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第5章 誰かの影


「幾らなんでももう頃合だろう」
 禁帯出書庫の入口の脇でダリルが呟くと、それが聞こえたかのように、大量のルカルカが1人また1人と戻ってきた。そして、ダリルの手元の見取り図(データ図面)に、辿った道筋の線が引かれていく。急速に集まり出したデータに、しかし、今度は辺りに「ルカルカ渋滞」が起こる。100人のルカルカが次々やってくるのに、情報の受け口はダリル1人なのだからどうしてもそうなってしまう。
「来るタイミングはもっとばらけてもいいはずだがな」
 ぶつぶつ言いながらもようやく連絡に着たルカルカを捌ききって、ダリルはしかし、首を傾げた。
「まだ全員じゃないな。何人か戻ってきていないようだが」
「えーっ? 今何人?」
「番号!」「1!」「2!」「さ「あと4人だ!」
 この上番号をかけてさらにわちゃわちゃと騒がれたのではたまらないとばかりに、ダリルが途中で遮った。
「何で戻ってこない?」
 邪魔されて何故かぶーぶー言い出すルカルカ達をよそにダリルがひとりごちた時、何か咆哮のような声が聞こえてきた。
 いや、まさに咆哮だった。
 それは、白颯の吠える声だったのだ。


「落ち着いてっ、落ち着いて白颯! 大丈夫だからっ」
 大判の本を床に置いて開き、その中に鼻面を突っ込んで唸っているように見える白颯の傍に、3人のルカルカがいた。1人が宥めるように白颯の背を抱き、もう1人は本を白颯の前から引き離そうとしているかに見えた。そしてもう1人は2人の間で何か様子を窺っているようである。
 離れた書棚のところにいた鷹勢が駆けつけてくると、その1人が状況を説明した。
「白颯がこの本を気にしてたみたいだから、あたしたちが開いたら、蟲がいたみたいで、引き込まれそうになって……
 それは振り払ったんだけど、この本、蟲の巣になってたみたいで何匹か出てきたの。
 白颯、それを全部片っ端から噛み殺して、まだ本の中にいる蟲を捕まえようとしてるみたいで……興奮状態なの」
 それを聞いた鷹勢の顔が青ざめた。
「白颯!」
 すぐさま白颯に駆け寄ると、強く首を引き、いつもとは違う厳しい様子で白颯を制した。
 首をひかれて顔を上げた白颯は、まだ歯をがちがち言わせて興奮した様子だったが、それでも鷹勢にずっと首を掴まれている間に、ようやく落ち着いてきた。
「本を閉じて」
 鷹勢に言われて、ルカルカは本を閉じた。

「――僕ら一族が使役する白毛の山犬たちは、そもそも、生まれた山を聖域とし、神に仕える聖獣として、異形の侵入者を祓うために戦う本能を持っているんだ。
 もちろん白颯も。
 どうもその本能が、蟲に過敏に反応してしまったみたいだ」
 なんとか興奮状態から覚めた白颯の頭を宥めるように撫でながら、鷹勢はそう説明した。
「こんな風に抑えられなくなることは、滅多になかったのに」
 あの時、何も起こっていなかったのに自発的に鷹勢を離れるという普段にない行動を見せたところで、もっとよくその理由を考えるべきだったのだ。そう考えて意気消沈している様子の鷹勢に、
「でも、白颯はやっぱり賢いのね。それに、この本もきっと助かるわ」
 ルカルカが何気なく気を引き立てるような言い方で話した。すると別のルカルカも、
「きっと白颯は、鷹勢やパレットや、他の人たちにも蟲の危険が及ばないように、自分だけでやろうとしちゃったのよ。
 守ろうとする意志が強く出すぎちゃっただけじゃないかな」
 慰めるように言って、手を伸ばして白颯の額を軽く掻いてやるように撫でた。白颯は大人しく、普段のような静かな目をしてそれを受けている。
 要するに、それほど気にするなと鷹勢に言っているのだった、そうと悟って鷹勢も無言でうなずいた。

