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リアクション
「すてきな場所なのですぅ」
頭にかぶった麦わら帽子のつばごしに空を見上げて、佐野 ルーシェリア(さの・るーしぇりあ)はほおをなでる風に目を閉じた。
さんさんと真上から照りつける夏の太陽は時間が経つにつれて周囲の気温を上昇させているが、湖を渡ってくる風が適度に気持ちよく肌のほてりを冷ましてくれる。
「カナンにはこういう場所がほかにもあるのですかぁ?」
「ああ、あるぞ」
ルーシェリアからの質問に答えたのは、オズトゥルク・イスキアだった。
声の出どころは近く、なんと下からだ。今、オズトゥルクはルーシェリアのひざまくらで、仰向けになってビーチに転がっていた。
彼らの上には木陰がかぶさり、直射日光を遮ってくれている。昼寝をするには絶好のポイントだ。ほかの者たちがいる場所から離れすぎてもおらず、そばには佐野 悠里(さの・ゆうり)もいて、男女として不適切な行為に及んでいると責められるほどでもない。
ここを見つけたのはオズトゥルクだった。
「私たちのことは気にせず、オズさんの好きなようにすごしてくださいですぅ」
と言うルーシェリアに「そんじゃあ」と、のっしのっし歩いてこの木陰まで来てルーシェリアを座らせると、ひざに頭を乗せてごろんと寝転がったのだ。
最初はあっけにとられ、反射的身構えもしたルーシェリアだったが、水に落とした砂糖のようにすぐに警戒は溶けて消えた。そして、むしろ彼らしいと思い、やさしい気持ちで満たされて笑みが浮かぶ。オズトゥルクがしたいだけ、ひざを貸してあげようと思った。
反対に、憤慨したのは悠里だった。
「もうっ、おじさんったら! こんなきれいな所へ来てまで昼寝!?」
「悠里ちゃん、オズさんはお仕事で疲れているのですぅ」
「最近騎士団の団長になったからっていうんでしょ? 忙しいのは分かるわ。でも、旅行に来ながら寝てすごすって、それってもったいないと思わないの!?」
正論だった。
悠里が憤慨するのも当然だ。特に、オズと会える、会ったら一緒にいろんなことして遊ぼう、と思って楽しみにして来た悠里からすれば、昼寝を始めたオズトゥルクの姿はさぞ業腹なことだろう。
だが大人のルーシェリアには、激務を送るなか、休みの日はしっかり体を休めておきたいというオズトゥルクの気持ちも理解できるのだ。子どもの悠里には、それを理解するのはまだ難しいだろうということも。
考えた末、こう言うことにした。
「オズさんは、ひと眠りして回復したら、きっと元気になって遊んでくれるですぅ」
「……本当に?」
じとっと母のひざの上で目を閉じているオズトゥルクを見下ろす。
もうかなりの時間を一緒に過ごしてきたのでオズトゥルクのひととなりは大体悠里にも掴めてきていた。少しあやしい気もするが、今はそれを信じるしかないだろう。疲れているのを引っ張り起こして「遊んで!」と言うのは、わがままな気もする。
だから悠里はオズトゥルクが目覚めるまで湖で泳いでくることにしたのだった。
「いい子だな」
遠ざかる足音に、目を閉じたままぽつっとオズトゥルクが言う。
「ありがとうなのですぅ」
オズトゥルクが起きていることに気づいていたルーシェリアは、ふふっと笑った。
「いい娘と、いい母親だ。うちは男ばかりだが、ユーリを見ていると娘もほしいとよく思う」
「男の子だけなのですかぁ?」
「ああ。28を筆頭に、12人いる。全部男だ。娘は、あれが欲しがったんだが、正直あいつなしでオレだけじゃあ育てられる自信がなくてな」
その言葉に、ルーシェリアは首を傾げた。「あれ」とか「あいつ」というのがオズトゥルクの奥さんを指しているのは分かる。でも
それ以外の意味が分からない。どういう状況なのだろう?
