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リアクション
「ほらさゆみ、ドッグはあちらですわ……」
ふらふらと足取りの覚束無い綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)の手を引きながらアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は歩いていた。
「しっかりしてくださいませ、さゆみ……」
声をかけるが、さゆみは俯いたまま何も答えない。その様子に溜息を吐きつつ、気を引き締める様にアデリーヌが前を見る。
二人は集団からはぐれてしまっていた。さゆみが牢に入ってから突然泣き出したり、かと思えば放心状態になったりと何やら様子がおかしく、アデリーヌがそちらに気を取られている内に他の面々が行動を開始してしまっていたのだ。
俯いたまま何も語らないさゆみをこのままにしておくのは危険だし、他に囮になったり探索などといった事も出来ないと判断したアデリーヌはドッグへ向かっていた。
しかしまともに動かないどころかふらふらと何処かに行こうとするさゆみをナビゲートしながらの行動は極めて困難であった。場所を聞いていたとはいえ、振り回されるアデリーヌも疲労がたまっていく。
(……弱気になってはいけませんわ、わたくしがしっかりしないと)
挫けそうになるが、俯くさゆみを見て気を入れ直した。だが、
「お前達! そこで何をやっている!」
声が響いた。そっと振り返ると、そこには銃口を向けた傭兵達が居た。
(ここまで……でも、さゆみだけでも……!)
アデリーヌがさゆみだけでも守ろうと身構えた、その時であった。
「――うふふふふ」
「……さゆみ?」
俯いて黙っているだけのさゆみの口から、堪え切れないといった笑い声が漏れた。
「――ふふ、ふふふ、はははははははは」
段々と、堪える気すらなくなった様に笑い出す。突然の出来事に、アデリーヌは勿論傭兵達も戸惑っている。
「あははははははははははははははは! 終わりよ! もう終わりなのよ! 私達もう終わりなのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 思い返してみればもうあのボロ船に連行された時から私達詰んでるのよ! きっとこの後待ち受けているのは強制労働なんてまだマシな方でこのまま監禁されて昼も夜も無く【自主規制】されたり、無人島連れて行かれて武器も持たされずに人間狩りの標的にされたり、巨大生物釣り上げる餌にされたり、捕まった人間同士で金網にでも入れられてガチの殺し合いとかやらされたりとかそんなもんばっかに決まってるわ! 絶望した! この後待ち受ける出来事に絶望したあああああああああああああ!」
そう叫んだかと思うと壊れた様に笑い出す。どうやら恐怖がピークに達して医師も黙って首を横に振る状態になってしまったようである。簡単に言うとSAN値が削れて発狂状態。
「あ、あの……さゆみ? あなた一体何を言っているんですの?」
軽く引きつつ、いやもうドン引きしているのだが、なんとかアデリーヌが声をかけようとするがさゆみの耳にも心にもその声は届いていない。
笑う事をピタリと止めると、さゆみはゆらりと傭兵達を指さす。
「あんた達が居なければ……そうよ、あんた達が居なければいいのよね? 不公平よね? あんた達人の邪魔しておいて、こんな怖い目に遭わせておいて」
焦点の合っていない瞳で傭兵達を見据えるさゆみ。そして口元に笑みを浮かべて「ああそうか」と呟く。
「あんた達も同じ目に遭えばいいんだ」
そう呟くなり、さゆみは傭兵達に向かって駆けだす。一瞬反応が送れるが、傭兵達は銃口をさゆみに向ける。
制止しようとアデリーヌが手を伸ばすが、それも間に合わない。ふと、アデリーヌの脳裏に浮かぶ事があった。