 やがて、パレットが小走りでこちらへ駆けてきた。魔道書のゼンを後ろに連れて。ゼンと共に、禁帯出書庫に向かっていた陽一もやって来た。
 白颯が暴走しかけている時に鷹勢よりも近くにいてそれを察したパレットは、白颯を宥めるのはルカルカ達に任せて原因である本に何とか穏便な処置をするため、その処置を解っていそうなあの双子の魔道書を呼びにいったのだ。書庫に入っていたゼンを見つけたので、彼に声をかけて来てもらったのだった。
「わぁ、やっぱり繁殖してたんだ。巣ができてるとはね〜……」
 ゼンは眉を顰めて呟き、大判の事典を手に取った。それを、何か魔術を施してあるらしい布でぐるっと包む。
「これ、僕とコウで空中庭園できちんと蟲を処分するから」
 そう請け負って、ゼンは事典を手に引き返していった。

「ところで、あと1人足りないようだが」
 ダリルが、ルカルカの大群を見ながら呟いた。
「……あれ?」
 分身達も含め、鷹勢やパレット、皆がきょろきょろとする中、平静を取り戻した白颯が皆の注意を促すようにふん、と一度鼻を鳴らし、トコトコと歩き出した。
 また何かあったら、もしや本に引き込まれたのでは……と一抹の不安に緊張しながら鷹勢らがついていくと。
「あ」
 書棚の一番低い段の本を検分するような格好で寄り掛かり、大判の蔵書の表紙の上に臥せってすうすう寝ているルカルカがいた。
 白颯がその手に鼻を押しつけると、一拍置いて、目がパッチリ開いた。
「ん? ……あれ、あ? 寝ちゃった☆ テヘ☆ ……って、皆、どうしたの?」
「――呑気なもんだ」
 ダリルがため息をついた。




 書庫の一角に、人影がある。
「あ、お兄さん、ちょっと」
 クリストファーが声をかけると、その人影は緩慢な動作で振り返った。
 彼とクリスティーが、それとない様子で陣取っていたのは、幾つもの書庫や閲覧室を繋ぐ通路の奥、禁帯出書庫へと続く小通路の入り口だった。
「この奥は禁帯出の書庫だけど、最近、貸出票の制度ができたんだ。
 面倒だろうけど、貸出票を発行するからちょっと要綱に記入をお願いするよ」
 そう言って、用紙を挟んだクリップボードとペンを差し出した。
「貸出票と書いてるけど、これは持出し票ではなく閲覧票だからね。
 閲覧希望の図書を記入して司書のところに持っていけば、探してきてくれるよ。
 それに、他の人が閲覧中の本を探して図書館をさ迷うなんて無駄も省けるしね」
 事務的な口調で言いながら、クリストファーは、相手の顔をじっと観察した。
 厳つい顔に、暗い目をした長髪の男だった。年の頃は四十がらみだといったところか。
 今まで、来館者を見つけて何人かに話しかけたのだが、こちらの声が聞こえない様子で本を見ているうちに消えてしまったり、こちらを見た途端にぼやけて消えてしまったりと、クラヴァートが予め言っていた通り、存在がこちらと普通に意思疎通できるレベルにはない様子だった。
 だが、この男はこちらを認識している様子だった。クラヴァートの言った通り、現実世界で己に何らかの術を施し、この世界でも現実世界と同じ意識を保てる存在を構成しているのかもしれない。言われてみれば、多分現代よりいくらか昔のヨーロッパのものではないかと思われるその服装は、魔導師のものっぽく見えなくもない。
 そんなことを思いながら見つめるクリストファーの思考に何か感づくのか、男は明らかに警戒した目を向けていた。
「お帰りになるんですか?」
 一歩後ずさったのを見て、クリスティーが素早く口を挟む。
 いわば、2人に前と後ろを挟まれた格好である。三者の間に、緊張が走った。

