|
|
リアクション
20
六月も幾日か過ぎて、ジューンブライドを意識するような頃。
水神 樹(みなかみ・いつき)は、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)と一緒に知り合いの結婚式に参加した。
梅雨入り間近ということもあり、雨降りが心配だったが当日はとても良い天気で、いい結婚式日和となった。
式は順調に進み、退場間際の花嫁がブーケをゆるく投げた。ブーケが空を舞う。
ブーケトスでブーケを受け取った人は、次に結婚できるという。
なので樹はブーケを取りたかったけれど、残念ながらブーケは他の人の手の中へ。
しょんぼりする気持ちを抑えて、ブーケを受け取った人へおめでとうと微笑みかけた。
式が終わり、帰り道。
途中あったカフェに立ち寄り、樹とお茶をすることにしたのだが。
なんだか妙に、落ち込んでいる。落ち込むというか、拗ねたような顔をして紅茶のカップに砂糖を運んでいた。さばさば。砂糖の粒が紅に溶けた。
「樹」
名前を呼んで、気を引いて。
頬をむにっとつまんでみた。
「ほらほら、笑顔笑顔」
「…………」
どうやら原因になっていること――おそらくはブーケをキャッチし損ねたあれ――が、随分とショックだったらしい。いつもの、はにかんだ笑顔でする制止がない。
さばさば。
砂糖を、紅茶のカップに運び続ける。
そんなに入れたら砂糖がカップから溢れるんじゃないかなあ、なんて考えながら、
「樹、しりとりしようか」
弥十郎は提案する。話しをすれば気が紛れるのではないかと思ってのことだ。
どうして? いきなりなあに? そう問いたそうな樹の目。弥十郎は、にこにこと微笑みかけるだけ。
「はい。いいですよ」
興味が勝ったのか、樹が頷いた。
「じゃあ樹から」
「んっと……『らっこ』」
「こか。こねぇ……『こねこ』」
「むぅ。また、こ、ですか?」
「ふふ」
「えっと……『こあら』」
「『らくだ』」
「だ……」
そんな調子で、しばらくの間続けてみると。
いつのまにか、樹の顔が真剣なものになっていた。
ふと、あることを思いつく。
付き合い始めてどれくらい経った?
二年。
――そろそろいいかなぁ。
タイミングだってばっちりだし。
なので、実行に移すことにした。
行動予測を駆使して、樹の言いそうな言葉を考えながらしりとりを続ける。
「『ほいく』」
「『くるみ』」
「『みるくがゆ』」
――よし。
「ゆ、か。ゆ、か、こ。『ゆりかご』」
「それ言いました」
「ゆ、ゆ、ゆ」
「もう無いですか?」
私の勝ちですね、と樹がくすくす笑った。
「あるよ」
笑う樹の手を取って。
右手から指輪を抜く。
「え、」
そしてそれを、左手の薬指に嵌めて。
「『指輪はこっちの方が似合うよ。結婚しよっか』」
しりとりの中にプロポーズを混ぜた。
樹の返事を、待つ。
驚いたように目をぱちくりさせて、指輪を見て、弥十郎を見て。
それから言葉の意味をしっかり飲み込んで、顔を赤くして。
驚きしかなかった表情に、幸せの色が灯った。笑顔に変わる。
「か、感激です。よろしくお願いします、弥十郎さん」
「あ。んがついちゃったね。樹の負けだねぇ」
「はい、弥十郎さんに、負けました」
しりとり以外にもいろいろと。
そう呟いて、樹が紅茶を手に取った。
「あ」
「?」
「それ、ちょっとびっくりするかもよ?」
「どうしてですか?」
首を傾げながら、紅茶に口をつけて、
「あ、甘ぁ……」
「そりゃぁあれだけ砂糖入れればねぇ」
甘すぎた紅茶に驚いて、眉と目尻を下げる樹を微笑ましいなとくすり微笑む。
夢を見ているようだった。
むしろ夢なのではないかと、頬をつねってみたくらい。
――ブーケを取れなかった私が、結婚を望みすぎて見てるんじゃ。
つねった頬は痛かった。
「何してるの、樹」
苦笑混じりの弥十郎の声。左手から伝わる体温。
全て、現実。
恋愛結婚だった両親を見て育った樹は、いつか自分も心の底から愛する人と結婚をしたいと思っていた。願っていた。
だから、そう思う相手と――弥十郎と結婚の約束をしたことが、とても嬉しい。
「幸せすぎて、どうしようって」
「だからって頬をつねらないの。樹の頬を引っ張っていいのは僕だけだから」
「なんですか、それ」
「恋人特権ということで」
「それが特権でいいんですか?」
「いや、他にもあるから」
「欲張りですね、弥十郎さんは」
呆れた振りをして視線を右手の薬指に移した。そこには弥十郎から受け取ったオーダーメイドリングが嵌っている。
そのうち、今度は左手の薬指に新しい指輪が嵌められるだろう。
――幸せだなぁ。
ふにゃり、自然と顔が綻んでいく。
「樹、また笑ってる」
「そういう弥十郎さんだって、笑ってます」
今日結婚した二人に負けないくらいの笑顔を浮かべて、二人は帰り道を歩く。
*...***...*
土御門 雲雀(つちみかど・ひばり)と同じく、教導団に所属する知り合いがこのたび結婚するということで。
お祝いに来て、幸せそうな顔を見て、末長く幸せになんて言ってみたりして。
――幸せそうだったなぁ。
夫婦となった二人の笑顔を思い出しながら歩く帰り道。
――あれ?