さゆみには【トリップ・ザ・ワールド】がある。あれで防御すれば傭兵の銃弾くらいなら防げるのではないか、と。
アデリーヌはそれに賭けることにした。防いでしまえば発狂したさゆみがあの傭兵達を何とかしてしまうだろう。
アデリーヌが考えた通り、さゆみも【トリップ・ザ・ワールド】を発動しようとしていた。が、
「撃ぇッ!」
傭兵達の弾丸は、見事さゆみの身体に命中した。体中に電撃の衝撃が走り、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちるさゆみ。
「さ、さゆみぃぃぃぃぃぃぃ!?」
「そこのお前も動くな!」
慌てて駆け寄ろうとしたアデリーヌであるが、銃口を向けられ足を止める。
そのままなす術も無く、二人は拘束されるのであった。
さて、さゆみの【トリップ・ザ・ワールド】が発動しなかったのは何故だろうか。
そもそも【トリップ・ザ・ワールド】とは集中力を極限にまで高め、己の世界に没入することで発動するスキルである。
さゆみは確かに己の世界に没入はしていたのだと思う。だがそれは発狂していたことによる思い込みである。集中力が高いとは言い難かったようだ。
その為発動せず、電撃銃の弾丸は見事命中したのであった。
だがその事をこの二人、特にさゆみが気づくことは無かった。
* * *
「うーん……ありませんねぇ……」
モリ・ヤ達を先導しつつドッグへ向かう道すがら、富永 佐那(とみなが・さな)が小さく呟く。
「どうした? 先程から何やら探しているようだが」
そんな佐那達の様子に少し離れて後をついてきていたモリ・ヤが近寄り声をかける。だが佐那は「何でもないですよ」と誤魔化す様に笑い、それを見たモリ・ヤは訝しげな表情を浮かべつつまた距離を取る。
(言えるわけがないじゃありませんか……あなた達の船を爆破する為のボンベ探してます、だなんて)
――佐那がモリ・ヤ達を先導しているのは、目的があった。それは自分達が脱出する為に、モリ・ヤ達の漁船を囮にする事であった。
モリ・ヤ達を漁船まで連れて行き、出したところで盛大に爆破させ敵の眼を逸らし、その間にナオシ達の脱出の時間を稼ぐという策であった。
確かに漁船が爆破されたなら、傭兵達の目もそちらへ向くだろう。しかしモリ・ヤ達に死傷者を含む犠牲が多く出る事も確実である。
(まあ犠牲は大きいでしょうが、我々をあんなように拉致したのですから、これでチャラになると考えれば安い物でしょう)
佐那が内心ほくそ笑む。何を勘違いしているのか、彼女はモリ・ヤが自分達を拉致した者だと思っているようである。実際は轟沈しそうなボロ船を偶々通りかかって助けてくれた人物であるというのに。助けておいて殺されそうになっているのだから、モリ・ヤ達としてはたまった物ではない。
だがその策も失敗に終わりそうである。佐那がエレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)、ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)にそっと目を向けるが、二人とも首を黙って横に振る。それは『見つからない』という意味であった。
佐那達が探しているのはボンベ、それも一酸化炭素の入った物である。漁船の一室に一酸化炭素を充満させ火をつけようという魂胆であったのだ。無ければ動揺に一酸化炭素を出す練炭と考えていたが、どちらも普通に考えてそこいらの道端に転がっているような物ではない。
そんな事をしつつ進んでいたせいで、気付くのに少々遅れが出た。
「――佐那さん」
先に気付いたのはエレナ。【ディテクトエビル】で近くにいる敵の気配を察知したのであった。それに続き佐那も【殺気看破】でその気配がかなり近い事に、そしてこちらへと近づいている事に気付く。
引き返したりする様な時間は無い。ならば、
「強行突破しますよ」
