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【四州島記 完結編 三】妄執の果て

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【四州島記 完結編 三】妄執の果て

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第十章  夕暮れ

 太湖湖畔の断崖にある、犯罪組織のアジト。
 その頂上から、両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)は、眼下に広がる四州島の風景を眺めていた。
 東を向けば、東野の肥沃な大地と、その向こうに厚い雪雲に覆われた北嶺藩が、西を向けば雄大な太湖の向こうに、盛んに噴煙を上げる南濘の湖沼地帯が見える。
 このアジトは、まさに四州島の要の位置にあると言って良い。

 悪路は、改めてこの地をアジトに選んだ事に、満足していた。

「悪路様。ここにいらっしゃいましたか」

 側近の一人が、急いだ様子で駆け寄ってくる。
 彼は、元々東野の旧市街を牛耳っていた、東州弘道会(とうしゅうこうどうかい)の若衆の一人だった男である。
 頭の回転の早さと、何より義理堅いのを気に入って、悪路が側近に抜擢した者だ。
 悪路は、いちいち『どうしました?』等とは言わない。
 彼がここに来るのは、自分に用がある時のみだ。
 故にただ無言で振り返り、相手の発言を待つ。

「先ほど、南濘の組織の者より報告がありました。松村 傾月(まつむら・けいげつ)と、武田 旭(たけだ・あきら)」、武田 孫四郎(たけだ・まごしろう)小津 将介(おづ・しょうすけ)の4人が、島を離れたとの事です」

 傾月は、景継の下で働いた幹部の一人、武田達3名は、金鷲党(きんじゅとう)の生き残りである。

「島を離れた?」
「ハイ。撤収するアメリカ海軍の兵達の中に、紛れ込んでいた模様で」
「ほう……。あれほど由比 景継(ゆい・かげつぐ)に心酔していた金鷲党の連中が、景継を見限るとは……」
「おそらく、そのままパラミタを離れ、地球の鏖殺寺院と合流するものと思われます」

 米軍の中に鏖殺寺院の内通者がいると話は、悪路達も掴んでいる。
 金鷲党の生き残りも、このまま景継と共に死を選ぶよりは、鏖殺寺院に身を投じた方が、益があると考えたのだろうか。

「それともう一つ――三田村 掌玄(みたむら・しょうげん)を、発見致しました」
「――!それは、一体何処で!?」

 思わぬ朗報に、日頃冷静な悪路の声が大きくなる。
 悪路は組織の全力を上げて、景継と掌玄の行方を探させていた。

「はい。三田村掌玄ですが、首塚大社近くにある、洞窟に身を潜めているのを、手の者が発見致しました。おそらく景継も、洞窟の奥にいるものと思われます」

 怨霊と化した景継は、陽の光の元では活動できない。
 洞窟なら、昼の間身を隠すのにうってつけだ。

「分かりました。これは、大変重要な情報です。手の者には、引き続き掌玄を見張らせなさい。それと、今の情報を東野の御上 真之介(みかみ・しんのすけ)と、可能であれば、六黒に伝えて下さい。」
「御上真之介と、六黒様でございますね?」
「六黒は、見つかればですが……」

 沙酉が助けたのを最後に、六黒の行方は用として知れない。

「畏まりました」
「それともう一つ。先日お話した、組織の地域分割の話は、進んでいますか?」
「はい。多少のゴタゴタはあるようですが、各地方の頭目が、上手くまとめているようです」

 側近の言葉に、悪路は満足気に頷いた。

「それは良かった――ではもう、下がって良いですよ」
「はっ――……」

 しかし側近は、その場を動かなかった。
 俯いたまま、何かをじっと思案しているように見える。

「どうしました?何か、言いたい事でも?」
「悪路様……。やはり、島を去るというお考えに、変わりは無いのですか?」
「それについては、既に何度も話しました」
「ですが……」
「六黒が島を去ると決めている以上、私もそれに従うのみ。それに私達は、景継や四州開発調査団に対抗するための手駒として、貴方達を利用したに過ぎません。各地の犯罪組織の統合や再編も、そうした方が手駒として使い易いからそうしたまでの事。元々私達は、この島に骨を埋める気などありません」

