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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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第2章 人の魂は玩ばれる。堕天使に、そして天使に


 セラフィックアベニューの広場の時計の針が、10時を刻む。
 時計塔から管楽器の音が流れ出た。穏やかな曲を背景に時間が分かるように、強い音が10鳴らされる。
 普通ならただの時計の音にしか聞こえないが、黒史病患者にとって、それは<二つ目のラッパ>でもあった。
 七つ目のラッパまで、あと五つ。
 ――さて、奇しくも堕天使コカビエルがいう七つの欲望、七つの大罪と数を同じくするなら、堕天使にとってラッパは一つ一つの欲望について人間の理性の枷を解き放ち、審判しているかのようだった。
 堕天使ルシファーに忠誠を誓う二人の堕天使セレンセレアセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす))――モールでバイトしていた二人の大学生――は、ゲームで見かける夢魔(サキュバス)のような布地の極めて少ない黒いビキニ姿で練り歩いていた。
「ねぇ、一緒に遊びましょ?」
 彼女たちは、自分たちに見とれる男たちにしなだれかかると、耳元で甘い声をかける。
 お巡りさんに通報されるスレスレの、少なくとも入店拒否されそうな衣装にマトモな男性なら引くだろうが(本人たちも気にならないことはなかったが、堕天している上に何より暑いと思い)、お互いさまというか、一夜のお相手でも引っ掛けられればいい男は……最初からそういう傾向があるのだろうか、彼女たちの“お遊び”に付き合って、取り巻くようにたむろしていた。
 そんな彼女たちであるから、目立つ。
「見付けたわよ、色欲の堕天使!」
 一人の天使が現れ、二人に向かって突進しようとしたが、取り巻き達に阻まれうまく進めない。その人垣の向こうから、セレンは嘲笑した。
「……あら、今更? 地上の民はもうあたしたちの言いなりよ。彼らを傷つけずに来れるかしら?」
 地上の民こと一般人と患者の間には事実の認識に齟齬がある……のだが、患者同士の間には何ら矛盾をはらんでいない。
「……卑怯な!」
「これくらいで卑怯と言われるのは心外よ」
 セレンは非難を受け流しすと<絶望神曲>を奏でた。たちまちに暗黒が天使に覆いかぶさり、絶望と苦痛をもたらす。
「……あああっ!」
「耳に心地よしは敗者の嘆き」
 セレアはネズミをいたぶる猫のような酷薄な笑みを浮かべると、頭を押さえて身をよじる天使に向かって元は聖なるものだった黒い槍(ポスター)で手足を急所を避けて突き刺して嬲っていく。そして天使が力なくうなだれるのを見て、
「……もう飽きたわ」
 と、胸を一突きして止めを刺した。彼女は崩れ落ちる身体槍を引き抜くと、穂先をそのまま新手の天使に向けた。
 しかしその天使は銀の髪を自然になびかせたまま、周囲の花壇に緑の瞳を向けていた。
「……動じない……?」
「見つかってしまったかぁ。人としての名は山元 皐月佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう))……勿論、仮初のものだけどねぇ」
 皐月は花壇に近づくと、ぷちり、と二輪の花を摘んだ。
「ワタシは天使。そう、エンジェル。このクソッタレな世の中に紛れ込んで人の生活をみてたんだけどねぇ。
 今から貴方を駆逐するわ。植物の守護天使だから、環境破壊ばっかりやる人間には早く居なくなってほしいけど、これも仕事なのよぉ」
 皐月が顔を上げて二人を見る。
「地上の民の命が惜しくないの?」
「そりゃあ、自分で殺しはしないけどぉ、堕天使がやったっていうなら不可抗力よねぇ……気は付けるけどねぇ?」
 皐月は天使らしからぬ(いや、天使らしいのかもしれない)ことを言うと、手の中の花の一輪の花弁を摘まむ。
 堕天使が訝しげに思う間もなく、セレンは激痛と共にひとりでに腕がねじりあげられているのに気が付いた。
「こんな言葉を聴いたことがあるかしら。悪魔と闘う最前線に時折真っ赤な花が咲くって。
 その花はきっと綺麗なんでしょうね。貴方も見てみたくないかしら」
 ぷちり。花弁が一枚取られるのと同時に、セレンの肩の付け根から噴水のように血が噴き出た。
「ぎゃあああっ!?」
 セレンの絶叫を心地良く聞きながら、皐月はうっとりと次の花弁を摘まんだ。
「ほら、貴方の右腕から。え、何だか堕天使みたいな攻撃ですって? ……ふふ、絶対的な正義を行うのに感情が必要?」
