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62


 今宵限りのナラカからの一方通行。
 望まれざるモノたちだって這い出てくるだろう。
 誰かを道連れにしようと邪な思いを胸に抱え、それを瘴気として溢れ返らせながら。
 ならばそれらを滅ぼしに行こうと七誌乃 刹貴(ななしの・さつき)七枷 陣(ななかせ・じん)に憑依した。
 ひとつ、ふたつと魂を強制送還させてやって、お次はどこだとヴァイシャリーくんだりまで出向いたら。
「さつきおにぃちゃん?」
 底抜けに明るく間の抜けた声に名前を呼ばれ、ぴんと張っていた緊張の糸がはさみでちょきんと切られたような錯覚に陥った。
「…………」
 とりあえず、無視をするのもアレなので。
 半ば睨むように声の主――クロエを見た。
 ――相変わらず平和そうで幸せそうな可愛らしいお顔ですこと。
 皮肉を心中で漏らすと、
 ――『おっまえな。クロエちゃんが可愛いからって、手ぇ出したらアカンよ?』
 宿主サマこと陣が茶化してきた。
 想定内、想定内。
 ――『ほら、可愛い子には意地悪せんで。祭りにでも誘ったらどうよ? 可愛い女の子と夏祭りデート。うわ刹貴マジリア充じゃね? 爆発してもええのよ?』
 ――どうでもいいけど宿主サマにだけは言われたくねえよ。
 と、憑依する側される側の二人にしか聞こえない会話をしていると、
「さつきおにぃちゃんもおまつりにきたの? おまつり、たのしいのよ?」
「……あー」
 この、無邪気で純粋な笑顔を向けて問うてくるから。
「そんなもんだよ」
 無碍にも出来ず、なし崩し的にお祭りへ。
 頭の中で、陣が「ひゅーひゅー」と茶化してきたが、一切合財無視をした。


