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別れの曲

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別れの曲
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【出会い】


 2024年のある日、高柳 陣(たかやなぎ・じん)ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)はプラヴダの基地の応接室を訪れていた。
 彼等のパートナーのティエンがミリツァ・ミロシェヴィッチ(みりつぁ・みろしぇゔぃっち)の蒼空学園入学の件を聞き、是非祝いたいと言っていたのだ。しかし残念ながら彼女はカナンへ留学中の身だったので、祝宴は一旦保留に。代わりと言ってはなんだが顔を出していたのである。

「――ミリツァの入学決定良かったわね」
「俺らは今でもツァンダに住んでるし、なにかあれば面倒を見てやれるだろ」
 ミリツァは入学に際して引っ越しも視野に入れているらしい。もしツァンダに住む事になれば自分達も手を貸せると快く言ってくれる彼等に、アレクが――非常に分かり辛いが――表情を和らげた。
「それにしても気がつけばティエンはカナン。アレクとジゼル、ハインツとツラたんは結婚かぁ……」
 ユピリアが改めて言ったのに、陣は顔を向けて同意する。
「出会った頃はこんなに穏やかに話が出来るとは思わなかったもんな……特にアレク」
「興味あるね。二人が初めて会った時のジゼルとアレクってどんなだった?」
 にこっと笑って身を乗り出したハインリヒに、陣とユピリアはそれぞれ出会いを頭の中で思い浮かべる。
「ジゼル見たのはあの下着売り場の事件の時か……思い出したくもねぇ」
「アレは駄目! 駄目! 内緒にしてて! 恥ずかしいの、私も思い出したく無いから!」
 顔を真っ赤にしながら慌てるジゼルに、アレクは「あとでゆっくり聞くからいいよ」と微笑んでいる。結局聞かれるのなら全く良く無いのだが、取り敢えずはこの場では流された。
「ちゃんと話したのは、あの船の、無人島の時ね」
「うん、義仲も一緒だったよね」
 陣とユピリアとジゼルの出会いの思い出が三人の口から語られると、ユピリアがハインリヒにそっちはどうなのかと聞いた。
「ジゼルと初めて会ったの? ……何時だったかな」
「ハインツ、普通にお店に着てくれたわ」
「そうだ、うん、思い出した。大学の奴に超可愛いし隙だらけなのに難攻不落の看板娘が居るから、一緒にナンパしに行こうって誘われたんだった」
「軽っ」
「確かに超可愛かったけど、ローゼマリーにそっくりだったからやる気は一気に失せたな」
「何をやる気だったんだお前は…………」
「その辺については控えさせて貰うよ。
 アレクは初めて会った時はまだ小さかったな。こんな――」
 ハインリヒはテーブルの上から20センチも無いところで掌を水平にし、「兄タロウくらい」と出鱈目を言う。――勿論陣が「ンなわけねーだろ」と即座に突っ込みを入れた。
「外国の子だって聞いてたのに、チェコ語で話し掛けて来てさ、
 驚いてたら今度はドイツ語で話し掛けて来て、英語も話せたから……腹立つ奴だと思ったね!」
「お前どんだけ歪んでるんだよ」
 陣が呆れ返っていると、アレクが会話に参加する為にコーヒーカップを置く。
「小さい時のハインツはきらきらしてた」
「ほらみろこっちはピュアな感想だ!!」
「………………幼い頃のアレクはとても素直で純粋で可愛らしい子供だったよ?」
「今更取り繕っても遅いからな!」
「嘘じゃないよ僕が……このムカつく餓鬼をどうやって迷子にしてやろうかと思って走ったら、子犬みたいに一所懸命後ろついてきてさ」
「もう駄目だコイツ真っ黒だ」
 ハインリヒの適当で腹黒くて歪んだ――ただユピリアからはそちらの方が楽しく思える部分は、初対面の爽やかな印象からはかけ離れたものだった。それはアレクに対しても同様で、冷たく恐怖すら与えるような物騒な人物は、実際はマイペースでぼーっとしたところのある変態で、今は頼りになる仲間でもある。
「みんな出会った頃には考えられないわよね」
 ユピリアの言葉に五人で沁み沁みとして、それからぷっと吹き出してしまった。本当に考えられないくらい、笑ってしまうくらい色々な事があったのだ。