 一度は征服し、一つにまとめ上げた四州の犯罪組織。
 それを悪路は、また四州の民の手に戻そうとしていた。

「しかし我々にはまだ、悪路様から学ぶべき事が沢山あります。今ここで放り出されては――」
「それはこれから先、自分の手で、学んでいくしかありません。私達は、貴方達の親でもなければ教師でも無いのですから。それが出来なければ、再び景継のような余所者に、この島を蹂躙されるだけの事。弱い者は、滅ぶしか無いのです。生き残りたいのなら――強くなるしかない」
「わかりました……」

 側近は、血が出る程下唇を噛み締めると、改めて悪路に一礼し、その場を立ち去った。

(この島は、貴方達四州島の人間が治めるべき物。私達のような、部外者が治めるべきではない……。それに今の貴方達ならきっと、成し遂げる事が出来ます……)

 その背を見送りながら、悪路はそっと、心の中でそう告げた。

「さて。この景色ももう、見納めですか――」

 悪路は、最後にもう一度だけ、茜色に染まる四州を一望すると、一人アジトを後にした。



「あ、ここにいたんだ、椿くん」
「先生……」

 御上 真之介(みかみ・しんのすけ)は、草原(くさはら)に泉 椿(いずみ・つばき)の姿を認めると、彼女に声をかけた。
 沈む夕日が、椿と御上を朱く染めている。
 今日も椿は、御上専属の護衛として、彼と行動を共にしている。

「何、してたんだい?」
「別に。後は、夜までする事も無いし。なんとなく、風に吹かれてた」
「そっか……。隣、いいかい?」
「うん、いいよ」

 御上は椿の隣に腰を下ろすと、思い切り伸びをした。
 そのまま、草の上にゴロリと寝転がる。

「疲れた、先生?」
「ん?まぁね。でもどっちかっていうと、ホッとしたっていうカンジかな?」
「ホッとしたって?」 
「包君が、見つかったんだよ。晴明さんと円華さんが封印の解除にも成功して、今こっちに向かってるって」
「包のヤツ、見つかったんだ……。良かったな」
「これで後は、景継が首塚大神を手に入れるよりも早く、包君を大神に会わせる事が出来れば、取り敢えずは安心だ」
「ねぇ、先生。包って、首塚大神の分身なんだろ?」
「ああ、うん。まぁ、そんなトコロかな」

 より正確には分霊であり和御魂の化身なのだが、御上は敢えてその辺りを追求するのは止めた。

「ならさ、大神と会ったら、包はどうなっちゃうのかな?やっぱり……消えちゃうのかな……?」
「それについては、僕からは何とも……。リカイン君も気にしてたけど、晴明さんも円華さんも、『会わせてみないとわからない』って言ってたし……。リカイン君にとっては辛い結果になってしまうかもしれないけど、包君も了解してくれた」
「自分が消えちゃうかもしれないのに、包のヤツ、よく大神と会う気になったよな」
「大神と包君は、元々は一つの存在だからね。むしろ、今の形の方が不自然なんだよ」
「それでも……」
「それでも?」
「もし、それが不自然なんだとしても、あたしは自分の好きな人には、ずっと一緒にいて欲しい」
「椿くん……」

 思いつめたような表情をしている椿に、御上は、それ以上声をかけられなかった。

「先生……。先生は、どこにも行かないよな?」
「椿くん……?」

 椿は、まるで迷子の子供のような、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「先生!」
「つ、椿くん!?」

