた覇者のオーラの所為でどちらが先輩なのか分からないようなやり取りをバイト君と経て、ミリツァは奥の廊下へリカインを導いて行く。
「ミリツァ君、アルバイトしているって噂は本当だったのね」
「此処の女将、押しが強いわ。アレクの妹だと分かった途端、良く分からないうちに手伝わされていたのよ。『ジゼルちゃんはこの店の子供のようなものだから、その旦那さんのアレクちゃんはこのお店の息子。だったらアレクちゃんの妹のミリツァちゃんもまた娘』ですって。
 ――対外的にはアルバイト見習いという立場を取らせて貰っているわ」
 言いながら扉を開こうとドアノブへ掛けたミリツァの手が、一瞬躊躇に止まる。
「どうしたの?」
「声が――」
『お兄ちゃんダメ。そこ、触ったら声が……』
『駄目ってお前、ここまできて何言ってんだよ』
『でも……あッ――』
 扉の向こうから聞こえる悲鳴にミリツァの肩がビクリと揺れる。これは開けていいのかと後ろを振り向いた不安げな瞳に、一方リカインは躊躇無くドアノブを捻った。と、同時にジゼルの「ぎゃああああああ!!!」という情けない悲鳴が部屋中に木霊する。
 目に飛び込んできたのはアレクに足を捕まえられて、ソファの上でのたうち回るジゼルだった。
「リカイ――〜ッッッ! お兄ちゃ――そこッ超痛い! ヤダヤダヤイヤアアアアアア!!」
 ソファの上でクッションを締め上げる程抱きしめる事数十秒、漸くやり取りを終えたらしいジゼルが、靴を履き直しながら、青い目に涙をたっぷりと浮かべてリカインへ向き直った。
「リカイン、どうしたの?」
「……それはこっちの台詞なんだけど」
「さっきホール回ってて足つったの」
 どうやらジゼルは、アレクに足ツボを押されていたらしい。
「此処押すと直ぐ治るんだよ。昔東洋系のやつに教えて貰ったんだ。眠気覚ましにも効果あるんだけど、押してやろうか?」
 小首を傾げるアレクの隣でジゼルが辞めた方が良い!とブンブン首を横に振っている。どうやら件のツボは強烈な痛みがあるようだ。
「水分不足だな」とアレクにカップを渡されて、ジゼルは一呼吸の後それを一気に煽る。そんな様子を見ていたミリツァが、呆れ混じりの溜め息をついた。
「おバカさんねぇ……。あなた今日、休憩とって無いでしょう」
「今日忙しかったんだもの。皆の休憩回すので精一杯」
「やれやれ、頑張るのも程々にしなさいね」
 叱咤に、「はぁい」と返事がくるのを待って、リカインは続けた。
「で、ジゼル君……もう一つ。さっきちょっと気になるところがありました」
 敢えて間を置くリカインに、ジゼルも姿勢を正して言葉を待つ。
「もう明確に家族になったはずなのにまだアレ君のことをおにいちゃんと呼んでいること。
 前にアレ君のほうが煮え切らないのかと思ったらジゼル君のほうだったという勘違いをしてたこともあるし。
 ……これもお互い了承の上でならおせっかいになってしまうけど、傍目には少し抵抗がある表現だよ」
 とくにさっきみたいな場合は、とリカインは付け加える。ジゼルは何の事かよく分からないという顔で首を捻った。
「アレクと呼ぶ時もあるわ」
「それ以外の時って事だろ。お前が俺をお兄ちゃんって呼びながら『仲良く』してたら、色々勘違いされるって――俺はそれでも構わないけど」
 アレクの説明でやっと理解が追いついたジゼルが、頷きながらハッと動きを止めた。
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「ミリツァは知っていてよ!」
 間髪入れず、日本語を勉強中のミリツァが主張する。
「日本人の妻は夫の事を『ご主人様』と呼ぶのだわ。だからジゼルもお兄ちゃんでは無く、アレクをご主人様と呼べばいいのよ。これなら幾ら愛を囁いても構わないわね。――勿論私は実の妹だから、「お兄ちゃん大好き愛してる」と叫んでもいいのだけれど!!」
 正解が言えた!と思っているミリツァの瞳は期待で一杯だ。そんな可愛い妹の為にアレクが特に否定を口にしないので、ジゼルはそれを答えと両手を決心に胸の上で組み合わせ、初めての緊張に頬を染めながらアレクを上目遣いで見つめる。
「……ご主人様大好き愛してる」
「そうだな――もしこの調子でジゼルが何時ものような言葉を口にしたらどうだろう。
『おかえりなさいご主人様』『ご主人様、私を好きにして下さい』『ご主人様、私もうお』」「私そんな事言ってない!!」
「と、まあリカイン、俺にはご主人様の方が『抵抗ある表現』になった気がするんだが……具体的に言うと、如何わしい」
 くるりとこちらを向いたアレクの真顔に、リカインは頷くしかない。ご主人様は満場一致でアウトだろう。
