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リアクション
〜4〜
更に時は進み、園内の客層にも若干の変化が生まれていた。家族連れが減り、大学生や社会人など、大人数で酒を囲む人々が多い。
そんな些か騒々しい公園内を、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、恋人であるセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と気ままにぶらついていた。この公園の桜が見ごろを迎えていたのは知っていたけれど、色々あって中々見に来る事も叶わなかった。
気が付けば、泣いても笑っても春も桜もあとわずか。
どうせなら去り行く春を惜しみ、夜に咲き誇る桜の姿をその目に焼き付けよう。
お互いにそういった想いがあったのだろう。どちらから誘った、というわけでもなく。2人は自然と公園に足を向け、今は夜桜の下を歩いている。
左右に並ぶ桜のアーチから外れ、土と芝の程よい感触を靴の裏で感じながら桜を眺める。
不規則でばらばらのように見えるけれど、丁度良いバランスの中で植えられた樹々。開かれた花はどれも艶やかで、美しい。
それをのんびりと、ゆったりとした時間の中で満喫する。セレアナは、心が癒されるのを感じながらセレンフィリティに話しかけた。
「たまにはこういうのもいいものね」
「うん。夜の桜は昼とは違ってまたいいよね」
適当に買った飲み物や食べ物を片手に、セレンフィリティも言う。まったりと夜桜見物。特別なことなんか何もないけれども、こうして恋人と一緒に桜を見ながら時を過ごしていると、それだけで心が満たされていく思いがする。
話す時には話すけど、会話の全体量はそれほど多くなくて。花を見つめていると時には無言になったりもするけれど。
それでも。だからこそ。
歩くうちに、花見の中心部の喧騒が遠ざかっていく。人気も殆ど無くなり、彼女達の目に入るのは今が盛りと咲き誇っている桜の木。なんだか他の木よりも枝の1本1本が長く、その為か少し大きく見える。
立ち止まり、2人は静かに桜を見上げた。どれだけそうしていただろうか。ふと強い風が吹いて、沢山の花びらが一斉に舞った。枝から落ちかけていた花びら、宙をひらひらと飛んでいた花びら、足元に落ちた花びらが、風に煽られて一気に桜吹雪のシャワーになる。
そのただなかに身を置いて、セレアナはしばし幻想的な光景に心奪われていた。隣の彼女が、涙を流していることには未だ気付かずに。
(あれ? 何で……)
唐突にあふれてきた涙に、セレンフィリティは戸惑った。とめどなく流れるその理由も解らぬまま、彼女は言葉を紡ぎ出す。
「綺麗……」
そこで、セレアナがこちらを向いた。静かに涙を流す姿に驚き、声を掛ける。
「どうしたの?」
「……このまま綺麗なままで、ずっと時が止まればいいのに……そうなれば、あたしとセレアナもずっとずっと大好きなまま一緒にいられるのに……」
「…………」
そんな恋人がいつも以上に愛おしく思えて、セレアナは無言のままにセレンフィリティの髪を撫でた。そして、指先で優しく涙を拭う。
先程の名残で花びらが静かに舞っていた。その中で2人は見つめあい――
優しく、唇を重ねた。
彼女達を見ているのは桜の木と、月と星だけ。
――このまま、ずっと時が止まればいいのに……。
セレンフィリティがそう思う中、セレアナも――
――来年もきっと、この木の下でこうしていられるように……
と想っていた。
どちらからともなく唇を離し、セレアナは舞い落ちる桜を何枚か手のひらに乗せた。そっと包み込むように持ち、手帳に挟み込む。
「……また来年、ここで2人で一緒にこの桜の木と逢おう……」
そう、呟いた。
◇◇◇◇◇◇
そして夜も更け、ツァンダの公園、レストゥーアトロも穏やかな静けさに包まれていた。殆どの花見客が帰路に着いて馬鹿騒ぎに興じた者達も眠りに落ち、残るのは、人気の無い時間を選んで訪れた人々のみだ。
