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そんな、一日。~三月、某日。~

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そんな、一日。~三月、某日。~

リアクション



3


 コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の運転する車に乗って工房についた時、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)がまず最初に思ったことは、なんだろうこの違和感、だった。
 何かが違う。なんだろう。ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)クロエ・レイス(くろえ・れいす)が花札で遊んでいること? 確かに花札は現代において若干物珍しさはあるけれど、違和感とまではいかないだろう。
 無言のまま工房を見回していた視線が、リンス・レイス(りんす・れいす)のところでぴたりと止まった。
 リンスだ、と思った。リンスの何かがおかしい。直感で結論に至ったため、何がおかしいのかはまだわからなかった。
 けれど、見つめ続けると何が気になっていたのかはすぐにわかった。元気がないのだ。そのことに美羽が気付くのと同時に、リンスはふい、と視線を逸らした。
「ねえ。なんか、元気ないよね?」
 まっすぐ本人に訊いてみたが、返事はなかった。が、それこそが返事のようなものだろう。確信した美羽は、ベアトリーチェとクロエのところへ行った。
「クロエ」
「あ、みわおねぇちゃん。みわおねぇちゃんもいっしょにあそぶ?」
「ううん、今日は遊ぶんじゃなくて。料理、一緒に作ろ?」
 元気がないなら元気が出るようにしよう。美味しいものを食べればきっと笑顔もこぼれるはず。
 そう考えた美羽は、クロエとベアトリーチェを連れてキッチンへ向かった。
「なにをつくるの?」
「元気が出る料理だよ」
 エプロンをつけ、手を洗う。メニューはもう、決めてあった。元気を出すには栄養をつけてもらわなければ。そして、栄養といえば卵と肉だ。そのふたつを上手く取り入れた料理を、最近覚えたばかりだった。
「元気が出る料理って、美羽さん、何を作るつもりなんですか?」
「うっふっふー。スコッチエッグだよ」
「すこっちえっぐ」
 クロエが、きょとんと料理の名前を繰り返す。知らない料理らしく、発音もどこか曖昧だった。
「うん。スコットランドの料理でね、ゆで卵をハンバーグの材料で包んで、表面にパン粉をつけて揚げるんだ」
「おいしそう!」
「美味しいよー。だからクロエも覚えようね!」
「わかったわ!」
「よーし。じゃあ、作ろう!」
 素直に返事をするクロエに笑いかけ、気合を入れる。
「はい、美羽」
 いつの間にか隣にいたコハクが、美羽に材料を手渡す。いいタイミングだった。ありがと、と受け取ったたまねぎを、刻む。
「コハク、ゆで卵作っておいて」
「うん。クロエ、手伝ってくれる?」
「はぁい」
 上手くクロエも調理に輪に入れてくれているし、コハクがいてくれると助かる。なんというか、安心できるのだ。
「ゆでたまごじゅんびできたわ」
「じゃ、こっち一緒にやろう?」
「はぁい」
 今度は美羽がクロエを誘い、ハンバーグの種作りに取り掛かる。
 切って、こねて、空気抜きをした辺りで、コハクから「ゆで卵できたよ」と声がかけられた。殻が剥いてあるあたり、気遣いが感じられる。
「ありがと」
「どういたしまして」
「じゃ、クロエ。種で包もう!」
「はぁい!」
 卵を種で包み終えたら、パン粉をまぶして油の中に投入だ。
「油撥ねるからね、気をつけて」
「はぁい」
「コハク、見ていてあげて。私洗い物しちゃうから」
「わかった」
 というやり取りの最中、ふと視線に気付いた。顔を上げると、ベアトリーチェとクロエが美羽とコハクを見ている。
「? どうしたの、ふたりとも」
「とってもなかいいなぁっておもったの」
「「えっ」」
 美羽とコハクの声が重なる。ベアトリーチェとクロエが笑った。
「ふふ! おどろくタイミングもいっしょ! なかよしね!」
「それにね、美羽さん。料理の手際、とても良かったですよ。私、手伝うつもりで見ていましたけど、そんな必要ないくらいてきぱきしてて」
 だから手出ししなかったんですよね、とベアトリーチェがクロエに言う。クロエは「ねー」と頷いた。どう反応していいかがわからず、美羽は疑問符交じりの笑みを浮かべて首を傾げる。そんな美羽に、ベアトリーチェはにっこりと微笑んだ。
「もう、いつコハクくんと結婚しても大丈夫ですね」
「!!?」
 予想外の帰結に驚いて息を飲んだ。みるみるうちに頬が熱くなる。美羽の状態を知ってか知らずか、クロエが追い討ちをかけた。
「みわおねぇちゃん、きっとすてきなおくさんになるわ。りょうりじょうずのかわいいおくさんよ」
「あっ……あの、あぅ……」
「そうですよね。スコッチエッグって、工程も多いし手間の掛かる料理なのにてきぱきと作っていましたし」
「ふだんからりょうりのおべんきょうしてたのね、きっと」
「コハクくんのためですからね」
「だいすきなのね!」
 戸惑いと恥ずかしさから言葉を発せずにいる美羽とコハクとは対照的に、ふたりはきゃっきゃとガールズトークを続けた。
 このままではまずいと思った美羽は、ぱっ、と鍋に視線を移す。
「あーっクロエ、時間! 揚げ時間、大丈夫かな!? こんな話ばっかりしてると焦げちゃうよ!」
「えっ!?」
 クロエの意識はすんなりと鍋に向かった。こういう時、彼女が素直な子で良かったと心から思う。
 ベアトリーチェみたいに妙に頭が働かなくて良かったと、本当に。
「……ちょっとは釣られてよねー」
 相変わらず美羽を見てにこにこしている彼女に抗議すると、「美羽さん、本当可愛いですね」と返された。これ以上何か言っても堂々巡りなので、美羽はぷいっとそっぽを向く。
「コハクくん、美羽さんを泣かせたら駄目ですよ?」
「泣かせないよっ」
「ふふ。よろしくお願いしますね? 旦那様」
 いつまでも続きそうな話に、美羽は両手をぱんっと打った。
「はい! 恥ずかしい話終了! もう作り終えたから、盛り付けするよーっ!」
 こうして半ば無理矢理会話を終わらせ、美羽は食器棚から皿を取り出し盛り付けを始めた。


