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【真相に至る深層】第二話 過去からの螺旋

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【真相に至る深層】第二話 過去からの螺旋

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【愚かな信徒の見る夢は】



 一方の中央神殿の一角では、珍しい客人に囲まれた黄族族長ティーズの周囲が、剣呑な空気で包まれていた。
「あなたがオーレリア様を唆したのか!一体何をさせようとしている!?」
「声が大きいですよ」
 怒声を放ったオーレリアの従騎士ラルゥを諌めるのは、茜色の騎士団員であるディアルトだ。共にティーズを探していて、奇しくも揃って出くわした所らしい。だがその態度は両者で大きな隔たりがあった。ラルゥがきつい視線を向けるのに、ティーズは揺らぐ気配も無く首を傾げる。
「何のことだ」
「とぼけないでもらおう!」
 だが、ラルゥはそんなティーズを更にきつく睨みつけた。
「オーレリア様に何を吹き込んだ。あの方の龍へ関するものへの態度は、日に日に可笑しくなるばかりだ」
「……兆しが見えたのは、オーレリア様が流産されたとの報があった頃と記憶しておりますが」
 ラルゥの激しい言葉に紛れるように、さりげなく揺さぶりをかけるような言葉を滑り込ませたのはディアルトだ。ティーズが僅かに眉を寄せたのを認めて、ディアルトは更に続ける。
「何か、思い当たることがあるのではありませんか?」
「何が言いたいんだい?」
 その間に、珍しくきつい語調で割り込んだのは珍しい男巫女であり、ティーズの側近でも有るイグナーツだ。
「いえね、あれはティーズ殿のお働きがあったのではないか、と」
 潜めるような声音に悪意に似たものを感じてか、イグナーツが顔色を変えて前へ出掛かるのをティーズが抑えると「何故そう思う」と矢張り動かない声が言った。
「あの頃から可笑しくなられた、と言うのは先述の通り。そして一部の者の間では、失礼ながらお二人の噂も聞こえておりました。何か、あなた様から働きかけがあったのではないか、と勘ぐるのは自然な流れでは?」
「……」
 ひとつ、ふたつ、と水面に石を投げ入れるように揺さぶりながら反応を見たが、流石に一族を率いるだけのことはあり、その表情は殆ど揺らがない。だがそれでも、微かな手ごたえを感じて、ディアルトはさりげなく「そもそも、疑問だったのですよ」と本題に入った。
「龍の力を使って、龍の加護を受けた者を、本当に殺せるのでしょうか?」
 源の同じ力なら、その源そのものである龍の意思に沿わないはずが無い。力を借りようとした所で、その目的が「龍の大事な存在を害すこと」であれば、拒絶される筈だ。だがそんなディアルトの問いに、ティーズは「可能ならばこそ、我等は動いている」と淡々と返した。
「力は、宿されたとの時に、その者のものとなる。鍛冶師がどれほど丹精を込めて打った剣であっても、他者の手にあれば自らを殺める道具となるように」
「……なるほど」
 では、龍の力を得るというのは龍自身の意に殆ど関係が無いと考えていいのだろう。もしくは、塔の機能と紋様が自動的に引き出す類のものなのかもしれない。ならば、三人の族長の考える手段のいずれも、不可能ではない、ということだ。であれば、最も上手く立ち回ったものが、その望みをかなえるのかもしれない。ディアルトがそんな風に考えを巡らせていた中「ですが」と控えめに声を出したのはそれまでティーズの後ろに控えていたリーシャだ。
「その……本当に、巫女の死によって、解決するのでしょうか」
