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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


14 セテカとアナト(2)

「……あれを……わ、たし、も…?」
 両手両足を押さえ込まれたセテカに、何か上から巨大な物が迫っている。
 カーテンに映った影を横目に恐怖をにじませてつぶやくアナトの髪を整えながら、ティアン・メイ(てぃあん・めい)は複雑な表情をして目をそらした。
「いた、そう…」
「そうね。でもあなたは彼よりまだ痛みを感じずにすむんじゃないかしら」
 その点では、彼女の麻痺が全身に渡っているのはいいことなのかもしれない。症状的には予断を許さない状況なのだが。
 現状維持を継続するには体力を衰えさせないことが一番だ。ティアンはキュアポイゾンに加え、メジャーヒールをかける。
 冬月がカーテンから顔を出した。
「すっきりしたようだな。バァルを呼んでこよう」
「あ…」
「ん?」
「ありが……とう…」
 アナトの向けてくる感謝の笑みに、冬月はとまどい、目を伏せた。
「礼はいい。ただ……みんな、戦っている。あなたを生かすために。だからあなたも、戦ってくれ。決してあきらめないでほしい。――あの人のためにも」
 最後は静かなささやきだった。そして唐突にカーテンは閉じられ、ドアが開き、また閉まる音がする。
 じっと冬月のいたあたりのカーテンを見つめていたアナトの前に、ティアンが小瓶を差し出した。
「ネクタールよ。少しずつ飲ませるから、全部飲んで」



「あーあー。セテカさん、ただの注射だよ? 注射がキライって子どもみたいだなー」
「なんだ、このくらいでだらしない」
「体力の消耗が一番いけないんです。暴れるようなら手足をしばりつけますよ」
 ベッドでぜいぜいいっているセテカを見下ろして、口々に言う面々。
「……か、勝手なことを…。きさまら、あとでみてろよ…」
 乱れた髪の隙間からじろりとにらむ。本当なら今すぐ仕返しをしてやりたかったが、今はそれが精一杯だ。
「はいはい。元気になったらいくらでも相手してやるからね」
「返り討ちだな」
「……くそ」
 腕で目元をおおう。
 そこに、ドアが開く音がした。同時に、ワゴンの小さな輪がゴロゴロ回転する音。ワゴンを押しながら近付いてきたのは笹野 朔夜(ささの・さくや)だった。
「清拭用のお湯とお水、それにタオルや着替え一式を持ってきました」
「ああ、ありがとうございます」
 みことが近寄って受け取る。
「それからこちらが皆さんの当番表です。休憩室の準備は整えてあります。それからこちらが皆さんの休まれる部屋の割り振り……俺が勝手に決めてしまってもよかったんでしょうか?」
「助かります」
「そうですか。一応朝方と夕方は人数を大目に配分してあります。夜中は2交代制で……念のため、攻撃力の高い方を配置しました」
 最後はみことにだけ聞こえるように声をひそめた。
「廊下に騎士の方もつくそうです。それから、警備の要くんたちがこちらへの立ち寄り数を増やすと言っていました」
 これがその表です、と渡されたボードにはさまれた紙を、みことはぺらぺらとめくった。
「モレクは消滅しましたが……用心するにこしたことはありませんからね」
「敵が1人とは限らない。ええ、俺もそう思います」
 視線を合わせ、考えていることは同じだと伝え合う。
 そのとき、後ろから声がかかった。
「さる! いつまでそこでそうしておるつもりじゃ。湯が冷めてしまうぞ」
「あ、すみません。今持って行きます」
 それから朔夜はみことを手伝ってお湯と水、タオル、着替えなどをワゴンからサイドテーブルに移すと、かわりに清拭の終わったアナトの分のかごを積み込んで、部屋を出た。
「さあ素っ裸にひんむくかー」
 本当はヤローの裸なんざ見たくもないんだけどさ、と心で思いつつ、腕まくりをして見せるシャウラと、またもや必死で抵抗を始めたセテカの悲鳴のような怒りのような声がかすかに聞こえる。
 その光景が想像できて、くつくつ笑いながらワゴンを押して進んでいると、向こう側から速足で歩いてくるバァルの姿が目に入った。足元では黒狐が懸命に駆けて、バァルと並走している。
 バァルは朔夜が目に入らない様子で――おそらくワゴンを押していることから召使いと認識されたのだろう――上着を腕にかけ、彼のとなりを通り過ぎて行く。バァルと黒狐が2人の病室へ飛び込むように入って行くのを見届けて、また前を向いた朔夜の前には、いつの間にか冬月が立っていた。
「冬月さん」
「リネン室か?」
 冬月はワゴンに乗ったかごを見ていた。
「あ、はい」
「そうか」
 と、自然と彼の横につく。
「……いいんですか?」
 部屋へ戻らなくて。
「かまわない」
「そうですか」
 それからは無言で。2人は並んでワゴンを押して行った。