 気づいた時にはもう、椿は、御上の胸に飛び込んでいた。
 椿の髪から香るシャンプーの匂いが、御上の鼻孔をくすぐる。

「先生。先生はこれから……、この戦いが終わったら、一体どうするつもりなんだ……?」
「ど、どうするって――」

 突然の事にびっくりしながらも、俯いたままの彼女の肩に手をかけ、そっと引き離そうとする御上。
 しかし、顔を上げた彼女の頬を涙が伝うのを見て、その手を止めた。

「先生――」

 椿は、こぼれ落ちる涙を拭おうともせず、御上の顔を見た。
 今まで何度試しても、気恥ずかしくて、見つめる事の出来なかった、好きな人の顔を。
 
「先生、あたしと……あたしと一緒に生きてくれないか?」

 自分は、一体何を言っているのか。
 自分の言葉に一番驚いたのは、他でもない、椿本人だった。

(御上先生は、ステキで、優しくて、頭が良くて、大人で……。それに比べてあたしはバカで、ガサツで、料理も下手で、ちっとも女っぽくなくて、それに子供で――)

 そんな、先生とは全く不釣り合いな自分が、今、先生に告白をしている。
 しかし、一度堰を切って流れ出た言葉は、もう止める事は出来ない。

「あたし、まだまだ未熟だけど。先生が一緒なら強くなれる!頑張れる!いっぱい心配かけちまうと思うけど、でも!それでも――!」

 一息にそう言い切った椿は、顔を紅潮させたまま、じっと御上の返事を待った。
 もう、泣いてはいない。

 ふわっ――。

「えっ……?」

 今度は、椿が驚く番だった。
 いつの間にか椿は、御上の両腕に抱かれていた。
 密着している部分を通して、御上の温もりが、椿の身体に伝わってくる。
 
「せ、先生――?」
「有難う、椿くん――」

 自分の『想い』が通じたのか――。
 椿の胸が、一気に高鳴る。
 しかし、次の瞬間、御上の身体は椿から離れていった。

(先生……?)

 一瞬で、期待が不安に変わる。
 そして、次に御上の口を突いて出た言葉に、椿は呆然となった。

「でも僕は……君の『想い』には応えられない」

 一番聞きたくなかった、言葉。

(やっぱり、ダメだった……。やっぱりあたしなんかじゃ、先生の彼女にはなれないんだ……)

 椿の胸に、一気に熱いモノがこみ上げる。
 今度こそ、声を上げて泣いてしまいそうになった時――。
 御上の別の言葉が、椿の耳にとどいた。

「今は籍だけとはいえ、一応僕は教師で、君は僕の教え子だ。例え、学校が違ったとしても。そして何より、君はまだ17歳だ。それに――僕にはまだ、自信がないんだ」
「じ、自信――?」
「うん。昔、ちょっとあってね……。僕は、心から人を愛せる自信が無いんだ。メガネを外した時に、吹っ切ったつもりでいたけど……。こればっかりは、まだ無理みたいだ」
「せ、先生……」

 辛そうに、自嘲めいた笑いを浮かべる御上。
 こんな顔の御上を見るのは、椿は初めてだった。

「だから椿くん。僕にもう少し、時間をくれないか?」
「う、ウン!」

 頭から断られたのではないと知って、喜びのあまり椿は、反射的に首を縦に振っていた。

「君が18歳になって、高校を卒業したら……。その時まで、君が僕の事を好きだったら……。その時に、今の返事をするよ」
「そんなの、好きに決まってるよっ!!」
「うわっ!椿くん!?」

 もう一度、今度は力いっぱい、御上のに抱きつく椿。

「今の約束、忘れんなよ先生!あたし、いっぱい頑張るから!いっぱい頑張って、先生に相応しい、大人の女になってみせるから!!」

 椿は、目尻に溜まった涙を振り払うと、そう宣言した。
 もう、泣いてはいない。

「それじゃ、勉強も頑張らないとね、椿くん?」
「う、ウン……ガンバる……」

 椿は、ちっちゃくなって、言った。