リアクション
* * * ●地下1階 「なす兄、暗いよ…」 水ノ瀬 ナギ(みずのせ・なぎ)はそっとつぶやいて、前を行く高峰 雫澄(たかみね・なすみ)の服すそを引っ張った。 「うん、そうだね」 振り返った雫澄がなぐさめるようにぽんぽんと手を叩いてくれる。だが「じゃあ光を強めてもらおうか」とは言ってくれない。 「これくらい我慢しろ。強い光はモンスターに自分たちの居場所を教えるようなものだ」 応えたのはその前を歩く漆羽 丁(うるばね・ひのと)だった。雫澄にだけ聞こえるようにつぶやいたつもりだったのだが、聞こえてしまっていたようだ。落とした針の音まで聞こえそうなほど静かな廊下では、当然かもしれないが。 先頭を行く氷藍と交代で、彼が光術を用いて自分たちの周囲を明るく保ってくれていた。しかしその明るさはせいぜい自分の足元が見える程度、伸ばした手の少し先が見えるくらいまで抑えられている。前方も後方も真っ暗だ。 戦艦島の地下階は、デパートに改装されて広々としたワンフロアの地上階と打って変わって、いかにも戦艦内部といった様相だった。廊下にはむき出しの太い配管が上下壁に沿って通り、幅も狭く、2人の人間が肩をこすらずにすれ違える程度しかない。しかも空気はよどんでドブのような悪臭がしている。 ゆらゆらとゆらめく人影――これはもちろん、自分たちのものなのだけれど――が壁で踊っているように見えるのすら、なにかうす気味悪く見えて、ナギはぎゅっと雫澄の服すそを握り込む手の力を強める。それを感じて、雫澄はそっと息を吐いた。 「順番代わろうか? 僕が最後尾を行くよ」 「……うん」 怖がっているのを見透かされた気恥ずかしさで、少しほおを赤らめながらもナギはおとなしく提案に従う。 「ごめん、なす兄…」 そんな彼らの前、先頭の柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)が、長く押し付けていた手をドアから離した。 「どうだ?」 丁の問いかけに氷藍は首を振る。 「駄目です。ほとんど何も読み取れません。ここはあまりに古くて……どこの記憶も、すり切れてしまっています」 壁、配管、ドアと、少し進むたび、彼女はサイコメトリを行っていた。もしや何か分かるのではないかと、一縷の望みをかけて。しかし見えるのはいずれも砂煙越しに見える影のような人々だった。その感情も、言葉も、読み取れない。あまりに遠い、はてしない時間というカーテンの向こうの影。 「シルバーソーンがあるかどうかだけでも分かればよかったのですが…」 「氷藍殿」 キュッと唇を噛み締める氷藍の肩に、いたわるように真田 幸村(さなだ・ゆきむら)の手が乗る。 「ふむ。案外……ないかもしれぬな」 「えっ!?」 思いもよらない丁の発言に、全員が驚いて注目した。 「婚儀を襲撃した魔女・モレクとやらが放った毒矢の治療にはシルバーソーンという、この戦艦島にしか現存していない特殊なイラクサが必要という。しかし「数日前」にここはモンスターの襲撃にあった……偶然にしては妙にできすぎていると思わぬか。 これがすべて領主・バァルをこの地に呼び寄せたい策略であるとするならば……俺がこのすべてを仕組んだのであれば、シルバーソーンなぞ薬草は、わざわざ置いたりはせぬよ。必要ないからな」 「そんな…っ!」 「だがもし、それでもシルバーソーンがここに置かれているとすれば……俺はその方がよほど怖い。はるかに恐ろしい相手だ」 (東カナン領主、南カナン領主はとんだやつの恨みを買ったものよ) 丁はそっと目を伏せる。 「根強い恨みだ……底が知れん。知りたくもないがな。 おまえたち、細心の注意を払え。敵は目の前にいる者たちのみとは限らぬ。気を抜くと、思わぬ厄介ごとに巻き込まれるぞ」 「分かりました」 幸村がうなずく。だれもが丁の言葉を真剣に受け止め、それぞれの考えにとらわれていたときだった。 「……う、わあああ……っ、もういやだあああぁぁあっ」 胸に迫る恐怖についに耐え切れなくなったナギが、頭を抱えて悲鳴をあげた。 「ナギ!? ――あっ」 雫澄を突き飛ばし、元来た道を走り出す。 「どうした?」 「分からない。いきなりあんな……怖がってはいたんだけど、まさかここまでなんてっ」 驚きつつも4人はナギを追った。あんな走り方をしては壁に激突するかもしれない。 