沈黙がそのままルーシェリアの疑問を伝えることになったのか。オズトゥルクは説明を始めた。
「オレの子どもたちは全部養子だ。妻は結婚して2年後に亡くなった」
「それは……」
どう続けるべきだろうか。オズトゥルクの淡々とした口調から「ご愁傷さまです」というのとも少し違う気がして、ルーシェリアは言葉を飲み込む。
「生前、子どもがたくさんほしいとよく話し合っていた。子どもというのは大勢のなかで育てるべきだと。それもあって、彼女が亡くなっても養子をとり続けたんだが、女の子というのは育てる過程での扱いが微妙だろう? 繊細さがいるというか。オレには無理だと思って、娘は持ったことがなかったんだ」
「……きっと、大丈夫なのですぅ」
ルーシェリアはオズトゥルクの前髪を梳いてもてあそびながら、そう答えた。
「オズさんの娘さんなら、きっといい子に育つですぅ」
悠里に接するオズトゥルクの姿をルーシェリアは近くで見てきた。おおらかで、愛情に満ちて、いつもお姫さまのように扱っていた。そんなオズトゥルクに娘がいたら、そうなる以外、あるわけないではないか。
「そうか」
確信に満ちたルーシェリアの言葉を聞いて、オズトゥルクの口元にはいつしか感謝の笑みが浮かんでいた。
(あれ、何よ?)
目の前の光景に、中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)はぴたりと足を止めた。
オズトゥルクが女性にひざまくらされて、ほほ笑みをかわしている。まるで恋人同士か夫婦のようだ。
(何? あんな、にやけちゃって)
相手の女性はシャオも見知っていた。佐野 ルーシェリアだ。最近よくオズと一緒にいるところを見かける。というか、オズに会おうとすると、必ず彼女がそばに寄り添うように立っているのだった。
彼女は人妻で、かわいい娘もいて。2人がそういう不適切な関係にあるとは思わない。2人の間にはそういう男女間に流れる空気というか、雰囲気はないから。純粋に、友人としてのつきあいなのだろう。どちらかというと、オズトゥルクは娘の方に関心があるようだし。
だけど…………頭では分かってても…………なんだか、胸のあたりがもやもやする。
(どうして?)
自分でも分からず、悶々としていると、後ろからセルマ・アリス(せるま・ありす)の声がした。
「シャオ! オズさん見つかった?」
振り返ると、はおったパーカーのすそを揺らしながらミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)と一緒に駆けてくるセルマの姿があった。
ミリィはいつの間に着たのかいつもの着ぐるみの上にダイバースーツを着用し、肩に浮き輪をかけている。
「あ、あれオズね!」
どう答えたものか考えあぐねているうちに、ミリィがオズトゥルクを見つけた。ミリィもまた、ルーシェリアにひざまくらされているオズトゥルクの姿を見ているわけだが、こちらは全く反応が違っている。
「おーーーいっ! オズ――むぐっ」
「ちょっと待って!」
声を張り上げ、浮き輪を持った手をぶんぶん振って自分たちのことを知らせようとしていたミリィの口を、ほとんど抱きつくようにしてシャオがふさいだ。
「シャオ、どうしたんだ一体」
やはりセルマもミリィと同じで、シャオのした反応こそ不思議そうに見つめる。
「ちょっと、待って……」
2人がどうしてそんな目で見るのか、自分がなぜこんな衝動的なことをしたのか、シャオにもうまく説明ができず、カッと上気したほおで俯いて、複雑な表情をしていると、ミリィが下から覗き込むようにしてシャオを見てきて「そうか!」と言わんばかりにぽんと手を打った。
「分かった!」
「何が分かったんだ? ミリィ」
「シャオは、この前のこと気にしてるのね! 問答無用でいきなり攻撃しちゃったから、オズと顔合わせづらいんでしょ」
「なるほど」
合点がいったと2人してうなずく。
「あのことをオズがどう思ってるかはオズ次第だから勝手なことは言えないけど、絶対根に持つタイプじゃないし、あのときだってシャオに怒ってる様子なかったでしょ。いつもどおりのシャオで向かってっていいんじゃないかな?」
「ミリィの言うとおりだよ。俺たちもそばにいるし。なんだったら、俺から話しても――」
「1人で行ってくる」
セルマが言い終わるのも待たずそう言うと、シャオは歩き出した。
ミリィの言うとおり、謝罪しなくちゃいけないんだし。あそこへ行く理由はある。
(さっさと謝罪だけして「お邪魔しました」って立ち去ればいいのよ)
早足で近付いてくるシャオに気づいたのはルーシェリアだった。オズトゥルクは目を閉じて、何か話している。ルーシェリアは口元に人差し指を立てると、手招きをしてシャオを呼んだ。
(……?)
忍んで来い、と言っているような気がして、シャオはできるだけ足音を消し、気配を消してルーシェリアの方へと回り込む。
「――妻は結婚して2年後に亡くなった」
(!! オズ、結婚していたの?)
