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およそ30年後――2054年


 あれから、三十年が過ぎた。
 あの幸せだった、まだ何も知らなかった2024年から。
 あの頃を振り返れば、二人して思い出づくりを意識していた。超多忙といって差し支えない、コスプレアイドルユニット<シルフィニアン・メイデン>と大学生の二足のわらじの生活。そんな中でひとつひとつ、思い出をつくっていった。
 充実していて、楽しかった。彼女と一緒なら何でも。
 春。無人島の冒険に行って、方向音痴の彼女が古城の中を悲鳴をあげて駆け回って、必死に追いかけたこと。
 夏。たった一日のお休みの日に、一緒にフルーツゼリーケーキを作って、輝くゼリーに食べるのが勿体ないと言いながら食べたこと。
 秋。道に迷って遭難しかけ、やっとたどり着いた温泉で見た紅葉の美しさ。
 冬。百合園女学院のクリスマスパーティーに参加して、友人たちと再会をしたこと。
 それだけではない、沢山の思い出。
 そういえば、いつか彼女と植えた……彼女が植えたいと言ったガーデンシクラメンを見に行かなくなって、もう何年経つだろうか。
 2024年12月25日に二十二歳の誕生日を共に迎えた彼女・綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は。
 共にアイドルからアーティストへと変わり、女優・声優として活躍し。
 34歳の若さで他界した。
 パラミタ特有の難病で、現在もその有効な治療法は見つかっていない。


 アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は、しばらくの間はさゆみを喪ったことで精神的に全く立ち直れなかった。
 さゆみは地球人だ。いつか分かれの時が来ることは覚悟していた、はずだった。けれどさゆみは地球人にしても、若すぎる死だった。
 自分が寿命のない種族――吸血鬼であることを何度呪ったことだろう。
 それでも、さゆみの葬儀や彼女の遺した遺品の整理、遺産の整理などを行っていた時は、そうした悲しみを逃れることができた。多忙すぎるので却って目の前のことしか考えられないから。
 でも、それらが一段落して、ゆっくり物事を考えられるようになった時、それまで胸の奥底で押さえこんでいた悲痛な感情が一気に爆発した。
 何日も何日も、ひたすら涙に明け暮れた。涙が枯れると、今度は感情そのものが消滅したような状態になった。
 何をどうやって過ごしたのかの記憶すらない。いつ起きていつ眠り、いつ何を食べ、いつ風呂に入ったかの記憶もない。それでも寝不足にはならず、身体はいつも清潔で、空腹感すらない。身体が勝手にこれらのことをやっているだけ。
 心は底なしの悲しみで占められていて、それを感じなくなっている。そんな日が何日も続いた。
 ――どれくらい経ったのだろう。
 誰もいなくなったはずのアデリーヌの心。
 ベッドの上にくずおれていたアデリーヌは、けれどふと、あるはずのない視線を感じて顔を上げた。
 そこには、どこか哀しげな微笑を浮かべて自分の方を見ているさゆみの姿があった。
「アディ……ダメじゃない、私がいなくなってしまったからって、そんな風になったら……。私よりずーっと年上なのに」
 さゆみ、とその名を呼ぼうとしたが、声は出なかった。
 いや、何か言ったら目の前から消えてしまう気がして。
「泣きたいときは泣いてもいいのよ、でも、涙に溺れるのはダメよ。そんなの、アディに似合わないから」
 そう言い残して。
 すうっと。
 さゆみの姿は消えてしまう。
 アデリーヌが手を伸ばした時にはさゆみは影も形もなく消えており、そこにはカーテンを閉め切った薄暗い部屋の、淀んだ空気を掴んだだけだった。
 アデリーヌは指を胸元に戻すと、指先で涙を拭い、呟いた。
 思い出す。
 さゆみが見せた沢山の笑顔。
 さゆみがくれた最後の笑顔。
「さゆみ……目を閉じたらまた、あなたのその微笑みに出会えますわよね……?」


 翌日、アデリーヌは長い間締め切っていたカーテンを開け、決意を胸に新たな道を歩んでいくことを決意した。
 その後、さゆみの名前を冠した財団を創設した彼女は、さゆみの命を奪った病の研究および患者への支援のために多忙な日々を送っている。