「そうね……他に何か――」
 リカインが首をひねり始めた矢先、ミリツァがまたも「分かったわ!」と声を張り上げた。
「日本語には『読みがな』という文化があるのだわ。あれを活用すればいいのよ」
 そうしていそいそとテーブルの上のメモ用紙に、ミリツァはたどたどしく漢字を綴った。
 余り綺麗では無いが、読めない事は無い。『本気』と書かれている。
「これはなんと読むのかしら?」
 ミリツァの笑顔に「ほんき」と答える三人の声に殆ど被さって、ミリツァは「NE!!!」と叫んだ。
「これは『マジ』と読むのよ!!」
 エヘンとふんぞり返るミリツァが馬鹿に見え――可愛らしかったので、アレクは笑顔で「そうだね」と答える。
「本気と書いてマジと読む。
 そんな風に『ご主人様』と書いて『おにいちゃん』と読めば良いのよ!」
「そっか! ミリツァ凄いわ、それならお兄ちゃんって呼んでも夫婦みたいだし、ご主人様って言ってもイカガワシイ感じがしないのね!」


 『お兄ちゃん』の件は保留にして、何れ来るであろう兄との最終決戦に向け人体の意外な急所『肋骨』を狙うにはどうしたらいいのかをアレクの目の前でミリツァに指南し始めたリカインは放っておいて、アレクは別の人物との会話をしている。
 一見この場にはリカインとミリツァとジゼルの他、アレク以外居ない様に見えるが、実際は違った。リカインの髪の毛に見える部分は実はギフトのシーサイド ムーン(しーさいど・むーん)なのだ。
 そのシーサイド・ムーンがテレパシーで話し掛けてきたのは数ヶ月前の戦いの折、シーサイド・ムーンがアレクの目の前で殺人を行った事についてだ。
 大量破壊兵器を拒絶していたアレクにあの行為がどう映ったのか。そもそもギフトである自分がどう思われているのか、シーサイド・ムーンは気になっていたのだ。
 今更ギフトであることを辞める事は無理だが、パートナーであるリカインとアレクの無用な対立は避けたい。そういう気持ちが含まれた言葉だった。
 それに対し、アレクは自分が否定したいのは兵器では無く大量破壊兵器なのだと前置きした上で言った。
[兵士が人を殺すのは当たり前の事だ。俺ももう数えきれないくらい殺したし、家自体がそういう家だ。祖父は人を殺しまくったお陰で祖国で英雄と呼ばれてたよ。そういう職業なんだ。
 でもな、祖父が一方で悪魔と呼ばれたように、人殺しは憎しみを産む。憎しみを産む戦争が正しいのか、正しく無いのか。そんなものは俺は知らん。ただ仇を――兵士を恨むのは残されたものの当然の権利だと、俺は思う。
 ――合衆国に渡った後に、俺は『たまたま』俺の家を吹っ飛ばした人間に会った。既に除隊されて故郷に帰った彼はイカレてた。兵士として生きていたなら良いのに、随分と無責任な奴だと思った。が、後で調べてみて分かったのは彼が自分が押したスイッチで死ぬのは、精々下に居る戦車兵だけだと知らされていたという事実だ。彼は本当の目的が別の部分にある事を知らなかった。新型の爆弾の実験だと知らなかった。
 兵士が人を殺すのは当たり前の事だ。それが銃を持っている相手ならな。
 俺は女も子供も殺したよ。そうしなきゃ自分が殺されたからな。でも兵士じゃない人間は殺した事は無い。銃も殺意も持たない人間を殺すのは、軍人でも何でも無い。ただの人殺しだ。
 確かに俺達は人殺しで金を貰う、地位と名誉を貰う。でも殺す相手は兵士だけだ、愛すべき祖国と守るべき国民に銃を向けた敵だけだ。そう正統化しているから、まともでいられるんだ。それが出来ない戦争では、兵士は人間性を奪われて狂気に陥る。戦争は綺麗事じゃないが、割り切れなければ傷を残すだけなんだ。
 パラミタのお陰で世界の軍部はもう一度混乱したが、俺は今の時代に生まれた事を感謝してるよ。ベトナム、アフガニスタン――幾つもの戦争と国民の批判を経た今だからこそ、俺達が上から『非人道的行為』を強いられる事はない。皆無とは言わないが。
 そこで……残る可能性と言えば、大量破壊兵器の存在だ。それが無ければ戦争が終わらないなんて言うのは偉い奴の方便だ。あれは民間人を殺し、兵士の心も殺す。あんなもん必要無い。
 俺は家族を奪われた被害者としての立場ではなく、軍人として、一兵士としてあれを――]
 それまで真面目な顔で話していたと思ったアレクが急に立ち上がると、エプロンを締め直していたジゼルを捕まえて膝にのせ今度は声に出して続けた。
「――とか何とか考えてたんだけどジゼルに会ったら良く分かんなくなっちゃった。だってこんな可愛いんだもんな。
 敵艦隊って言われたら即座に殲滅せよと思うだろ、でもそれが萌え系の美少女戦艦だったら? 