*           *           *


 ルーフェリアからの定時報告を、月谷 要(つきたに・かなめ)は空中庭園で聞いた。
「――うん。分かった。八斗はそれでいいよ」
 インフィニティ印の信号弾で作った地雷を埋めて、立ち上がる。
「ふー、これでやっと済んだ。午前中いっぱいかかっちゃったなぁ。ここ、広いから」
「ルーさん、なんて?」
 霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)が訊いてきて、要は振り返った。悠美香は要が作業を終えたことで、それまでひたしていた川から足を上げている。ただ靴や靴下を脱いで素足になっているだけだというのになんだかどきりして、要はあわてて前に向き直った。
「何でもないっ。や、八斗のやつが見回りに飽きたらしくて、病室にいるって…」
「そう」
 悠美香はほかに注意が向いている様子で生返事を返す。かすかに足を拭いている音が聞こえてきて、要はますますあせった。
 八斗のせいだ。「自分は未来から来た要と悠美香の子ども」宣言をした、あの子どもが現れてから、妙に気持ちが落ち着かない。
 大体、両想いになったとはいえ、キスもまだなのにそんな、いきなり子どもとか言われても…………困る。
(つ、つまりそれって、俺と悠美香ちゃんがナニしたってことで……)
 うぼあ!!
「おまたせ。そろそろ移動――どうしたの? 要」
 横について、要の様子がおかしいことに気付いた悠美香が覗き込もうとする。今の顔を見られたくないと――きっとすけべな顔してる――片手で顔をおおって、要はできる限りそっぽを向いた。
「要?」
「いや、あの……あのいたずらっ子、みんなの治療の邪魔して迷惑かけてないかなー? と」
「ああ」
 と悠美香は腑に落ちる。
「大丈夫でしょ。ちゃんとそういう分別はあるみたいだから」
「そっか。じ、じゃあ、そろそろ持ち場に戻ろうかっ」
 そして2人は見張り場所と定めた塔へ向かって歩き出した。一番高くて一番見晴らしのいい、奥宮の塔だ。そこから侵入者を警戒する予定だった。
「要……何か私に言いたいこと、ある?」
「え?」
「今朝からなんだか不機嫌でしょ。最初は、こんな事が起きたからだと思ったんだけど……なんだか、違うみたいだから…」
 それが自分に対してではないか、と思い出したあたりから、妙に気まずくて。なかなか切り出せなかったのだった。
「もしかして…………私のせい? 私、何かした…?」
「ちがっ! 悠美香ちゃんのせいじゃないよ!」
 そうじゃなくて、これは――……
「じゃあ、どうして?」
 ――うっ。
 要は返答に困って、またも視線をそらしてしまった。
 だって、言えるはずがない。八斗の存在からそこに通じるまでの過程を妙に意識してしまって、そうなる前に、ちゃんと手順を踏んでおこうと考えていた、なんて。
(バァルの許可がもらえたらルーさんに手伝ってもらって、礼拝堂借りて深夜の結婚式とか考えてた、とか。そんなの悠美香ちゃんに言えるわけないって)
 ちゃんとベールとかも用意してもらってたのに。それが、あのモレクの野郎の襲撃で全部パー。しかもその直前までウェディングドレス姿のアナトに悠美香を重ねていたものだから、つい、あの毒矢を受けた光景まで悠美香でイメージしてしまって…。
 毒を受けたのが悠美香ちゃんじゃなくてよかった、などと考えて、安堵してしまったのだ。ほんの一瞬だったけれど。
 直後、襲った罪悪感。
 ああ、己のエゴをまざまざとつきつけられたようで、まだ吐き気がする。
「――絶対、これ以上の惨劇は防いでみせる」
「え? ええ……もちろん」
 なぜいきなりそんなことを言い出したのか。分からないながらも、それはそのとおりだったので、悠美香も同意する。
(そしてきっちり筋をとおしてから、バァルにあらためてお願いするんだ。礼拝堂貸して、って。きっとまだ間に合う……よね?)
 うん、と心のなかでうなずいて、要は塔へと続く階段を登り始めた。


