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リアクション
●龍の舞(2)
厳しい練習が再開された。
振り付けは一通り終わったので、次は自分の苦手なパートを繰り返し練習することになった。踊っている面々の間をアルセーネが歩き、適宜指導するという方法を採る。
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)の姿も会場にある。彼女はは斑目 カンナ(まだらめ・かんな)と向かいあい、互いの舞を見せるようにして練習していた。
単なる思いつきでやっているわけではない。
これは、ローズがダンスの経験があることに由来する。
少し時間をさかのぼろう。
「あ、今度は某分冊百科な出版社(※色々な雑誌を出している。ちなみに創刊号はいつも特別定価)じゃないよ!」
練習に入る前の話だが、ローズはそう言って胸を張ったのだった。
「まあ小さい頃のことで、ダンスといってもソーラン節なんだけどね……」
意外な出自だ。そのときカンナが詳しいことを問うと、ローズは語ったのだ。
「あの頃は、鳴子を鳴らしながらな上に行進しながら踊るもんだから、覚えが他の子より悪かったんだよ。そんな時、先生が自分と向かい合わせになって踊ってくれたの。後でダンスのアドバイスもしてもらってね」
半分目を閉じ、懐かしくも輝かしい記憶にしばし、ローズはひたっていたのが、やがて、
「何が言いたいのかというと!」
と、むくりと身を起こした。
「一人でやるより二人で協力しながら練習した方が良いってこと。ダイエットとか習い事する時って、誰かと一緒にやるのが効率良いって言うでしょ」
つまりこういうことだ。
「冷静なカンナが私の舞を見て、カンナに足りないものを得る
感情豊かな私がカンナの舞を見て、自分に足りないものを得る」
「感情豊か、ねぇ……いや、反論はしないでおくさ」
カンナは実にカンナらしい返答をしたわけだが、ローズは構わず言うのだった。
「そりゃあ、なんとなく似てるかな? と思うこともあるけど感性も夢も違うもんね、何かを得られるはずだよ」
「なんとなく似てる……だって?」
「気に入らない?」
「いや、別に」
ローズはどこまで自分のことを気づいているのか――という問いは、表に出さないカンナである。
こうやってローズはカンナを道連れにしたわけだが、正直、カンナはさほど乗り気ではないのだった。
そこで、体育館への道すがらローズは言った。
「それはそうと、カンナが何か悩んでるね?」
「そんなことはないよ」
嘘だった。カンナは、この危険な事件にこれ以上関与していいものか――と頭を悩ませていたのだ。ローズにもしものことがあれば、実は未来人の自分に影響が及ぶ可能性がある。
ところがローズの発言は、カンナの予想とは違っていた。
「怖いのかな……まあ、前回のことで、厄介なのが事件ってのがわかったからね。でも中途半端はよくないよ、うだうだ考えてるなら」
「うだうだ? あたしだって考え事はする」
「へー、そんな言って誤魔化すなら、そうだね、腰抜け(チキン)って呼んじゃうぞ!」
「……待て、ローズ。あたしのことをチキンと呼んだか? 誰にも、チキンなんて言わせない!」
これでにわかに闘志が出てきたカンナである。無論これがローズの作戦であることは感づいてはいるが、それでもチキン呼ばわりは納得できない。
「わかったよ、こうなればとことんだ」
と言って、以後、ローズに負けず熱心に舞を習得すべくカンナは励んでいるのだった。
龍の舞に音楽はない。舞を見て伴奏するのは構わないが、基本的には音楽がなくとも踊れなければならないという。ゆえに今日の練習は無音だ。
だが音楽がなくてもカンナなら、自分の中でリズムを刻むことだろう。
「カッカッカッ、妖蛆があのように熱心に頼むとは珍しい。未知の知識の探求という魔道書の癖でも出たかのう」
鵜飼 衛(うかい・まもる)が腕組みして笑っている。彼は体育館二階のバルコニーに登って、ルドウィク・プリン著 『妖蛆の秘密』(るどうぃくぷりんちょ・ようしゅのひみつ)が懸命に舞に挑む様を見物しているのだった。
「じゃけど、たかが舞じゃろ? 妖蛆が興味を抱くということは魔術的な意味があるということじゃろうかのー?」
かたわらに侍すメイスン・ドットハック(めいすん・どっとはっく)が怪訝な顔をした。
「さもあろうて。龍を鎮めるという話、どうやら本当のようじゃぞ。なにやら霊的なものを感じなくもない」