「暗いのを怖がっていたわりに、闇を走るのは平気なのだな」 それだけ錯乱しているということか? 丁の言葉に幸村がぴたりと止まった。 「幸村? ――うわっ」 突然幸村ののどからクライ・ハヴォックがほとばしる。唐突さに驚く他の者の間をすり抜けて、幸村はナギの向かっていた先、T字路の闇に向かって轟咆器【天上天下無双】を振り下ろした。 そこにあるのは闇ばかりと思っていたのだが。「きゃあ!」という女の驚いたような悲鳴が起きる。氷藍の光術によって照らされた幸村の足元には、わずかな血だまりが残っていた。 「エンプサか」 「かもしれぬが……分からん」 左右に目を配したが、もうそれらしき気配はない。わずかにコウモリのような羽ばたきらしきものが聞こえる気がする程度か。 「ナギ、大丈夫?」 「う、うん……ごめんね、なす兄。なんか、すっごく怖くて、あのままここにいたらみんな殺されるような気がして、だんだんたまらなくなってきて……っ」 「エンプサの精神攻撃だったんだ。もう大丈夫だよ。気付けなくてごめんね」 まだ残っている震えを止めてあげようと、そっと抱き寄せたとき。 「――うッ」 幸村が右腕を押さえてその場にひざをついた。動脈を斬り裂かれたか、押さえた手の下からどくどくと大量の血があふれている。 「幸村!」 すぐさま命のうねりを発動させながら駆け寄った氷藍ののど元で、突然ギャリンッと鋼同士がぶつかり合って火花が散った。 「なにっ!?」 反射的、身をひいた彼女ののどに、皮一枚斬り裂かれた血の首輪ができる。あと1歩踏み出していれば喉笛を斬り裂かれていただろう。 ――フフフフ…… 耳に届くはかすかな女の笑声。そして刃物らしき物が硬い光をはじいたと思うや、再び闇へと沈む。 「あれは……」 エンプサだろうか? 眉をひそめる氷藍の耳に、今度ははっきりと反対側の通路から言葉が入った。 「あらあらお嬢ちゃん、わたくしのことは無視かしら? 助けてあげたんですのよ。まずはこちらに礼を言うのが筋ではなくて?」 必要以上の色気をたっぷりと含んだ、女のなまめかしい声。強めた光術のあかりの下に現れたのは、4人の男女だった。 「助けたの、カル兄じゃんっ」 一番手前で両手を頭の後ろで組んでいる、露出度の高い、まるでインド神話か何かに出てくる雷神のような姿の少年がシシシと笑う。 「うるさいですわね。あれはわたくしたちに、という意味ですのよ」 「なんだよぅ。えらそうに」 イーッと歯を見せながらもケラケラ笑っていた少年の手元から、何の前触れもなく魔術師のダガーが飛んだ。 「!」 「ま、僕たちだって、ただ助けたわけじゃないんだけどねっ。なんつーの? 見つけた獲物はこっちのもの、みたいな?」 「裏切り者コントラクターか!」 飛来するダガーを紙一重でかわし、氷藍は叫んだ。 「裏切りではない。最初からおまえたちの側についているのではないのだから」 呪鍛サバイバルナイフを逆手にかまえ、走り込みつつリデル・リング・アートマン(りでるりんぐ・あーとまん)はつぶやいた。 「かといって、完全にやつの味方というわけでもないが、な」 だれに言うでもない言葉。すぐさま噛み合った鋼の音が、大部分を散らしてしまう。大剣と小型のナイフ、その威力の差は歴然としているかに思えた――が、刃越しに相手と顔を合わせ、リデルはつまらなさそうに目を伏せる。 強烈な蹴りが、幸村をはじき飛ばした。 「このような動きが限定される通路で、ばかでかい得物など持ち出すな」 腹部を押さえてひざをついた幸村に、さらに追い討ちをかけようとする。 彼女を横合いからナギのワイヤークローが襲った。先端に鋭い鋼の鉤爪がついた武器が腕を掴もうとする。しかしそうくると見越していたように、鉤爪はリデルの腕をすり抜けた。幻影――ミラージュだ。本物のリデルはさらに一歩先を進み、幸村の目前へ跳躍を果たしている。 「ニャロっ」 ワイヤーを操り、その背に再度投擲しようとしたナギだったが、次の瞬間ワイヤーは割り入ったカルネージ・メインサスペクト(かるねーじ・めいんさすぺくと)の腕に重く絡みついた。 「……敵生体確認。排除開始」 フェイスガードの向こうで、何の感情も伺えない無機質な声が淡々と告げる。加速ブースターが炎を吐き出し、真正面から高速でフライシャー・バヨネットを突き込まれて、ナギはあわててワイヤークローを手放し後方へ跳んだ。 「わわっ」 「ナギ!」 