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海の都で逢いましょう

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海の都で逢いましょう
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リアクション


●Vulnerable 

 西に傾く太陽を背に、やや背を丸めて力なくローラは歩いていた。いくらか眼が赤い。
 けれどその顔にかかっていた雲は、唐突に晴れることになった。
「Ρ(ロー)……いやローラか」
 呼びかける声を聞いたからである。もしかしたらそれは今、彼女がもっとも聞きたいと思っていた声かもしれない。
 燃える朝焼けのような色をした髪、すらり長身でがっしりした上背、だが最も特徴的なのはその目だろう。大洋の広さを思わせるほどの優しさをたたえた金色のまなざしだった。グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が立っていたのだ。
「今日は水着なんだな、よく似合う」
 なお彼は、普段通りの服装である。
 すると本日これまで、とりたてて恥ずかしげな様子を見せなかったローラだというのに、これから採用面接でも受けるかのようにもじもじと、左右の腕で胸と膝を隠すような仕草を彼女はとったのである。
「グラキエス、来てた……か」
「ああ。山葉校長が来ると聞いていたから、ローラとも会えるかと思っていた」
 まあ実際は、山葉は山葉でも蒼学校長ではなくその従兄弟、天学生たる山葉聡の聞き違いだったわけだが……とグラキエスは苦笑気味に言った。いずれにせよ、ローラとはこうして会えたのだからそれでいい。
「こっちへ来て少し話さないか」
 グラキエスの求めに応じ、心持ち内股になっていそいそと、彼女は彼の前のコンロのところまで来た。
 しかしローラを好意的に迎える者ばかりではない。グラキエスのパートナーゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)は、抑えようとしてもどうしても、苦い顔になってしまうのである。ゴルガイスの食欲はたちどころに吹き飛んでいた。口は灰の味がし、胃には鉛でも詰まったような気になる。
 ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)は咎めるような目をゴルガイスに向けるも、それ以上はなにも言わなかった。
 だがローラはゴルガイスの変化に気づかない。グラキエスも同じだ。ローラの目を見つめて、
「上手くやっているようで安心した」
 と言ったのち、やや声のトーンを落として続けた。
「……Π(パイ)とは『あんな結果』になってしまったが、あなたが無事であれば、そのうち『違う出会い』があるだろう」
「うん、そのこと、あまり心配してない。パイの爆弾、ただの催眠術かもしれないし……だから、そう遠くなくいつか、うまくいく、思う」
 ローラの希望に満ちたまなざしを見ているうち、グラキエスの目尻にも自然、おだやかなものが浮かんだのである。
 ローラもΠも『鏖殺寺院の機晶姫』とは違う道を選んだ――グラキエスは己に問う――俺も選べるだろうか、と。ウルディカが示唆した、この狂った魔力が示す道……それとは違う道を……。
「それで、それでね、グラキエス」
 ローラがなにか言っている。頬をわずかに紅潮させ、何度も言いごもっているところからして、言いにくいことなのだろうか。
「今日、交流会終わった……終わったら、一緒に夕焼け見ないか、ワタシと?」
 よほど恥ずかしいのか、言い終えるとローラは両手で顔を覆った。
 だがグラキエスはローラの申し出を聞いていなかった。
 正確に言えば、聞こえないのだ。
 彼は、どこからか漏れてくる鈍い声に耳を奪われていた。
(不可能だ)
 鈍い声は言った。
「今のは……?」
「え? ワタシ変なこと言ったか?」
 だがローラの声はグラキエスには届かず、かわりにまた、暗く重い声が彼の脳を捉える。
(それができれば、ロアも、ドゥーエも、ゴルガイスも、俺を置いて行かなかった)
 声に、どこか嘲るような、皮肉な色彩が加わった。
(皆が望むから、苦痛も、破壊と殺戮の辛さにも耐えたのに、見捨てられた)
 耳で聞いているのではないと、直感的にグラエスは理解した。この声は、直接自分の脳に突き刺さっているのだ。
 そのはずだ――突然、彼は理解したのである。
 声は、自分の内側から出ている! 内部から自分を貫いている!
 悟ったのと、激痛が襲ってきたのはどちらが先だっただろう。
「あ、頭が……割れ、る……」
 頭を両手で押さえしゃがみ込むが、グラキエスの痛みは去らない。それどころかますます暴れ狂った。
「魔力が、乱れて……う、ぐッ!」
 たまらず砂地を転がった。激しく咳込む口に、錆びた鉄のような味が拡がる。流れ出た血が、さらさらの砂にどす黒い染みを作った。
(諦めて消えてしまった方が、苦しまないで済む。限界を先延ばしにすればするほど、狂った魔力は増大し、それを止めるゴルガイスたちも危険になる)
 内なる声に対し、グラキエスは目を閉じて抗った。
「わかって、いる……。だが、今度は……俺も、生きる事を、望みたい……」
 ローラが触れてくれている。それはうっすらとわかったのだが、なにか凶暴な衝動に駆られ、グラキエスは彼女の腕を振り払っていた。
「畜生……!」
 ローラを押しのけると、ゴルガイスは両腕でグラキエスを止めようとする。
 ゴルガイスの懸念していたことが起こってしまった。それも、心配していた以上の大きさで。
 今、グラキエスを内部から引き裂こうとしているのは封印されたグラキエス自身……いわば過去のグラキエスであることをゴルガイスは知っている。ローラ・ブラウアヒメル、すなわち、『塵殺寺院に造られし者』との接触が繰り返されれば、刺激を受けて封印されたものが目覚める危険性があった。ずっと前からわかっていたのに……。
 一方ロアはうろたえず、静かに『第三の男』が動くのを待った。
「君は、どうするのですか?」
 醒めきった目でロアは彼……ウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)に問いかけた。
 この場所にウルディカがいることを、ローラは認識していなかっただろう。それほどに彼は閑かで、気配らしい気配がまるでなかった。まるで異物が、この時間この空間に出現したかのように。
「……決まっている」
 ウルディカは屈み、その白い手でグラキエスの額に触れた。
「癒す。これが『癒し』ならばだが」
 すると嘘のように、グラキエスの狂騒は収まったのである。電源スイッチをオフにしたのかと思えたくらいだ。グラキエスは、意識を失って砂の上に眠った。
 食中毒が発生したとでも思ったのだろうか、風紀委員の制服が数人、ばたばたと駆けてきた。
「もう大丈夫だ。ただ、仮眠用のベッドを貸してほしい」
 ウルディカは軽々とグラキエスの体を抱き上げ肩に担ぎあげた。彼がその赤い目で一瞥すると、もうそれ以上問いかけようとする者は現れなかった。「それならこちらです」と、委員たちは救護テントへの案内に立った。
 ゴルガイスが随伴した。ロアもだ。
「ワタシも……!」
 ローラも続こうとしたが、
「来るな!」
 ゴルガイスは眦をつり上げ、吠えた。凍り付いたようにローラはそこから動けなくなる。
 彼女を残して四人は、そのままテントへと向かって言った。

