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リアクション
新たな人生の始まり
2026年春。
空京大学で、卒業式が行われていた。
綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)と、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は、卒業生として会場にいた。
2人とも髪を結って、華やかな印象の袴を着用している。
アイドルデュオ<シニフィアン・メイデン>として2人が芸能活動を開始したのは、空京大学に入って間もない、19歳の時だった。
デビューのきっかけは、記念受験で受けた空京大学教養学部にまさかの合格を果たしたことで、『今なら何でも出来る』という自信が生まれ、今の所属事務所へ自主制作したプロモーションビデオの動画を送ってみたら、オーディションに呼ばれて、合格。
そして、大学生活と同時にアイドルとしての活動も開始したのだ。
勢いだけで始めた大学生活とアイドル活動。その両立に苦労したけれども、どうにか両立できた。卒論の審査も口頭試問も何とかクリア――そして、今日を迎えたのだ。
(芸能活動、続けるんだから、学祭などで今後も門をくぐることはあるかもしれないけど……学生としては、もう二度とここへ通うことはないのよね)
さゆみは心の中にぽっかりと穴があいたような気持ちに陥っていた。
無理もない。これまでの人生の殆どを学生で過ごしてきたのだから。今後の人生は学生ではなく、社会人として生きて行くのだから。
芸能人というかなり特殊な立場ではあるが……。
(本当にいろいろなことがありました……)
起立して、歌を歌いながら、アデリーヌも大学での4年間を思い起こしていた。
アイドルとしてデビューしたときのこと。
世間には秘密にしているが、2年前の6月にさゆみと結婚をしたことも。
全て空京大学での4年間での出来事だった。
(一瞬のような短い時間に、濃度の濃い出来事が詰まっています)
アデリィーヌは吸血鬼であり、長い時を生きてきた。
その彼女にとって、4年間は本当に短い。短くて、濃い4年だった。
式が終わり、2人は学部授与式で学位記を教授から受け取った。
「……これで、完全に学生生活は終わり」
さゆみの口からそんな言葉が漏れた。
本当は、所属ゼミの先生や同級生とおしゃべりをしたいのだけれど……。
残念ながら、卒業式の今日でさえ、それは出来なかった。
式に出れただけでも、運が良かったのかもしれない。
「それじゃ……ありがとう。またね」
「またね、さゆみ! 仕事頑張ってねー」
「応援してるからね〜」
「ありがと、ありがとみんな、またね、またねーーー!」
友人達と手を振って、別れて。
さゆみとアデリーヌは迎えの車に乗った。
夕方のFM放送の出演のため、どうしても今からスタジオ入りしなければならないのだ。
(学生生活最後の卒業式の日なのに……こんな風に仕事に追われてしまう。
自分で選んだ道だけど……やっぱり残念だな。もう少しだけ、もう少しだけ……)
友達と一緒に、学び舎にいたかった。
小さくなっていく大学をさゆみは何も言わずに眺めていた。
(でも、なんでだろう……。卒業式では泣くのかなと思ってたのに、全く泣かなかった。
学校に通いながら、仕事もしてたから……そんなものだと思っていたのかな)
少し釈然としない気持ちになりながら、さゆみは前を向いた。
(さゆみと出会ってから9年目……。彼女と出会う前の数百年はひたすら空疎でしたから、その空疎を埋めて余りある日々を過ごしてきましたわ)
アデリーヌは、大学を見詰めているさゆみを見ていた。
(これからもずっと、さゆみとそんな日々を過ごしていきたい。いつか必ず「その日」が来るのだとしても、それを儚みたくはありません)
きょうの卒業の日は……これから始まる新たな日々を紡いでいくための、階段の踊り場だと思えばいい。
そんな思いを抱きながら、心の中に空いた小さな穴を押しつぶしていた。
FM番組の生放送。
「あれ? 今日もしかして、2人とも卒業式だった?」
パーソナリティのタレントが2人に問いかけてきた。
「ええ、そうなんです。卒業式が終わってから、駆け付けました」
「2人とも忙しいのに、卒業できたの? 本当に?」
「本当ですよ、ほら、学位記もちゃんともらって……あれ? ない!?」
「ふふ、さっきマネージャーに預けたでしょ、さゆみ」
「あ、そうだった、はははっ」
和やかに会話は進んでいるかに思えた。
リリースしたばかりの新曲も卒業ソングだったので、卒業式のことから、学生生活のことに話は広がっていき、会話が弾んでいった。
……はずだったのに。
「あ……ああ……」
突然、さゆみの目から涙がこぼれ落ちた。
「さゆみ?」
「私、本当に……卒業しちゃった……」
生放送の最中に、さゆみは声を詰まらせて泣き出してしまった。
「さゆみちゃん、ほら、涙拭いて! 大学は逃げないよ。どーしても行きたくなったら、また入学すればいいんだから」
パーソナリティのタレントはおどけた口調で言い、さゆみを笑わせようとするが、効果はなかった。
「さゆみ」
アデリーヌがさゆみの手に自分の手を重ねた。
「歌いましょう」
「……うん……っ」
BGMが流れ、二人は歌いだす。
少し切ない、卒業の歌を。
その時流れた二人の歌声に、多くの卒業生が泣いた。
かつて卒業生だった者も、涙した。