「……あー……」
 それを破ったのは、しゃがれた細い声だった。
 声の主は、よたよたと歩きながら3人のいる方に近寄ってきた。ふらふらと、心許ない足運びだ。フードマントをすっぽりかぶっていて風体は分からないが、小柄で、老人っぽい。
 クリストファーがそちらに気を取られている一瞬の隙に、男はふいっとその場を離れ、禁帯出文庫のある方へと足を踏み出した。
「あっ、待てっ」
 慌てて追ったが、大きな書棚の角を曲がると、そこにいるはずのその姿は消えていた。
「……?」
 辺りを見回しても、それらしき人影はなく、隠れているという気配もない。現実世界で眠りから覚めれば、ここでの姿は消えうせる。彼は目を覚ましてここを去ったのだろうか?
 すっきりしないまま、クリストファーが戻ると、先程のフードの人物とクリスティーが何やら押し問答(?)している。
「や、やはりここは、禁断の叡智の迷宮……」
「あ、あの、お爺、さん、落ち着いて」
 進んでいこうとするその人物をクリスティーが押しとどめているが、フードが脱げて白髪の頭が見え、明らかな御老体と分かるのであまり強く出るのもどうかと戸惑っているようだ。
「あれは……あれは、どこに……」
「――あれ、って、何?」
 戻ってきたクリストファーの問いに、老人は、うわ言のように呟く。
「あれを返してくれんか……もう、3日も戻らぬ……」



 空中庭園。
 虫干し作業の指南役はゼンからコウに変わったが、作業は粛々と進んでいた。はぐれ魔道書達も要領を飲み込んでからはてきぱきと仕事をしているので、効率もどんどん上がっている。見つかった蟲はすべてコウが引き取って、ガラス瓶だの木箱だのに片っ端から収めている。
 最初の虫との遭遇で及び腰になってしまったお嬢も、戦闘力はないだろう彼女に配慮したアルツールの護衛で、怯えはかなり薄らいだようで、楽しそうに一緒に本を運んでいた。

「なるほど、書棚から書棚への噂話の伝播はそのようにして、と……なかなか興味深いな」
「……ノーン」
「! ……なななんだその目は」
 蔵書を載せた台車を押して戻ってきたかつみのじと目に、周りに沢山の本を置いてその真ん中で1物たちとわいわい話をしていたノーンは、顔を上げて些か慌てたようだった。
「ちゃんと目録も作ってるし、虫干しの手伝いもしてるし、仕事やってるぞー。
 ついでに本たちと交流やってるだけだぞー」
「……」
 無言で圧をかけるかつみを横目に見て、エドゥアルトは笑いを押し殺す。
「ある意味、本の虫にすでに取り付かれてるようなものだよね」
「本当に蟲に取り憑かれても知らないからな」
「大丈夫だ、ほれ、虫取り網がここに」
「――あっ!」
 そのノーンの隣で、やはり書物の話に耳を傾けていたナオは、かつみが運んできたカートの中に、見覚えのある本を見つけて駆け寄った。
 以前、書棚と壁の間に挟まっていたのを見つけた1冊の本だった。現世で相当酷い扱いを受けたらしく、破損に加えてページがごそっと落ちて背表紙がぶかぶかしていたり塗り潰されていたりと惨い有様だったが、その後治療と修繕を受けて幾らか回復したようだった。元の姿の回復のため、司書がかなり心を砕いたという話である。
 まだ十分ではなかったが、ナオが初めて見た時の痛ましい姿からすると、大分良くなっていると言えた。
「元気でしたか? あの……俺のこと覚えてます?」
 手に取る前に、念のためにナオは尋ねた。あの時は本当に怯えていたし、人に対して絶望もしていたからだ。
 小さい声が、ナオに答えた。うん、と。
「あのときは、ありがとう」
 低い、小さな声だった。それでも、ナオの顔はパッと明るくなる。
「じゃ、結界の方にいきましょうね。大丈夫ですよ、蟲がいなければすぐに済みますから。
 あ、もちろん、蟲がいてもちゃんと退治するから、心配いらないですよっ」