「我が、あの機晶姫に怒ったように見えたか?」
 ウルディカに付いて歩き、砂を踏みながらゴルガイスがポツリと言った。
 ロアは答えない。回答する必要はないと知っていたからだ。
 事実、ゴルガイスは促されずとも続けた。
「違うな。怯えていただけ……あの機晶姫を警戒するのは、我の怖気だ。鏖殺寺院と関わることで、記憶が戻るのが恐ろしい」
 彼の独白は、砂音にまぎれるもはっきりと聞こえた。
「我はグラキエスの暴走を恐れ、逃げ出した。すでに我が友と『ロア』を失っていた心をどれほど傷付けたか……。グラキエスは狂った魔力を暴走するに任せ、自分諸共すべてを破壊した。それを思い出せばどうなるか……」
 嫌な昔話だ。できることなら思い出したくなかった。
「それだけですか?」
 ここでようやく、ロアが口を開いた。
 敵わないな、とでも言うかのような調子でゴルガイスは首を振る。
「……正直に言おう。我が最も恐れているのはグラキエスに恨まれることだ」
 ドラゴニュート特有の小さな目に、震えのようなものが走った。
「この契約が、我の罪悪感から始まったと知られたくないのだ」
「……アラバンディット、君だけが悪いんじゃない。当時のエンドの暴走は、起こるべくして起こったことです」
 そっとロアは応じた。
「君が生き延びたから、エンドを助けられた。助かったからこそ、エンドはパラミタで今の仲間と出会い、ドゥーエと再会できたんです」
 テントが見えてきた。
「生きていれば違う道がある。絶対にエンドを救える道がある。……そうやって君は頑張ってきたじゃないですか。エンドだって、わかってくれてます」
 救護テントをくぐると、ウルディカはベッドにグラキエスを横たえた。ゴルガイスとロアは救護テントに残るも、ウルディカは振り返ることすらせず早々にテントから出た。
 そしてふらりと、なおも盛り上がる交流会会場に消えた。
「災厄の元凶に対抗するため、魔力を宿す物を探し歩いてばかりいた……ゆえに、こんな賑やかな場所は久々だ」
 あれが帰るまで、見て回るか――というウルディカの呟きを聞いた者は、いない。