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第6章 聖アトラーテ病院・1F〜中層階


 受付の上にあった花瓶は無残にも粉々に割られ、スポーンに踏み荒らされた花が床に滲んでいた。
 ──花は美しく咲き誇るために生まれて来るものだ。
 ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)はスポーンの美意識の欠如に眉を潜めた。
 元よりスポーンに美意識や花を愛する心があるとは思ってはいないが、それは今のアイリスの状況と重ね合わされば、不快なことだった。
 ルドルフは、どんな過去があっても、どんな未来に行くとしても。ただ今ここに在ることを許された、その薔薇の学舎のかつての生徒だった。そして今は校長でもある。
 その誇りを胸に、ルドルフは駆ける。決してアイリスの花を散らさぬために──。



「ねぇ、こっちに地図があるよ! えーっと……アイリスちゃんの病室は……」
 足を止めて病院の大きな案内図を見上げるリンネに、山葉が並んで見上げながら疑問を呈する。
「外来が入れる場所の案内図って、入院患者の病室は書いてないもんじゃないのか?」
「そもそもインテグラルを倒し、皇女たる人物が一般病棟にはいるとは考えにくいな。……君は知っているだろう?」
 ルドルフ瀬蓮に尋ねると、彼女は切れる息の下で頷いた。
「うん。特別室にいるって聞いてる。いわゆるVIPルームだね」
 ということは、行ったことがないのかと問いかけそうになって、ルドルフは口を閉ざした。
 行けなかったからには、何某かの事情があるのだろう。そもそもアイリスが重傷ならば、その時彼女も影響を受けていた可能性が高い。
「……アイリスのいるVIPルームは最上階にあるんだって。この病院内の見取り図には載ってないけど……」
「おい、おまえらぐずぐずすんな! とりあえず上を目指せばいいんだろ!?」
 王 大鋸(わん・だーじゅ)が激励するように大声を上げる。ルドルフは頷いた。
「そうだな、行こう」
 何も馬鹿正直に階段を上がる必要はない。途中階まで行く手段を探しにエレベーターの前まで走る彼らだが、ここにもスポーンが襲い掛かってくる。
「こいつらは儂にまかせておけ!」
 両手に握りしめたグレートソードを振り回し、叫んだのは夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)だった。
 儂という一人称がこの角刈りの少年の口から出るのは違和感があるが、これは非常に若作りなせいであって、実年齢で言えば人間ではこの場で最年長だったろう。
 彼の体を覆う銀色の魔鎧ホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)が、炎の熱や氷の冷たさから守る加護を甚五郎に与えると、彼はスポーンの群れの中に身を躍らせた。
 それはスポーンを引き付けるためだったとはいえ、彼の実力からすると無謀な選択だったろう。
 彼に具体的な策はなかった。スポーンの猛毒の炎に巻かれてしまう。炎で焼け、毒の為に膿む火傷。
 パートナーの草薙 羽純(くさなぎ・はすみ)は慌てて駆け付ける。
「パートナーを助ける為のぅ……。なら、妾もやる気を出さねばなるまいてっ!!」
 彼に“キュアポイゾン”をかけ終えると、“リカバリ”で甚五郎とホリイと、双方の傷を癒すのに追われる。
「俺も手助けするぜ!」
 彼らの背後から柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)が左手から打ち出したワイヤークロー剛神力の鉤爪が、スポーンに噛み付いた。かと思うと、ワイヤーはシュルシュルとスポーンに巻きついた。
(絶対に助けて見せる! どんな状態だろうが、諦めねぇぜ!)
 恭也はぐいと力いっぱいに引き寄せると、蛙に似たスポーンの腹をファイアヒールで蹴り上げる。
 念じれば、ファイアヒールに仕込まれた銃が弾丸を射出した。跳ねて滞空するスポーンに、彼は飛び上がると右手の携行用パイルバンカーを撃ち込んだ。
 スポーンが一体、霧のように消え去ると、彼は再び新たな敵にワイヤーを射出した。


