リアクション
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 薄暗く寒い廊下を、佐野 和輝(さの・かずき)は堂々と歩いていた。 こういった場合、こそこそするほうがかえって怪しい。脇目もふらず歩く彼に、疑いの眼を向ける信徒はない。 それでいい。怖じる必要などないのだ。彼は報告のためここを訪れている。 目指すのは、カスパールの部屋だ。 ほとんど迷わず、和輝は彼女の部屋の扉まで行き着いたが、ロックを前にしてしばし考え込んだ。 事前情報はある。あるが、推理の道筋までは知らない。 「扉のロックか……オンとオフ……モールス。いや違うな……」 いや待てよ、と考え直す。オンとオフがヒントではないか。この形なら見たことがある。なじみ深い表記だ。 「二進数?」 となれば漢字にも意味があるはずだ。 今度はそれほど悩まずとも、和輝は答を導くことができた。 「となると、漢字は画数か……なるほど、な」 「和輝、ごめん、どういう意味……?」 それまで黙って彼を見ていたアニス・パラス(あにす・ぱらす)が、好奇心が抑えられなくなったのか声に出して問うた。 「提示されている漢字の画数を、二進数で表せ、って言ってるんだよ。この謎かけは」 「すごい! 和輝ってもしかして天才!?」 「違うな……カスパールはこちらを誘っている。このレベルの扉がセキュリティなら、そう考えるほうが自然だ」 ドアが開くと、かぐわしくもどこか妖しい、紫色の香が二人を包み込んだ。 十数秒後、雲の世界を泳ぐような気分で、和輝はカスパールと向かいあっている。 ――怖い。 彼女の姿が見えるや、アニスは和輝の背に隠れてしまった。 元々アニスが人見知りということもある。だが原因はアニスの性格にとどまらない、何か本能的な危険を感じたのである。 見た目は美女、けれどそのカスパールの薄い皮膚の下に、無数の蛇が這っているような気がしたのだ。 蛇は今にもカスパールの皮を食い破って、血塗れで飛び出してくるのではないか――アニスはそれを純粋に恐れた。だから姿を見せるはおろか、カスパールのほうを向くことすらできなくなった。 そんなアニスをなだめるでもなく、 「報告に来た」 和輝は素っ気なく告げた。 カスパールは宝石のような目で、じっと和輝を見ている。 その眼力で、彼の腹の底でも見通そうというのだろうか。 だがあいにくだな、と和輝は笑い飛ばしたい気分だった。 ――俺の腹は二重底だ。いや、三重か四重かも。 和輝はグランツ教の教義には何ら魅力を感じていない。カスパールに雇われたのは単に金のためであり、それゆえ義理もまるきりないと考えている。 彼が信奉するものがあるとすればそれは客観的な『情報』だ。 情報をどう解釈するかは人間に委ねられるが、基本的に情報は中立だ。敵味方いずれにも等しく価値がある。 だから和輝は、本件に関する情報を契約者側にも流すことに躊躇しないし、実際、いくつかは流している。カスパールが銃撃されたことも突き止めた。もちろん、その場で銃弾を止めてしまったことも突き止めた。いずれも秘密のルートから、蒼学をはじめとする各学校に情報公開した。 弾丸を『撃たれたことがある』という理解不能な理由で止めてみせたカスパールがただの人間とは思えない。(アニスはもっと端的に、「人間じゃないよね?」と言ったものだ) それほど超人的な彼女であるから、すでに和輝が二重スパイであることを看破している可能性もある。 それとも彼女は、『看破しているふり』をしているだけなのだろうか。精神的に優位に立つために。 まあ、どちらでもいいさと和輝は自嘲気味に思う。 ――奴の手のひらで踊るのは嫌だが、ある程度は踊らされているようしておかないと、必要以上に警戒されて情報を取れないからな。 和輝によれば人間の世界もすべて情報戦と同じだ。 読みあいであり奪い合いだ。 情報の読みあい。情報の奪い合い。高い手札を握った同士のポーカー。 けれどこれはただのゲームじゃない。だから、このポーカーに棄権(ドロップ)はない。棄権は敗北を意味し、敗北はときとして死と同義だ。 「―――といった感じだ。プレイボーイな奴が、似つかわしくない動きをしてる。何かをする前兆だろう」 慎重に言葉を選びながら、和輝はここまで得てきた情報を明かす。無論、全部ではないが、崖っぷちギリギリまで。 「結構。各学校の動きはいかがです」 音(リズム)ゲーの見本であるかのように、ジャストのタイミングでカスパールは問いを入れてくる。そのたび、つい口が滑りそうになるのを警戒しつつ、和輝はカスパールが欲しいものを与えた。 最後の最後に、何気なく和輝は言った。 「そういえば、辻斬りが持っていた刀だが……奴等の手から逃げ出したぞ?」 「!」 瞬間、アニスは全身の毛が逆立つような強烈な殺意を感じて硬直した。 殺気看破を発動しなくたって、わかる。 あのカスパールが、怒りを露わにしている! カスパールは立ち上がった。 目を見開き、二人に背を向けて壁の一点を見つめる。彼女が右腕を上げ、オーケストラの指揮者がそうするように一振りすると、外に面した壁面に丸いモニターが出現した。 モニターには、剣を握って立つ男の姿が映っていた。 いや、『剣』というのはおかしい。その武器……野太刀らしきものに刃はなかったから。 ただ大きな柄があるだけだったから。 剣を握る赤毛の男は、グラキエス・エンドロアである。 「……」 カスパールの真っ赤な唇が、蛭がよくそうするように身を捻った。 彼女は笑みを作ったのである。 「いいでしょう……もう隠し立てはいたしますまい。けれど大蛇(おろち)は、私たちがいただきますから……」 (第3話に続く) 担当マスターより▼担当マスター 桂木京介 ▼マスターコメント
桂木京介です。ご参加ありがとうございました。 |
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