 ――しかしどうしてこうなった。
 刹貴の右手には、クロエの小さな左手。
「ねえねえ! あれみてあれみて、おっきなわたがし!」
「あー、そーね。おっきーね」
 いちいちはしゃぐクロエに投げやりな態度で返答して、刹貴はこっそりと頭を抱える。
 ――あの殺伐とした逢魔ヶ時からどうしてこんなにほのぼのに。
 ――あれか。宿主サマ流に言えば、ありのまま起こったことを話すぜ以下略ってやつか。
 しかし来てしまったものは仕方がないと、一応はエスコートしてやる。
「おい、転ぶぞ」
「ひゃ」
 人混みに飲まれかけたクロエを引っ張って助けてやるくらいなら。
 ――ってこれ、保護者の役目だろ。俺の役目じゃねえよ絶対。
 こいつの保護者はどこにいるんだ、と怒りの矛先を変えようとしたとき、
「ありがと!」
 クロエが、目をきらきらと輝かせて刹貴に礼を言うものだから。
「……別にー」
 なんだか色々なものがどうでもよくなった。
 それからしばらく、クロエと刹貴の間に会話はなかった。
 クロエは屋台を見てはしゃいでいたし、刹貴はそんなクロエをただ観察するだけだったからだ。
 それに、話すべきことなんてほとんどない。
 出来ることだって、ただ隣に居て共に祭りに興じることくらいしか。
 だけどこうしてクロエと居ると、友と喋ること、遊ぶこと、褒めてもらうこと、それらが楽しく嬉しいことだと理解できる。
 それは実際にクロエが出向く先出向く先で親しげに誰かと話し、笑い、遊んだりしているからわかることで。
 だけど刹貴には、理解できても感じることは出来ない。
 感じようとも思わない。
 ――『オイオイ。ちったぁ楽しめや、クロエちゃんばっか遊ばせとかんと』
 ――宿主サマは黙ってろよ。
 ツッコんできた陣の言葉を一蹴して、刹貴は再びクロエを見た。
 金魚すくいのプールの前に座り、真剣な目をしてポイを握るクロエ。
 遊びに対してひたむきで、真剣で。
 いや、遊びにたいしてだけじゃなくて、なんにだって。
 ――……だから俺はこの餓鬼が苦手なんだろうか。
 刹貴がわからない、感じ取ることのできない、『楽しさ』や『嬉しさ』を敏感に察知し、あからさまなまでに表現できる彼女のことが。
 きんぎょ、とれなかったー。と刹貴の許に戻ってきたクロエを見て、刹貴は軽く頭を振った。
 ――こんな思考自体が無意味だね、全く。
 野暮な考えは振り払おう。
 苦手だ? そんなの知ったことか。どこか隅にでも掃いておけ。
 せっかく憑依して出てこれたんだ。
 娑婆の空気を謳歌するほうがいくらか建設的だというもの。
「クロエは不器用だな」
「そんなことないわ。はじめてだったから、うまくできなかっただけだもん」
「じゃあ初めてでもコツを覚えりゃ簡単な遊びを教えてやるよ。おいで」
 露店を見て周った際に見付けた場所へと案内する。
「ダーツなげ?」
「そう」
 店の親父に金を払って、ひょいひょいひょいと投擲。
 ダーツは全て真ん中に命中した。
「すごーい! なんで? なんで?」
「コツがあるからな。
 いいか? 的の真ん中に視線を集中させるんだ。そして的を殺りたい人間の頭に見立てる」
 ――『ちょ、おま』
 脳内で、陣が何か言いたそうにしていたけれど、無視。
「真ん中は眉間だ。眉間は急所だからな。そこを狙う。一息を以て、そこから鮮血を散らす様を想像して投げ抜くんだ」
 ――『最ッ悪ッかッ!!!』
 ――どこがだよ。的確なアドバイスだったろ?
 ――『それこそどこがやねん! アホかお前クロエちゃんに何吹き込んでんだ! 忘れさせろ、冗談だったことにしろ!』
 ――あーハイハイ。宿主サマったら口うるさいんだから。
「というわけで、クロエ、今のは嘘だ。それに何よりクロエの短い腕じゃ巧く的に当てられないよな。もっと別の遊びに行こうか」
「?? よくわからないけど」
 すたすた先を行く刹貴の後を、クロエが追いかけてくるのが気配でわかった。
「さつきおにぃちゃんがダーツじょうずってことは、わかったわ!」
「……ああ、そう」
 ――やっぱりこの餓鬼、苦手だな……。
 改めてそう思い直し、刹貴は息を吐いた。


 祭りが終わりに近付いて。
 遊び疲れたクロエは眠ってしまい、いまや刹貴の背の上だ。
 殺人鬼がお守りに加え、子供を背負って夜道を送り迎えだなんてどんなB級小説だ、と自嘲の笑みを浮かべてみた。原作者、出て来い。
「そしたら一息に首と胴を離別させてや……って、あれか」
 見えてきた灯りに、あそこが人形工房であることを知る。
 もうすぐ子守も終了だ。
 今日あったこと。
 背にかかるクロエの体重と、ほんの僅かな暖かさ。
 ――……?
 何か、言いようのない感覚がふわりと染み出てきた。
 ――……なんだ、これは。
 暖かくて、優しい気持ちになれそうで、……。
 慌てて刹貴は首を振った。
 違う。こんなの、殺人鬼には不要だ。湧き出るべくもない感情だ。出てくるはずもないのに、どうして?
 ああ、それもこれもこいつのせいだ。
 殺人鬼である自分の背で、安心しきった顔を晒してすやすやと寝息を立てる彼女が全ての原因だ。
「……やはり、この餓鬼は苦手だ」
 そう呟いて感情を抑え込まなければ、自分の在りようが危ぶまれる気がした。
 それは良いことなのか悪いことなのか、それすらも分からないんだから。