佐那がエレナとソフィアに声をかける。それに気づいたモリ・ヤ達も更に距離を取り、近くに身を隠す。
直後、傭兵達が姿を現した。
「おい! お前達何をしている!」
佐那達の姿を目にした傭兵達が銃を構えた。
「エレナ!」
「解っていますわ!」
エレナが【氷術】の氷を放つ。氷は傭兵の顔辺りの高さを飛ぶ。
それと同時に佐那が走り出していた。顔の辺りの高さを飛んできた氷を避けようと前傾姿勢になった傭兵に、駆け寄って地面に組み伏せようとしたのである。
だが、この狙いは失敗に終わる。傭兵は一人ではないのだ。
駆け寄ってきた佐那に、氷を放たれた者以外の傭兵が一斉に銃の引き金を引いた。放たれた者も、氷を横に避けると佐那に銃口を向け引き金を引く。
放たれた弾丸は、普通の銃器のそれとは違う電撃銃の物である。弾丸が佐那に触れた瞬間、電撃が全身を貫いた。
数多の電撃は、佐那の身体の機能を停止させると同時に、その意識を奪う。
身体を大きくのけ反らせ、佐那はそのまま膝から崩れ落ちた。
「マーマ!」
「あっ! 駄目ですわ!」
その姿に思わず駆け寄ろうとしたソフィアを、エレナは手を伸ばし止める。
「お前らも動くな!」
傭兵達に銃口を向けられ、エレナ達は両手を上げる。
「……なんという事だ」
その光景を、モリ・ヤ達は少し離れた物陰から見ていた。
やがてエレナ達は銃口を突きつけられて連行され、佐那は傭兵の一人に担がれて何処かへ行ってしまった。
「船長、どうしましょう?」
部下の問いに、モリ・ヤは少し考える仕草を見せるがやがて口を開く。
「……止むを得ん、このままドッグへと進もう。彼女らの犠牲を無駄にはできん」
そう言って、周囲の気配を確認するとモリ・ヤ達は進みだした。
――囮にしようとするも、逆に囮になるという皮肉な結果であった。
* * *
「マルティナちゃん、こっちこっち」
物陰に隠れたフレイア・ヴァナディーズ(ふれいあ・ぶぁなでぃーず)の呼びかけに、マルティナが辺りを警戒しつつ駆け寄る。
「無事だったのですね」
「ええ、何とかね……そっちは何か解ったことはある?」
フレイアの言葉に、マルティナは首を横に振った。
マルティナは他の者達から離れ、回れる範囲内で施設内の様子を探っていたがウヅ・キから聞いた以上の事は解らなかったようだ。
「フレイアさんは?」
「私も。これ以上ここにいても危険だし、早い所ドッグへ向かった方が良さそうね」
「そうですね……所で、隊長はどうしたのですか?」
マルティナが居るべきはずの人物――メルキアデス・ベルティ(めるきあです・べるてぃ)が居ない事に気付いた。フレイアと一緒にいるはずなのだが、姿が無い。
「ああ、メルキアデスなら――」
フレイアが何か言おうとしたその時だった。
「なーっはっはっは! 俺様最強ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「待てこの野郎ぉぉぉぉぉぉ! 私の銃かえせぇぇぇぇぇ」
何処かから叫び声が聞こえた。
「――とまぁ、御覧の有様よ」
「ああ、いつも通りなのですね」
フレイアとマルティナが頷いた。
メルキアデスは走っていた。手には傭兵が持っている電撃銃がある。後ろから追いかけてきている傭兵から奪った物だ。
「なーっはっはっは! やっぱ俺様強い強い強ぉぉぉぉぉい!」
高らかに笑いながら、メルキアデスは走っていた。
――マルティナと合流する前、フレイアはメルキアデスと一緒に居た。
「とりあえず、今すっげーピンチな気がすっよなぁ」
呑気に言うメルキアデスだが、フレイアもこの状況が良くないとは思っていた。
どうにかしてドッグへと行かねばなるまい――その為にはメルキアデスをうまく使う必要がある、と。何故その思考に辿りついたかというと、「メルキアデスなら死にはしないだろう」という事からである。
そしてフレイアはメルキアデスにこう言ったのである。
