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そんな、一日。

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そんな、一日。

リアクション



11


 クロエに会いに工房まで来たけれど、折り悪く彼女は出かけてしまったらしい。
 ならば我も散歩に行く、と言って黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)は後を追うように工房を出た。
 そして、それを見つけた。


 勝手にコーヒーを淹れて、ソファにどっかり腰を下ろす。
 音穏がクロエを追って出かけてしまっても、リンスが仕事にかかりっきりで一切構ってくれなくても、七刀 切(しちとう・きり)は悠々自適に過ごしていた。
 コーヒー片手に持ち込んだ雑誌をぺらぺらとめくり、まるで我が家のようにくつろぐ。持参したチョコレートを一粒取って口に放ると、カカオの香りと甘さが口いっぱいに広がって幸せを感じた。
「チョコうめー」
 その発言に、リンスが顔を上げる。ああそういえば、チョコレートが好きなんだっけ。単語に耳ざとく気付く程度には。
「リンスも食う? 一粒ならやるぞー」
 ほれ、とチョコの入った箱を向ける。いいよ、と手のひらを向けられた。
「気持ちだけで」
「謙虚なー」
 ワイも謙虚になった方がいいのか、と思った。思っただけだったが。だって、友達の家は妙に落ち着くのだ。自分の家が落ち着かないというわけではなく、そういう独特の癒しがあるという話。
「いい天気だしなー」
 不意の発言だったが、リンスはやはり動じずに「そうだね」と相槌を打った。窓から差す光は強く明るく、だけど優しい。
「あ、このまま寝れそう……」
「何しに来たのさ」
「んー、ぐでーっとしに。だからワイのことは気にせず仕事がんばー」
 ぐでぇ、と擬音を口にしつつソファに横たわる。
 目を閉じ、いよいよおやすみモードに入ろうとしたときだ。
 ばん、と工房の扉が勢いよく開いたのは。
「音穏さん……?」
 出て行ったはずの彼女が帰ってきた。胸に何かを抱いて。
 音穏は、つかつかと大股で近付いてくる。何、何。寝転んでいた身体を起こし備える切に、彼女は言った。
「切! 猫を飼おう!」


 彼女は、小さなダンボールに入っていた。
 小さなダンボールよりも随分と小さな肢体を持つ黒猫は、消えそうな声でミィと鳴いた。
「こんなにも愛らしい子猫を捨てるとはなんたる所業……!」
 彼女を見つけたときの怒りはまだ音穏の中で渦を巻いていて、工房内は静かなのについ声を大きくしてしまう。
「許せんだろう!?」
 ずい、と切に詰め寄ると、眠そうに惚けた瞳が音穏を見上げた。
「えーと……」
「世話はちゃんとする! 餌は我が用意するし、散歩だって我がやる! 他の者に迷惑はかけん!」
 必死に訴えかける。切は、否定こそしなかったが何か言いたそうな曖昧な表情をしてこちらを見ている。
 駄目だろうか。迷惑をかけない、それだけでは。
 腕の中の猫は安心しきっているのか、音穏に身を預けている。その表情が可愛くて、胸がきゅっと締め付けられた。
 もしも、飼うことを許されなかったら。
(我は、こいつを捨てに行くのか?)
 それだけは嫌だった。どうしてこの子は二回も捨てられなければならない? 何も悪くないのに。
「切」
「ん。あー……」
「飼っては……駄目か?」 
「…………」
 ついに切は黙ってしまった。音穏は何も言えなくなり、俯きがちの姿勢のまま猫をぎゅっと抱く。
「……はあー」
 わざとらしいほど大きな、切のため息。おずおずと顔を上げると、苦笑を浮かべながら切は言う。
「帰りに猫の飼い方の本、買いに行きますかぁ」
「っ、それじゃあ!」
「あんな顔されちゃあ、ねえ」
 仕方ないよなー、と呟きながら、切が猫に手を伸ばした。猫は人懐っこく喉を鳴らして撫でられるままにされている。可愛いだろう、と自慢したい気になった。
「良かったな、クロ」
「クロって」
「この猫の名前だ」
「はは……」
 切が、なんともいえないような顔で笑う。どうせ、安直だ、とでも思っているのだろう。余計なお世話だが気にしない。何せ今、音穏はいい気分だから。
「ただい――あれっ、ねおんおねぇちゃんだ!」
 そうやって少しの間クロと戯れていると、入り口からクロエの声。振り返った音穏の腕に猫が抱かれているのを見て、クロエが目を輝かせた。その表情だけでわかる。彼女が彼女を好いてくれたと。
「おかえり。みんなで遊ぼう」
 笑いかけると、クロエも笑った。今日はいい一日だ。心から、そう思う。