思わず声に出して訊きそうになって、あわてて口を押える。
「生前、子どもがたくさんほしいとよく話し合っていた。子どもというのは大勢のなかで育てるべきだと。それもあって、彼女が亡くなっても養子をとり続けたんだ」
オズトゥルクの話を、シャオはルーシェリアのとなりにひざをついて聞いていた。
やがてオズトゥルクは「そうか」とつぶやいて目を開く。
「めが――シャオ?」
ルーシェリアのとなりにシャオの顔を見て驚いたオズトゥルクは身を起こした。
「悠里ちゃんの様子を見てくるのですぅ」
ルーシェリアはだれにともなく告げると立ち上がり、その場からゆっくりと立ち去る。
沈黙のあと。
「オズ、結婚していたのね」
ぽつっとシャオがつぶやいた。
「ああ。といっても16のときだから、もう25年近く前の話だ」
「25年。
再婚しなかったの?」
25年は長い。そんなに愛した女性だったんだろうか。まだ彼女を愛していて、だからオズは独り身なんだろうか?
シャオの質問に、オズトゥルクはあぐらをかき、頭を掻いた。
「親の決めた関係だったが、オレたちは親友だった。うまが合うし、子ども好きなところも同じで、きっとうまくやっていけると思っていた。まさかあんなに早く亡くなるなんて、彼女も思ってもみなかっただろう。
再婚は……まあ、周りからもせっつかれたし、オレも考えないでもなかったが」
そこで一度言葉を切り、オズトゥルクはシャオへと向き直り、彼女をまっすぐ見つめた。
「1度目の相手は親が選んで決めた。オレも、もう16の若僧じゃない。2度目は自分で選ぶ。
シャオ、オレはな、オレのケツ叩いて仕事へ行け、家事の邪魔だと放り出す妻がほしい。学校へ行きなさいと子どもたちを送り出し、お帰りと出迎えて、早く寝なさいと子どもたちをベッドへ追い立てる母親だ。たとえオレに何かあっても、わんわん泣くことがあっても、立ち上がって子どもたちをたくましく育てていける女」
オズトゥルクが使った言葉を、口のなかでそっと復唱する。
「そういう女性が現れたら、どうするの?」
「かっさらう!」
当然とばかりにニヤリと笑う。
「と言いたいとこだが、こればっかりは相手次第だな。オレでいいってんなら、オレのものにするが」
「出会えたの?」
口にした直後、愚問だと思った。出会えていたら、この男のことだ、きっと今言ったように行動しているだろう。
オズトゥルクが何か口にしようとしたときだった。
「オーーーズーーーっ! 泳ぎましょっ!」
オズトゥルクの言葉にかぶさって、ミリィの歌うような声がした。同時に、バフッと浮き輪が頭にかぶさる。
「おお。オレのもう1人の女神も来てたのか!」
浮き輪を持つ手の先にミリィを見て、オズトゥルクがうれしそうに破顔した。
「ルーマ、向こう行っちゃったし。1人だと退屈で、待ちきれなくて来ちゃった。
もうずい分経つでしょ? 話終わってるよね?」
「話?」
シャオを振り返る。
「あ、ええ……」
「え? まだ終わってなかったの? 謝罪」
「謝罪?」
ミリィの言葉に赤面しつつ、シャオはそっぽを向く。
「そのう……。騎士団長に昇進したって、聞いたわ。昇進おめでとう……と。それから、その……この間はいきなり聖獣けしかけたりして、悪かったわね…」
「なんだ、そんなことか」
「そんなこと、って、あのね。こっちはすごく気にして――」
アッサリした返答にかちんときて、シャオはくってかかろうとする。彼女の手をとり、引っ張り上げるようにして立たせた。
「そんなこと、だ。あんなもん。それより、女神の言うとおりだ。泳ごう、シャオ」
と、そこでシャオの服装をじろじろと見る。タンクトップとショートパンツを組み合わせた、タンキニだ。
「な、何よ?」
「いや。すごくよく似合ってる」
「ワタシは?」
すかさず言って、くるっと回転するミリィ。オズトゥルクはうんうんうなずいた。
「女神もだ。その格好をしてるってことは、かなり本格的に泳げるんだな」
「もっちろん!」
「よし。じゃあひと泳ぎするか!
おーい、ユーリ! オレたちと一緒にあの小島がある辺りまで遠泳しないかー?」
「ちょっとオズ? 放しなさいよ」
むんずと手首を掴まれ、シャオはあわてるが、オズトゥルクはわははと笑うだけで放そうとしない。
シャオとミリィ2人の手を左右に取って、強引に引っ張るかたちでオズトゥルクは波打ち際で遊んでいる悠里たちの元へ向かって歩き出したのだった。
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