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第4章 授業を真面目に受けますか。


「ぐーぐーぐー」
 比賀一はくだらない本に飽きて、それを顔にかぶせて目隠しとして眠っていた。
 そろそろ午前中最後の授業、4限目がはじまる時間だ。
 3階の一番奥まったところにある教室では日本の古文の授業が行われる予定だが、既に音井博季のことが話題になっていた。
「今日、臨時で別の先生が来るらしいですね」
 御凪 真人(みなぎ・まこと)の言葉を聞いて、パートナーのセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)には思わず笑みがこぼれた。
「銀八じゃないんだ! やったーっ♪」
「何を喜んでるんですか?」
「だって、銀八じゃないってことはあ〜」
 嬉しさのあまりデレ成分が漏れているセルファを遮るように、真人があっさり釘を刺した。
「臨時の先生でも、課題の提出は必要だそうですよ」
「え……?」
「嘘じゃありません」
「嘘をつけ……あ、あれ?」
「授業が始まるまで、10分あります。少しでもやった方がいいんじゃないですかねえ? なんせ未提出だと1回欠席扱いにする先生ですからね、銀八は」
 セルファは机の上にどっかと尻を乗せ、真人につめよった。
「あなたの課題、見せなさいよっ!!!」
 今日のセルファは、ツンデレならぬ“デレツン”のようだ。
 真人は呆れて、ため息をひとつ。
「いいけど、丸写しはダメですよ。俺まで減点されますから」
「いいから出す! ごたく並べてる暇があったらとっとと出す!」
「はいはい……」
 課題を見せると、セルファは必死に“丸写し”した。
「ちょっと、それじゃまったく同じ――」
「マルがない! 漢字がない! 大いに違う!」
「それって横着してるだけ――」
「喋ってないで、とっとと手伝う!」
「はいはい……わかりましたよ」
 真人は自分が写す分で工夫して違いを出すしかなかった。
 そして……
 キーンコーンカーンコーン。授業開始の鐘が鳴った。
「あわわわわー!」
 慌ただしく入ってきたのは博季先生ではなく、広瀬 ファイリア(ひろせ・ふぁいりあ)だった。
「先生は? いない! セーフですー♪」
「ファイリアさん、またギリギリですね」
 落ち着いて声をかけたのは、英霊のウィルヘルミーナ・アイヴァンホー(うぃるへるみーな・あいばんほー)だ。
「へへ。透乃ちゃんに作ってきたお弁当前の教室に忘れちゃって……えっと。透乃ちゃんは……?」
「ファイちゃん♪」
 霧雨 透乃(きりさめ・とうの)は、ファイリアが入ってきたときから気づいていた。ただ、それは友だちだからではなかった。
「んふっ。いい匂いがもれてるよー」
 弁当の匂いがするからだった。
 透乃は大食いの戦闘狂と恐れられているほどの女子で、その有り余るエネルギーを使うべくパンダ隊に加入したらしい。のぞき部の壊滅はまた一歩近づいたようだ。
「ファイちゃん、そのお弁当ってもしかして〜?」
「そうだよ! 透乃ちゃんに作ってきたんですー。どうぞー」
「わーい。ありがとうー。楽しみー♪」
 そのとき、教室の外には博季先生が教科書を握りしめて立っていた。
(大丈夫。教科書に書いてあることを丁寧に教えればいいだけだ。だいじょうぶっ)
 自分に言い聞かせて、扉を開けた。
 すぐ背後では、四方天唯乃がブラックコートで身を隠していた。
(ふふっ。いよいよだね。がんばれよー! でもその教科書……まいっか)
 そして、その柱の影にはライオが潜んでいた。
(唯乃め。こーんなところにおったのか。ん? なんかイイニオイ……!)
 唯乃はライオに気づかぬまま教室に入って、博季先生の授業を間近で見ていた。
「音井博季です。坂田銀八先生が倒れたので、臨時で僕が授業をやります。よろしくお願いします」
 授業が始まり、真人はセルファから課題を取り返そうと振り向いた。
「ちょ……セルファ!」
「ぐーぐーぐー」
 課題によだれを垂らしながら眠っていた。
「はやぁ……」
 真人はがっくりと肩を落とした。
 教壇に立った博季先生は教科書を開き、
「まず、1ページを開いてください。えー、一度読みますね……」