 即降伏だよ!
 俺な、萌えは地球を救うと思うんだ。萌えこそ人類の意志を統一出来る、皆幸せになれる唯一の方法だよ。そして俺の嫁はアルティメット萌え萌え兵器だからな。もう……なんか……どうでもいいよ!!」
 『どうでもいい』という究極の言葉で締めくくられた会話に、シーサイド・ムーンがどう返すべきか悩んでいた時だった。
「アレク!!」と勢いよく部屋に入ってきたのは、プラヴダの中尉ハインリヒだ。
「さっき遂に上手くいったんだ! あれ、君の言ってた合体技!!」
 興奮に目を輝かせている幼馴染みを見ていれば今更冗談で言ったとは言えず、アレクは腕の上にカツラを乗せるという非常にシュールな状態で外へ出た。
 見てろよ!と、挑むような笑顔で改めてアレクへ振り返ったハインリヒの腰のポーチから、彼の五体ギフトがぽんぽんと宙に飛び出してくる。
「Svarog! Perun! Dajbog! Veles! Sventovit!」
 ハインリヒの呼ぶ順番に山羊達は縦に――というより団子状に重なって行く。グラグラ揺れる高さ1メートル程度のトーテムポールを、アレクとシーサイド・ムーンが何とも言えない心持ちで見守っていると、俄に山羊達の黒い毛並みがぞわぞわと毛羽立っていった。
 ん?と思った瞬間に、強い光りがストロボのように瞬く!

「Ja ne mogu da verujem ...(*信じられない……)」
 目が慣れたときに、目の前に鎮座していたのは全長50メートルはあろうかという巨大な列車砲だった。
 男心に響く造形に興奮と感動で胸の前で両の拳を握りしめてしまったものの、あのスノーボール(*丸い饅頭型の菓子)を二つ詰んだような山羊のぬいぐるみが合体してあれが出来たという経緯を考えると、アレクは目を剥いたまま微動だに出来ない。それはシーサイド・ムーンの方も同じようで、腕の上でモゾモゾ揺れていた感覚が、列車砲の登場に一切無くなっていた。
「Ist das nicht erstaunlich!?(*これすごいだろ!?)」
「……Ovaj……Da.(*……あの……うん)」
 曖昧に答えながら、急激に冷めて行く頭の中でアレクはぐるぐると考えを巡らせている。
 そもそも考え無しなところの多いハインリヒはアレクの『出来っこ無いね』に対して『してやったり』と思っているだけだろうし、あとはもう『合体』と『巨大』が織りなすそれ――ただの男のロマンなのだろうが、アレクには曲がりなりとも彼の上官としての立場があるのだ。
 第二次世界大戦に登場したこの規模の列車砲は、巨大であるが故に運用する為に幾つもの問題を抱えていた。それは装填時間の長さや砲身の交換、移動の為の線路の必要などだったが、これらの問題は全て、『ギフトであれば解決出来てしまうかもしれない』のだ。もしこのギフト列車砲がまともに運用出来、巨大な見た目に見合う火力を持っていた場合――。
 既にセイレーンというオーバーテクノロジーな大量破壊兵器と、敵の座標をどんな位置からも特定出来る強化人間を動かす事の出来る軍に、巨大カノン砲が加わる事になる。
 三つもの超兵器を抱えて、我が軍はどこへ行ってしまうのだろうか。否、例え何時かプラヴダが解体される日がきても、妻と妹と幼馴染みが自分の元から離れるとは考え難い。となるとつまりこれはアレク自身の問題だ。
 いっそ欧州征服でも目指すべきかと遠い目をして列車砲を見つめるアレクを尻目に、ハインリヒの方はパートナーの頑張りを讃え、無邪気に手を叩いていた。
「Wunderbar Meine zicklein!(*素晴らしいよ僕の子やぎ達!)」
 主人の笑顔にしたり顔で答えるような『mahh』と言う鳴き声が砲身から響いた瞬間、目の前で光りが弾けると、次にそこに居たのはトーテムポールが横倒しになった状態でプルプルと震える山羊達だ。
 慌ててパートナーに駆け寄るハインリヒの背中を見ながら、アレクは安堵に息を吐き出し、先程真面目に話していた内容を『どうでもいい』以上に叩き潰す展開に、シーサイド・ムーンへ心の底から申し訳なく思うのだった。