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話をしましょう ~はばたきの日~

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第3章 はばたき広場の一角で


 ──はばたき広場のとある隅っこで、一人の百合園生が注目を集めていた。
 はばたき広場の名の由来は、広場の翼を広げたような形からきている。そしてかたちが翼を表現するように、白い石が敷き詰められた石畳も、翼の白さを現していた。
 その広場、緑の芝生が敷かれた一角に、鮮やかな緋が点在していた。長椅子と、立てかけられた赤い野点傘。
 中央にはひときわ目立つ緋──緋毛氈が広がり、そこでお茶を点てているのは、清良川 エリス(きよらかわ・えりす)だった。
(人と人のやり取りが最も凝縮された和の文化の極みの一つ……それは茶の湯!)
 その横顔からは以前のどこか戸惑い表情は消え、自信ようなものが見て取れる。日欧ハーフ故の金の髪に、金糸を縫い取り赤い花々が咲いた晴れ着が、良く似合っていた。
 彼女のパートナーティア・イエーガー(てぃあ・いえーがー)邪馬壹之 壹與比売(やまとの・ゐよひめ)の二人も、それぞれ黒に紫の花々、桃色に桜の振袖姿だ。
「楽しんでっておくれやす。精一杯おもてなしさせていただきます」
 エリスの正面には、雰囲気に気圧されている一人の青年。点てた茶を受け取る手をまごまごさせる。どうやって受け取っていいのか分からないのだろう。
「緊張されてはりますの? こうやってお持ちいただいて……」
 エリスの白い指が青年に触れると、彼は三センチほど後ずさる。
「け、結構です」
「いいえぇ。こういう機会どすから、ヴァイシャリー・パラミタの方々には、和の文化を理解していただきたいんどす」
 手を添え、回し方、角度を示しながら、エリスは青年に抹茶の飲み方を教える。
 青年の喉が無事にごくりと鳴り、彼が茶碗を下ろした時、エリスは柔らかく微笑んだ。
「美味しおすか?」
「……口当たりは甘くて、苦いというか甘いというか、……不思議な感じです」
「ふふ、どないやろか、こういう機会やし、和服を着てみへん? 着付けサービスさせてもらってます」
 確かに、周囲の長椅子ではエリスが用意したレンタル和服の住民が数人お茶を楽しんでいた──老若男女、和服で着付けられている。
 希望者には性別問わず着付けていたので、振袖姿のおじさんも、とっても可愛く(?)てご機嫌だった。
「どの羽織が似合いますやろか? 手取り足取り至れり尽くせり、和の心をお伝えいたします」
 ささどうぞ、とエリスは立ち上がり、彼を着替え用のテントに引っ張っていく。
 その間、壹與比売がエリスの席に替わって座り、彼女の留守を担った。
 と言っても、茶が伝わるずっと前、古代の日本人であるところの彼女はお茶を点てられず、もっぱら飲む方だったが。
「苦い、でございますか? わたくしは苦いのは平気でございますから……あ、この和菓子は甘いそうでございます。甘さを苦味で洗い流すとか……」
 訪れた人に丸い花の形が可愛らしい和菓子を勧めてから、自分もと味見をしてみたが……。
「甘すぎでございます! 舌がしびれてしまいます……」
 練り切りのもったりとした濃厚な甘さに目をぎゅっと閉じて、しばらく彼女は足の親指を緊張させていた。
「桜餅といい、これといい、とても美しいのに。これで甘くなければ……」
 慌てて持参の濃い緑茶を飲み干す。そんな壹與比売に、ティアが意味ありげな目くばせ。
「甘いものと言えば和菓子だけではないですわよ。ほら、戻ってきましたわ」
 青年を和装に変身させたエリスに、ティアはそそくさと近寄る。
「この国も学校も、まだまだ人の気持ちのすれ違いがまだまだ多いどす。広い世界から寄り集まったばかりどす。もっと交流を深め深く判り合える空気を、小さく些細な事から作っていく事が、大事どすなぁ……。皆がくつろげる、家のような雰囲気にしたいものどす」