『サイタ サイタ サクラガ サイタ』

「あれ?」
 何を間違えたのか、それは戦前の尋常小学校1年生の教科書だった。
「す、すみません。間違えて持ってきてしまいました」
 やはり緊張していたようだ。
 そして早速パニックに陥り、予習していたことはすっかり飛んでしまった。もう頭の中は真っ白だ。
「えーっと、桜と言えばですねえ……」
 桜の話をして取り繕うことにした。
「校庭の隅に1本だけまだ咲いている桜の木がありますよね。あれ……みなさんはどうしてだと思いますか」
 生徒はしーんとしている。
「椿くんはどうですか」
「せ、拙者でござるか? あーうー。そうでござるな。うーん。えーっと……」
 椿 薫(つばき・かおる)は考えてもてんでわからなくて、自棄になった。
「まだあそこでお花見をしてないので、それまで待っててくれてるでござる」
 彼は、放課後のお花見を計画していたのだ。
「なるほど。素晴らしい考え方ですね」
 意外にも、博季先生は薫の無茶苦茶理論を褒めた。
「桜は何のために咲くのか。それはやはり愛でられるために咲く、そう考えたいものです。だとしたら、まだお花見をしてもらってないから散るわけにはいかない。そんな桜の気持ちはわからなくもないですね」
 薫は照れ隠しにツルピカの頭をペシンと叩いた。
「へへ……」
 薫は、教室の反対側にいるトライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)風森 望(かぜもり・のぞみ)を見てアイコンタクトをとった。彼らと、人を集めてお花見をする計画なのだ。
 博季先生は次に、そのトライブを指した。
「トライブくんはどうですか」
「えーっと……今日散ると思う。俺たちがお花見するから、今日散ると思う。桜は散るためにこそ咲く、という気もするし」
「お花見ですか。いいですねえ……」
 博季先生はすっかり気を取られていた。
「先生もどうぞ」
 すかさず望が声をかけた。
「ははは。いいのかな、参加して。でも天光寺先生になんて言われるか……ま、それはそれとして、トライブくんの意見は一理ありますね。いや、一理どころじゃないかな。というのは……桜の歌は古くからたくさんありますけど、たとえば古今集には八十首近くありますが、そのうち半分以上が桜の散る歌なんですね。これは日本人が桜の散る姿に人の世の無常ですとか、寂しさを感じ取っていたからかもしれません」
 教科書を間違え、また先程まで桜をずっと見ていた博季は、博識スキルを利用して桜の歌で授業を進めることにしたようだ。
 そして、黒板に桜の歌を幾つか書いていく。
 先生が背を向けている隙に、花より団子の透乃はファイリアの手作り弁当をあけていた。
(うっひょー。天ぷら入ってる! うまそうっ! こ、こんなのだめだ。我慢できるわけない。たたた、食べちゃお。いただきまっとその前に! 先生見てないよね?)
 透乃は急に慎重になった。
 食べ物のためには真剣なのだ。
 まず机を少し前に出して、前の人の陰に隠れるように小さくなる。が、前に座っているセルファは突っ伏して寝ているので壁にならない。となれば教科書を机に立てて、その陰に弁当を配置。自分自身もその壁におさまるように体をまるめる。
(大丈夫かな。大丈夫……だよね?)
 透乃は惜しげもなくスキル殺気看破を使用して、先生が背後にいても気がつくように細心の注意を払う。早弁の準備は整った。
 座席は透乃を挟むようにそのパートナーの緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)と、ファイリアが座っていた。そして3人の後ろにウィルヘルミーナがいて、みんなの様子を見ていた。
(あらあら〜? 透乃さん。お弁当ほんとに食べちゃうんですかー! ファイリアさーん。いいんですかー?)
 ここで弁当を作ったファイリアがようやく透乃の思惑に気がついた。
(はわわわっ! 食べるんだ。もう食べるんだー。食べ物を前にした透乃ちゃんっていつもよりも楽しそうですー。目がキラキラしてるですー。かわいいですー。はあ、でも……おいしいといいんだけど。不安っ)
 ファイリアは早弁を止めることもせず、おいしくできたかどうかを気にしていた。
 陽子はまったく驚くことなく落ち着いて見ていた。
(透乃ちゃん、また早弁ですか。あとでノート見せてって言われるパターンですね。まあ構いませんけどね……)
 そして準備万端の透乃は……
(いただきまーす!)
 カボチャの天ぷらをぱくっ。もぐもぐもぐ。
(んっまああああああああああい!!!)
 喜びのあまり興奮して震えている。
 おかげで机がガタガタ音を立て、今にも先生にバレそうだ。