前を歩く人の背姿が、妙に見覚えがあって……というより、忘れるはずがない。間違えるはずがない。あの後姿は、
「だっ、団長っ!!」
金 鋭峰(じん・るいふぉん)のものだ。
そして呼び止めてから気付いた。
――あたし、団長呼び止めてどうするんだよっ。
別に用事があったわけではない。
ただ、今声をかけなければ、次にいつ会えるかわからなかった。そう思ったら身体が勝手に動いていた。
「どうした、土御門雲雀」
振り返った鋭峰が、雲雀の目を見て静かに問う。
「ぇ、と。あの……」
次に続く言葉が思い浮かばない。
必死に頭を回転させた。
もっとこの人と一緒に居るには、なんて言えばいい? 何を言えばいい?
「その……ほ、本日はお疲れ様でありました! こ、これからどこかへお出かけならその、ご迷惑でなければ自分がお送りさせて頂きますですが……!」
――って。さすがに本音バレバレだろ、あたし……。
でも、咄嗟に上手いことを言えるような器用な性格をしていないし。
少しでも長く団長の隣に居たかった。声を聞いていたかった。
その想いまで透けそうな、わかりやすい言葉。
「……好きにするといい」
端的な答えだったが、口にするまで間があった。少し引っかかる。
けれど鋭峰と一緒に居られる喜びに、そんな引っかかりなんて彼方へ消えた。
はい、と頷いて鋭峰のやや後ろを歩く。
――結婚、かぁ。
不意に、頭を過ぎる単語。
――団長、いつか素敵な人がお嫁に来るんだろうな。
鋭峰は、厳しいけれど部下思いで優しくて温かい人だ。
そんな鋭峰のことが好きだし、もしも許されるならずっと傍に居たいと思う。
結婚。
再び頭を過ぎった単語を、雲雀は即座に否定した。
――だめだ。
――団長と団員なんて、団長が迷惑するっての!
――それにあたしは団長の背中を守るって決めてんだし。
いいんだ。
団長が誰と結婚したって。
団長が幸せなら、それでいいと、思う。
だって好きな人が幸せなんだ。いいじゃないか。素敵なことじゃないか。
だから、誰と一緒に笑ってたって。
「…………」
急に涙がこみ上げてきた。必死でこらえたが、無様なその顔を見せたくなくて伏せる。
「いい式だった」
鋭峰は雲雀の前を歩いている。だからこの様子にも、気付かない。
気付かないで、いてほしい。
「そ、ですね」
――うわ、情けな。涙声だし、あたし……。
鋭峰は気付いてしまっただろうか。
こんなかっこ悪い姿、見られたくない。
――気付かないで。
――……気付いて。
前を歩く鋭峰は振り向かない。
なぜか、置いていかれそうな気がして。
怖くなって。
手を伸ばした。鋭峰の手に、雲雀の指が触れる。
きゅ、と。
しがみつくように、手を握る。
「団長、そのままで聞いてください」
振り返りかけた鋭峰に、雲雀は先手を打つようにして言葉を放つ。
「団長。あたし……ほんとに団長を好きでいていいですか。困ったりしませんか」
「…………」
「拒否されないだけでも確かに嬉しいんです、けど。……立場とかいろいろある人なのに、ほんとは迷惑なんじゃないかって」
それが、怖くて。
「自分が団長とつりあうわけないって……だめだってわかってるんです。けど」
呼吸が乱れた。深呼吸して、一秒、二秒。
「金鋭峰って人が、好きなんです」
自分の気持ちは、伝えた。
だから、ちゃんと聞かせて欲しい。
「団長のほんとの気持ち、聞かせてください。……もし、あたしのせいで団長が困ってるなら、きっぱり諦めますから!」
だから、教えてください。
このままでいるのは、辛い。
しばらくの間、鋭峰は黙っていた。
「雲雀の気持ちは、嬉しい」
「……っ!」
「だが。雲雀が言ったように、私の立場がそれを許さない」
「…………ですよ、ね」
ああ、だめだ。
泣きそうだ。
わかってる。わかってた。
でも。
もしかしたらに、希望に、すがってた。
「……雲雀、」
鋭峰が振り返ろうとしたのがわかった。
「いいんです」
またもや先んじて声をかける。
「……いいんです。大丈夫ですから、あたし」
無理に明るい声を作って。
「すみません、変なこと言っちゃって! あはは、あたし、ほんとだめだなー。ほんと。……」
すみません。
もう一度、謝った。前を歩いたら失礼かなと思いつつも歩き出す。
「時間をくれないか」
歩きだした雲雀の背中に、鋭峰の声。
「時間……ですか?」
振り返らないまま、問い返した。
「ああ。もう少し国勢が落ち着くまで。……そうしたら、その時は私のほうからきっと君に」
風が吹いて、ざぁ、と街路樹が音を立てる。
木々のざわめきが静まるまでその言葉の意味を考えて、
「え、えぇっ!?」
意味するところを理解した瞬間、顔に熱が集まった。
「……待っていてくれるか?」
いつもより少しだけ弱々しく、自信なさげに鋭峰が言う。
振り返って、雲雀は笑いかけた。
「待っています。……ううん、待たせてください」
貴方と共に歩めるならば。
長い時間待つことも、困難を乗り越えることも厭わないから。