「……駄目、効かないよ!」
 エレベーターに辿り着いたリンネは、早速「上がる」ボタンを押すが、カチャカチャ鳴るだけで光も灯らず、うんともすんとも反応がない。
「何だと?」
「どうしたんだろ、壊されちゃったのかな?」
 それでも諦めずしばらく押していたリンネだったが、突然エレベーターが降りる音が響いてきて、目を丸くした。
「──あれ? 反応ないのに、降りてきたよ?」
 ポーン、という音と共に、エレベーターは左右に扉を開く。
 しかし──。
「……これってお約束だよね?」
 乗っていたのは乗客でもなく、スポーンを満載したエレベーター。思わず呑気なことを口走ってしまう。
「リンネ、下がれ!」
「うわっ!?」
 リンネは急に腕を背後に引っ張られて小さな悲鳴を上げる。
 扉が開いた瞬間、吹き出るように飛び出してきたスポーンの群れ。それに呑まれる前にリンネの腕を引き戻したのは、白砂 司(しらすな・つかさ)だった。
「旦那、頼むぞ」
 霊獣に跨ったままリンネの腕を引いて彼女を背後の契約者に渡すと、リンネの盾になるように前に出る。
「ポチ、行くぞ」
 霊獣の首筋を一度撫でて、スポーンたちを相手取った。トネリコの枝を削り出した作られた槍を手に、スポーンたちに水晶の穂先で捌いていく。
「司。少しどけ」
 背後からの声に彼が体を傾けると、背に熱い塊を感じた。
 パートナーロレンシア・パウ(ろれんしあ・ぱう)の手から放たれた炎が、スポーンのいるエレベーター内に注がれていく。
 間一髪助かったリンネは、“旦那”に肩を支えられながら礼を言う。
「ありがとう司ちゃん」
「……人妻のリンネに旦那以上のナイトが必要とは思わんが、こういう荒事の担当は少しでも多くて損はないだろう? ま……そうだな。モップスの代わりとでも思ってくれて構わん」
 格好いいセリフを言って見た彼に、ロレンシアがすかさず突っ込んだ。
「それはあまり薦めないぞ、司」
 リンネとモップス・ベアー(もっぷす・べあー)の間に深い友情があるにせよ、普段はどういう扱いを受けているか知らないわけでもあるまい。
 ただ司がイルミンスールを離れ空京大学の学生になって少し経つが、先の台詞は半ば本気のようだった。
(やはりパラミタに登って最初に見たイルミンスールの景色、それとリンネや魔法学校の奴らは、譲れない思い出だ。たまには一緒になって戦うのも悪い気はしないな)
 思い出を守る為に司は防戦しながら、ロレンシアやリンネの魔法を受けて塵と消えていくスポーンを眺める。
(それに、一人で勝てないどんなに強大な相手でも、パートナーと一緒ならなんとかなる。……そう学んだのは、ここパラミタだ。これまでも色々あったが、まあ、悪くない。これからもな)
「久しぶりに私が付いてくることになったが、しばらく見ない間に、ずいぶんと成長したものだな、司」
 司の背に仲間への信頼を見て、ロレンシアは口元を緩める。
(ここまで信頼されては、私も応えないわけにはいかないな)
「スポーンだろうが、燃やしてしまえば同じ、だろう?」
 炎を生み、炎を操り、炎そのものとなったように炎を撃ち続けるロレンシア。ロングウェーブの赤毛は、さながら炎になったようにゆらゆらと熱をはらむ風に揺らめき舞い上がる。
 炎の嵐が空間を焦がし、凍てつく炎が青白くスポーンの尾に点され、彼女へと放たれる一撃は、炎の聖霊が受け止めた。
 やがて炎によって、スポーンがあぶりだされたのだろうか。
 エレベーターの天井に設けられた天井救出口がガタンと音を立てたかと思うと、落下した。そこから長い蛇のようなものがだらりと垂れさがった──瞬間。
 ガタン!
 エレベーターのコードが切れたかのようにがくんがくんと何度か下がり、カゴは突如目の前から消えた。重力に引かれて階下へと落ちて行く。
「スポーンに取りこまれてたのか? ……なあ、こっちのエレベーターは無事だぜ」
 他のエレベーターのボタンを押していた山葉がリンネを呼ぶが、ルドルフはそれを静かに制す。
「途中で融合される可能性を考えると、止めた方がいいだろう。今のようにコードでも切られて落下では、洒落にならない。念のためエスカレーターもやめた方がいいだろう」
「うん、地道に階段ってことだね! リンネちゃんはそれでいいよ」
 他に反対の意見も出なかったので、契約者たちは側にあった階段を登ることにする。