そんな中、公園の一角でおっさんの声が空を貫いた。
「わっはっは! 桜じゃ! 花見じゃー!」
否、貫いたといっても人様に迷惑をかけるほど大音声というわけでもないが。敷かれた茣蓙の上で胡坐をかいて、平賀 源内(ひらが・げんない)は上機嫌で杯の中の日本酒を飲んでいた。
源内の前には、買ってきたんだかかっぱらってきたんだか分からない花見団子やつまみが並んでいた。一緒に茣蓙に座るノア・レイユェイ(のあ・れいゆぇい)と伊礼 權兵衛(いらい・ひょうのえ)、ニクラス・エアデマトカ(にくらす・えあでまとか)も彼同様に徳利から杯に酒を注いで花見を愉しんでいるが、ノア達が源内のつまみに手を出す気配は無い。源内も特に勧めずに一人で貪る。こうやって書くと、何だか源内がつまみ独り占めしているようだがそうではなく、他の3人が特に要り様ではないだけである。
ノアの前には気持ち程度に食べ物が置いてあるがそれだけで、酒もそれぞれに手酌だ。
互いに気遣いも遠慮も要らない、さっぱりとした花見である。
散り際の桜で花見酒と洒落込もう。
そうして公園に来てからもうそれなりの時間が経ち、彼等の酒も進んでいる。だが、ノアは表情一つ変えていなかった。ザルである。
平時と同じ顔色を保ったままに頭上の桜を見上げる。
はらはら、はらはら。
満開の桜から花びらが散り、風に舞う。
「このくらいの桜ってのもまぁ、乙なもんさね」
それを聞き、水たばこ・シーシャを持ち込んでピスタチオの香りを楽しんでいた權兵衛もふと桜に目を遣った。顔が少々赤くなった彼の足元には半分程注がれた杯がある。酒はそれなりに強く、まだまだ余裕がある。
「咲く姿は見事なもの……じゃが、散る姿も……」
「散る姿もまた風流、か」
少し離れた所で酒を呑み、これまで無言を貫いていたニクラスが權兵衛の後を継ぐように言う。彼も、ノアと同じくらい酒が強いようで表情も顔色も変わっていない。酒は、普段から無表情な彼の隙を突くには足りないようだ。
「くくく……。ニクラス、まさかお前さんの口から“風流”なんて言葉が出るなんてねぇ」
サングラスの下からのあまり風流さを感じない話し方に、ノアが愉快そうに笑った。それに、ニクラスは葉巻をふかしながら冷静な口調で応える。
「どんな姿であろうと花は花。それ以上でもそれ以下でもないし、その価値は変わらん」
それだけ言って、また1人酒に戻るニクラス。表情にも行動にも全く出ていないが、彼もそれなりに花見を楽しんでいた。それが何となく感じられることもあり、ノアは大して気にしないで桜に対する見解を語り出す。
「花は咲いてしまえば後は散るだけだが……蕾のままなら咲いた姿をいくらでも想像出来るし、いかようにも楽しめるじゃあないか」
「何を言うとるんじゃ、桜は満開の時が一番綺麗じゃろうが!」
そこで、パイプ煙草を手に大仰な動作で、源内が一際大きい声で割り込んでくる。酔っ払っているのもあったが、本日のこのテンションの高さは花見自体が久しぶりだから、というのもあったりする。
「源内……少しは静かに出来ないのかね、お前さんという奴は……」
煙管で煙草を燻らせつつ、ノアは呆れたように言う。とはいえ、4人の周囲でこうして座り込んでいる客は居ないし、その表情は笑い混じりだ。
「なぁに、折角の花見じゃ。思い思いに楽しむのがいいと思うがのう」
權兵衛が穏やかな笑みを絶やさずにのんびりと言い、また酒をくい、と飲む。その彼は、静かにまったりと、リラックスしてこの時を楽しんでいる。
「……まぁ、偶にはこうやってゆっくりするのも悪くないさね」
やれやれ、というように煙を吐き、ノアは夜空を見上げた。桜の花の向こうには薄雲の掛かった藍の空があり、そこにはぽっかりと、少しだけ欠けた月が浮かんでいた。
「おや、花見だけでなく月見も楽しめそうだねえ」
来週は雨。だが――今日の空は機嫌が良いらしい。