「ふむ。そうかー。ところで妖蛆が体得できると思うか? あいつ、まだまだ動きがぎこちないように見えるがのう」
妖蛆は長い髪を背で束ね、どこか機械的に踊っている。もう何時間も経つのに、まだ踊りのリズムを体得できていないのだろうか。
すると衛は、心配あるまいと言ってまた破顔したのである。
「なに、コツをつかむまで時間がかかっておるだけよ。あ奴は元来冷静であり、冷徹な奴じゃ。もちろんペドフィリアという変態な部分はあるが、重要な物事には熱くも心静かに当たる奴じゃ。さらに最近は銃でよく動き回ってわし等をサポートする役割も担っておる。そういった意味は資質は十分じゃろうて」
「ほうか、ま、衛がそう言うんなら信用するとするかのう」
じゃが、と衛は厳しい目をして、
「それより気になるのは、この舞が本当に重要な意味を持つならば、ここを襲撃する者がおってもおかしくはない、ということじゃ。
メイスン、わしのルーン魔術符を配置したか」
「もちろん有事の際の備えは万全じゃ。抜かりはない。所定の場所に配置しておいた」
ここを襲撃する者があろうとも、まず、入ってくることすら一苦労だろうとメイスンは断言した。入り口付近や人が入れそうな場所にはルーン魔術符を予め配置しておき、有事の際に備えて、自分の手元にはアロンダイトを用意して、いつでも戦闘行動に移れるようにしていると言う。
「カッカッカッ、そうか。有事となれば、迎撃用の魔術を使い、全員を守る戦いをせねばなるまい。その時が来ぬことを祈りながら、妖蛆を見守ることにしよう」
マホロバ人の少女もこの場所には少なくない。気は抜けないだろう。
長丁場、しかも自分の不得手とするパートばかり反復するものだから疲れは一層激しいものとなる。
それからさらに数時間が過ぎた……はずだ。もうどれほどの時間が経ったのかはわからない。
ティー・ティー(てぃー・てぃー)の付き添いとして来た源 鉄心(みなもと・てっしん)はいつの間にか立ち上がり、固唾を飲んでパートナーの技能が完成に近づくのを見守っていた。
イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)も同じだ。皆をねぎらうべ和菓子と茶を用意しようとしていたのだが、その手をとめてティーを見つめている。イコナの手は、自身の割烹着の裾をぎゅっと握りしめていた。
――ティーは、剣ではなく舞を選んだ。
それは彼女が、この先待ち受けているであろうもの……恐らく龍……を、剣で殺すのではなく、共感しようとしているいうことを意味しているのだろう。
「『龍の舞』に、龍の心に届く『何か』があるのなら、それを知りたい……」
はっきりそう言ったわけではないが、ティーの真剣さからその言葉が聞こえてくるようだ。
今日、ティーは多くの参加者同様に真剣にこの場に及んだ。それは、鉄心が声をかけるのをためらうほどの一途さだった。
もう半日以上になるこの練習で、ティーのか細い体は疲労の極地にあるであろう。
「もういいんだ」
鉄心がそう叫んで止めてやりたくなった場面は、一度や二度ではない。
いくたび水分補給しても、ティーから流れ出る汗は摂取分を上回るように見えた。
伸ばした指の先が震えている。もう力を入れるのも辛いのだ。
顔色も紙のようだ。
けれど、
けれど、鉄心はティーを信じた。
ティーに戦闘技能を教えていたときのことを回想する限り、身体的な素質は高かった上、素直で真面目なので覚えは良かった……しかし、魔術・呪術的な要素が絡むと、鉄心は門外漢だから何とも言えない。
けれど、ティーなら大丈夫だという確信めいたものが彼にはあった。
なぜって、ティーが嬉しそうな目をしているから。
そうだった。
ティーは、肉体敵には限界に達しながらも、心は至福の状態にあった。
――門外不出の技術っていうのは、そうなる理由があったからで……。
斑に思考が浮かんでは消える。
――それに、確かアルセーネさんはご両親亡くされてて……お母様の遺してくれた、大事なものだったんじゃないかな、と思います。
浮かんでは消える。
――研ぎ澄まされた技術には、無駄と言うものはほとんどないですよね。
やがて、ティーの思考が消えた。
と同時に痛みが消えた。鉛のように重かった足が綿のように軽くなった。
背中に翼が生えた気持ちもする。このまま天に昇って行ってしまうのではないか。
同時にネガティブな感情は消え、優しさ、慈しみのような暖かさがみちあふれてくる。