 にこにこほのぼのしているエリス。その着物の帯が一気に解かれて──
「あーれー!」
「『よいではないかよいではないか〜』ですわ〜」
 くるくると見事なまでに回転するエリスは、一挙に場の注目を集めた。
 刺繍がくまなく施された高価な帯をしゅるしゅる引き抜くと、胸元を抑えて涙目のエリスをしり目に、ティアは通りがかった男性に声をかけた。
「ふふっあの娘可愛らしいでしょう。和服で着飾った娘とお楽しみできるだなんて滅多にないチャンスですわよ?」
「それ以上は昼間からすることではございませんよ?」
 和菓子の甘さから回復した壹與比売が止めるが、ティアは泣きそうな顔のエリスの様子がとても楽しそうだ。尤も、帯の下に肌襦袢があるから丸見えなんてことはないのだが。
 それらを眺めて、男性はぽんと手を打った。
「ああ、ボクよく知っていますよ! これがジャパニーズ時代劇ですね!」
 目を輝かせながら男性は、無邪気に言った。
「黄金色のお菓子、是非食べてみたいなぁ。『越後屋、そちも悪よのう』、『いえいえお代官様ほどでは』ですね」
「え、ええ、カステラでしたらありますけれど……」
「カステラじゃないですよ、カステイラですよ!」
 男性はティアに時代劇の様式美について講釈を垂れつつ、場面の再現を迫る。
 ──こうして悪代官ティアはやっつけられたのでした。めでたしめでたし。


「えー、カエルパイ。ヴァイシャリー銘菓カエルパイはいかがですかー」
「パウエル商会謹製、カエルパイですわー」
「パイひとつください」
 綺麗なセミロングの黒髪をひらめかせ、百合園の制服を着た一人の少女が駆けてきた。
 屋台の上に並んだ硝子ジャーの中には、色とりどりの薄いパイが入って並んでいる。その横にはお持たせ用の箱入りも積んであった。
「どれにしようかしら」
 日本では市販の瑕疵として馴染みのある、薄いパイをくるくると巻いて焼き上げたそれは、ノーマル、ミニサイズ、チョコ、ナッツ、チーズ、抹茶、などなど。
 彼女が選んでいると、
「……あのー、カエルですよ」
 彼女の後からやってきた薄茶のロングの美少女が、困惑した顔をした。お店の前だから言いにくいけれど、流石にカエルには抵抗があるのだろうか。
 商品の置かれた台を挟んで、売り子イルマ・レスト(いるま・れすと)は、そんな彼女に流暢に説明する。
「このカエルは、ただのカエルではありませんよ」
 この店の主人ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)は今は見物に行っている。留守を任された以上、ありがちな誤解は残しておくわけにはいかない。
「ヴァイシャリーの清浄な水で育まれた健康なカエルには、高い栄養価があります。蛋白質が高く脂質は低く、鶏肉に似て淡泊で美味だとして、地球では食べる地域もあるんですよ。
 食べにくいものを食べやすく……日本のさる銘菓からヒントを得て、粉末状にし練り込むことに成功しました」
 流暢な台詞と言外の勢いに圧される二人の少女に、イルマはにっこりと一つの瓶を指差した。
「これが今一番お勧めの新商品・カレー味ですわ」
 少女は連れと顔を見合わせると、
「ね、これならスパイシーでカエル味はしないと思うわよ。 ええと、じゃあそれ一つください」
「ありがとうございますわ」
 紙を折って作ったパックにパイを入れると、イルマは満足そうに見送った。
「私が提案した新商品のカエルパイカレー味、売上もまずまずですわね。思うのですけれど、地球の文化で称賛に値するものは多くありますけど、特にカレーは素晴らしいです。どんな野菜嫌いの子供も、野菜が苦もなく食べれてしまうという魔法の一品ですわね」
 そんな彼女を見て、イルマの手伝いのパートナー朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)が、何か言いたげに頭を振った。カエル耳のカチューシャも一緒に揺れる。
(このカレー味って……単にイルマがカレー好きなだけなんじゃないか?
