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50


 暦の上では盆を数えた。
「お盆ですか……」
 神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)は、小さく呟く。
「今日は会いたい人に会えるそうですよ。主殿には居られませんか?」
 会いたい人。山南 桂(やまなみ・けい)に言われた言葉を、翡翠は反芻して考える。
「……そうですねえ。あの人に会えれば、良いのですが」
 ふっと頭に浮かんだのは、長い銀色の髪を背に垂らした着物姿の男のことで。
 もし会えるなら、若くして死んだ彼に――兄に、会いたいな、なんて。
「それは俺か?」
 茶化す、というには冷徹な声が背後から聞こえた。
 ――……え。
 この声は、と振り返ろうとして、世界が歪んだ。目の前が暗い。
「主殿っ」
 桂の慌てる声を聞きながら、意識が闇の中へ落ちていく。


「まったく。心配して来てみれば……予想、大当たりだな」
 翡翠の兄である神楽坂 紫苑はふうっとため息を吐いた。倒れた翡翠を支える桂を一瞥してからふいと視線を逸らす。
「やれやれだ」
「失礼ですが、貴方は?」
 再び吐いたため息に重ねるように、桂が問いかけてきた。どこか警戒しているような目をしている。
「神楽坂紫苑。そいつの兄だ」
「兄が居たとは。初耳です。山南と申します」
 丁寧な礼にひらひらと手を振り、
「それよりそいつ、寝かせなくていいのか」
 ぐったりとしている翡翠を指す。言われてはっと、桂が顔を上げた。ひょいと軽くお姫様抱っこして、布団に横たえた。桂が翡翠の額に触れ、熱を確認して嘆息する。
「暑いのに無理しているから……だから熱を出してしまうんです」
 それからぱたぱたとうちわであおいで風を送った。
 二人の様子を見て、紫苑はわずかに眉をひそめた。
 翡翠は変わっていないのか。何も。
「相変わらずか」
 なので、半ば無意識にその言葉が口をついて出た。
「え?」
「我慢する癖。隠す癖。悪癖が立派に成長しやがって」
 弟は。
 子供の頃から悲惨だった。
 特殊訓練やら、他人の嫉妬やらで地下の座敷労に入れられて。
 訓練の内容は、とにもかくにもスパルタで。
 泣き言なんて言えば怒られ、さらに酷いことになるから。
「……必然っちゃあ必然かもしれないがな」
 滔々と語っていると、「ん、」と翡翠が身じろぎするのが見えた。ややして、まぶたが開く。ぼんやりとしていた目の焦点が合い、紫苑を見。
「あれ、兄さん? なんでここに? 自分は一体……」
「主殿は、熱を出して倒れたんですよ。無理しないで下さい。暑いんですから」
「熱、……久しぶりに会ったのに、かっこ悪いところを見せてしまいました」
「ふん。今更だろうが」
 鼻を鳴らしてそっぽを向いた。翡翠が俯いたのが気配でわかる。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「……兄さんは、自分に、変わらず接してくれるな、と」
 それは、きっと紫苑の死に際の話。
「…………」
 記憶が蘇り、思わず黙った。
 翡翠に刺されて、死んだ。それは事実だけど。
「俺が選んだころだろうが。お前を恨んでどうする」
 結局、そうして死ぬことを選んだのは自分なのだ。気に病む必要はないというのに。
「お前は真面目すぎるんだ。あれは、お前のせいじゃない」
 だから気にするな、と翡翠の頭を撫でた。
 自身の未熟が生んだ結末。後悔や未練がないとは言い切れないけれど、恨んだりは、決してないと言える。
「それよりお前たちだけでも助かってよかったぜ」
 ええ、と翡翠が頷いた。それから不意に明るい声で、
「祭りへ、行きませんか?」
 と提案するものだから、思わず目を丸くした。
「祭り?」
「はい。そろそろ、花火が上がる時間です。見に行きましょう?」
「お前、体調は?」
「ずいぶん眠れましたから」
 にこり、微笑んで翡翠。
 本人がそう言うなら、まあそれでいいか、と紫苑は立ち上がる。
「無理はするなよ。しても俺にはすぐわかるからな」
「はい」
 連れだって、会場へ向かう。


「綺麗だな」
 空に咲く花を見ながら、紫苑が呟いた。
「そういえばお前と一緒に見たことはなかったか」
 言葉の間にも、空に色とりどりの花が咲き、散っていく。
 しばらくして、次の弾を装填しているのだろう、空が静かになった。
「そうだ。あの技は使うなよ」
 その時、紫苑が翡翠の目を見て真面目な顔で言った。
「あの技ですか?」
「成功率、低いんだから」
「兄さんは使用していましたよね」
 それに自分だって、やり方はみっちり叩き込まれた。成功率が低くても、と思ってしまう。
「俺の場合は慣れているからだ。……あの技は、紫翠には隠しておけ」
 返事をする間もなく、紫苑の体が半透明になった。
「時間か」
 まだ、祭りは終わってないのに。
 紫苑の終わりのときは、来てしまったらしい。
「あまり早いうちにこっちに来るなよ」
「わかりました」
 ひらり、手を振る兄に手を振り返し。
 消えていった後も、彼が居た場所をしばらく見ていた。