 並べられた料理は、リンスにはあまり馴染みのないものだった。
 一見すると大きめのハンバーグだが、中にゆで卵が入っているというものだ。スコッチエッグというらしい。
「ボリュームあるね」
「栄養たっぷりだからね」
 美羽に言うと、堂々と胸を張られた。どこか得意げである。
「あのね」
 隣に座ったクロエが、小さな声でリンスに囁く。ん? と上半身を傾けると、クロエはリンスの耳に手を当てて、内緒話をするようにして言った。
「みわおねぇちゃん、げんきがでるようにって、これつくってくれたの」
「…………」
「わたしもつくりかた、おぼえたの。だからね、あのね」
「……うん。ありがとう」
 ぽん、とクロエの頭を撫でた。クロエはまだ不安そうな目で、リンスを見ている。よく見ると、美羽もだ。今まで気付かなかった。
 勝手に不安がって勝手に寂しがって勝手に距離を作っている間に、周りの人はこんなにも気にかけていてくれたというのに。
「俺、子供だな」
 ぼそりと呟く。少しは変われたつもりでいても、根っこのところでは同じなのかと少しだけ嫌になった。
「誰でもひとりは嫌ですよ」
 独り言は誰にも聞かれなかったと思ったが、飲み物を置きに傍に来たベアトリーチェには聞こえてしまったようだ。リンスが無言で見上げると、眼鏡の奥の青い瞳が優しく細められた。
「だから私はここに来ます。美羽さんとコハクくんが結婚したら寂しくなってしまいますからね。クロエさんと遊んで、リンスくんとお話します」
 一区切りつく、といっても、終わるわけではないのだ。ふとそのことに気付いた。今更だ。終わるばかりではないことも、また来てくれる人がいることも、今更。
「少しは寂しくなくなりました?」
「うん」
「なら、良かったです。さ、お料理が冷めてしまう前に召し上がれ」
 促されて、スコッチエッグを食べた。
 肉料理はあまり得意ではないけれど、これはとても美味しいと思った。