*           *           *


「姫、すまない。またあなたをこんなめにあわせてしまった」
「……いいえ……いいん、です…。覚悟は、ありました……から…。ただ……あなたが無事で……よかった…」
 そっといたわるようにバァルがアナトの手をとる。
 アナトが指先をかすかに震わせ……そのすべてを感じ取ろうとするように、バァルは両手で包み込んだ。
(私は……ここで何をしているのかしら)
 バァルとアナト、そしてサイドテーブルに挟まれて、身動きができないまま、ぼんやりとティアンは考えた。
(ここでこうして夫婦が互いを気遣う姿をデバガメしてなきゃいけないの?)
 あまり役に立っているとは思えないけれど、できるだけ気配を殺して。ひと言もしゃべらず、動かず。
 幸か不幸か、バァルは――死角で見えないアナトはともかく、少なくともバァルは――周囲から見られることに慣れているようで、ティアンがそこにいることを完璧に無視している。
 ティアンはそっと、ため息をついた。
 まるで空気か何かのように扱われ――そのことに幾分ホッとしつつ――ここに立って2人の様子を見ているのは、正直つらかった。 特に何か、特別なことを言い合っているわけではない。2人だけに分かる話や、愛を語っているわけでもない。
 ただ……見つめ合う視線や笑顔、ほおに触れたり、元気づけるように絡ませる指に、お互いを思いやる気持ちが伝わってきて……それが酸のようにじわじわとティアンの胸を焼き焦がしていく気がするのだ。
 魔族の手から守り抜いた彼女。アナトには幸せになってほしい。心の底からそう思う、この気持ちに偽りはない。だけど、その幸せを見ているのも、つらい。
  ――ホントウハ、コウイウモノデハナイノ…?
 いやな声がする。
  ――コレガオモイアウトイウコトデハナイノ…?
 ああ、これはどこから聞こえるの?
(消えて! あなたなどいらないのよ! 私にはシュウさえいればいいんだから!)
 胸に玄秀の姿を思い描き、これ以上浸食されまいと、必死に食い止めようとする。
 そのことにあまりに夢中になりすぎて――高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)が部屋へ現れたとき、本物だとすぐには気付けないほどだった。
「ああティア、ここにいたの。姿が見えないからどこにいったのかと思ってた」
 にこにこ笑顔でベッドを回ってティアやバァルとは反対側につく。
「アナトさんが目を覚まされたと聞きました。よかったですね、バァルさん。きっと皆さんの懸命の治療がいい方向へ向かったんです。僕も何かお手伝いができればよかったんですが……あいにくと回復系の魔法には疎くて。すみません」
「いや。ありがとう」
「いいえ、僕も己の不明さに気付かされました。今度こういったことが起きたときにはお力になれるよう、何か回復系の魔法を習得しておくことにします。
 ああ、そうだ。あと、これ。お見舞いの品です。よかったらどうぞ」
 玄秀が小脇に抱えていた白い何かを差し出した。アナトに見えるよう、向きを調節してバァルに手渡す。