「いいメルキアデス! ここから逃げるのは至難の業よ……でもこんな難関から逃げ切れるのは、メルキアデスしか居ないと思うの! まずは、一人で逃げて手本を見せて頂戴!」
そう言われたメルキアデスは「そーだよな、ピンチな気がすっけど弱腰じゃいけねぇな!」と乗せられたのである。
「脱獄の一つや二つ、シャンバラ教導団の俺様が出来なくてどうすんだよ! それに俺様くらいの男になると、これくらいハードじゃないと物足りないって感じだしな! なーっはっはっは!」
段々とテンションが上がってきたメルキアデスはドヤ顔で高らかに笑うと「景気づけに俺様強い強い強い強い超つよおおおおおい!」と自身が強くなったと思い込ませ、強くなった気になる。
「そうそうその調子その調子! 私は離れて少ししたら様子をみつつ後について行くから宜しくね!」
「任せときなさいって! んじゃちょっくら傭兵から武器奪ってくるぜ! なーに、強い俺様ならできないわけがなああああい!」
そう叫ぶなり、メルキアデスはうろつく傭兵を探しにダッシュで行ってしまったのである。
そんな背中をフレイアは「逝ってらっしゃーい、後で骨くらいは拾ってあげるからねー」と送りだしたのである。
そしてその直ぐ後、メルキアデスは一人巡回をしている傭兵を見つけ、後ろから不意を突いて武器を奪って逃げているのである。
あくまでも武器を奪っただけ。その理由は「怪我させたら可哀想だろ!」という博愛精神だ。
というわけで傭兵は全くの無傷で、全力でメルキアデスを追いかけているのである。
「いやー中々しつけぇなー! でも俺様なら撒けないはずがなぁぁぁぁい!」
メルキアデスはというと全力ダッシュしているというのにハイであった。
「さーて撒いたらどうすっかなー! そういや脱獄って言ったらこんな話があったよなぁ、スプーンでガリガリ壁削って穴掘ったって話。でも俺様今スプーンも何もねぇんだよなぁ……って、よくよく考えてみたら手があるじゃねぇか! 壁を手で【破壊工作】すりゃいいんだ! さっすが俺様! 最強すぎぃぃぃぃぃ!」
ハイなあまり独り言が増えているようである。
「なーっはっはっは! しかししつけぇなぁ……あれ?」
ふと、背後を振り返りメルキアデスは気づいた。追いかけてくる傭兵以外、誰もいない事に。
「っかしいなぁ……後からついてくるって言ってたけど、だーれもついてきてない気がするんだよなぁ……」
走りながら首を傾げるメルキアデス。傭兵がついてきているが、仲間がついてきていないという事に関しては気のせいではない。
「……ああそうか!」
何かに気付いたのか、メルキアデスがポン、と手を叩く。
「俺様の凄さにみんな『任せておけば安心』ってなってんだな! よーっくわかってるじゃねぇか!」
違うそうじゃない。
「よーっくわかってる! その通りだ! 俺様に任せておけば安心だ! 何故かって!? そりゃお前、俺様はシャンバラ教導団のメルキアデス・ベルティ様だからに決まってんだろうがあああああああああああああ!?」
終焉は突然訪れた。騒ぎを聞きつけた、別の傭兵が集まってきたのである。
それに気づかず高笑いを上げていたメルキアデスに、傭兵の電撃銃をお見舞いされたのである。
流石のハイテンションも、電撃銃には敵わなかったようで悲鳴を上げると勢いそのままに転がる様に地面に倒れたのであった。
「あ、今隊長の悲鳴が聞こえましたね」
安全な場所を確認しながらドッグに向かっているマルティナとフレイアの耳にメルキアデスの悲鳴が届いた。
「ってことはメルキアデスやられたのね……ま、死にはしないでしょ」
「そうですね、隊長の事ですから殺しても死なないでしょうし」
そう言って笑うフレイアとマルティナ。だがその犠牲のおかげか、途中傭兵達に遭う事が無かったという事にこの二人が気づく由もなかった。
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