 まぁノーマルは美味しい部類に入るんだが、ヴァイシャリーの銘菓とまで言っていいのかいささか疑問の余地も……味はともかく、カエルだしな)
「味は……まぁ、好みが分かれる味かな。私としては普通のカエルパイで十分かな、うん」
「だったら千歳もお嬢様に提案しては如何かしら」
「いいよそれは。それはそうと、……ラズィーヤさんのところに行かなくていいのか?」
 千歳は、イルマがおそらく(ブリジットの次に)最も敬愛しているであろう女性の名を挙げた。四月から二人は短大生になる、そういう節目の時にカエルパイカレー味の売上を気にしていていいのだろうか。
「別に私もラズィーヤ様の後ろを付けて回ってる訳じゃないですし……人をストーカーみたいに言うのはやめてくだいな。心配しなくても、打ち上げでお会いしますし。千歳こそ、猫耳喫茶に行ってきてもよいのですよ」
「ね、猫耳喫茶は誤解だ!」
 千歳は拳を握りしめて否定した。
「私が猫が好きなのであって、猫耳が好きな訳じゃないんだからな。というか、人がつけてる猫耳とかぬこに対する冒涜だと感じる時すらある。猫耳は真のぬこたんの耳として存在するからこそその存在意義があるんだ……あのチョコチョコと動くのが可愛いて、ついこー手がだな……」
 ふわふわと手を動かしてうっとりする千歳は、イルマがいつの間にかそっぽを向いて、なおかつ追加のカレー味を補充しているのに気付いて憮然とする。
「人の話聞いているか? ……ところで、なんで私はカエル耳つけているのに、イルマはつけてないんだ」
「聞いていますわ。 私はメイド服ですから、もうインパクトとしては十分ですよ。あと、恥ずかしいですし」
「は、恥ずかしいって……」
 メイド服は制服みたいなものだろう。言いかけて、言い返そうとした時にイルマは、
「猫耳喫茶はともかく、猫喫茶もヴァイシャリーにはありますわよ。猫を商売として使用することに賛否はあるかもしれませんが」
「い、行ってきても──」
「駄目ですわ、お嬢様がお帰りになるまではここにいてもらいますわ。でもそうですわね、休憩時間に行ってみてもいいですわよ」
「ねこ、猫ねこ……」
 千歳は休憩時間に訪れるであろう、甘くてふわふわな妄想に沈むのだった。


 右手にクレープ、ジェラートのカップ、左手にパニーニ、モツ炒めのハーブソース掛け、胸にはカエルパイ。
 抱えたそれらの中から、器用に右手を操り、クレープから顔を出すイチゴに顔を近づけ、
「あーん」
 羽切 緋菜(はぎり・ひな)が食べようとしたその時、
「はしたないですよ」
「……そうかしら?」
 羽切 碧葉(はぎり・あおば)に止められて、緋菜は勢いを削がれた。
 おなかはペコペコでいつでも準備オーケー、イチゴは可愛く食べてくださいとこっちを向いていておまけに、
「食べ物を摘みながら、見て回るのもオツなものよ」
 食べ歩きはいつもと違う味がする。それに少なくとも、日本だとよくある光景だ。
 そして周囲を見回しても食べ歩きをしている人はいっぱいいる。クレープどころか、汁のしたたるチョコがけパイナップルにかじりついてるおばさんとか。
 でも、お嬢様としては確かに、行儀が悪いかもしれない。
「仕方ない、座れるとこ探しましょうか」
 料理を抱えた二人は人波に逆らって、椅子を探してはばたき広場を歩いた。
 そろそろお昼時だからだろうか、オープンカフェは勿論、屋台に用意されたテーブル、椅子はどれも満席で、立ち飲み用の高いテーブルすら埋まっている。
「うーん、賑やかなのはいいけど、どこか座れそうなところは……」
 ぐるりと緋菜が見回すと、はばたき広場の左翼の丁度真ん中に、大きな噴水を見つけた。
 中央の噴水部分は白い石で造られた大きな像で、足元にたくさんの花を咲かせた中、花束を抱えた女性が立っていた。噴水はその花々から流れている、優美なものだ。
「ここならお嬢様らしい……かしら?」
 そのまま噴水の縁に座ろうとする緋菜だが、再び碧葉が止めた。
「今度は何かしら」
「クッションを持ってきました。これを敷きましょう」
 彼女は一度手の中のものを緋菜に渡すと、可愛らしいフリル付きの、マカロンカラーのクッションを二つ置く。
 二人は並んでちょこんと座り、屋台の料理を食べ始めた。
「碧葉は何を買ったの?」
「ベリーのソーダ水、お好み焼き、ホエーを煮詰めたチーズを生地でくるんで揚げたドーナツのようなもの……」
「あ、それ美味しそうね。食べてもいい?」
「勿論ですよ」
 ひとくちドーナツにかぶりつけば、とろっととろける優しい甘さのチーズ。
「お祭りとか見ながら食べる料理って、普段よりも美味しく感じるのよね」
 普段はなんてことない料理でも美味しく感じられるのは、色や音のにぎやかさ、お祭りの雰囲気が隠し味になっているからだ。
 夢中になって食べる緋菜に、碧葉は突然くすりと笑った。
「付いてますよ」
 指を伸ばして、口の端に付いているクリームを掬い取り、舌でぺろりとなめた。
「は、恥ずかしいわよ」
「そのままかぶりつくからです」
 誰か見ていないか思わず挙動不審になるが、二人に注意を向ける人はいない。二人もまた、お祭りの一部になっていたからだ。