 その先生は、桜の歌を解説しながら思い出していた。
(そうだった。教務主任の天光寺先生に何度も言われたっけ。生徒に舐められたら教師失格。早弁や無断早退を絶対に許してはいけないって……)
 天ぷらの美味しそうな匂いが教室に漂い、廊下の窓からこっそり見ていた獣人のライオは鼻息荒く、獣と人の割合は9対1になっていた。
「がおう……!」
(げっ! ライオ来てたの?)
 唯乃はライオに気がつき、その視線の先の早弁に気がついた。
(ああ! 博季さん、早弁してるよ。舐められてるよー!!)
 博季先生に教えてやるため、ブラックコートで身を隠したまま透乃の机をますます揺らす。
 ガタガタガタガタ!
 博季先生は音のした方を見た。
(なんだ? 変な音がしたような……むむ? あれは緋柱陽子さん! 怪しい動き!)
 注目したのは透乃ではなく、陽子だった。
 それもそのはず、陽子は早弁する透乃を見ながら、何故かやらしい妄想をして体をくねらせていたのだ!
(はあ〜。私も透乃ちゃんに食べられたい〜。そう、そのお箸、それで……あん。どこを摘むの? どんなお豆ちゃんを摘むの? あああっ。そ、そんな〜。もっと弄くりまわして〜)
 博季先生はキッと睨んだ。
「では誰かにこの歌を読んで、解説してもらいましょうね。えー、そこの……」
 と陽子を指差そうとしたとき、机から体をほとんどはみ出させたまま透乃の顔をのぞきこんでいたファイリアを発見した。
「広瀬ファイリアさん!」
 唯乃は思わずブラックコートを解きそうになった。
(そっちかいっ! 透乃さんが早弁してるってのに。もう! 博季さんたら鈍感なんだからー)
 そして、今にも窓を突き破って天ぷらに突撃しそうなライオを止めるため、廊下に出て行った。
「何をしてるの……ライオ?」
「がう? バ、バレてしもうたか……。碁でもどうじゃ?」
「うーん。授業も飽きたし、やるか」
 2人は碁盤を求めて教室を去っていった。
 教室では、ファイリアが激しくじたばたしていた。
「え? わわわっ。ファイ呼ばれましたですか?」
「広瀬さん。では、今説明した紀貫之の歌を読んでください」
「あ……え、えーっと」
 黒板にはいくつも桜の歌が書いてあり、どれかわからない。
(あわわわ。どうしようどうしようどうしようーーー)
 ウィルヘルミーナは後ろから見て、微笑ましく見ていた。
(あーらファイリアさん。よそ見してるから当てられちゃいましたねー。うふふ。慌ててますね……って、こっそり誰に訊いてるのかしら。お馬鹿ですねー)
 焦ったファイリアは、いんげんの天ぷらをむしゃむしゃやってる透乃にこっそり訊いた。
(透乃ちゃん。どれ?)
(ええ? どれかって? うーん。どれも美味しかったけど、パラミタトウモロコシの天ぷらがいちばんだったかな)
(わあ。うれしいですー。それはね、塩と砂糖としょうゆで軽く炒めてから天ぷらに……はっ! 違う。そうじゃないよ。透乃ちゃんはもうだめ。陽子さん。教えてー!)
 陽子は小声で話しかけられて、現実と妄想が入り交じっていた。
(はあ〜ん。教えてほしいの? いいわ。どこがいいのか、教えてあげる〜。お豆はお豆でも、や〜ん。恥ずかしい〜)
 そして、タイムアップ。
 博季先生は教務主任の教えに従って厳しく対処した。
「広瀬さん。聞いてなかったんですね」
「す、すみませんですー」
「廊下に立ってなさい」
「はいー」
 ファイリアは廊下に立たされたが、お弁当に夢中の透乃は何が起きたのか気がついてなかった。
(ふうー。おいしかったー。ごちそうさまです!)
 隣を見て、ファイリアがいないことにやっと気がついた。
「せ、先生! 大変です。ファイちゃんがいません!」
「……」
 博季先生は呆れてしばらく言葉が出なかった。
「霧雨透乃さん……廊下に立ってなさい」
 こうしてファイリアと透乃は廊下に立たされてしまった。
(ふふ。ま、自業自得ですよね)
 ウィルヘルミーナは小さく笑っていた。
 博季先生は、授業が終わりに近づくにつれて何人かの生徒がピリピリと緊張した空気を発し出したことが気になっていた。
(教務主任には、12時ちょうどまできっちり授業をしろって言われたけど、どういうことなんだろう……)
 紀貫之の歌は、トライブが読んだ。
 それは、桜の散るのを惜しむこんな歌だった。

『桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける』

 波のように桜の花びらが舞う情景を思い描き、散りゆくものの“なごり”を感じて、薫は静かに思いに耽っていた。
 彼は今日を最後に葦原明倫館に転校するのだ。
「今日で見納めでござるな……焼きそばパンレースも」