 自身の尊敬し、仕える主へ反論など、おこがましいとは思いながらもリーシャは胸に浮かんだ疑問、いや不安だろうそれを、口に出さずにはいられなかった。その思いを察したのかどうか、ティーズは咎めぬままその先を許すのに、リーシャは更に恐縮しながら続ける。
「教えていただけませんか、輪廻へ還す……とは、どういうことなのか……」
「……より俗な言い方をするなら、強制的な契約の継続だ」
 その言葉に首を傾げた一同に、ティーズは説明を始めた。
 そもそもの古の契約は、巫女と龍の再会の契約だ。いつの日にか必ずこの都市へと転生を果たし、そして、満ちる時に最期の約束が果たされる、というもので、それは一種の遠大な術のようなものらしく、それぞれの条件が満たされていなければならない厳密さをもっているようで、都市は必ず当時を満たしていなければならず、また満ちる時が訪れなければ、転生の契約は魂を縛り続ける。
「つまり、満ちる時を訪れさせなければ、都市は守られると……?」
「そうだ。龍にとって、都市とそこに住まう人々――正確には、その血は転生の条件だ。満ちる時が来るまで、破壊することは出来ん」
 だからこそ、ティーズはアジエスタにティユトスを殺させようとしているのだ。そこに、長く神殿を守ってきた者だからこそ抱ける彼なりの確信を悟って、一同が納得しかけた、その時だ。
「……私が聞いているのは!」
 だがそこまで一応は黙って聞いていたラルゥが、苛立ちにあかせて手近な柱をガンッと殴りつけた。皆が一瞬目を見開く中、その眼光がティーズを見据える。
「あなたが、オーレリア様に何をさせているのか、だッ」
 荒げた声が、ティーズを責めるように放たれる。一同が軽く気圧されるほどの怒気を放ちながら、ラルゥは続けた。
「巫女を殺して輪廻へ還す? それだけではないはずだ。そんなものは表向きだろう。あの娘のためか? あの娘……あなたの引き取ったあの娘が……オーレリア様の子なのだろう?」
「……何ですって?」
 ディアルトが思わずと言った様子で眉を寄せるのに、ラルゥは表情を変えず「間違いないはずだ」と苦く言った。実証できるものは何も無いが、ずっとオーレリアの傍らにあったからこそ感じられる確信だ。
「あの娘の未来のためか? その為にオーレリア様を唆したのではないのか!? そうでないと言うのなら、あの方の態度は何だ。あの指輪は何だ。一体、あの方に何をさせようと……」
 ティーズが否定しないのが証明とばかり、ラルゥは更に語調を強め、止まることなく言葉を投げつけながら、尚も詰め寄ろうとした。が。
「あれは嘗て、オーレリアが私にくれたものだ」
 その一言が、ラルゥの意識をざっと冷たくさせた。イグナーツが慌てたように口を開こうとするのに首を振って、ティーズは続ける。
「私は何もしていない。いや、何も出来なかったのだ。私は何も出来ぬまま……役目に押し潰され、彼女を手放した愚かな男だ。そんな私が、彼女に何を望むことも出来ん……恨まれこそすれ、な」
 それは、繕いの無いティーズの本心なのだろう。自分は恨まれているのだろうと、オーレリアが龍へ対する態度はその裏返しだろう、と、自身が何かを唆すような真似はできはしない、とティーズは語るが、ラルゥはぎりぎりと奥歯を噛んだ。確かに、唆したというのは思い込みであったのだろう、だがその事実で逆にはっきりしてしまったこともある。この男は判っていないだけで、オーレリアが想っているのはまだ、この男なのだ。ならば、彼女が変わってしまったのは、彼女が自身の歪みを龍への憎悪へとすり替えてしまったのは――そこまで思った時、湧き上がる苛立ちを抑えきれず、ラルゥはついに踵を返した。
「何故、オーレリア様が、あなたのような男を選んだのか理解できない……!」
 憤慨もあらわに去っていくラルゥに肩を竦めながら、ディアルトはほんの少し目を細めて「貴方の役目も理解できます。その罪の意識も」と前置いてから、ですが、と続ける。