複雑な一連の動作をティーは踊り終えた。型にはない動きだが、ごく自然に胸の前に両手を合わせて立ち止まる。
「……おめでとうございます」
どこからか聞こえた声が、ティーを現実の世界に引き戻した。
「あなたが、一番早く『龍の舞』を習得しましたね」
今日一日、ずっとアルセーネにあった厳しい目の色が和らいでいた。
そう、いつの間にかティー・ティーの眼前に、アルセーネ竹取が立っていたのである。
「先生、いや師匠とお呼びしたほうがいいでしょうか……?」
「いいえ」
アルセーネは首を振った。
「もう私はあなたの指導者ではありません……教えることはもうなくなりました。あなたは私と同じく、『龍の舞手』になったのです。一度習得すれば、きっといつでも、この舞を再現することができるでしょう」
ティーを見つめていた鉄心も、忘我の境地にあった。
ティーの舞は一瞬、神の領域に近づいたのだ――そうとしか思えない。なんと表現したらいいか……ともかく、見る者の魂を暖かく包むような舞いかただった。
「さあ、もうお休みください。私はみなさんが、舞手に生まれ変わるのを助けなければなりません」
そう言ってアルセーネは、鉄心たちのほうへティーの背を押した。
「あ……はい。ありがとうございました……」
ティーは夢を見ているような足取りで鉄心のほうへ戻ってくる。
イコナもティーに見とれ、しばらく言葉を忘れていたが、
「あ! お疲れ様ですの!」
ほら、と、小さなテーブルにいそいそと、黄色い和菓子と日本茶を用意したのである。
「疲れたときには甘いものが一番! ティータイムで栗きんとんですの!」
それを見てティーは、会心の笑みを見せたのである。
「……あっ」
舞の途中、ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)は袴の裾を踏んでよろめいた。
「大丈夫か」
柊 真司(ひいらぎ・しんじ)が支える。
「すみません」
「いや、俺こそ謝らなければ……。慣れない袴を着させてしまって」
「いいえ、せっかくリーラさんが用意して下さったものなのですから」
この日、ユマに「ここでものに出来ればこの先役に立つかもしれない。それにこういう経験がユマには必要だと思うしな……」と声をかけて誘ったのは真司だった。
そして「そういうことなら」と言ってどこからか巫女の服(しかもユマにぴったりのサイズ)を用意して手渡したのはリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)だった。
ユマの巫女姿を見たい気持ちがある半分、そんなことをさせるのは……と真司は躊躇したが、ユマは礼を言ってこれを着ている。したがって、現在のユマ・ユウヅキは巫女の装いをしているのだ。もともと、一重瞼で和風な顔立ちのユマである。白い小袖に緋袴という巫女の装束は驚くほど似合っていた。
このまま時間が止まってくれればいいのに――ユマを抱きとめたまま、真司は思った。
ユマの体は柔らかい。そして、いい芳(かお)りがする。加えてその襟足は、驚くほどに白くなまめかしいのだ。
「やれやれ」
体育館の片隅にどっかと陣取り、御神酒(日本酒)とスルメイカ持参でこれを見物しているリーラは溜息をついた。
「それにしても真司。舞を舞うユマに見惚れるのはいいけど、それで自分は覚えられるのかしらね〜」
止まっていた時間が動き出す。ユマはいくらか紅潮しながら真司より離れた。
――いかん、邪念にとらわれては。
真司は頭を振って、ユマへの思慕を振り落とした。なんのために学びに来たのか。
明鏡止水だ。
あらゆる考えを捨て、ただひたすらに、心の中に水鏡をイメージする。
真司は一瞬、自分が柊真司であることを忘れた。
しかし自分を見失ったのとは違う。
なぜなら彼の中には強固とした、目標へ向かう意思があったからだ。意思は揺るがない。意思が揺るがない限り、進むべき方向を見失うことがない。
結果が大切なのではない。目標へ進む意思こそが大切なのだ。それが生きているということなのだ。
真司の舞が光を帯びた……そんな風にリーラには見えた。
「なにかしら……私の体内にいるドラゴンたちにも、暖かいものがひろがっていくような……」
それは気のせいなのだろうか。それとも、現実になにか作用しているのだろうか。
これが、真司が舞を習得した瞬間だった。
まるで真司に手を取って導かれたように、つづけてユマの舞も完成していた。
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