 一枚、もう一枚、葉を、茎を裂いて。静かな姿とは裏腹に血なまぐさい舞踏が繰り広げられる(傍からは花占いをして、その途中結果にセレンが一喜一憂してダンスを踊っているように見えただろうが)。
「セレン、今助けるわ」
 セレンにかわり、セレナが花を千切り続ける皐月に槍を携えて突進する。その際地上の民を吹き飛ばしたが役に立たない肉の壁など一顧だにしない。
 セレナは素早く槍で手元を狙う。皐月は眉をひそめると無残な姿になった花を放った。途端に支配の効力が切れ、解放されたセレンは地面に膝をついた。セレナは皐月が新たな花を千切ろうとする前に手元を執拗に狙い、皐月はバックステップを続けながら徐々に支配領域を失っていった。
「これが天使の実力? 暇つぶしにもなりやしないわよ……?」
 それを見ながらセレンは楽しげに笑うが、目は怒りに満ちていた。先程の仕返しとばかり、暗闇を練って形に作り上げる。無数の闇色に染まった刃の輪を指先、腕にかかった。
「<暗転殺輪>!!」
 最期の力を振り絞り、腕を振り上げ、セレナと対峙する皐月に向けて一気に投擲した。それらは肉を微塵に切り刻もうと襲い掛かる。
 しかし……、
「ワタシには、君たちの考えを教えてくれる花がいるのよぉ」
負担の大きい身体で必殺技を放ったセレンの刃の輪に四肢を裂かれながらも、急所を外すようにのけぞっていた。そこを追い打つセレナの槍が喉元を突き破ろうとした時、花に顔を近づけて何か語っていた皐月は顔を上げ、花を裂いた。
 花弁が舞い散る。
「<私は理解する>!!」


 皐月は次の花を摘みに花壇へとよろよろと向かった。
 視界に入ってくる足元の絵は見慣れない存在感を放っていたが、セレンとセレナを下した(ところで、職場周辺で過剰な露出で客をナンパしまくって遊んでいた、とその後証言された二人が、バイトを解雇されたことは言うまでもない)安堵と油断、何より疲労が皐月に注意する余裕を与えない。そっと花に手を伸ばし……、その手を人間の男に掴まれた。
「そうはさせない」と、男は言った(本当は警備員が花壇の花は摘まないようにと注意したのだが)。
 はっとして床を見る。皐月が注意を払わなかったそれは、色鮮やかな、心に眠る欲望を刺激されるような絵だった。
 そして気配に気付いた時、彼女は地面に描かれた禍々しい怪物の口に飲み込まれ、かみ砕かれていた。
 <三つ目のラッパ>が遠くから鳴り響く。
「……さあ、欲望よ、目を覚ましなさい」
 絵筆を持って微笑するのは、佐藤透海(21)(綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ))であった。
 美大生の彼女は画材を買いにショッピングモールに来ていたが、そこで鐘の音によって記憶と堕天使の力に目覚めたのだった。
 側には、大人しそうな印象の秋山紗月(19)(アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ))が立っている。透海の後輩であり、彼女もまた過去に透海と縁があった。こちらの手にも絵筆がある。
 二人が絵筆を滑らせると、力強い筆致が地面や壁に力強い模様を描き出す。魔術に周囲の人々がふらふらと惹かれてくる(美大生だけあって確かに美しかったので、パフォーマンスだと思ったのだ。おまけに買いたての絵の具はとても伸びが良かった)のを二人が満足げに見ていると、場に可愛い制止の声が響いた。
「その邪悪なお絵かきを止めなさいっ!」
「何かと思ったら、ずいぶん小さいわね……」
 透海は白雪真白(しらゆき・ましろ)ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう))の小さな背丈と容姿を見て、感想を漏らす。
 彼女はまだ7歳、百合園女学院初等科の1年生。大学生の透海たちと比べたらまさに大人と子供の差があった。
 しかし真白は怯まずに口上を述べた。
「あたしの前世は、大天使ミカエルさまにお仕えする使役天使が一柱、タイニージブリール
「……ミカエルの手先?」
堕天使ルシファーから地上界を護るために、ミカエル様から遣わされた存在
 もっとここは人間界。天界大天使ミカエル様直属使役子天使としての力は「こんなちいちゃな人間界の身体」によって若干抑えられている。けれど手にはミカエルより授けられた聖武具が握られていた。
 「あたしの大事な相棒、クロワ・デュノール・デネヴ、出番だよ!」
 彼女が銀色の聖杖・聖鍵杖『クロワ・デュノール・デネヴ』(北十字星デネヴ)を掲げると、先端の十字架型の鍵の飾りから光が放たれる。
「そんなラクガキに惑わされちゃ駄目なんだよ!」
 それは秘められたものの封印や邪悪な力からを解放する光。生気なく集っていた人々は、はっとしたように(パフォーマンスではなくラクガキと言われて)正気に戻ると、散り散りに去っていった。