「そうやって、何も出来ないと見て見ぬふりを続けていては、肝心な時に手遅れになりますよ」
 そんな忠告とも取れる針のような言葉を残し、ディアルトもまたラルゥの背を追うようにして、その場を後にしたのだった。


 そんな二人の背を見送って、ティーズとイグナーツが僅かに肩を落とし、気を張っていたのだろう、息を深く吐き出したところで、控えめにリーシャが「先程のお話なのですが」と口を開いた。
「輪廻へ還す……というのは、判りました。ですが、現時点でアジエスタ様にもそれが果たせておりません……それについては、何かお考えがあるのでしょうか」
 それは、とティーズが答えようとした、その時だ。
「そのお話、私たちにもお聞かせ願えますか?」
 そう、話に入ってきたのは、どこまで聞いていたものか。いつの間にかするりと近付いていたオゥーニアトリだ。
 アトリの方は偶々居合わせた風だったが、オゥーニは頭を下げると単刀直入に切り出した。
「恐らくその手段とは、歌のことではないかと思うのですが……その歌、私にも教えて頂けませんでしょうか?」
「……そんな歌があると、何故思う?」
 表面上何も伺わせないまま傾げたティーズに、オゥーニは真っ直ぐその目を見つめた。
「龍を縛る歌……というものがあるとか」
 その言葉に僅かに眉を寄せたティーズに、オゥーニは続ける。
「母が巫女でした故……その存在のことは、承知しております。私の両親は、氏族を裏切って駆け落ち致しました……私は両親のしたことの贖罪をせねばなりません。その歌であれば、巫女をお守りする龍の加護を弱め、アジエスタ様の刃も届くのではではありませんか」
 それに、とオゥーニは尚も続ける。
「邪龍は封じられているとは言え、眷属である半魚人達がこうして害を成す以上、安心は出来ません。万が一に備えて、少しでも戦力になりたいのです」
 勿論、本音は違う。巫女を殺すためでもなければ、邪龍に対抗するためでもない。龍そのものが狙いだ。だがそんなことはおくびにも出さずに反応を待つと、ティーズは小さく溜め息を吐き出した。
「……その歌は、薄倖のトリアイナが邪龍を封じたものと同じものだ」
「……!」
 その言葉に、オゥーニとアトリは目を見開いた。特にアトリにとっては、その言葉こそ知りたかった知識だ。
 神殿で入ることのできる場所は、紅族であるアトリには少ない。出来る限り資料を漁ってはみたものの、元々巫女の歌は口伝でのみ伝えられているものであることもあって、望む知識を得るのは難しそうだ、と諦めかけていたところでのこの僥倖だ。
 言葉の先を待つ二人に、ティーズは説明を続ける。
「邪龍とは言われているが、本質的には龍ポセイダヌスと同じ、古き海の龍だ。いやある意味でそのものとも言える存在……と言われてもいる」
「そのもの……?」
 首を傾げる一同に、ティーズの声はただ淡々と続く。
「嫉妬せし蛇、邪龍リヴァイアサタン。ポセイダヌスの分かたれた半身、とも呼ばれている巨大な龍だ。真偽のところは判らないが、トリアイナを愛したポセイダヌスを憎み、二人を喰い殺そうとしたとも、トリアイナを取り合ったとも言われているが……兎も角、同種のもので間違いない。故に、ポセイダヌスと言う個に向けられた眠りの歌や、癒しの歌と違い、双方に効果が有る……と伝えられている」
 言いながら、ティーズの顔は苦く歪んだ。邪龍に対抗する手段として、残し伝えられている歌が、或いは龍へともいう側面があることも、それを意識している自分への複雑な思いがあるのだろう。その苦渋を僅かながらにも察しつつも、アトリは「もうひとつ」と口を開いた。
「他に……特別な歌があるのではないですか?」
 今度こそティーズが目を見開いたのに、アトリは眼鏡を押し上げると、資料でも読むかのように淡々と続ける。
「調べました。神殿の歴史や、構造のこと……その中でどうしてもひとつ、用途のわからない増幅方術がありました。あれは一体、何の歌に対応したものなのですか?」
