イルミンスール魔法学校

リアクション

「アナスタシア、進路相談に来たよ」
「ヨルさん」
　白百合会副会長でもある鳥丘　ヨル（とりおか・よる）の姿に、アナスタシアの顔がぱっと明るくなった。
　彼女にとっては信頼のおける副会長でもあり、大切な友人でもある――改めて誰がどれくらい友達だとか、そういったことはお互い口に出さなかったが、少なくともアナスタシアはそう思っていた。
　ただ一つ問題があるとすれば。
「ヨルさんが進路相談なんて、不思議ですわね。もう決めてしまっているものと思っていましたのに」
「うん。ボクの進路はもう決まってるから、今日はアナスタシアの進路相談に来たよ」
　朗らかに笑うヨルに、アナスタシアは微妙に落ち込んだ。
「……そんなに信用されてないのかしら……今日で二回目ですのよ」
　これでも生徒会長ですのに、といじけかけるアナスタシアに、ヨルはそうじゃなくてね、と話し始めた。
「遭難した時、迷ってるような様子だったよね」
「ええ……」
　ヨルが指したのは、先月の冬山遭難での出来事だ。一緒に殺雪だるま事件の犯人を捕まえようとしたときに交わした会話。
「実はあの時まで、アナスタシアがヴァイシャリーに来た目的を忘れてたよ。もうずっと一緒にいるような気になってた」
「私もそうですのよ。皆さんがずっと百合園に、ここにいて、ずっとこの時が続くと思っていましたもの」
　そこまで言ってから、あの会話の時の感情が蘇ってくる。
　いつも百合園にいたから、分からなかった。この目の前の現実がいつか失われてしまうものだなんて考えてもみなかった。
「ただ、年が明けて……少しずつ皆さんも変わっていって……。私も、ようやく気付いたのですわ。皆当たり前ですけれど、卒業していって、それぞれの道を歩き始めて、もう毎日会えなくなると思うと……寂しくて。
　そして、同時に、私だって……」
　そこまで言って、俯く。目を閉じる。自分が何のために百合園に来たのか。誰が許して、いや――誰が決めて、ここに来たのか。本当は最初から分かっていて、ただそれを忘れたかった。
「さあ、悩んでること言ってみて」
　レキはそのプラチナブロンドの登頂に、声を掛ける。
「……私、は……」
「……言いにくい？　このまま大学まで全部の学業を修めても、いずれ家に帰って家が決めたままに人生を歩まされていいのかなって、あの時聞こえたよ」
　静かに言ってから、ヨルは今度は自分のことを話し始めた。思い返せば、こんな風にヨルが他人の事でなく自分の事を話したのは珍しいことだった。
「ボクも、何でも決めてくる家が嫌で飛び出したクチなんだ。進路のことも話してないんだよね。
　いつかはちゃんと話し合わなきゃいけないんだけど……。ま、面倒なことは後回しにしちゃおうかなって。今やりたいことだけを見ることにしたんだ。
　最後に決めるのはアナスタシアだけど、もっと自分を大切にしてもいいと思うよ」
　しばらくの沈黙の後、アナスタシアは顔を上げた。目尻に涙が浮いていたが、口元は笑っていた。
「……ヨルさんはとてもしっかりした方ですから、私、そんな方だとは思ってもみませんでしたわ」
「ちなみにボクはね、旅に出るんだ。武者修行だよ」
　ヨルもつられたように、少しだけ笑顔をみせる。
「武者修行だなんて、女性一人で危険ですわ……」
「……というのは冗談で、もっと世界を知って、その経験を誰かのために役立てたいんだ」
　――皆、百合園を巣立っていく。
「誰のためにどう役立てるかは、まだわかんないけど。きっとここだって思うとこ、見つけるよ。探偵になるにしても、今のボクじゃさっぱりだからね。道連れになるなら歓迎するよー」
　冗談めかして言うヨルに、アナスタシアは涙を白い指先で拭いながら、笑って言った。
「探偵事務所を開くつもりでしたのよ。でも、向いていないと言われてしまって……確かに、契約者でもありませんし、私には実力もありませんわ」
　くすりと、声を立てて。
「探偵ごっこもはじめは楽しかったですし、庶民の生活を勉強するつもりでしたけれど。今となってみればどこにでもミステリーは転がっていますものね。
　それに、大変なこともたくさんありましたわ。様々な謎を解決するためには、一人でどこへでも行って、色々なものを見なければ……」
　事務所を開いて、ミステリや資料を並べておくだけなら問題なくできても、このままでは未解決の謎を積み上げてしまいそうだった。
「私、流離の探偵っていう響きにも憧れますけれど。ヨルさんがそう仰るくらいですもの。私も今はまだその時ではない、ということですわね……」
　探偵でも、そうでなくても、いつかやりたいことを見付けに、できることを見付けに行くために。不安でも、不安より大きなものがあって。
「今私がやるべきことは、会長として何かを百合園に残すことですわ。
　そして……一年後。卒業式の日に、私を、待っていてくださる？　迎えに来てくださるかしら……？」
　一年の間にお互いの状況も気持ちも変わってしまうかもしれないけれど。
　アナスタシアは産まれて初めて、不確かな約束をしたいと願った。