 それは全身真っ白のぬいぐるみだった。ネコ耳と長い垂れ耳両方がついており、垂れ耳の方には金の輪が1つずつついている。普通、耳が4つある生き物はいないので、これは不良品に思えたが、これほどはっきり分かっていて回収されない不良品もないだろうから、やはりこういうデザインなのだろう。耳のおかげでネコのようにもウサギのようにも見えるが、そのどちらでもなさそうだ。リスのようなモコモコの尾がついていることからして、仮想の生き物かもしれない。えてしてぬいぐるみとはそういうものだ。
「かわ、いい…」
「よかった。気に入っていただけたみたいですね。あ、ちなみにこれ、キュゥべえのぬいぐるみっていいます。シャンバラではこの子を後ろに置いて写真を撮るのがはやってるんですよ! しかも数が多ければ多いほどいいんです! 僕もしたことあるので、今度機会があったらお見せしますね!
 ティア、枕元のテーブルに置いといてくれる?」
「えっ? あ、はい」
 バァルを介して受け取り、横のテーブルへ下ろしている間に、玄秀はさっさとドアまで戻ってしまった。
「じゃあ見知らぬ僕なんかが長居して、アナトさんを疲れさせてもアレなので。僕はこれで失礼させていただきます。
 ティア、またあとでね」
「待ってシュウ、わ、私も――」
 あわてて、多少強引にバァルと壁の隙間を抜けようとした彼女を、玄秀は肩越しにかえりみる。
「いいんだよ。きみは好きなだけそこでそうしているといい
「あ…。……はい」
「じゃあアナトさん、セテカさん。これでも僕も一応陰陽師のはしくれですから、部屋の方で病気平癒の祈願をさせていただきます。どうか早くよくなってください。失礼します」
 終始つらつらと、立て板に水のように話して、他意の全く伺えない笑顔を浮かべたまま、玄秀は去って行った。
「ではわたしもここまでにしよう。あなたを疲れさせてはいけない」
 力づけるように、彼女の手を取って口元へ運ぶ。
「あなたがもう少し回復して動けるようになったら、一緒に保養地へ行こう」
 その言葉に、アナトの目がかすかに笑んだ。
「約束する」
 その後、バァルはセテカを見舞い――彼は先の要らぬ抵抗で大幅に体力を失い、ほとんど抜け殻状態になっていた――食事をとるべくダイニングルームへ向かった。
 バァルがいなくなったとたん、アナトの顔から笑顔が消える。目を閉じてじっと何かに耐えているふうの彼女を見て、ティアンはすぐさまヒールをかけた。
「我慢していたのね。痛いのならそう言わないと、こちらには伝わらないのよ」
「今……急に、きたの…」
「うそおっしゃい。こんなに汗をかいて」
 叱りつけながらも、汗をふきとる彼女の手はやさしい。
「ごめ……な、さい……あなた、には……助けられて、ばかりね…」アナトは大きく深呼吸をした。「今の……ひとが、あな、たの…?」
 その問いかけに、ティアンの手がぴくりと跳ねて止まった。
 ひるみ、警戒するように距離をとったティアンを、熱と苦痛にぼやけた目が見つめる。
「あなたが……どう、したら、幸せになれるか……何が、あなたの幸せか……わた……には、分からない……で……も、今……の、あなたが……幸せなように……は、見えないの…」
「私の幸せ…は……あ、あなたには関係ないわ!」
 ぴしゃりとドアをたたきつけるような拒絶の言葉。先に似たようなことを考えていたこともあり、その後ろめたさから思った以上に強くなってしまった。
 だが、真実だ。訂正するつもりも、謝るつもりも、ない。
「そう……そうね……ごめんなさい…」
 その言葉に続いた吐息は、まるでため息のようだった。