 そんな帰り道の事だ。
 懐かしい話をした所為だろうか、陣の口からぽろっとこの言葉が出たのは――。
「そろそろ俺らも結婚するか?」
 ぽかんと、何も答えられないユピリアに、陣は訝しんで理由を告げた。
「いや、随分前からそのつもりでいたし、恋愛っていうのはもう随分昔に通り過ぎた気がするし」
「ていうか、陣、正気!?
 え!? 嘘でしょ!? 熱でもあるんじゃない?
 それとも新しい病気?」
「……お前動揺しすぎ。
 そんなに嫌か?」
 相手がこれだから、陣の方は逆に冷静になる。余りの慌てぶりに真意を計りかねた陣が眉を顰めると、ユピリアはあわあわしたまま早口に答える。
「え、あ、嫌じゃないわよ。嫌なわけないじゃない!
 しまししますします!」
「嫌じゃないならいい。
 妄想は正直困るが、これからもよろしくな、相棒」
 にっと微笑んで手を差し出される。
 ユピリアが妄想していた――例えば夜景の綺麗なレストランでだとかいった――理想のプロポーズからはかけ離れていたが、この手は握り返さずにはいられない。
 パートナーというには、これ以上に理想の相手など居ない。考えられない。二人は互いに掛け替えの無い存在になっていた。
 しかし『随分前』と言っても一体何時からなのだろう。ティエンが巣立って行った時? それとももっと前だろうか。陣からそれを匂わせる台詞を聞いてもなんとなく流してしまっていたユピリアは、握手を終えると落ち着きない心臓を片手で抑え、もう片方の手で端末を取り出し指を動かす。
 何をしているのかとその手元を覗き込んだ陣は、ユピリアが開いたSNSの画面を見て、眼鏡の下で瞬きを繰り返した。

陣が変。助けて

「……ってお前、この書き込みはなんだ、おい!」
 肩を掴もうとした手はスカッと落ちて、興奮したままのユピリアはその勢いで猛ダッシュして行ってしまう。
「こら、逃げるなー!」
 怒っているようで笑っているような陣の声を聞きながら、ユピリアはもう一度画面へ目を落した。何があったのかと心配する友人達の声に、今度はきちんと報告する。

私、陣と結婚する事になりました

 幸せの報告に間を置いて返って来た反応は
この中に頭のお医者様はいらっしゃいますか?][まーた妄想だよ【悲報】ユピリアさん、遂に頭がアレに!
 などと、冷ややかだった為、その後ユピリアは「妄想じゃないんですけどー!」と丁寧な説明を余儀なくされたのだった。


 * * * 



 2025年10月。
 閉店間際の定食屋『あおぞら』でジゼルとミリツァ、彼女達の終業を待つツライッツの三人が静かに談笑しているところへ、ユピリアがもの凄い勢いで駆け込んで来た。
「ユピリア! 駄目よ走っちゃ!!」
 ジゼルがキッチンから慌てて駆け寄ると、ツライッツが即座に椅子をひいて座るように促す。
「あなた、転んだら大変でしょう?
 お腹の子供に何かあったらどうするの!」
 ミリツァが我が事のように怒る通り、ユピリアには今、陣との子供が宿っていた。
 現在妊娠七ヶ月、この時期の妊婦は腹もかなり大きくなり転倒し易いのだ。
「だってぇ〜……」
 妊婦特有の不安定なホルモンバランスの影響からか、一瞬にして涙声になるユピリアに、ジゼルとミリツァは説教する気も失せて、どうしようどうしようと両手をあちこちに彷徨わせてしまう。
「陣が
 『お前もいい加減に料理を覚えろ! ガキ生まれてもやらないつもりか!?』
 って言うのよ」
 妊娠中も家事を頑張っていた彼女だが、料理に関しては陣と義仲に任せきりだったらしい。あらら、と三人が顔を見合わせると、ユピリアはしゅんと肩を落とした。
「だって苦手なんだもの……」
「今無理にやらなくても良いんではなくて? 今最優先しなければならない事は決まっているのだから……、そのくらい彼にも分かっているでしょう。落ち着いたら後でゆっくり勉強すれば良いのだわ」
「だめよミリツァ、このままじゃ離婚届に判子を捺して目の前につけられちゃうの!
 もう何回目か分からないけど、大ピンチなのよー!」
 テンション高く叫ぶユピリアに目線を合わせ、ジゼルは笑みを見せている。ユピリアの話す内容から察するに、料理を教えて欲しいという事なのだろうから、ここで先生役が飲まれては駄目だ。
「分かったわ。私のお家でお料理教室しましょう、ね」
「俺で良ければ、簡単な料理をいくつかお教えできますよ」
 夫から大雑把だとか雑だとか言われている自分なら力になれるのではないか、と思ったらしいツライッツもジゼルに並ぶ。
「そうよね、妊婦さんは立ってるのだって大変なんだもの。
 まずはパパッと作れる系のレシピを覚えて、それから――」

「全く――。
 あんな様子で大丈夫なのかしら。ね、お兄ちゃん」
 こつこつと踵を鳴らして向かい、ミリツァが見上げたのは、入り口の壁に凭れていたアレクの隣だった。ハインリヒと一緒に今さっき店内へ入って来たばかりの彼だが、ユピリアが直面している悩みは理解したようで「大丈夫だろ」と口にする。いつも通りの無表情はそこで決壊し、心から可笑しそうに笑いを漏らして眇めた目でジゼルとユピリアを見つめた。
「ユピリアなら平気だ。
 何とかならない時でも、何とかする人だからな」
「僕等もそうやって強引に助けられたからね」
 ハインリヒが言うのを聞いて、ミリツァは微笑む。もう間もなく出会える大切な友人の子供を、心待ちにしながら。