「知った所で君には、いや、他の誰にも扱えんよ。それは、最上より見下ろす、紡巫女のみが歌えるものだ」
 対して、ティーズの声は静かだった。
「都市の記憶、記録、歴史……その全てを写し残す、そのためだけの歌だ」
「何故、そんな歌が?」
 アトリの問いに、ティーズは不思議な笑みを浮かべて「この都市はいずれ終る」と妙に柔らかな声で言った。息を呑んだ一同に構わず、ティーズはその紡巫女の居る最上階を見ようとするように視線を上げた。
「その時に……我々の生きた証しを、残したいから、かもしれん」
 それは彼個人の思いだったのか、それとも黄族の族長達の長い思いによるものなのか。誰もが次の言葉を発せないでいる中、ティーズは「さて」と空気を変えた。
「歌のことについては、このイグナーツから指導させよう。習得できるかどうかは、君次第だがね」
「は、はい」
 頷いて、オゥーニはアトリと顔を見合わせた。そろそろお互いに仕事の時間が迫っている。この辺りがとうやら頃合のようだ。丁寧に頭を下げた二人は、それぞれ複雑に思いを抱きながら、その場を後にしたのだった。


 そうして、それぞれの去った後。
 途端にしん、と静まり返った神殿の中、イグナーツと二人になったところで、ティーズは深い溜息を吐き出した。長々と説明を続けたことへの疲れか、それとも今まで余り表に出すことの無かった部分を晒したことへの疲れなのか、普段より披露の濃いように思えるその顔に、イグナーツは心を痛めた。
「…………語り過ぎたと思うか?」
 それは、心情のことかそれとも知識のことかを示しているのかは判らなかったが「いえ」とイグナーツは首を振った。元々、自分などが主を否定できるわけではないのだ。ティーズが必要だと思って口にしたのだろうから、それには触れずイグナーツはただ心配げな眼差しでティーズを見た。
「ティーズ様の望みは、どこにあるのかと……そう、思っただけです」
「望みか」
 その言葉に苦笑を浮かべると、他の者の前では滅多に見せることのない、疲れたような顔で肩を落とした。
「……私に望んで良いことは、何も無いのだろう」
 吐き出されたそれは酷く重たい溜息のようなもので、イグナーツが反論しようとする前にその声は次々と漏れた。
「役目に縛られ、オーレリアを傷つけ、ただの義務で妻を娶り、娘達には不幸ばかりを強いた男だ。彼女らの幸せすら願ってやれない立場で、何を望むべくも無い……ただ、私は酷く我儘なのだろう」
 深く溜息を零したティーズは、不意にその手をイグナーツの肩へと置くと、複雑な苦笑を浮かべながら、側近と言うより家族に向けるような温和な眼差しで、言った。
「それでも、それでも尚……彼女等や君達が、少しでも幸福であれば、と願ってしまう」
 ずきり、とその言葉に痛む胸に、眉を寄せたイグナーツは、返すべき言葉を失った。本当は、助けてやって欲しいだとか、逆に自分を助けて欲しいだとか、言いたいのだろう。誰も犠牲にならないように、手を尽くしたかったのはこの人なのだ。だが実際には、今まで払ってきた犠牲がティーズを動けなくし、オーレリアやビディリード、アジエスタ達の動くのを、ただじっと眺めてきたのだ。そのいずれかが、この悲劇を覆せはしないかと、どこかで期待しながら。
 その表情から、そんなイグナーツの内心を悟ってだろう、肩に乗せた手でぽんぽん、と励ますように叩き、父親がそうするように、優しくも厳しい声が言った。
「君は君の、決断をしなさい。それができることが、強さであり、幸福なのだろうから」
「……はい」
 都市の為、一族のため、望むもの全てを手放す他無かった生き方の中で、そう思える相手だからこそ、ここまで仕えて来たのだ。だがこれではまるで、遺言のようだ、とイグナーツは渦巻く不安に胸を押さえながら、ティーズに頭を下げたのだった。