ミラージュを用いたリデルの猛攻に防戦一方となっている幸村のサポートに入ろうとしていた雫澄が方向転換を図ろうとする。その手を、神速で距離を詰めたアルト・インフィニティア(あると・いんふぃにっと)が掴み止めた。 「!」 「んふ。わたくし、いつまでもかような場所でこのような事していたくありませんの。ですからあなたもご協力くださいな」 と、盛夏の骨気を宿した手が殴りつけようとし――雫澄の顔の横でぴたりと止まった。 「あらいやだわ。あなたすっごくかわいい」 「えっ…?」 「ねえあなた、ナース服とか着てみない? ああん、婦警さんもいいわねー、ケモ耳カチューシャとしっぽをつけて」 「えっ、えっ?」 「ね、わたくしにその身を預けてみませんこと? きっとあなたなら美しいネコ耳メイドさんになれますわよ?」 「ちょ! まっ……え、えーっ!?」 雫澄は別の意味で引いていた。 ナギを庇い、カルネージの繰り出す正確無比なスタンクラッシュ、ソニックブレードを防いだのは丁である。彼は持てる攻撃魔法をフルに使い、この狂える機械人形の攻撃をしのいでいた。 「はあっ!」 光術を顔面にたたきつけ、強い光にひるんだところで距離をとり、爆炎波を放つ。しかし炎にまかれようと、鋼鉄の機械はいかほどにも感じていないらしい。わずかにひるみ、動きが止まったかに見えたが、後方に控えてパートナーたちの補助を行っている帝釈天 インドラ(たいしゃくてん・いんどら)からのリカバリが瞬く間に彼を癒してしまった。 「まったく、頑丈なことだ。いまいましい」 再びバヨネットで刺突の構えを見せるカルネージに、丁もまた構えをとる。その姿が視界の隅に入っていたが、氷藍にも幸村にもサポートに回る余裕はなかった。艦内通路といった狭所でロケットシューズを効果的に用いたリデルの変則的な動き、速さ、そしてパワーブレスで増強された両手から繰り出されるサバイバルナイフは重く、急所を的確に突いてくる。外部ならまだしもここでは幸村の大剣ではその動きについていけず、防戦一方を余儀なくされていた。 「幸村、避けろよ!」 氷藍が連続して弓矢を放ち、リデルの猛攻を止めさせる。幸村、リデル、双方が後方へいったん身を引いて距離をとろうとしたときだった。 幸村の後ろの暗闇から伸びる女の手と握られた刃物を見て、リデルはサバイバルナイフを投擲した。 女の手からクビキリカミソリが落ちて床に刺さる。 「こちらの獲物だと言ったはずだが?」 ――………… 女は答えず、すうっと壁を抜けて消えた。 「ねえ、いっそ巫女服なんてどう――あらいやだわ」 雫澄を壁に押しつけ、両腕のなかへ囲い込んでいたアルトが、ふと横を向いて眉をしかめる。 「主さま、少し暴れすぎたかもしれませんわ。グールが何匹かこちらへ向かってきておりますようですわ」 「そうか」 リデルは女の消えた壁を油断なく見ながら応じる。 「あんなむくつけき輩の相手などしたくありませんわ。今のうちに退きましょう」 アルトの言葉に、一考する間を開けたのち、リデルはサバイバルナイフをしまった。 「要らぬ横やりで興が冷めた。この続きはまた今度だ」 「ま、待てっ!」 「インドラ」 「はーいっ」 氷藍の伸ばした手の先でインドラが強烈な光を彼らにたたきつける。 「今度お会いしたときは、あなたにお似合いのご衣装を必ずお持ちいたしますわ」 これはその約束、とばかりにアルトの唇が軽く雫澄のほおをかすめていく。光に耐え切れず、目を閉じた一瞬に、リデルたちは闇の向こうへ消えていた。 「くっ……待て! やつとは何者だ! それがこの事件の首謀者なのか!」 「よせ、氷藍!」 すぐさま追おうとした氷藍を幸村が引き戻す。直後、仕掛けられていたテロルチョコおもちが爆発した。 「あの女について知りたかったら自分たちで調べろ」 煙の向こうからリデルの声が聞こえる。かなり遠ざかってしまっているようだ。 「女?」 「わーっ、来た来た! グールだよっ!」 ナギのあわて声がかぶさる。 「氷藍さん、幸村さん、こっちです!」 「氷藍殿、まずはこちらへの対処が先決です。それ以外はあとでよろしいかと」 「あ、ああ……そうだな」 幸村に促されるまま、ナギや雫澄、丁のいる通路へ戻る。 ふといやな気配がして振り返ったとき、床に突き刺さっていたはずのクビキリカミソリが、いつの間にか消えていた。 |
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