「邪魔立てをする無粋な天使どもめ。人間に何の価値がある?」
 何もない空間に透海が描いた矢が実体化し、次々に襲い掛かる。
「堕天使には分からないだろうけど、人間たちには秘められた可能性があるんだ。人間も人間界も、愛すべき存在なんだ。そして人間たちの信仰が力になる……!」
「天使が良く言う。理性で力を抑えて……」
 よく話す透海とは対照的に紗月はもくもくと自分の衝動を絵筆に叩きつけていた。クロワ・デュノール・デネヴの先端で矢を弾く真白の背後に、大きな氷塊が現れる。
 迫る矢と氷塊の両方を身をかがめて避けた真白の頭上で、矢が氷塊に突き刺さり、破砕する。氷塊の破片は刃となって頭上から降り注ぎ――、
「クロワ・デュノール・デネヴ、結界を!」
 咄嗟に杖を振り上げ耐えようとする真白だったが、しかし、間に合わないことを確信してもいた。
 しかし――。
「……えっ!?」
 真白は貫かれなかった。彼女の前に一人の少年が立っていた。彼の両手は燃え盛る炎の盾を形成していた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
 中学二年生の少年・井原 カナト(いはら かなと)御神楽 陽太(みかぐら・ようた))は真白を一瞥すると、氷の溶けた飛沫の最後の一滴を蒸発させ、盾を解く。
 カナトの目の前に現れた二人の女性の顔は、自分より劣っている天使への苛立ちがあったが、すぐに馬鹿にしたような顔になった。
「今のはまぐれよ。あなたも炎を使うようだけど、私はそれだけじゃないわ」
「水は様々な姿に変えて……何もかも流し去るわよ。たとえば、あなたのような無能者はね」
 カナトは、14歳にしては小柄な、学生服に身を包んだ体を二人の女性に向けた。
「無能者じゃない、俺の名は天使ヴァニシエル。悪辣なる堕天使どもの奸計、俺の炎で焼却してみせる」
「炎使いが、炎で焼け死ぬといいわ!」
 矢を、爆発を、灼熱の火災を描く透海だが、カナトは火炎弾や炎の奔流を放って次々に飲み込んでいく。幻惑の炎でなく、燃素(フロギストン)とエーテルを組み合わせた本物の炎だ。
「なかなかやるな……だが、そろそろ本気をださせてもらう。……援護を頼む」
「うんっ!」
 真白の結界がカナトを包み込み、カナトの硬質化した炎の刃が二人の腕を襲った。二人は慌てて腕を引き、書きかけの爆炎と洪水を具現化させた。
 それをカナトは両腕を交叉して受け止めたかに見えた、が……彼の両腕は燃え上っていた。
「これが<フレイムノヴァ>、そしてこいつが……<フレイムカーニバル>だ!」
 燃え上った両手から、無数の炎刃が一斉に放たれた。慌てて防ごうと絵筆を滑らせる二人だが、発動までの間があり、そして……絵筆が、燃え上る。動揺する二人を、更に炎の刃が襲い、二人は炎の塊となって絶叫と共に焼かれていった。
「やった!」
 思わず飛び上がって喜んだ真白だったが、その首がとん、と背後から叩かれ、彼女は崩れ落ちた。
「……神……偽物の神を崇める天使よ。オレはエロ神様の信徒」
 かつてのイケメンの面影が僅かに残る太めの男が、そこにはいた。片手には刀がある。彼は隣の男を見やると、薄く笑う。
「……エロ神様の加護がない奴らに負けるはずがないのだよ」
「そうですね。仰る通りです。外見幼女なのは惜しいですが……」
 こちらの男は今もイケメンで、イケメンの印象を損なわずに丁寧に答えたが、獲物は刀と拳銃とより物騒だ。
「君たちは一体……」
「言い忘れていたな。オレはとあるエロ神様の信徒の一人鬼龍 貴仁(きりゅう・たかひと))、こっちはエロ神様の救世主医心方 房内(いしんぼう・ぼうない))だ」
 返事の代わりにカナトが放った火球は信徒に直撃したように見えたが、それは残像だった。ふっと消え失せたかと思うと、彼は別の場所に焦げひとつ作らずに立っていた。
「オレの<神の影>はどんな攻撃も回避する」
「そして俺の力<エロ神様のへの信仰(パラダイス)>は、あなたの神を捨てさせ、ロリコンにし、俺にときめくようになる――」
 二人とも、無駄な戦いで演奏会の邪魔をするつもりはない。開始までオープンカフェででもエロ本を読みつつ、演奏会死後は女子高生たちを堪能できるからだ。だからといって、エロ神以外の神の名の下に行われる戦い(たとえば、さっきの女子大生二人を倒すとか)は見過ごせない。
「――正しき神の下に、エロとロリを崇めよ」
 救世主と名乗る男の言葉に、カナトの背中の毛がそそけたった。カナトは迷いなく二人に突進し、組み付く。
「お、男と抱き合う趣味は……」
「黙ってろ、これが<フレイムドロー>……相手を自分ごと燃やす自爆技だ!」
 もがく二人にがっちり組み付く。
 そして爆炎が上がった。